何度でも
見切り発車です。完走したらいいな。
あなたがいるならば。
彼のその瞳を見て、前回は最後にそう願ったんだと、思い出した。深く青い、一瞬黒と間違えるような瞳の色。深藍の色。温室の奥、秘密の東屋でまたこの色を見るとは思ってもいなくて、カノンは息を呑んだ。
魔導師として働くなか、どうにも進まない魔導書の解読に飽き、そうだ、転移の魔法を試そうと閃いた。理論的にはできるが、消費する魔力とその繊細なコントロールのために未だに誰も成功したことのない魔法。試すなら今だと、なぜか思ってしまった数分前の私が憎い。そしてうっかり成功してしまったのも、転移先を今日は晴れてるからと温室を選んだことも悪運としか思えない。
唯一の幸運は、転移してすぐに成功の雄叫びをあげそうになった自分が一瞬で我に返ったこと。一瞬の後、考えたのは「まずい」だったけれど。
チチチ…場にそぐわない軽やかなコノハスズメの声が微かに聞こえる。文字通り、木の葉のように小さく、新緑の翼を持つ愛らしい雀。別名、春告げ鳥。冬の終わりにふらりと彼らが現れれば、民はもうすぐ春が来ると知る。
ここは温室だから、コノハスズメは過ごしやすかろう。それも、ここは魔導師が植物を愛で(多少変態気味に)、育てる藍の温室。植物や生き物が発する微量の魔力を糧とする彼らにとって、楽園だ。ぴくりとも動けぬまま、そんなことを思う。
上級魔導師でも解読は不可能であろう魔導書をパタリと閉じ、ベンチから立ち上がった彼を微動だにせず見つめる。それ、先日私が訳したんですよ…なんて謎のアピールを心の中でしつつ、現実逃避にすいーと目を逸らす。周囲には6匹ほど、雀がいた。この方の魔力は相当に美味らしい。数秒後、穏やかで愛らしい雀から再びまっすぐに視線を戻しても、彼はそこにいて。冷や汗がじんわりと背中を湿らせ始めたのを感じた。
なぜ、なぜなぜなぜ!いま出会うんだ。
彼の目の前に突然現れた私は魔導師用のローブを身に纏っており、その裾に広がる刺繍から王宮に仕えるものであるのは明らかだ。だからこそ、彼に何も言わない限り先に声をかけることは不可能だった。
この国で知らぬ者はいないであろう、そのお方。
「そなた、王宮筆頭魔導師だな?」
まだ声変わりもしていないその声に、なんと答えよう。
ばっちり目が合ってしまっている以上、逃げることは不可能であり。さらにはこの方にお声をかけられた時点で私が返答することは必然だった。
一瞬もう一度転移できないかと邪なな考えが浮かぶが、無理だと判ずる。己の身体を巡る魔力を鑑みるに、2度目の転移をすれば魔力欠乏でぶっ倒れることが察せられた。さすがに、今倒れるという愚行はできない。
聞き慣れた懐かしい声に、うめき声をあげたくなる。今世ではまだまだ先で会おうと思っていたのに。
挨拶もせずに固まっている私を訝しげに見る彼を、よく知っていた。
忘れることもできず、今世も思い出した。