探索者登録・奴隷の扱い
「もどりました」
階下に降りたトーハはカウンターの席に腰かけキーボードで何かを打ち込んでいるヒスイの元へやって来た。
「おう少年──トーハ君! 喧嘩せずに決めれたかい?」
「りぃるさまが」
「ま、でしょうね」
省略された返事だったが、リィルが全て決めたのはヒスイにも容易に想像がつく。
この少年に所謂自我だとか、欲求とかは限りなく少ない。
人間である以上、生理的反応はあるだろうが──
「なにですか」
「ん? あ、そうだったね。君身分証明するものないでしょ」
「はい」
「大した信頼性はないけど、どうせ探索者で飯食ってくんでしょうから、リィルちゃんだけに委ねてないで、君もカードくらいは持っとくべきだね。財布にもなるから便利だし」
当然も当然。彼に身分と呼ばれるものはない。所有者に全権が委ねられている状態だ。
対象を奴隷と同じ状態にする隷属の魔術なども同様だが、あくまで商品として売買したものとそこらの野犬に首輪をつけるのとでは、社会的な身分が異なる。
ならば、道具である奴隷が探索者になれるのか、と言った話も出てくるが人を使いお金を稼ぐ者はあくまで探索者組合に所属させた奴隷に稼がせるのだ。
とはいえ、どちらかと言えば借金などが返せず奴隷になってしまった元探索者のケースが多いので、奴隷で探索者未経験の者が新たに登録するケースは少ない。
「はい」
「……うーん。ここでくっちゃべっててもムダかー。とりあえず行くからついてきて」
「はい」
「ほんとに稼ぎ頭になってくれるのかしらね……」
もはや機械人形と言っても差し支えない彼に、ヒスイは遠い目をしながら店の戸を開け、トーハもそれに続いた。
彼に出来るのは単純な反応だ。命令に対しても、質問に対してもそれに対し必要に応じて愚直答えるか、行動するか。
恐怖すらも感じない彼の行動は無個性な彼にとって唯一の個性と言ってもいいだろう。
*
城壁都市リオドラは半径15kmもの隔壁に囲われた円形の都市だ。20m超もの高さを誇り、対空砲も備えた荒野の害から全てを守る絶対防壁である。
そんなリオドラは純粋な距離で端から端まで30kmもある大都市だが、さらにそれを区切る半径5kmほどの隔壁がもう一つ存在する。
より強固かつより堅牢なもう一つの隔壁は第一隔壁と呼ばれ、ここの内側──第一隔壁区画には所謂上位層の人間が暮らしている。
リィルなどが暮らしていた王城から周辺の一等地二等地辺りまでを第一隔壁区画とすれば、庶民が暮らすのが第二隔壁区画と言えよう。
そんな第二隔壁区画は東西南北で大まかに四つに分けられる。
翡翠武具店は南エリアに位置しており、当然トーハ達も南エリアに居る。
探索者組合の支部もエリアの数だけ存在するため、トーハ達は探索者組合リオドラ南支部へ足を運んでいた。
「らっしゃい! 迷宮の前に弾薬の補充は済んでるかい! 実弾からこの辺りじゃ手に入れにくいエネルギー弾まで幅広く揃えてるよー!!」
「探索者は命あっての物種! 胸元にでも入れて置けば奇襲を防いでくれる魔防壁だよ!」
探索者組合に近づくにつれ、人ごみと客寄せが張り上げる声で暑苦しくなってくる。
「この辺は賑やかどころかうるさーい。ウチにも分けてくれないかなぁ……」
南エリアを一言で言い表せば、駆け出し、中堅探索者達の領域である。
丁度アサエルから北上したばかりの探索者がそのまま居付くことが多く、それらは需要を産み探索者関連の商売業も発展し、今では常に呼び込みが絶えない騒がしい区域となっている。
そんな騒がしさにうんざりしているヒスイは少しでも人込みを避けようとトーハを盾にしながら嘆いていた。
仮にも大人の女性が少年をまるでブルドーザーのショベルの如く乱雑に扱うので、むしろ注意を引いてしまっているのだが、ガサツで人との交流の少ない彼女はその辺りを微塵も気にしていなかった。
その辺りは素直にショベル扱いされているトーハもトーハなのだが、彼自身、ひいては主の恩人が故に、可能な範囲で彼女のお願いを聞き入れた結果でもある。
扱いの雑さはともかく、周囲が思う以上に彼らの仲は悪くない。
トーハ式ショベルの甲斐あり、ブルドーザー・ヒスイはさして機嫌を悪くすることなく探索者組合の入り口にたどり着いた。
同じく堅牢なコンクリートの建物の入り口はヒスイの店のような木製の扉ではなく、強化ガラスの自動ドア。彼らの接近を認識したセンサーが作動し、自動ドアがスライドする。空いたばかりのドアからは大柄の人間が同時に飛び出し──
「おわっ! 危ないぞ!」
「こっちの台詞ですー。いい大人なんですからちゃんと前見て前見て」
「……ぬ」
たまたまタイミングが被ってしまったのか、組合を出ようとしていた探索者と鉢合わせてしまった。反射的にか、つい怒鳴った大男の探索者にひるむことなくヒスイは言い返し、あまりに物怖じしない態度に彼も探索者も怯んでいた。
しかし、トーハの襟元から覗く奴隷用の魔力刻印を見つけると途端に表情が変わった。
「──けっ、人にやらせて壁裏でぬくぬくしてるやつにゃぁ、言われたくねぇな」
「あら怖い。別に悪いことしてないわよ」
「ああ、そうかい。──行くぞ」
探索者には同伴者が居たらしく、機嫌の悪さを隠しもせずに声をかけると同じ体格の男たちは去っていった。
表情こそ変わらないヒスイだが、彼女の足がぴたりと止まっている。
「ひすい」
「……仮にも年上なんだから、ヒスイさん、でお願いね」
「ひすいさん」
「なぁに?」
「どうか、しましたか」
「──なーんにも?」
言われもない中傷を受けたことか、珍しく人に気をかけたトーハに驚いてか。
ヒスイの返事はやや遅かった。
改めて支部に入れば、中は先程銃を担いでいた探索者達のような人々で賑わっていた。
天井に備え付けられた電光掲示板に映る情報を眺める者、受付と会話をしている者、探索者同士情報を交換し合っている者など様々だ。
男女比率で言えば男性の方が多い印象を受けるが、6対4あるいは7対3と言ったところで多少偏っている程度だろうか。
建物内を一瞬見渡し、ヒスイはカウンターに並ぶ制服を着た受付嬢の前へと真っすぐ進んでいった。
トーハも慌てて彼女を追う。
組合の制服である黒のタイトスカートと白のブラウスに紺のネクタイ。
しみひとつ、しわ一つないそれらは組合の鑑として清廉な雰囲気を漂わせている。
丁度手が空いていたショートボブの受付嬢は向かってくる二人の姿を見つけ、職業柄磨き上げられた外向けの笑みを浮かべる。
知識や簡単な戦闘能力意外に容姿も審査基準に入れられる受付嬢の笑顔は多くの人に警戒心を抱かせない力があった。
しかし、その二人の年齢差、少年の格好などから面倒事の気配を感じて眉をピクリと動かした。
「こんにちは。探索者証をお持ちですか?」
だが、仮にもプロ。
すぐさま笑顔をはりつけ、元気よく愛想よくヒスイへ声をかける。
「後ろの子の登録、お願いできる?」
「──承知しました。少々お待ちください」
親子連れにしては何と言うべきか、母親らしき女性と子供らしき少年の距離感が違うように見える。
しかし、探索者界隈にはよくある奴隷を登録し手足として活用する──と言った類にも見えない。
すんなり終わってくれることを願いながら、受付嬢が手元の引き出しから用紙を取り出し、羽ペンをそっと横に添える。
「こちらの必要事項に記入をお願いします」
必要事項は名前と技能もとい戦闘スタイル、それと任意で出身。
項目は非常に少ない。あったところで組合側が知っても意味はない。
その探索者の呼称が分かればとりあえずはいい。
「……トーハ君、字って書ける?」
「……?」
「あー、そこからか。じゃ、アタイが書いとくよ────これで」
トーハの知識の無さに肩を落としたヒスイが要項を素早く書き上げる。
見やすいように回転させた用紙を机にそっと滑らせた。
保護者的立ち位置らしいヒスイの手は、堅いものをよく握るのか皮膚が硬くなっている。
机に押し当ててもへこまない指先。
少なくとも、戦いのたの字も知らない者ではない。故に受付嬢も意識を入れ替えた。
「ご協力ありがとうございます。只今カード発行いたしますので少々お待ちください」
お腹の前で両手を組み、綺麗なお辞儀を見せた受付嬢が裏手へと消えていく。
「さてと。教育も問題かしら……でも、この子一人を自由にさせてもリィルちゃんがねぇ……」
トーハの立場はリィルを守る盾、あるいは剣だ。
気軽に彼女から離れていい訳ではない。
今はヒスイの店に残してきたのでそれなりのセキュリティに護られているが、今後リィルは稼ぐために迷宮へ行かなければならない。彼女に着いていくトーハも同じだ。
帰って来た後にでも教えてもいいが……出来ればリィルの傍で自己学習できる環境が望ましい。
「──うーん。おばあちゃんにでも聞こっかな……アタイも考えるの得意じゃないし」
「ひすい、さん?」
「お、さん付け出来てるじゃーん。どした?」
「いいえ。……めが」
「目?……あぁ、悪いね。アタイのことは気にしなくていいよ」
強張っていた顔を見て心配したのだろうか、トーハが声をかける。
意外と人のことを見てるらしい少年にヒスイは苦笑しつつ、心配は要らないと首を振った。
「それよりもあそこの電光掲示板とか──あぁ、文字読めなかったら無理か」
「……?」
「やっぱ教育が必要ね……」
彼自身に情報収集をしてもうおうにも、知識を得るためには最低限の知識が居るのだ。
せめてその最低限だけでも可及的速やかに獲得してもらわねばならない。
「いいえ」
「……?」
突然の否定。
何への否定かも分からず、ヒスイが怪訝そうにトーハを見つめ返す。
「みられてます」
「それって──」
目、というのがヒスイの顔ではなく、誰かの目線だったようだ。
つまり監視。
別の意味で顔を強張らせたヒスイの傍を誰かが通り過ぎ、トーハの前で止まった。
「なぁ、アンタ──」




