掛け違い、あるいは不運
一分間の見張りを終え、ボルドーは出口に向かっているであろうヘイグ達を追っていた。
彼の主武装である機関銃は人が携行できるギリギリのサイズで、ボルドーは担ぎながら歩いているため移動速度はやや遅め。
遅めの範疇に留まっているだけ彼の怪力ぶりが伺える。
「……?」
後れを取らない為出来るだけ速足で歩いていた彼が違和感に足を止める。
銃声などとは違う、そもそも音というよりは振動だった。
まるで地震の前触れである初期微動のような小さな揺れ。
しかし、地面が揺れているのとも違う。
波が押し寄せるような、何かが這いあがってくるような。
揺れが近づいてきている音だった。
「……」
彼の機関銃は維持費も高く、それを押し通すための魔防壁も加えると他の装備を揃え維持する余裕はない。
故に、索敵関係などの装備は割り切り斥候を務めるカシムに任せきっている。
何が来るかも分からないが、大抵のものなら押しつぶせる自信もあり、ボルドーはこの場での迎撃を決めた。
担いでいた機関銃を構え、魔力の節約のため電源を切っていた魔防壁のスイッチを入れる。
全身からじんわりと魔力を吸い取られる感触に眉をひそめつつ、ボルドーが暗闇の先を睨む。
「……ふん」
音が近づき、暗闇から顔を出したのは魔昆虫の群れだった。
軽く二十を超える群れには攻撃型から防御型に砲撃型までさまざままだ。それらが一斉に走ってくる様子は並の探索者なら絶望を覚えるほどだが、ボルドーからすれば得意な戦場だ。
砲身が回転し始めると同時に、銃口が火を噴き始める。
アリたちの行進する音に負けない勢いで唸りをあげて敵を一掃する。
暴れる銃身を抑えつつ、右へ左へ薙ぎ払う。
アリたちも負けずと仲間の死体を乗り越え、あるいは盾にしながらボルドーとの距離を詰めていく。
「……」
無表情だった彼の顔に少しずつ陰りが生まれていく。
一回で遭遇するであろう数は多くても十匹と少し程度。
たまたま巣穴を巡回する群れの距離が近く、二倍ほどに膨れ上がることはあるが──
「チッ──」
既に三十は殺したはずだった。既に洞窟の床は緑の血溜まりが出来ていて、足や穴の開いた頭が浮かんでいる。
しかし、それでも暗闇の奥からは無尽蔵にアリが湧き続け、終わりが見えない。
彼のガタイの良い体に何重にも巻き付いていた弾帯も目に見えて減り始めている。
彼一人というのが不運の一つだった。
防御型に対して真っ向から戦うことは無駄玉を消費するのと同義。数の暴力で削り殺すが、このままだと底をつくのは必至。
それでも撃つのはやめない。
ためらいも見せない。
撃破数に対して敵との距離は縮む一方。
少しでも緩めればアリたちの波に飲まれるだろう。
通気が悪いせいで辺りには異様な匂いが立ち込めている。
その不快感に構う余裕もない。
焦りからか呼吸は荒く、無表情だった顔にはどんどん陰りが生まれていく。
単独でこの数を凌いでいるだけ大したものだった。
下手に引くことは諦める。撃ちながら下がる速度ではいずれ追い付かれる。
中途半端に引いた分だけ、まだ撤退しきれていないヘイグ達を危険にさらす。
ヘイグに情はない。こんな誘拐まがいなことは彼の義に反するし、もう少し手段はなかったのかとも思っている。
けれど、もう一人は違う。血のつながった肉親であり、先輩後輩としての兄貴分ではない本当の兄だ。
愛想悪さ、不器用さは自覚していたし、もう少しうまくやれたのではないかと常に後悔が募るばかり。
ヘイグならうだつが上がらないボルドーの代わりにカシムの面倒を見てくれるだろう。
──だから。ボルドーは決断する。
一瞬だけ銃身を片手で支えながら、MGを取り出しヘイグへ電話をかける。
すぐに通信が繋がったのを確認して──
「悪い。後は頼む」
そう言い残してMGを投げ捨てると、再び両手で銃身を支えて殲滅に専心した。
陰りのあった表情は憑き物が落ちたように晴れやかになって、いつもの仏頂面へと戻る。
傍から見れば苦しそうだったが、誘拐まがいなことに加担し罪悪感を覚えていたボルドーにとってこれは償いだ。
せめて弟の罪ぐらいは清算するため、信じても居ない神に祈りながら弾丸をばら撒くのだった。
*
ヘイグ達は出口にたどり着き、後は車とボルドーの到着を待つのみ。
計画の締めにかかろうとしていたタイミングで、コールが鳴った。
『悪い。あとは頼む』
平坦ながらもどこか焦りのある文言を吐き捨てられ、すぐさま通話音が銃声に飲み込まれる。
「……ボルドー! 何があったボルドー!」
詳細は不明だが、ボルドーが生還を諦めたのは明らかだ。
着信は繋がっているが、ヘイグがMGに向かって叫んでも返って来るのは無数の銃声のみ。
銃声に鼓膜を壊されそうになりながらも耳を澄ませば、かすかにアリの悲鳴らしきものが聞こえたような気がした。
「兄貴……?」
「ボルドーがアリどもに負けるはずが……」
「……死んだんすか」
「これが終われば自由ってのによ──ほんと馬鹿だわあいつ」
貶しつつもヘイグの顔が悲しみに満ちていたのを見て、カシムも端正な顔を歪めて下唇を噛んだ。
そして、彼らの注意がトーハ達から逸れる。
逸れてしまう。
だから、ヘイグの胸から光の刃が生えたことに気付くのも遅れてしまった。
「──は? ごふっ──!!」
「兄貴ィッ!?」
せりあがる大量の血を吐き、ヘイグがその場に倒れ伏す。
「な──、──って」
なぜ、どうやって。
口にしたかった言葉もせりあがる血に流され、ヘイグは苦悶の表情を浮かべるのみ。
──ヴォン
と光を唸らせ、トーハがリィルを背に立ちふさがる。
縛っていたはずの少年の手首の縄は焼き切られていた。
しかし、ほぼ密着状態で手首を縛ったので、両手を自由にさせるには手首ごと焼き斬らなければならない。
「てめっ──!? 腕ごと……!」
だから、少年は躊躇なく手首を焼き、せめて利き手は使えるようにと左手首の肉を三分の一ほど削いでしまった。
辛うじて繋がっている左手をだらんとたらし、接続部からは血を垂れ流されている。
想像を絶する痛みが走っているはずだった。
傷の大小は違えど、今も己の血の海に沈んでいるヘイグと同じで立つことさえ出来ない激痛が走るはず。
何故出来たのかと視線を探らせ、リィルの手の甲の刻印が映った。
「……奴隷か! 畜生めっ!」
命令で動かされていると察し、捕まえた少女の残酷さに舌打ちする。
まだ少女は猿轡も手首の拘束も解けていない。
今トーハを殺せばまだ間に合うはず。
至近距離。光剣の間合い。
今にも地を蹴って飛び出そうとするトーハから少しでも離れるため、後方へ飛びながら持っていた短機関銃をフルオートで撃ち放つ。
「【絶】」
全速力で飛びのいたおかげで、トーハの初太刀は銃口を掠めるギリギリを通り過ぎた。
光の残影が前方を通り過ぎ、銃口から弾が乱射される。
「──!?」
そして、その大半が何かに斬られたように両断された。
その一瞬は理解が及ばず、まるで壁に隔たれたかのように弾が散っていく様は己の目を疑う光景だ。
弾を両断されたとカシムが知覚出来たのは、少年の左右に飛び散った綺麗な切断面を晒した薬莢の残骸のおかげだ。
しかし、至近距離の乱射を一太刀で両断するのは当然不可能。
トーハの急所こそ外れたものの、銃の反動によってブレて足、肩口などに数発着弾していた。
彼の防御面は銃弾の前には紙同然。急所を守る胸当てや肩当程度だった。
「……っ──【絶】!」
体中から血を噴き出しながらも、トーハは歩みを止めない。むしろ加速する。
袈裟斬りで振り切った光剣を跳ね上げるように振り上げ、短機関銃を切断。
グリップを握っていたカシムの指が何本か斬られ、散らばる薬莢達の仲間入りを果たす。
「こんのっ──」
右手の指が消え去って激痛に体を跳ねさせるが、すぐさま残った左手で拳銃をつかみ取る。
探索者として死線を潜ることに慣れた三級探索者の中でも強い意志の持ち主だと褒められるべき行動だ。
だが、それでも一拍遅い。光の刃に重さはなく、構えて引き金を引く二動作と下から振り上げるだけで終わる一動作は致命的な差がある。
ホルスターから拳銃を引き抜き、トーハの前に構えようとしたところで彼の上半身と下半身が分断された。
光剣の出力ならば、【断絶剣】など使わずとも人間の肉程度余裕で斬れる。
至近距離の奇襲を成功させた上で、辛勝と呼ぶべきギリギリだったが、五級探索者が二人の三級探索者に勝ったのだから大金星と言ってもいいだろう。
「──っぱ、運がわりぃな……俺た、ち──」
ボルドーの件は仕方がない。迷宮において異常事態はある意味平常。
それに気をとられ、五級探索者のガキに奇襲され負けたのは予想外も予想外。
保険で持っていた魔防壁も、インファイトでしか使えない産廃とは相性が悪かった。
仮に、動けたのがトーハではなくリィルならなんの損失もなく封殺できただろう。
そういう意味でも運が悪かった。
ボルドーが落ち、気を取られてしまった最初で最後の隙を突かれた。
五級探索者が持てるこの場で唯一の負け筋となりえる武器が猛威を振るった。
左手首を躊躇なく捨てられる覚悟を少年が持っていた。
積み重なったヘイグ達にとっての不運。
ヘイグがおぼろげな視界の中、最後の希望だったカシムが分断される終始を全て見届け、どこで間違ったのだろうかと思案し──運の悪さの嘆きを残し意識を失った。




