表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
亡国王女は護衛をチップに荒野を生きる  作者: 青空
一章:奴隷から従者に
3/50

気遣い皆無

 カリア奴隷店、品番108番──またの名をトーハは、己のことを全くと言っていいほど知らない。

 どこで生まれ、育ち、何を経て奴隷となったのか。今までの経歴全て記憶にない。

 忘れてしまったのか。そもそも記憶が空虚だったのか。

 何もかも分からない彼だったが、たった一つ思い出せることはあった。


「……どうしたトーハ?」

「……」


 ファイに連れられ、アーランドの荒野へと出たトーハは荒野に満ちた魔力で出来た生物──通称魔物の中でも最も弱小のモノと相対していた。


 砂塵が吹きすさぶ荒れた砂地。赤褐色の地に咲く僅かな緑を貪り、生きる──荒地鼠(ウエスラット)

 (ねずみ)とは言え、確かな魔物。体格は肥え太った豚ほどに大きく、従来の鼠より大きな口は、人間の腕や足などを嚙みちぎるのも容易だ。


 アーランドの荒野に出る探索者たちが初めに遭遇するであろう魔物で、多くの探索者の命を喰らってきた魔物でもある。

 所詮はでかい鼠だと舐めてかかる輩を、その鼠は喰らいつくしてきた。


 他にもいる魔物から身を隠すため砂地の色に紛れる黄色の鼠がトーハと睨み合っている。

 店で買った量産品の直剣を握り、防具とも呼べない生地が硬い服を着せただけの弱そうな相手に、荒地鼠(ウエスラット)が正面から襲い掛かろうと大きな体を縮め、力を溜めていた。


「余計なことは考えるな、死ぬぞ」

「……はい、ししょう」


 後ろの岩陰から見守るのはファイと、彼の背中から顔を出しているリィルの二人。

 剣の構えは悪くない。どうせ対人を教え込んだところで相手するのは主に魔物。

 まず必要なのは直感と身体能力、あとは最低限の武具の扱い(スタイル)だ。


 結局ここまでトーハは大した言葉を発することはなかった。

 口にするとすれば主である「あいりぃるさま」と護衛のファイを指す「ししょう」、それと返事の「はい」の三つ。


 言葉を教え込んでも良かったが、守るべき主を差し置いて教育を施すつもりもない。

 取り急ぎやることはやはり戦闘面の育成だ。


 何の学もないわりに剣は振るえるらしい。

 ならばと荒野へ連れ出し荒地鼠(ウエスラット)と対峙させてみたのはいいもの、彼が動く気配はない。荒地鼠(ウエスラット)もどちらかと言えば臆病な性格だ。自分から仕掛けることは、奇襲できる場合を除けば少ない。


 故に、このような膠着状態が一分ほど続いていた。


 しかし、荒地鼠(ウエスラット)側にそれ以上の集中力はなく、ばねの様に縮めていた体をついに解き放つ。

 砂埃が舞い上がり、褐色の弾丸が宙を駆けた。


「──!」


 彼の視界は走馬灯のようにスローで映し出されていた。

 迫りくる大口、並び立つ大歯。

 食べられるならば何でも喰らう悪食の牙はこびりついた雑草や吹きすさぶ砂で薄汚れ、見れたものではない。


 何もしなければ一秒後に訪れる死。

 生命の終わりを前に、記憶が呼び覚まされた。


 ──そもそも。既に彼は迫りくる凶器()を看破しきっていた。


 あとは下書きをなぞるように、体を動かすのみ。

 右足を下げる。

 右肩を引く。

 半身がずれる。


 同時に行われた一挙で、彼は荒野の弾丸を避けた。


 微風が髪を撫で、獣の吐息が駆け抜ける。

 唾液で溶かされた粘つく草の臭みが香るが、彼が顔を顰めることもない。


「トーハ!?」

「心配ありません。姫様」


 あまりに紙一重な回避。

 遠くで見ていたリィルには体当たりを喰らったトーハが仰け反ったように見えた。

 しかし、それは目が育っていない者の話。実力に相応しい目を備えたファイは一連の流れを全て視界に収め、理解を終えていた。

 そして、意外な掘り出し物を得られたのではと口元を緩い弧に描く。


「……きゅ?」


 確かに得物を捉えたつもりだった荒地鼠(ウエスラット)は空を切った己に小首をかしげた。


 そこからは一瞬だった。


 まだ理解が追いつかない荒地鼠(ウエスラット)へトーハが体を向ける。


 彼に残る唯一の記憶──体に染み付いた剣の扱いとそれを用いた戦闘術。


 音を立てることなく荒地鼠(ウエスラット)の背後に忍び寄り、捻った上半身から横薙ぎの一閃を繰り出した。


 単調ながら、一連の動きは淀みない。剣を構え、鼠の首を刈り取るまでの動きだけはあまりにも流麗。まるで工場のライン作業のように淡々と──彼は荒地鼠(ウエスラット)の首をはねた。

 丁寧に尖れていない鉄剣なせいで、斬るというより、叩き割るといった荒さだ。


 しかしながら確かに断ち切った鼠の首は宙を舞い、荒野の日差しを受けて一瞬輝き、それが最後の命だと言わんばかりに呆気なく地面を転がる。


 切断面からおびただしい量の血を流し、褐色の鼠はばたりと地に伏せる。即死して間もないからだろうか、体に対して小さな手足をぴくぴくと痙攣させていた。


 魔力で出来た魔物は活動停止するといずれは魔力に変える。その前に動力源などで有用な魔石をトーハは鼠から抉り取った。


 未だ魔物に慣れないリィルは遠くで見ているというのにファイの大きな背中に隠れて震えていた。


「……ししょう」


 トーハが血の付いた剣を鋭く振るい、こびり付いた血を落とす。

 まるで大量の血が染み込んだような赤褐色の荒野では、点描を描く血のシミなど見慣れた景色でしかなかった。


「上出来だ」

「はい」

「しかし、受け身すぎだ」

「はい」

「守りも大事だが、やられる前にやれ」

「はい」

「……はぁ」


 生徒と教師の会話にしてはあまりにも味気ない。

 学ぶ楽しさ、教える楽しさのどちらも感じられない無色の会話だ。そんな中、紅一点のリィルは金色のポニーテールを揺らしてため息を付くのだった。



「……はぁ」


 そして、日が暮れてもリィルのため息が収まることはなかった。

 あれからファイはトーハに数匹の荒地鼠(ウエスラット)と戦わせた。

 姫の奴隷はその全ての首を()ねた。リィルはため息をつき、ファイは口元に弧を描く。


「──はぁ」


 ならば、と南方出身の駆け出し探索者が最初に訪れる迷宮──【鉄色地下道】へ訪れることになった。

 寂れた地下道に走る、酸化した線路。鈍色から地上の荒地と同じ褐色になってしまった鉄道を跨ぎながら、リィルは再びのため息を吐く。


「……ファイ! 帰るんじゃなかったんですか……!? わたし、もう疲れました……」

「姫様。こちらもあまり余裕がないのです。つい先日だって、実感したはずでは?」

「……それは」

「お金もそう。貯金があるとはいえ、使えば減るのが世の理。機会があれば溜めておかねばなりません」


 多量の魔力で迷宮化した地下道にはその魔力を源として様々な素材が蔓延る。

 主を窘めながらファイが削り取った鈍い銀色の鉱石もその一つ。

 この荒野ではさほど珍しくもない荒地鉄(ウエス・アイアン)だ。


 とはいえ、荒野の外であれば話は別。魔力を多量に含んだこれは多くの街の発展に使われている。

 故に、数を揃えれば根無し草でも金持ちは夢じゃなかった。

 だが、単価こそ安くとも数があれば稼げる代物。乱獲されたとておかしくない。


 事実、一介の商店が迷宮事業を元に成長し、企業とまで呼ばれるようになったものも居た。

 それらは広い荒野の内、一つの迷宮にターゲットを絞って占領、乱獲を行う。

 しかし、それもまた安定しなかった。


「……トーハ」

「はい」


 三人の靴音とは違う音が地下道内で反響する。


「ハッ、ハッ、ハッ──」


 続いて聞こえてきたのは荒い息。

 だが、人のモノではない。体温調整が苦手な獣が発する特有のそれだった。


 ゆるやかなカーブを描く鉄道の先、老朽し、舗装が剥がれ落ちた鈍色の壁の陰から一体の大型犬が飛び出してきた。


 しかし、只の犬ではない。まるで植え付けられたかのように頬から鉄の刀身が横に伸びていた。

 遠目で見ればまるで剣を咥えてるように見えるだろう。


猟犬(ハンタードッグ)だ。──斬られるなよ」

「……はい」


 トーハは小さく頷く。

 剣士と犬士は向かい合い、互いを敵と認めて己の得物を構えた。


 猟犬(ハンタードッグ)は前足を微かに動かし、蹴飛ばしやすよう地面を慣らす。

 トーハは剣先を静かに落とし、敵の首の高さに狙いを合わせる。


 小石が跳ねる。かん、と硬い音が反響する。

 魔物が動いたのではなく、トーハが一歩踏み出したからだ。


 標的の動きに合わせ、猟犬(ハンタードッグ)も迎撃に動く。

 振り下ろされる剣を避けるように斜め前へ。姿勢を低くした猟犬(ハンタードッグ)にトーハの剣は当たらない。


「──キャンッ!!?」


 代わりとばかりに彼の右足が思い切り振り抜かれる。予備動作のない一瞬の出来事だった。良くも悪くも剣ばかりに集中を向けていた猟犬(ハンタードッグ)にそれを避ける術はなく、宙へと打ち上げられる。


「ャ──」


 そして、自由落下する猟犬(ハンタードッグ)はトーハが上向ける剣と吸い込まれるように合体した。驚嘆が込められた悲鳴はすぐさま痛みの呻きへ変わる。


 ごふ、と咳き込んだ猟犬(ハンタードッグ)が血を吐き出し、息絶える。

 絶命を確認し、魔石を抉り取る。迷いなく臓腑を漁るせいで血飛沫が彼の体に降りかかった。


「ファイっ! あの子っ、ぜーったいっ──洗わせてくださいね?」

「……承知致しました」

「ししょう……?」


 魔石を手にするトーハ返り血を微塵も気にせず振り返った。

 彼の師は肩を竦め、彼の主は畏怖と怒りでわなわなと震えている。

 花よ蝶よと育てられてきた温室の姫。血に塗れた生活など慣れても居ないし、許容した覚えもない。しかし、学のない奴隷にそんな思考がある訳もなく。


「あいりぃるさま?」


 何かの指示だろうかと主の元へトーハが寄っていく。真新しい魔物の血は彼の動きに合わせて地下道に紅い点線を描いた。


「こっ──! 来ないでくださいっ!!!」

「……?」


 そんな有様にリィルがやや泣き声交じりで叫び返す。

 ──が、主のご乱心にトーハが首を傾げる。心底不思議そうだった。


 当然だろう。彼に戦いが出来ても、主への気遣いなど出来る訳もないのだから。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ