王女は奴隷を買った
大陸の大部分が荒野と化した。
きっかけは迷宮内に溜まった魔力が逆流し起きた、しがない魔力爆発。
どうあがこうと避けられない不慮の事故。
その結果、大量の人間が住処を失った。家族を失った。生きる糧を失った。
食い扶持も得られぬ人間が行きつく先は身売りするか、やせ細り骨の体に果てるのみ。
せめて命はと、身売りした人間たちにより生まれたのが奴隷という文化だ。
迷宮からあぶれた魔物が跋扈する荒野、【アーランド】において奴隷はどんなものでも価値があった。魔物と戦えるなら裏切りのない護衛に、見てくれが良ければ欲求を満たす道具に、何も出来ないなら──魔物の餌として時間稼ぎに使う囮に。
故に、荒れ果てた街だろうと奴隷市場はいつでも賑わいを見せている。
「回復から攻撃まで! こいつぁ色んな魔術を扱えるぞ!」
「めったにお目にかかれない森人の女ですよ! お一人如何でしょう!」
自分の店に興味を惹こうと、目玉の奴隷を引き連れ客寄せをする奴隷商達。
それらに目もくれず黙々と歩くのは、朱色の法衣を着込んだいかにも魔術士らしい背丈の高い青髪の男。フードから覗くのは眉まで整った顔たちと白い肌。
日々命を危機にさらす探索者に多い荒くれもの、というわけでもない。
「……あ、あの! 置いてかないでくださーい!」
そんな平凡な男より目を引くのは、男の大きな背中に隠れる華奢な少女。
砂金のようなさらりとした髪は後ろで括られ、風に乗って揺れていた。
触れば折れてしまいそうな陶磁の如き細い体は、この場に見合わない赤のドレスを身に着けている。
とはいえ、城や舞踏会で見かけるとにかく豪華さを求めた服飾ではない。白の差し色こそ入っているが、本来では露出しているような肩や胸元に鉄板が差し込まれているし、スカートは動きやすさを求めてか丈が短い。履物はヒールではなく荒道でも歩き疲れないブーツと荒野の日差しから身を護る黒タイツだった。
絢爛豪華、とまではいかないが見るからに金を持っていそうな上客だ。
心なしか奴隷商達の宣伝も彼ら二人に向けられているようにも感じられる。
彼らのターゲット層は荒野に赴く探索者、もしくは荒野を旅する行商人などのはずだが、金の匂いを無視できなかったのだろうか。
「リィル様」
「ふぁ、ファイ……! ほんとに行くんですか?」
眼だけを動かし周囲を見ているファイと呼ばれた男が一件の奴隷商の仮設テントに目を付けた。
服の裾を掴んで離さないリィルと呼ばれた少女を一瞥し、男がテントの中へと足を運ぶ。
「……誰かいるか」
「はいはい! ただいま!!」
ペタペタ音を立てて走って来たのは胡散臭い片眼鏡をかけた背の低い男だった。
昼間の荒野だというのに、妙に厚い黒コートを羽織っている奴隷商の男は、手もみしながら頭二つ分上にあるファイの顔を見上げた。
「お客様、当店に何か御用でしょうか?」
「……口が堅く、病弱でない奴隷を。多少若くても構わない」
「──ほう。承知しました。ご案内しましょう」
ファイは奴隷商の頭部の光に若干目を細めながら要件を告げる。
口が堅い。そこに込められた意味を奴隷商は何となく察するが、元より後ろ暗い商売。
虎の尾を踏むつもりなど毛頭なく、恭しい一礼と共に檻の並べられたテント内を進み始めた。
「……」
接着剤でも塗られたかのようにファイに張り付くリィルは、檻の中で生気なく座り込んでいる奴隷たちに目を向ける。
剣呑な目つきでリィルを睨む牛頭の獣人と目が合い、恨みをぶつけるように檻に角を叩きつけられた。
「きゃっ──!!」
「……私から離れないように」
「わ、分かってます! ファイこそ早く歩かないでください……!」
「ホッホ、仲がよろしいのですね」
「余計な詮索をするな」
「これは失礼いたしました──こちらの奴隷など如何でしょう」
深々と頭を下げた奴隷商が一つの檻を示した。
檻の奥の方に見えた影は痩せ細っていて、生気なく座り込んでいる。
「……こいつは?」
「口が堅いという一点におきましては最も期待にお答えできる商品かと」
「何故?」
「言語理解は出来るようですが、それを口にする能力は低いらしく、我々がどのようにしても言葉を発した試しがありません。とても従順なので私が困ったこともありません」
二人が難しそうな話を始めたので、リィルは再びファイの陰から少し身を出して周囲を観察する。先程怖い思いをしたが、彼女の好奇心は旺盛だった。
彼らの話題となっている奴隷については薄暗いテントに加え、本人が檻の隅に居るせいでよく見えない。しかし、周囲の奴隷はその限りではなかった。
先程の奴隷が特殊なのか、老若男女問わず生気の欠けた目をしている。顔は俯いているし、肉は痩せ細っている者が多い。その中で、女は需要のためか肉付きが良い者が多いかった。
「……」
リィルはあまり目にしたことがない存在を前に、瞬きを繰り返す。
彼女の護衛が言うには、新たな護衛が必要とのことだったが、見知らぬ誰かを傍に置くのは彼女にとって不安しか募らない。
しかし、ファイも常に彼女の傍に居られるとも限らないのも事実。
まだ若いとはいえ、民の上に立つ教育を受けていたリィルもファイ以外の護衛が必要なことは分かっていた。
だからこそ、そばに置く誰かを自分の目で確かめるため、奴隷一人一人に目を配っていた。
しかし、奴隷たちはリィルと目も合わせようとしない。少しでも興味を持たれまいと顔を俯け、黙り込むのみ。
仮にも人に仕えてもらう身としてこの反応は少々予想外だったので、リィルは肩を落として奴隷商と話し込むファイの元へと戻った。
「ファイ、決まりましたか?」
「はい。教育のし甲斐もありそうなのでこの奴隷にしようかと」
「……そうですか」
リィルが彼らの話題である奴隷の檻を覗き込む。
先程務めて空気で在ろうとした奴隷たちとは違い、その奴隷はとにかく無気力だった。
先ほどは暗がりでよく見えなかったが、鉄臭さが感じられるほど檻の傍にまで顔を近づけてみればぼんやりと虚空を見つめたまま座り込む少年の姿が見えてくる。
体格は痩せ気味、恐らく男。
髪を切っていないのか伸びているせいで中性的に見えた。
肩まで伸びた色素の抜けた白髪が顔の前にも垂れさがり、まるでカーテンのように少年の顔を隠している。
「この子、年はおいくつなんです?」
「見た目通りかと思われますが……何か?」
「えっと、髪の毛が地毛っぽくないな……と」
「あぁ、それですか。お兄さんには話しましたが彼は少々妙な刻印が刻まれておりまして、恐らくそのせいかと」
「こく、いん?」
「リィル様。その話はまた後で。……こいつを貰えるか」
ファイがそっと左手でリィルを制しながら、右手で金色の硬貨を三つ奴隷商の手に置いた。
「はい、三万C確かに頂きました。──おい! 108番の鍵もってこい!」
恭しい礼を一つ、奴隷商がテントの奥に向けて叫んだ。
返事はなかったが、ガタガタと人の気配が動く物音がしばらくなった後、フードで顔を隠した子供が檻の鍵を運んできた。
着ている服装は客に見せる姿だからか綺麗だが、所作がおぼつかない。
フードを被っているのも人に認識されにくいような工夫だろうか。
鍵を渡すと去っていく子供をリィルが観察している横で、奴隷商が檻を開けていた。
「さて、商品はこちらとなります。良くも悪くも感性が鈍いですが、命令には従順です。命令用の魔力刻印はお二つでよろしかったですか?」
「ああ」
「では、こちらをどうぞ。代金はサービスとさせていただきます。今後とも我が商店を贔屓にして頂ければ──」
にたりにたりと気持ちの悪い笑みを浮かべる奴隷商から奇妙な文様が浮かんだ二枚の紙をファイが奪い取る。
「御託はいい。ここの奴が良い働きならばまた買いに来るだろう。それ以上もそれ以下もない」
「明瞭なご返答、大変恐縮です」
「ああ。……姫様、外へ出ましょう」
「え、ええ」
「またのご来店をお待ちしております」
リィルが奴隷を連れるファイに背中を押されテントから出る。へばりつくような奴隷商の声が妙にリィルの耳に残った。
「まぶし……」
薄暗いテントから出れば、今度は荒野を照らす太陽に目が眩む。
眉をハの字にするリィルは額に手を当て、日光から目を守っていた。
「一度、宿に戻りましょう」
「はい。……」
先導してくれるファイに連れられる奴隷へ、リィルが目を向けた。
色素が抜け、清潔でもない伸びた灰髪に埋もれ、彼の顔色は窺えない。
一度も声を発さないし、頷きなどで意を示すこともない。
そんな少年がいずれ自分の護衛になるという現実は、彼女にとって少々受け入れがたかった。