第二隔壁区画・翡翠武具店
「…………すごい──」
分厚い隔壁を抜けた先は、先進的な文明が広がっていた。
サースラルからリオドラまでは一般的だった木造やレンガ造りの家屋は一切見当たらず、コンクリートを軸に作られたより堅牢な建設物群で視界が埋め尽くされている。
「そこのお兄さん! どこに行かれたんですかー!」
「おん? 地落塔の下層だよ。古代技術の素材ががっぽりさ」
「今なら機械人形関連を高く買い取りますが、いかがでしょう!」
「そりゃ、出すもん出してもらえるなら考えるが、アンタ程度じゃ知れてるだろー散った散った!」
次に注意を惹かれたのは賑やかを通り越して騒がしい喧騒だ。
戦利品を買い取るべく近寄って来る営業の人間と迷宮帰りの探索者が口うるさく言い争いという名の交渉をしている。
また、車ごと入ったことからも窺えるが、車両が通行することを前提とした道幅の広さも段違いだ。
サースラルの城下町でさえ、精々馬車が行き交う程度の道幅だった。
もちろん、それで十分なのだが、目の前のそれは探索者達が使う乗り物には不相応と言わんばかりにだだっ広い。
遠くにはそんな家屋を積み重ねたような高層建築物が連なっている。
もう一つ壁を跨いださらに遠くは、壁よりも高い高層建築物が。そこまで行くともはや折れてしまわないか不安になる高さだ。
その高さまで作れること自体が技術進歩の証明なのだろう。まさしく世界が違う。
壁一つ違うだけでここまで世界が変わった。理解の追い付かないリィルは驚きで目を瞬かせていた。
「どーだい? 城壁都市リオドラは」
「アーランドが栄えているという話はよく耳にしていましたけど……まさか、ここまでとは」
「でしょー! とはいえ、ここは良くも悪くも人が多いからね……とっとと離れるよ」
ヒスイがハンドルを切ってすぐ近くの曲がり角へ入ると車一つ分程度の細道を駆け抜けていく。
もし人が居れば引いてしまいかねないが、気配りは感じられない速度だ。
「あのっ、人が居たら──!」
「第二の区画、特にこの辺でそんなの気にしてたらやってけないよ? やられた方が悪い、の世界だからね」
「……前言撤回します。栄えていても治安が悪ければ意味がないです」
「第一なら流石に違うんだけどねぇ。こっちは正直目が行き届いてない所は多いから」
「…………」
リィルが知っている世界は王城周辺が主だっている。
城下町の治安がどれだけ守られているかなど、彼女が知る所でないし管轄外だ。
それを踏まえれば、理解できなくもなかった。
「ま、すぐ着くから寝たりしないでね」
リィルの無言をどう解釈したのか。少し声のトーンを下げたヒスイが車の速度を落とす。
それに伴って荷台の揺れも弱くなっていった。景色が過ぎる速さも次第に遅くなっていく。
ちらりとトーハの目を向ければ、変わらず彼は膝立ちで佇むのみ。
だが、彼の目は見慣れぬ景色にどこか輝いているように見えた。
声をあげたりはしないが、リィルが驚いていたのと同じように興味を示し、周囲を観察している。
年相応のところもあるのか、とリィルがくすりと笑う。
一方、主の理解できない行動にトーハは首をかしげていた。
*
入り口付近の活気から逃れ、探索者というよりは武器も持たない住民らしき人々が行き交う場所にまでトラックはやってきた。
立ち並ぶコンクリートの家屋の中から、年季の入った建物の前にトラックが止められる。
エンジンは切られていない。どうしたのかと運転席を窺うと、窓からヒスイが顔を出す。
「車庫に入れてくるから、二人はここで降りてー」
「はい」
「は、はいっ。……」
頷くと同時に、トーハが荷台の端を乗り越えさらりと降りた。
リィルも続こうとするが、彼女の身分故か降りるのに少し戸惑っていた。
彼女の傍にいるのがトーハでなく、ファイであればさりげなく手を出していたのだろうが、彼にそんな気配りは出来ない。
「……えいっ」
数秒の間を置いてリィルが荷台から飛び降りる。
さして高くもない。意思さえあれば容易であるため、特に足をくじくこともなかった。
「降りたー?」
「はい! ありがとうございます!」
「おっけー。そこで待っててねー。すぐ戻って来るから」
言うが否や再びトラックが動き出し、店の角を曲がって消えていった。
それから一分ほどでトラックの鍵らしきものを指先でくるくると遊ばせながらヒスイが戻ってくる。
「たっだいまー。一分ぶりだけど元気?」
ひょっこりと顔を出した薄緑の頭に、リィルはゆるゆると首を振る。
「急に機嫌は変わりませんよ」
「つまんない返事だねぇ。子供なんだから、元気、の一言でいいの」
「げんき」
ヒスイの言葉をどう解釈したのか、リィルを差し置き無表情のまま答えるトーハ。
素直どころか従順な反応にヒスイは鈴を鳴らすようにころころと笑った。
「あっは! 少年! お姉さんそういうの好きよ?」
「……?」
「こっちはこっちで問題ありと……」
「……すみません」
「主だけど君が謝ることじゃないよー。そういうのが、入り用だったってことだからね」
仕方ない、と苦笑しながらトラックの鍵をつなぎのポケットに押し込み、反対側のポケットから別の鍵を取り出し、扉に向けて差しこんだ。
「さ、入って」
鍵をあけ、振り向かぬままヒスイは建物へ入っていく。扉横に立て掛けられた看板には【翡翠武具店】と記されている。
リィルたちもそれに倣い、扉をくぐった。
「ちょっと散らかってるけど、無視してついてきて」
家ではなく、何やらたくさんの銃器や武具などが値札と共に並べられている。
彼女の店のようだが、彼女がおばあちゃんと称するクレハの店より物々しいラインナップだった。
「……」
それらに息を飲みつつも、今は気にしている場合ではないと思いを振り切り、リィルが店の奥に行くヒスイを追いかける。
「おばあちゃんからメッセ来たときはびびったよー」
「クレハさんからですか?」
「そそ。昨日だったかな。『部屋二つ空けて、鉄色街道の砂漠地帯に居る子供二人を拾ってこい』ってね。急に言われても対処できないっての」
「……なんで、そんな急な事を呑んだのですか」
疑問が募る。リィルからすれば、ヒスイはこちらが大してお礼も出来ないのに助けてくれた善人である。仮に肉親の頼みだからと言って、リスクしかない頼みごとを素直に引き受けるのは理解できない。
「──えー」
店奥の階段をのぼりながら、ヒスイが気まずげに唸る。
ここまで見せて来た明朗な振る舞いにそぐわない反応だった。
「ま、いいじゃん。アタイに何の利益もない訳じゃないからさ」
「……そうですか」
リィルの懸念は晴れなかった。
知人であるクレハの名前を出した分多少の信頼はあるが、やはり理解できないリスクを背負いすぎた救助はどこか裏がないかと探ってしまう。
この辺りはトーハも考えて欲しいところだが、先程から無言で着いてくるだけの彼にそれを期待するのは難しそうだ。
リィルもはなから諦めていた。武力面で頼れるだけまだマシと思うことにしている。
「さって、ここが君たちの部屋だよ」
階段を上り終えたヒスイが直ぐ近くにある扉をあけ放つ。
中は特に飾り気もなく、ベッドなど必要最低限の家具が置かれており、広さはおよそ7畳といったところか。
「隣にも似た感じのがあるから、場所は君たちで決めてね」
「ありがとうございます」
懸念は尽きないが、今はこれを幸運と思うしかなかった。
事実はどうあれ、助けてもらったのは変わりないのだからヒスイを拒絶するわけにも行かない。
そんな迷いを抱えつつも、リィルは素直に礼を述べた。
「いいってことよ。あ、決めたらそこの白髪君だけ降りてきてもらえる?」
「はい」
「じゃ、またあとでっ」
だかだかと駆け下りる音が聞こえ、その足音がまた戻ってくる。
「ごめーん。そういえば、名前聞いてなかった! 君達名前は?」
「……ふふ、今更ですか? ……アイリィルと申します。リィルも呼んでもらって構いません」
「とーは」
「リィルとトーハね! おっけー! じゃあトーハ君っ、終わったらアタイの所に来て! で、リィルちゃんはこれ肩に使ってね!」
顔だけ出して騒がしく叫び、リィルに何かを投げると再び荒い足音が階段を駆け下りていった。
「わ、っと……騒々しい人ですね」
「はい」
「……はぁ。一応私が主ですから、部屋は私が決めますね」
飛んできた銀色の球体をリィルはわたわたしながら手に収める。
どうせトーハに拒否も何もないだろうとリィルがもう一つの部屋を確認する。
ヒスイの言う通り、さして内容に違いはなかったが、日当たりが良さげな方を選ぶことにした。
「……貴方は呼ばれているのですよね? 待たせるのも悪いです、早く行ってください」
「はい。りぃるさまは」
「私はここで待つことにします。誰に狙われているのかも分からないのに、貴方に着いて行って出歩くよりかは……多分ましでしょう」
「はい」
二度目の頷きを皮切りにトーハがリィルの部屋を出ていった。
階段に消えていく彼の背中を見送り、リィルは質素なベッドに腰かけていた体を横たえた。
「……」
左側の体がやけに軽い。重心のバランスも取りづらい。
意識していなかったが、腕を食われたのだ。
綺麗に食いちぎられ、止血されたからか変に傷が悪化することもなさそうだが、これからどうなるのか想像もつかない。
(数十万C……)
並みの人間が十年前後で稼ぐ額だ。
王女として暮らしていた時なら用意できなくもないが、今は話が違う。
しかし、不可能でもないだろう。当然、出費などを賄いながら純利益でそれを稼ぐ道の険しさは計り知れない。
トーハが帰って来たら探索者として身を立てることを考えねばならないだろう。
手持ちの残りは二万《コール》程度。砂鮫の魔石も持ち帰れたのは、トーハが剣で倒した一匹のみ。
一つ一万Cと仮定して初期資金が三万C。
これらは初期投資として、武具などを買いそろえるのに必要だろう。
トーハが使っている剣も安物だ。そろそろ壊れても可笑しくない。
それに、リィル自身も戦える必要がある。魔術で倒せた経験も少ないし、魔力が切れたらただの荷物。
「…………」
考えれば考えるほど先行きが不安になる。
住む場所を得られたのは幸運だが、下手に安全な場所を獲得でき多分考えられることが増えてしまったことは、ある意味では不幸だったかもしれない。
「これを使えと言われても……」
なんとなく抱えていた銀色の球体を顔の前に持ってくる。
何やら生暖かく、ねちょねちょとした気持ち悪い触感が指を押し返している。
くっつきはしなくともペタペタと張り付いてくる謎物体。
金属ではないらしいが、軟膏の類だろうか。もしくは止血剤的な何かか。
「食べられたりしませんよね……?」
傷口を縛り付けた布をほどき、直視し難い抉れた肩口に恐る恐る銀色のそれを近づけてみる。
傷口に接触すると抵抗もなく接着し、そのまま張り付いてしまう。
剝がれたり戻って来たら嫌なので、ぐいと押し込めば、傷口に溶け込むがごとく沈みこんでしまう。
「えー……」
そんなまさかと驚き通り越して呆れる。異物感はあったが幸い痛みはない。
「……分かりません」
結果、腕の断面を薄く銀色が覆ってしまった。球体の面影すら消えている。
これはこのままで大丈夫なのか、そもそもこんなことをして腕を治すときに支障はないのか。
これから片腕でどうするのか。まず明日は?
募り続ける悩みに押しつぶされそうだった。
ぐるぐる巡る思考を繰り返すも答えは出ない。
焦る思考はいつの間にか肩口の痛みが消えていることにすらも気付かない。
痛みが消え、力を抜くことを拒んでいた体はいつの間にか横たわる。
考えることにも疲れ、気付けば部屋の中は少女の寝息で静かに満たされていた。




