教師近藤と不良生徒 教師近藤と空手 教師近藤と怪談
●教師近藤と不良生徒
「お前、ずいぶんといい歯間ブラシを使ってるみてえじゃねえか。ええ? 俺にもよこせよー」
近藤が勤務する学校の不良生徒である小山内佑は、制服を着崩した、いかにもワルという身なりをしており、おとなしい男子にそう絡んで怖がらせるなど、悪事をくり返していました。
「やあ、小山内くん。元気かい?」
近藤は自身のクラスの生徒ではなかったにもかかわらず、頻繁にコミュニケーションをとろうとしたりして、たとえそれに対して悪態で返されてもおおらかな態度で受けとめましたし、彼が改心するよう粘り強く関わり続けました。それは冒頭の台詞でわかるように、佑が一般的な非行少年とは少々異なっており、近藤のハートを揺さぶる度合いが強かったからかもしれません。
ともかく、そこまで自分に構ってくれた大人は初めてだった佑は、徐々に清く正しい方向へ変化していったのでした。
そして、問題を起こすことも乱れた格好をすることもなくなり、すっかり素直なコになると、とある放課後の、周辺には誰もいない校内の廊下で、ずっと気になっていたことを近藤に尋ねました。
「先生」
「何だね?」
「先生はなぜ横分けカットにしているんですか?」
「……」
やはり佑は他の生徒たちとは一味違っており、その目は真剣そのものでした。ただ、彼が近藤に心を開いたのは熱心に接し続けてくれただけでなく、同じにおいがするため近藤には彼の孤独な気持ちを消し去る力が人並み以上に備わっていたことも大きかったのでした。ですから、すごく真面目な顔でこのような質問をぶつけたのは佑が変わっているのもありますが、通じ合う関係の近藤について彼の詳しく知りたい欲求の水準が高いのは必然的でもあったのです。
さすがの近藤も熱意に応えるだけの立派な回答をその質問から用意するのは難しそうな様子で、少しばかり間が空きましたけれども、昔の映画スターのような渋さ満点の表情で遠くを見つめると、口を開きました。
「確かに私はこれでもかというくらいの横分けだ。だがな、綺麗な女性がわんさかいるパーティーでは、オールバック全開バリバリだぜ」
佑は、思ってもいなかった事実であったり、そんな赤裸々な内容を気取って言うなんてなど、さまざまな点でその告白に衝撃を受けました。
さらに近藤は、腰にかっこよさげに手を当てて、こう付け加えました。
「それから、そういう質問をするのはおそらく横分けを地味で面白みのないヘアだと思っているからなのだろうが、これはこれで実に味わい深い髪型なのだよ。そうさな、横分けの良さを十分理解できたとき、そのときこそが、きみが本当の意味で補助なしの自転車に乗れるようになったときなのかもしれないな」
近藤は窓の外の真っ赤に染まりつつある夕焼けに視線を向けて、まぶしいのから目を守るためという格好の、一番サマになる形で手をかざしました。
佑は心の中でこう叫んでいました。
近藤先生。やっぱりあんた、素敵だヨ!
常人にはまったくもってわかりかねますが、二人の絆はそうして一層固くなったのでした。
●教師近藤と空手
近藤のいる中学で、二年生が対象の三泊四日の日程での林間学校があり、二年の担任を務めていたので彼もそれに行きました。
その二日目、つまり宿泊してからは初日の、朝早くのことでした。予定では何もない時刻だったにもかかわらず、近藤は寝ている生徒たちの部屋にズカズカと勢いよく入ってきて、大声を張り上げました。
「朝だぞ! 目を覚ませーい!」
彼は、大半が体を上げたりするなかでも無反応で横になったままのコには布団をはいで近距離からさらに声をかけるなどして叩き起こすと、全員にすぐに外に来るよう指示しました。そして、またドタドタと、何階もあるその建物じゅうに聞こえるのではないかというくらいの大きな足音を響かせて、去っていきました。
「何だよ? いったい」
子どもたちは嵐が過ぎていった後のような感じでちょっとの間茫然としてから、ぼつぼつ周囲の他のコとしゃべったりし始めました。
「どうする?」
「うーん……」
「何だよ。ねむー」
「今、何時?」
彼らは、起きがけで考えるという行為をするのがわずらわしかったのと、時期的に早朝でも寒さはまったくなかったこともあって、あくびをしたり眠たい目をこすったりしてのダラダラといった状態ながら、とりあえず近藤に言われた、今自分たちがいる宿舎の目の前にあり、いろいろな活動ができる、広場に向かいました。
そこで一人、眉間にしわを寄せて、口は真一文字の真剣な表情で、腕組みをして待っていた近藤は、なぜか空手の道着を身につけていました。
彼は今にも雷を落としでもしそうな雰囲気の割に、子どもたちの歩くスピードがのろのろとかなり遅くても、朝早くで目を覚ましたばかりだから仕方ないと考えているのか、急ぐように注意したりすることはなく、ずっとその厳かな空気感で黙って身動き一つしませんでした。近藤と生徒たちのテンションは差があり過ぎて、そこは別の次元のものが同居しているような異様な空間となりました。
ともかく、やっとこさ生徒が皆出てきて揃ったのを確認すると、彼はようやく手を動かして、生徒たちにもっと自分の近くに来るよう促しました。
そして目を閉じ、手のひら側を上にしてこぶしを握りしめ、背筋を伸ばしてひじを引く体勢になって、神経を集中し始めました。
「うーん、むにゃむにゃ、むにゃむにゃ……」
何としゃべっているのか正確にはわからない小さい声で、生徒たちからはそんなふうに聞こえる言葉を口にもしだしました。
「ハッ!」
十数秒ほどして近藤は目を見開いて、そう気合いを入れると、左斜め前方にうずたかく積まれて置いてあった瓦に、己のこぶしを力いっぱい振り下ろし、間を開けずに続けて、右斜め前ですねくらいの低い位置に寝た状態で固定されていた野球のバットのグリップの部分を、思いきり蹴り上げました。
動作は一流の格闘家ばりでした。が、瓦もバットもそのままで、変化はまったくありませんでした。
ほんの短い沈黙の時が流れた後で、近藤はそれまでの強気な表情も変えることはなく、生徒たちに向かって威勢よく言い放ちました。
「いいか、瓦は割るためにあるものではない。そして、バットも折るためにあるものではないぞ!」
生徒たちは、ぽかーんとした顔で、少しの間固まりました。
それから、毎度のことではありますが、「本当は割ったり折ったりしたかったんですよね?」という野暮な質問は誰も一切することはなく、再びあくびをしたり眠い目をこすったりしながら宿の部屋へ戻っていって、そこに着いた時点でもまだ十分早い時間だったために、ほぼ全員が二度寝をしたのでした。
●教師近藤と怪談
ともに若い男性で友人関係のAとBが、ある日雑貨を売っている個人経営の小さい店に買い物に行きました。
しかし店はシャッターが下りて閉まっていて、その中央に定休日と書かれた札が掛けてありました。
「あのオヤジ、店を休んでテニスをしにいくなんて、ふざけてるな」
Aが腹を立てて言いました。
「はあ? 定休日なんだから別にふざけちゃいないだろ。それに、なんでテニスをしにいったなんてわかるんだよ?」
そこの店についてあまり知らないBはそう疑問を口にしましたが、直後にはっと謎が解けたという顔になりました。
「そうか、テニスは日本語で『ていきゅう(庭球)』だからか。お前もそんなシャレ言うんだな」
というのも、Aは非常に真面目な青年でした。彼よりもくだけた性格のBは、Aの意外な一面を見たと思い、カッカッカッと笑いました。
その話を彼らから直接ではなく、回り回って耳にした、雑貨店を営んでいる男性のCは、とても驚きました。
なぜなら、彼はAが冗談など決して言わない人だとわかっていましたし、あの日は定休日と偽って本当にテニスをやりにいったうえ、自分がテニスをたしなむことすらAは知らないはずだったからです。
どうしてあいつはすべてお見通しなんだ? この世の者ではないのか? しかも、そんなAを怒らせてしまった。
Cは恐怖で身震いし、それ以降は二度と遊ぶために店を休むようなことはなかったのでした——。
近藤はしゃべるのを終えて、真っ暗な部屋の中で唯一、そしてわずかに光を放っていた、目の前の一本のろうそくの火を吹き消しました。
「……」
静かに聴いていた生徒たちは、その態度を変えることなく、誰一人口を開きませんでした。
林間学校の三日目、つまり宿に泊まる最後の日の、夜遅くに、近藤は生徒を広間に集め、怪談が得意な芸能人がテレビでするようにおどろおどろしく語り始めて、話したのが今の内容でした。
こんな中身ですので、生徒たちは当然おびえたりなどまったくしませんでした。話が終わっても黙ったままだったのは、怖くて声も出なかったのではなく、感想一つ頭に浮かばなかったからでした。
ところが、少しして床に就くと、熟睡できないコが少なくなかったのです。
それは、本気で自分たちを怖がらせたかったんだか何なんだか、近藤の意図がつかめないその微妙な怪談でモヤモヤして、なんともいえない気持ちの悪さがなかなか抜けなかったためでした。