自我足りえない意志
「トーハ! ──トーハッ!?」
旧水路都市の地上の一角。
胸を貫かれた者、体を分断させられた者、手首が千切れかかった者。
計三名のおびただしい出血がまき散らされている。
三人の唯一の生存者であるトーハをリィルは必死に呼び起こしていた。
猿ぐつわと手首の拘束は地面に落ちていた光剣の刃にギリギリまで近づけ、千切れかかった所まで焼き切り、最後は自分で引きちぎり無傷で拘束を脱した。
時間がなかったトーハには出来なかったが、少年の武器は主の助けにはなっていた。
リィルが拘束を解いたころには、安物で使い捨ての光剣の刃がエネルギー切れで消失する。
「治療魔術が使えたら……!」
せめてもの足しにと持っていた治療薬を水で無理やり流し飲ませ、手首はなるべく元の状態に戻して縛っておく。
塞げる傷口は塞いで出来る応急処置を施したが、トーハの意識は戻らない。
無理もない、出血量だけで言えば他二人と同等だ。
このまま出血多量で死んでもおかしくない。
傷口を塞いだ布切れは元の白さをとっくに失い赤黒く染まっていた。
MGで地下にいるであろうレオ達に通話をかけるも返事はない。
先程のヘイグ達の反応を察するに何か異常があったことは明らかだ。
彼らと一緒にいたボルドーの身に何かあった以上、レオ達も巻き込まれているはず。
彼らを助けに行きたい気持ちはやまやまだが、リィル一人ではまともに戦えない。
せめて前衛が居れば多少は動けるが、彼が起きるのを期待するのも望み薄だ。
「……」
少ない時間で必死に思考を巡らせ、リィルは別の相手に通話をかけた。
幸い二回目の呼び出し音で相手は出てくれる。
『なにーリィルちゃん。どうか──』
「助けてください! トーハと、レオくん達が!」
『──事情を聞かせて。落ち着いて、ゆっくりね』
焦りから荒くなる呼吸を抑えながらリィルが事情を話す。
話を聞いていたヒスイはMG越しにほくそ笑んだ。
クレハの選んだ相手は間違っていなかった。
奇襲と言えど、拘束を脱して三級探索者二名を撃破した。
砂鮫の撃破も含め、彼らは今後の優良客になることを彼女は改めて予感する。
『……ありがとう。よく頑張ったわね。とりあえず、アタイからLOPに連絡は入れておく。そのあとそっちにすぐ行くわ。トーハくんが動けないならその場で待機してて、魔物に見つからないようにね』
刻一刻を争う状況故に、ヒスイは返答も待たず通話を打ち切った。
「──はぁぁ……」
MGを下ろし、リィルが深々と息を吐く。
油断は許さないといえ、希望は繋がっていることへの安堵が押し寄せたのだ。
そんな彼女の安堵を吹き飛ばすが如く、己の血に沈み倒れていたトーハがむくりと起き上がる。
「えぇっ!?」
「……すみません、りぃるさま。……ぶじ、ですか」
「あっ、はい無事です──じゃなくて! 大丈夫なんですか!?」
おろおろとしながらリィルがトーハの体をペタペタ触り、容態を確認するが彼はどこ吹く風だ。
まるで怪我すら負っていないように振る舞う彼に恐怖すら感じる。
「はい。すこし、いたいです。けど、だいじょうぶ、です」
こくり、とトーハがゆっくり頷く。
緩慢な動作なのはまだ意識がはっきりしていないからだ。
布に隠されたトーハの傷は全て塞がっていた。ほぼ千切れかかった手首はまだ完全ではないし、大量の出血が戻ったわけでもない。
貧血に近い症状から彼の頭のふらつきと、大怪我した手首の痛みは消えていない。
「大丈夫なわけ……」
あり得るはずがないとかぶりを振るリィルだが、過去の違和感が点と点で繋がる実感もあった。
魔力切れで意識を失ったあの日。
力尽きたリィルを連れて帰ったのはトーハだ。
だが、そのトーハは何度も銃撃されていた。今もそうだ。
そんな状態で連れて帰ることが出来るのかと不思議に思っていたが、もし彼に普通の人間を上回る回復力か何かが備わっていたとしたら──
「りぃるさま」
「はっ。な、なんですか?」
ある種の正解にたどり着きかけていたリィルの思考をトーハが止める。
改めて向き直った彼の瞳はまっすぐにリィルを見据えていた。
「れおたちを、すくいましょう」
「……無茶です。それに、ヒスイさんに助けを呼んでもらってます」
トーハが自発的に話しかけてきたのは砂鮫との戦いの前依頼だろうか。
珍しい行動に息を飲むも、助けに行く余力などない。
「それに、先程MGにコールしましたけど繋がりませんでした。だから……」
リィルはその先を口にしなかった。
出来れば信じたくなかった。短い間とはいえ、少しは信頼し合えた実感もあった。
ようやく出来た新たな仲間だと思っていた。
なのに、出来たそばからこれだ。しかも原因が自分とあってはもう堪え切られない。
ずっと、ずっと。
リィルは守られ、代わりに誰かが死んでいく。そして彼女は生き延びる。
その事実に向き合う強さはリィルになかった。
見えているものを守るために奮起する強さはあれど、生きているかもと希望を胸に闇の中を探る強さは。
「とーはが、かけます」
名前と別の一人称を確立できていない彼はリィルからMGをひったくる。
彼女を守ることと、彼が強くなるため義理を果たすことは同じ優先順位であり、リィルを害さない程度の行動であれば迷いなくトーハは実行する。
「ちょっと──!」
傍で見ていたからか、常識がない割にトーハが連絡先から着信をかけるまでの操作は随分スムーズだった。
1コール目。かからない。
2コール目。リィルが目を逸らす。
3コール目。トーハは黙って待っている。
4コール目。リィルがもういいとトーハからMGを奪い返そうと手を伸ばす。
5コール目。トーハがあっさりとリィルの手を避ける。
6コール目。リィルが怒鳴ろうと口を開き。
『──リィルか!?』
7コール目でつながった。
トーハが通話をかけたのは後衛で比較的余裕がありそうなルーバスだったが、着信に出たのはレオの声だった。
「……れお。どこ、ですか」
『はっ、はっ──トーハかよ。無事か? リィルは居るのか?』
息を切らしながら尋ねてくるレオの声は急いでいながらも、緊迫はしていない。
「なんとか、しました。どこ、ですか」
『正直どこかはわかんねぇ! とりあえず上に向かってる! けど、逃げれるなら逃げろ!」
「……?」
何故。そんな息遣いを漏らしたトーハに、レオは煩わしそうに呻いた。
『すまん、説明してる暇はねぇ! アリどもが押し寄せて来てるんだ!』
「アリ、ですか? ──いえ……今ヒスイさんに連絡しました。地上に出たら時計塔跡が目印です。助けに来てくれるそうなのでなんとか来てください」
リィルがトーハからMGを奪い取り、代わりに説明する。
助けに行けるなら助けに行きたいが余裕はない。
『……分かった! なるべくそっち側で地上に出る! 生きてたら会おうぜ!』
「はい……あ」
僅かな躊躇いを感じたが、一息に言い切ると通話がぷつりと切れた。
返事も届いていなさそうだ。音沙汰のなくなったMGを下ろし、リィルは呆然と画面を見つめる。
「……とりあえずヒスイさんとの合流地点まで行きましょうか」
「……はい」
救出に向かいたいトーハの気持ちも汲みたいが、居場所が分からないのに闇雲に探すわけにも行かない。
LOPにも救護を呼んでいるヒスイの言葉を信じてリィルが合流を選んだ。
「メッセージ……と位置情報、これが合流地点ですね。トーハ、行きますよ」
慣れない手つきでMGを操作し、貰った位置情報データを地図データとリンクさせる。
目的地点へのナビも起動してリィルは歩き出した。
しかし、数歩歩いたところで彼女が立ち止まる。
「りぃるさま?」
足を止めたのは彼女の頭に閃きが走ったからだ。
立ち止まって動かないのはその閃きを実行することに躊躇しているから。
「……私は、責任を果たすべきだと思いますか?」
まるで背中を押して欲しいかのように、リィルは尋ねる。
彼女を縛る躊躇いがトーハと目を合わせない。
「……?」
「……貴方に尋ねているのですよ」
しかし、察しの悪い従者の前にそれは無意味で。
呆れて肩をすくめたリィルが観念したように振り返った。
面倒そうに眉を下げたリィルの顔が既に答えを見つけていたが、自分で口にはしない。
「……わかりません。でも、とーはは、りぃるさまのぞむまま、です」
「そうですか」
期待していた答えと違い、リィルは苦笑する。
けれど、あながち外れでもなかった。
「私は強くならないといけません」
「……はい」
「でも私は戦うことが嫌いですし、怖いです」
「はい」
誰に聞かせるわけでもなく、リィルは語る。まるで言い訳のように積み重ねる言葉はリィルの躊躇いを表しているようだ。
「でも、私には守るべき人が居ます。私のために戦ってくれる人が居ます」
もうトーハは返事をしない。
それは返事をする無意味さを理解したからか、主の意向を察したからかは誰も分からない。
「私はその責任を果たさないといけません。私のせいで迷惑をかけている人を放置するわけにはいきません。──私はそういう人間ですから」
絡み合い、グダグダと煙に巻くが如くリィルは愚痴る。
積み上げた言葉が示す意味は一つ。
「……率直に言えば、私は彼らを助けに行こうと思います。トーハ、出来ますか」
「はいっ、おまかせください」
何処かはきはきと答えたトーハの表情は愛想はないのに、どこか笑っているように見えた。
だから、リィルも本心から笑う。彼の肯定ほど足取りを軽くするものなど、ないのだから。




