表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/18

教師近藤とお盆 教師近藤とキュウリ 教師近藤と絵

●教師近藤とお盆


 これは、近藤が教師になって、まだ間もない頃の話です。

 彼の友人に及川という男性がおり、その彼は、父親が体を悪くしたこともあって譲ってくれた自宅の一階の洋食レストランだったところを、改装した店舗で、パン屋を経営していました。

 梅雨の終わりが見えてきて、夏の到来を皆が感じているといった時期に、近藤が彼に訊きました。

「お盆はどうするんだい?」

「とりあえず、店は休むつもりだけど」

「田舎に帰るのかい?」

「いや、俺は自分も両親も東京生まれで、田舎はないんだ。だから特に予定はないし、ゆっくりするよ」

 すると近藤は強い口調になって言いました。

「何だって! 用がないのなら、店を開けるべきだぜ!」

「え? なんでだよ。お盆に休むなんて、大きい企業の店とかじゃなけりゃ、普通のことじゃないか。別にいいだろ」

 近藤につられて、きつめに言い返した及川でしたが、近藤は変わらぬ態度で言葉を続けました。

「いいや。店を始めて、そんな何年も経っていないだろう?

 帰省もしなけりゃ、結婚して家庭を持っているわけでもない。それなら若いんだし、今はできる限り仕事に精を出すべきさ!」

「……そうか」

 及川はトーンダウンしました。彼は頭の中でうっすらお盆中にやる遊びの計画を練っておりウキウキしていたのですが、ものすごく忙しいと聞く教師、また同時に自分より遥かに安定していて少しくらい手を抜いても大丈夫であろう公務員という身でありながら、休むことなどいささかも考えていない様子でそう熱く語った、一緒の歳で人生のベテランでもない近藤に、己の仕事に対する甘さを見透かされたようで、恥ずかしい気持ちになったのでした。それゆえ、このときすぐに考えを改め、言われた通りお盆の期間も店を営業することにしました。ちなみに、近藤のしゃべり方がクサい青春ドラマみたいであるのは、そうすることが当時、彼のブームになっていたためです。

 そうしてお盆を迎え、及川はそれまでも決してテキトーに仕事はしていませんでしたが、さらに丹念に一つ一つの作業を行うようになりました。その一生懸命な働きぶりは、不安で連日ろくに眠れなかった、店を始めた当初を上回るくらいでした。だからといって売り上げも伸びるといった都合よくはさすがに運ばなかったものの、長いスパンで見れば今の努力は後に必ず活きてくるはずという確信がありましたし、気持ちの良い疲労を味わう日々のなかで、彼は叱咤に近い意見をくれた近藤に感謝していました。

 しかし、ふとある疑問がわきました。

 部活の指導があるし、そうでなくても多分教師は夏休みでも勤務するようになっているんだろうけど、お盆の期間は休みなんじゃないのか?

 たとえその通りであっても、というか、おそらくそうに違いないと思いましたが、近藤が学校の休みの日を決めているわけではないから問題はないかとも考えました。けれども、どうにも気になって仕事に集中しきれない及川は、手が空いた時間に近藤の携帯に電話をかけてみました。

「はい」

「……やあ」

 すぐにつながったこともあって、及川はドギマギしました。

「どうかしたのかい?」

「ああ、あのさ……」

 及川は躊躇しつつ質問をぶつけました。

 それに対する返答はこうでした。

「確かに学校自体は、お盆の間は休みで、閉まっているよ。だけどね、夏休み明けにやることが山ほどあるし、その準備を中心とした生徒のための作業をずっとしていて、まったく休んでなんかいられていないさ!」

 近藤は、怒りまではしていないけれど心外だと思っているといった声の雰囲気なのでした。

「そうか。悪かった」

 教師が大変なのは重々承知していたのに、人にああ言っておきながら、まさか自分は遊んでいるんじゃあるまいかなどと、わずかではあるものの疑ってしまったことを本当に申し訳なく思い、及川は電話を切りました。

 のですが、その通話が終わる寸前に、電話口の向こうで誰かがナチュラルな発音で、「アロハー」と口にしたのを彼は聞き逃しませんでした。

 それ以降、近藤は及川と疎遠になったのでした。


●教師近藤とキュウリ


 近藤の若き日の友人に、黒沢弘務という男のコがいました。

 二人が中学生のとき、話しながら歩いた学校からの帰りに、近藤の家の前まで行った弘務は、カバンを置きにいって、もう少しおしゃべりするので中から再び姿を現した近藤が、やけに嬉しそうだったため、何かあったのかと尋ねました。

「いや、今、親から、今日の晩のおかずがキュウリだって聞いたもんだから」

 近藤は満面の笑顔になってそう答えました。

「え? キュウリがそんなに嬉しいのか?」

 弘務には機会がなくて言っていなかったのですが、近藤はこの頃キュウリにドはまりしていました。特にこれといったきっかけや理由などはないうえ、彼の食の好みは大人になった現在に至るまでずっと、一般的な子どものそれとほとんど変わらぬ甘いものや肉が中心なので、本人的にもなぜそうなったのか不思議でした。ともかく、その気に入り方は半端ではなく、本当においしそうにしょっちゅう食べるために、家族から「お前は虫か?」とツッコまれるくらいでした。

「どうやってキュウリを食うんだ?」

 近藤の食べ物の好き嫌いがなんとなく程度ではあるものの頭に入っていた弘務にも、その事実は意外で、よほどキュウリがおいしくなる食し方を知ってそうなったのかもしれないと思い、訊きました。

「そのまま食べるだけだけど」

「味噌やドレッシングくらいは付けるんだろ?」

「ううん、付けない」

「ええ? ただのキュウリの丸かじり?」

「そういう場合もあるけど、包丁で切るのはするよ。それと、おかずなんだからご飯も食べる」

 弘務はその言葉が引っかかりました。

「ちょっと待てよ。つまり、キュウリで白飯を食べるわけか?」

「うん」

 近藤はうなずきました。

「おいおい、そんなのうまくないだろうし、やってる奴聞いたことねえよ。お前って変わってるって思ってたけど、晩のおかずがキュウリってことは、家族もみんな同じで変人なのか?」

 そう弘務は近藤を小馬鹿にしました。親しい関係でのからかいとはいえ、少しくらいムッとしてもよさそうなものですが、実際に変わり者の近藤は他人からそれしきの嘲笑を浴びるのは日常茶飯事で、それゆえか、顔色をまったく変えることはなく平然としていたのでした。

 その後、月日が経って高校生になった二人は、学校は別になりましたが付き合いは途絶えておらず、ある日一緒に回転寿司に行きました。

 それぞれの学校でのことなど楽しく会話しながら、途中まで何の問題もなく食事をしていました。

 しかし、弘務が目の前に流れてきた皿を取り、それをあんぐりと大きく広げた口の中に入れようとしたときのことです。

 !

 彼は間近からただならぬ気配を感じました。その感覚は、真剣に働いている店の人たち以外は笑顔しかないようなほのぼのとした空間の回転寿司屋ではまずありえない、殺気といったものなのでした。命が狙われたりする戦闘のプロではなく普通の高校生であり、なおかつ完全にリラックスしていた弘務がそんなものを察知できたのは、よほどのエネルギーのかたまりだったということです。

 それがどこからやってきているのか、近くなのでだいたい見当はついていましたが、ゆっくりとそのダークな空気の方向に視線を移すと、思った通り発信源は隣に座っている近藤だったのですけれども、彼はものすごい圧を放ちながら、鉄仮面のような表情で、黙って弘務のことを見ていました。その瞳たるや、食べているのが寿司だからではないでしょうが、死んだ魚のようでした。

 もうおわかりかもしれませんが、弘務が口にしようとしていたのはカッパ巻きでした。そして彼は、二人が何度も会っているなかのちょっとしたやりとりでの出来事でしたのですっかり忘れていた、近藤がキュウリをおかずにご飯を食べることを自分が馬鹿にした過去を思いだしました。普通に覚えているか質問されたりしていれば、どれだけ頑張っても記憶に蘇らなかったかもしれませんけれども、突如目と鼻の先に自分の生命を危機に陥れそうなものが発生するという強い衝撃によって、脳の無意識を司る部分から表面に引っ張りだされたのです。

 本人だけじゃなく家族もというのもあるし、あのからかいが良くなかったのは認めるけど、それにしても、あれでここまで?

 そうした気持ちもありつつ、中学生のときより他人を思いやれるようになっていた弘務は、素直に謝罪しようか、あるいは、この様子だと許してもらえそうにないのでなんとか気が収まるうまい釈明はできないものかなどと、短い時間で頭をフル回転させて平和的な解決方法の模索を試みましたが、近藤が発するあまりの負のオーラに、何を言っても無駄だと悟りました。

 ではしばらくどう振る舞うのが良いのか、それも迷った彼は、とりあえず取ってしまった以上残すのはもったいないのもあって、カッパ巻きを口に運んだのですけれども、まったく味を感じることはできなかったのでした。

 それからというもの、弘務はこのときのトラウマで、カッパ巻きを食べられなくなってしまったということです。


●教師近藤と絵


 あるとき、近藤にこういった声がかけられました。

「学校でバザーをやるので、ご自宅に不要な物でもあれば、出していただきたいんですけども」

 それで彼は何かあったかなと家の中を探しました。

「あ。これ、いいかもな」

 すると、そうつぶやいた日から間を置かず、近藤はなぜか街なかにある絵画教室に通い始めました。

 それは、少ししてバザーに彼が持っていったのは押し入れの奥で眠った状態であった抱き枕だったのですが、その全面に自分の、それも抱きついてキスをしようと唇を尖らせている、絵を描くためでした。

 そして出品された抱き枕は、非常に質の良いものなうえに、未使用でまったく汚れていなかったので、そのまま何も手を加えなければ、欲しがる人はおそらく一人や二人では済まなかったでしょうけれども、余計なことをしたせいで、誰もが瞳にそれが映った後は二度と顔も向けてくれないという無残な結果となってしまいました。

 なんでこんな愚かなことを。

 近藤に所持品の提供をお願いした女性をはじめ、バザーに関わった人が口々に、そう呆れたのは言うまでもありません。

 しかし、近藤は落胆も反省もしませんでした。なぜなら抱き枕が売れ残った理由を彼はただ一人、学ぶ時間が短かったゆえに絵がまだ上手ではなかったのがいけなかったんだと解釈したからです。

 つまり、正確には、己の画力に対してという、本質的にはどうでもいい反省はしたのでした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ