旧水路都市・イチノミヤ
「まさか拳銃すら買う金がねぇほど困窮してるとは思ってなかった」
「悪かったですね。貧乏で」
「いや、そういう意味じゃねぇよ。意外ってだけだ──ミリアムも睨むなって……悪気はねぇ」
トーハとリィル。そしてヴァンとミリアム。
計四人となった一行は城壁都市リオドラから東に十数km行った先に位置する迷宮【旧水路都市イチノミヤ】に来ていた。
外に出るうえで懸念だったリィルの捕縛依頼はリオドラでは出ていないらしい。
リオドラに詳しいヴァン達曰く、探索者達による経済効果が大きい都市ほど、組合の権力が強く厄介事になりやすい捕縛依頼などは跳ね除けられやすい傾向にあるらしい。
早いが話、犯罪者など正当な理由でもない限り、そういった依頼は受諾されないということだ。
「睨んでないわ。まーた余計なことしないか監視してるだけー」
「へいへい……もう着くぜ」
「やっとですか…………でも、はい。これは登った甲斐があるかもしれません」
台地の上にある件の迷宮。
階段を登り終えたリィルはその先の景色に目を見張った。
文明の残滓が見て取れる朽ち果てた都市。
リオドラでは車が行き交う道路が大きな幅を見せていたが、ここでは道路の代わりに水路が存在を主張している。
手入れもないため水路は苔むしているが、太陽を照り返す青の水面と水流を下る藻はどこか物寂しい雰囲気を醸し出している。
かつてはこの場にも人が居たのだろうが、倒壊した建造物や、半壊した家屋を見ればもう住む場所でないことは明白だ。濁った水に沈むゴンドラの残骸も当時の移動手段を教えてくれている。
「ジジイ曰くフゼイがあるって言ってたけど、オレらは見慣れちまった」
「アタシもそうね。でも、初めて来る場所の感動は探索者の醍醐味の一つよ」
「感動ですか……。余裕が出来たら楽しめるかもしれません」
「……腕のこともあるから、まずはお金か」
衣食住のうち、住を確保出来たのはひとまず安心だが、片腕がないリィルにとって安心できる状況というのは程遠い。お金がなければ衣類も食事も怪しいのだから。
見慣れない景色に僅かな興奮をにじませつつも、これから先の不安には勝てなかった。
そもそもこの景色に何の感慨も抱かない少年も居るため、随分地味なスタートを切っていた。
「お前ら、探索者の稼ぎ方ってのは知ってんのか?」
「ヒスイさんからある程度は聞いています」
「分かった。念のため、この辺りのセオリーとして話しとく」
浸水して沈んだゴンドラがある川の横を歩きながら進む。
ここまでの道中でヴァンとミリアムの背景も聞かされていた。
リオドラ第二区画の西側は経済的に賑わっていないのだが、そこにある孤児院の出身なのだそうだ。
奴隷を買い取ると言ったのも、その孤児院で引き取って一人立ちさせようとしていたのだとか。
「分かりやすいのは魔物から取れる魔石。倒し方によっては砕けちまうから出来るなら残してぇけど、即殺すなら魔石ブチ抜くのが手っ取り早いから考えろよ」
「見た目はあまり変わらないのに、魔物の種類によって値段が全然違うのですよね」
「砂鮫が例外なところもあるけどな、わざわざ渋い鉄色街道の……それも砂漠地帯に行くやつなんて少ねぇから」
リィルとトーハの装備は砂鮫の魔石を売ったお金で可能な限り一新している。
リィルは若草色の耐衝撃加工上衣と、最低品質の魔拳銃。
練習がてら十メートル先の的に試し打ちをしたらしいが、命中率は半分だった。
彼女もここまで当たらないものとは思っていなかったらしく、時間が取れたら練習すると誓っている。
トーハは新しい前より質のいい鉄剣と簡素な鉄製の胸当てとガントレット。
アーランドで鉄剣なんて粗大ごみでしかない。ヴァンからも防具を切ってでも出力上限が低い安価な光剣を勧められたが、トーハ自身が問題ないと断言するのでこのような形に落ち着いた。
口調こそぶっきらぼうだが、面倒見の良いらしいヴァンがちらちらとトーハの装備を気にしていた。
「で、もう一つは迷宮の余剰魔力で生成される魔術具やら、古代技術製の遺物の売却だな。こっちは運が絡むけど上振れもでかい」
「そっちは見つかったらラッキーぐらいの気持ちでいた方が良いわ。特にこの辺なんて探索者が来やすいとこだし、あっても先に取られてるでしょうね」
「魔物の魔石集めを主軸に──といった感じですか?」
「それであってる」
うんうんと頷くリィルが手にするのは複合情報機器──MG。
タブレット型は彼女の手には大きいので少女の片手で収まる小さめの型だ。
搭載されたメモ機能を使い、貪欲に情報を記録していた。
「本当は索敵用の機器類も買ってもらいたいとこだけど、おいおいだね」
「……完全に子守りだ」
「迷惑かけたのはヴァンなんだからっ。責任は取りなさいよ」
「分かってる──ミリアム、二時方向に反応三つ」
手で頬を叩き気を引き締めたヴァンが、ミリアムに鋭く叫ぶ。
「見えてるわ。多分カブトムシでしょ。丁度いいんじゃない? お手並み拝見と行きましょうよ」
「ふん。じゃ、アンタら今から三匹魔物来るから倒してくれ」
「え、ええ」
「……どんなあいて、ですか」
戸惑いがちに頷く少女の傍ら、先程まで黙り込んでいたトーハが口を開いた。
「魔昆虫。色々種類が居るからあくまで総称ね。ここのだとアタシはカブトムシって呼んでる。そのままだし──ほら」
ミリアムが指で示したのは上空。
正確には倒壊し、半分ほどの高さにまで折れてしまった廃ビルの上。
ビルの中にすら木々が生い茂っており、そこからカブトムシが飛来してきた。
しかし、只のカブトムシよりもはるかに大きい。全長で3メートルほど、その内1メートルが彼らカブトムシを象徴する巨大な角だ。
「ああやって飛んで来たらただの的だけど──リィル、撃ち抜けるか?」
「まだ魔術の方が……」
「ま、だろうな。どっちでもいい。減らせるうちに減らしとけ」
「分かりましたっ」
リィルが右腕を突き出し、体内の魔力を加速させる。
手から浮かび上がるのは赤の魔術印。
「【ファイアバレット!】」
弾丸の如く、火球が空をかける。
紺色の甲殻を纏う大カブトムシたちは火球に対し、回避行動を取ろうと身をよじるが全速力の前進もあり、間に合わない。
一匹があっさりと全身を焼かれる。
しかし。
「……効いてないのですか!?」
「魔昆虫、だからねぇ。魔力耐性はそこそこあるよ」
「りぃるさま、さがってください」
トーハ達が居るのは開けた大通りではなく、水路と店舗跡が並ぶかつては商店街だったらしき場所。
大カブトムシたちも空中では動きが取れない為、羽を畳み、続けざまに着地して立派な得物を構えた。
その中でもより長い角を持ったカブトムシは先程リィルに焼かれ、全身を焦がしているが、崩れる気配もない。
むしろ自慢の紺の装甲を焦がされた怒りか角を震わせている。
「……【ファイアバレット】!」
トーハを間に位置取りながら二度目の火球を放つ。
狙うは一度燃やした相手だ。耐性があるとはいえ、無敵でもないはず。
中途半端に魔力を使うぐらいなら一体に集中した方が良いと考えての行動。
カブトムシの構造上、正面を向いたまま横に素早く移動するのは不得意だ。
三匹密集してとあっては回避は余計に難しい。
だが、彼らは火に臆さない。
飛来した火球目掛け、角を振るったのだ。
じゅう、と高温の証を残しながらも、角によって一閃された魔術は掻き消える。
お返しとばかりに、背後の二匹がリィルに向けて突撃してくる。
「──【絶】」
切り札であるはずの剣をトーハは迷いなく使った。
空間を裂き、一人では対処しきれない数を一閃する。
だが、彼の剣技も絶技ではあるが、必殺ではない。
無意識ながら魔力を用いた技であり、物理魔力両方に強い耐性を持つのなら一撃には至らない。
それでも──
ざん、と鈍い音を立てて、角が折れる。
続けざまに甲殻が割れ、破片が飛び散った。
片方は角が砕けた勢いでつんのめり、そのまま断絶された一閃に顔を晒して頭が千切れる。
もう片方は幸運にも甲殻をかすめただけで致命傷は凌いでいた。
「──【ファイアバレット】ッ」
一命はとりとめたものの、甲殻が砕けた衝撃で転倒した大カブトムシ。
あからさまな隙を見逃すはずもなく、リィルが三度目の火球を放つ。
今度は厄介な甲殻もない柔らかな体が高熱であぶられ、こんがりと焼き上げられた昆虫がぐたりと体を落とす。
斬撃で一、火球で一。
残り一体となった魔昆虫がギチギチと鳴きながら角を掲げた。
仲間を殺されたことへの怒りか、正体不明の剣技で戦況をひっくり返された己への奮起か。
言語は解せないが、奮い立っていることは分かった。
金切り声をあげて突撃してきた巨体をトーハがガントレットで角を叩きながら回避する。
軌道を逸らせば、リィルがより余裕を持って回避できるためだ。
「【ファイアバレット】」
冷静に、着実に。
素早く練り上げた魔術が再び大カブトムシの甲殻を焼いた。
今度は突撃する余裕を与えない。
距離を詰めたトーハが何倍もの体格差に臆することなく剣を振るい、突撃の出鼻を挫いた。
得られた隙は数秒。
しかし、その数秒は戦いにおいてあまりにも長すぎる。
「【避けてください!】 【ファイアバレットッ!】」
命令、そして魔術。
リィルの意のままにトーハが退き、火球が直撃する。
二度の火球で甲殻を焼かれ、三度目となれば流石に耐えられなかった。
食欲もわかないぐらい丸焦げな魔昆虫が残り火に苦しみながらのたうち回り、緩慢になり──やがて止まる。
「────はぁぁ……お疲れ様ですトーハ」
無意識に固まっていた体を深呼吸で解きほぐし、魔術の連射でぼうっとしていた頭を覚醒させる。
こちらへ戻ってくるトーハを労うように微笑み、後ろで見ていたヴァン達の感想を聞くべく振り返った。
しかし、やけに険しいヴァン達の表情が勝利の余韻に浸るリィルに冷や水をかけたのだった。




