教師近藤と仕事 教師近藤と恋愛 教師近藤とマスク
●教師近藤と仕事
あるとき、学校で職場体験が行われている時期だったこともあって、女子生徒の海老沢文乃が近藤に尋ねました。
「先生は教師にならなかったら、どんな仕事をしていたと思いますか?」
「んー、というより、大学に入るくらいまでは、別の職業に就くつもりだったんだよ。教師になる気持ちのほうが少なかったんだ」
近藤は、生徒の質問にしっかり応じる、それも職場体験絡みの問いかけなので己が教師を代表して返答している、といった感じの、立派な教育者の雰囲気をこれでもかというほど醸しだしてしゃべりました。
「へー。その職業って、何なんですか?」
「司書さ。図書館の業務をする人たちだね。今でもやりたいくらいだよ。でも、自分が向いていないと気づいてね」
「それは、どんなところがですか?」
近藤は苦笑いを浮かべて答えました。
「口に出してしまうんだよ、ついね。本を借りようとしている人に、『え? あなたがこんなロマンチックな恋愛小説を
読むんですか? 似合わなー』みたいな、心に浮かんだことを正直にさ」
「そ、そうですか……」
近藤はそんな駄目な自分が微笑ましいという態度で、恥ずかしい様子はなく言いましたが、文乃のほうは聞いてはいけないものを耳にしてしまったといった感じでドン引きしました。そして、「そんなんだったら不向きなことくらいすぐにわかるでしょ。思い始めたのがいつかは知らないけど、よく大学に入るほどの年齢まで司書になるつもりでいたな」と呆れました。
彼女はさらに、「そもそもこの人が教師をやっていることも問題だし、向いてないよな」と考えましたが、直後に「いや、いいのか。だって反面教師って言葉があるもんな。だとすると適職、もっと言えば天職かも」と思い直したのでした。
●教師近藤と恋愛
それは近藤が高校生のときでした。
別のクラスの女子の戸倉路子が、なんと彼に恋をしたのです。近藤は当時も誰からもハンサムなどとは思われない、度が過ぎるほどの地味な容姿でしたが、その素朴さがむしろ彼女にとっては見ていると心がなごむといった良い印象を抱くものであり、惹かれた大きな要素だったのです。
そうした詳細な点は把握していなかったために、あるいは、していたとしても同じだったかもしれませんが、自分が路子にホレられている事実のみを周囲からの情報で知った近藤は、途端にモテる男らしくかっこつけ始めました。なにかにつけ、スカすわ、気取るわ、ダンディーに振る舞うわで、それをしょっちゅう目にする羽目になった同級生たちのほうが恥ずかしくなってしまうくらいでした。
ただ、浮かれモード全開な一方で、彼は路子が好みではありませんでした。
彼女から熱心にアプローチされていたわけではなく、それどころか直接気持ちを伝えられたことも皆無で、勝手に盛り上がっていただけですけれども、ともかくモテている状況を味わい尽くして満足した近藤は、彼女を校舎の片隅に呼びだして、こう述べました。
「おそらく、きみに対しても僕に対しても、他にも思いを寄せている人は大勢いるだろう。だから僕らが付き合うと、お互いに恋の独占禁止法に抵触することになってしまうから、残念だけど交際するのはやめておこう」
「はあ……」
路子は、近藤のことが好きだったのは嘘でも間違いでもありませんでしたが、そこまで強い恋心ではなく、ショックもない様子で、あっさりとその言葉を受け入れました。
そうして二人の恋愛が絡んだ関係ははかなく終わりを迎えて、学校が一緒なだけの状態に戻ったのですけれども、近藤はそれ以降、交際の断りを簡単に承諾した以上に、自分が自信満々で放ったシャレた言い回しに対して極薄のリアクションだった彼女とは、どうあがいてもうまくいくことはなかったなと、思いだすたびに考えるのでした。
●教師近藤とマスク
冬の時期、毎年のことではありますが、学校で風邪が流行しました。そんなある日、めったに風邪はひかないので、それまでやっていなかったのですけれども、近藤がマスクを装着して登校してきました。
こう記すと、当たり前の日常の風景が頭に浮かんで、問題などまったくないように思われるでしょうが、その彼を目にした人は皆驚いて、すぐさまそばにいる別の人とヒソヒソ次のような調子でしゃべらずにはいられなくなりました。
「なに? あれ」
「さあー?」
どうしてかと申しますと、文字で表すと同じマスクでも、一人彼だけがしていたのはプロレスラーがするマスク、つまりは覆面だったのです。その上からいつもかけているメガネをし、服もお決まりのスーツだったので、顔見知りの人は誰もがそれが近藤であるとわかりました。
一時間目の授業の前に、自身が受け持っているクラスの教室にやってきた近藤は、引き続きとても普通の中学校の教師とは思えない姿をしていましたが、彼がどういった人間かを熟知しているそこの生徒たちは「なぜ覆面なんてしているんですか?」などというまともな質問はやる意味がないことだと心得ているために、誰も触れないので、自ら出欠のチェック等の他の話をする流れのなかでさりげなくそれについて切りだしました。
「いやね、普通のマスクだと、どんなに高性能なものでも、横や上下のわずかな隙間からウイルスが侵入してきて、防ぎきれないって聞いたもんだから、これならシャットアウトできるんじゃないかと思ってさ」
その発言を何人かの生徒は、近藤の人間性をよく知っているのに加え、覆面がどこからどう見ようともプロレスラーがかぶるデザインだったので、当然素直に受け取りはしなかったものの、それも装着してきた理由の一つとして本当にあることはあるのだろうと、うかつにも考えてしまいました。
しかし彼らは、帰りの時間帯に再び自分たちの教室に入ってきた近藤が、チャンピオンベルトを巻き、それも腰にではなくタスキのように上半身に斜めがけでという格闘技好きなことがよくわかる身につけ方をしているのを見て、やはり覆面は単につけたかっただけであるのを思い知らされ、ウイルスを遮断するためなどという方便を信じた己の純粋さを呪いました。
近藤は、もはや建前はどうでもよくなったのか、チャンピオンベルトに関しては何ら弁明することはなく、顔は見えずとも声の感じなどにより上機嫌なのが明らかで、連絡事項を伝えるといったやるべき用事を済ませると、ほぼプロレスラーだったその日一日の締めくくりとして、覆面から口の部分のみを出し、霧状のペンキのようなものを勢いよく吹きだして去っていきました。
「あ、毒霧だ」
一人の男子生徒が言いました。
「毒霧?」
その彼のそばの席の、別の男のコが尋ねました。
「うん。主に派手なメイクをしている悪役のプロレスラーが、試合でピンチのとき、起死回生で向かってくる相手の顔面にあれをやって目を見えなくする、観客を楽しませるパフォーマンスの要素もある、攻撃手段なんだ」
「へー」
二人の大きめな声での会話を聞いて、毒霧についての知識がなく「あれは何だ?」と思った他のコたちも、理解することができました。
それはそうと、近藤本人はやるだけやって行ってしまい、彼の放った毒霧によって教室の一角にド派手な汚れが残りました。
そのため、この日教室を掃除する当番の生徒たちは仕方なく、「あんにゃろー」と近藤に対して怒り心頭で、綺麗にしたのでした。