1話、2話
1話 非現実
その日は憂鬱な月曜日だった。休日明けの週の始めと言うこともあり、二日連続の夜ふかしによる眠気と気だるさから布団から起きる気力を完全に失っていた。
「楓~」
「あと5分!!」
ド定番な言葉を口にし、掛け布団を頭まで被り再び眠りに着こうとした時ーーーー
「おねーちゃん起きて!!」
ベッドの足元から大声で呼ばれて掛け布団から顔を出し、声の聞こえる右を向くと、制服に着替えランドセルを背負った弟が私のかばんを両手で持ちながら私の事を呼んでいた。
「なに~翔太、お姉ちゃんはまだ眠いんだけど……」
「もう八時だよ!! 遅刻するよだから速く!!」
「嘘!! それ速く言ってよ!!」
ベッドから飛び起き、壁に掛けられていた時計に目を向ける。
午前七時三分……
「翔太!! 騙したな!!」
「だっておねーちゃん起きないから」
まんまと翔太の口車に乗せられてしまった。
翔太はクスクスと笑い出し、私も釣られて自然と笑ってしまっていた。
だが、弟は人間ではない。《人工人類》と言う人工的な細胞と血液、そして思考回路を持った人工的な人間だ。
三年前から作成が発表され、一年ほど前に一般発売された首に四桁の数字が刻まれた首輪を持つこの擬人類は、今や個体数は千を超えて人類の未来に欠かせない存在にまでなった。
翔太は私が弟が欲しいと言った結果、高校の入学祝に買ってもらったのが翔太であり、以来ずっと共に生活している。
成長せず年も取らない翔太は小学四年生のママ変わることはないのだが、一生そのままの人生を送ることになるのは少しだけ可哀想に思う。
「楓~速く起きてきなさい」
「じゃあ僕は、先に学校行ってくるね」
「行ってら~」
翔太が部屋を出たのを確認すると、寝間着から急いで高校の制服へ着替えて部屋の扉を抜けて階建を降り、母さんのいるリビングへと向かった。
「楓、昨日また夜ふかししたでしょう? 高校生なんだから、翔太に起こしてもらってばっかじゃ駄目でしょう」
「はーい」
椅子に座り少し急ぎ目で置かれたトーストを食べ、牛乳で無理矢理流し込み、食べ終わると顔を洗い歯を磨く。これが私のいつもの行動パターンだ。
「あら、今日は速いのね」
「うん、友達待たせてるから、行ってきまーす」
そう言い、翔太が玄関に置いていった私の学校のかばんを持って玄関の扉を抜けて外へ出た。
その日は昨日の天気予報とは違い、薄暗い雲が一面にかかっていた。今思えば傘を持って行ってあげれば良かったと何度も思う。
家から出て少し歩くと、昨日メールで待ち合わせの約束をしていた友人と合流した。
「吉野~待った?」
「ううん、全然」
吉野は人工人類についてのいわゆる先輩だ。吉野は姉の人工人類を持っていて、翔太も何度かお世話になったことがあり、人工人類がきっかけで私と吉野が仲良くなったと言っても過言ではない。クラスこそ違うが、今でも大切な友達だ。
「そういえば、翔太くん調子はどう?」
「元気だよ。今日も起こしてもらっちゃった」
「もう、たまには一人で起きないと駄目だよ」
「吉野も深夜番組ばっかり見て寝られないようになっても知らないよ〜」
「私はそこまで起きてないよ!!」
他愛もない会話をして通学路を歩き、学校に着くと吉野に別れを告げて自クラスに入るとホームルームが始まるまでかばんから教科書やら筆箱やらを出ししばらく待機していた。
担任の先生が教室に入り点呼を取ろうとしたその時。地面が激しく揺れ始め、廊下側の窓や天井の蛍光灯が不快な音を立ててヒビが入った。
「皆机のしたに隠れろ!!」
突然のことで頭が真っ白になっていたところを先生の一言で我に返り、咄嗟に自分の机の下に隠れた。
半分パニックを起こす生徒や逆に楽しんでいる生徒など感じている感情はそれぞだったが、私は吉野や家族、そして翔太の事が心配でたまらなく、複雑な感情が入り混じり自分の事など後回しだった。
地震が収まり、余震がないのを確認すると机の下から体を出し、先生の指示を聞きグラウンドに出た。
外は土砂降りの雨で、地面は一部が泥濘になっていた。
「吉野!!」
「篠原さん!!」
私のクラスが出た後、吉野のクラスからも人が出てきてようやく再会出来た。
私が無事だと知り顔を合わせると安心したのか目に涙を浮かべて私に抱きついてきた、心配症の吉野らしい。
その後、当然学校は緊急で休校となり私と吉野はひしひしと降る雨に打たれながら帰路をたどり、コンビニで雨宿りついでに飲み物を買って二人で今日の事を話し合った。
「今日は大変だったね」
「うん、本当に終わるかと思った」
「でも何もなくてよかったね」
他愛もない会話を話終わった後、異変は起きた。
「そろそろ帰ろっか」
吉野のその一言を聞き、飲み終わった飲み物の容器を捨てるため外へ出てゴミ箱に容器を捨てようとした瞬間。
どこからともなく、なにかを咀嚼するような音が聞こえてきた。しかもその音は生々しく、バリッやクチャクチャといった音を立て、まるで何かを捕食している様な音だった。
「何、この音……」
吉野も気づいたのか、不安そうな声が漏れた。
「私、見に行ってくる」
怖がる吉野をその場に残して咀嚼音が聞こえてきた方へ近づくと、コンビニの駐車場に停められていた一台の車にたどり着いた。
「……」
心音を落ち着かせ、ゆっくりと気付かれない様に近づき車の裏を見た。
視界に写ったのは、人工人類と思わしき人が成人男性を捕食していた光景だった。
「あ……あぁ……」
ドラマや映画でした見たことがなかったその出来事は、現実ではもっとリアルでなおかつ不気味だった。衝撃的な現実に体が石化した様に動かなくなり言葉が出なくなったその時。
「篠原さんどうし……」
「吉野来るな!!」
吉野が様子を見に来て私に声をかけた。おかげでやっと声を発せられて体も動くようになったが、同時に捕食していた人工人類に気づかれた。
ゆっくりとこちらを振り向いた人工人類はゆっくりと立ち上がり、私達によろめきながら近づいてくる。
『逃げないと』
私は何も知らない吉野の手を掴んでその場から逃げ、帰り道をひたすら走った。途中の吉野の声にも耳を貸さず、ただひたすらに人工人類が完全に離れたと実感できるまで走った。
気付くと人工人類の姿は見えなくなり、私は朝に吉野とあった場所まで来ていた。
「篠原さん、痛い……」
「あ。ご、ごめん……」
無意識のうちに思っていたよりも手首を強く握りしめていたらしく、手を離すと赤く手の痕が残っていた。
「どうしたの? 急に走り出したりして」
「……人工人類が人を喰ってた」
「……えっ」
吉野は驚きと疑いが混じったような声で私に聞き返してきた。
「信じられないのは分かってる。非現実的な事なのも、だって吉野の姉も人工人類……」
そう言った瞬間、私の頭に嫌な考えが浮かんだ。
吉野の姉も人工人類、そして翔太も人工人類だ。もし人工人類が皆ああなっていたら、翔太は…………
「篠原さん?」
「ごめん吉野……私先に帰る!!」
「あっ……篠原さん!!」
聞く耳を持たず吉野を置いて雨が降る中を必死に走って帰った。これ程の地震なら翔太は同じく臨時休校になって家に帰っているはずだ。
必死に走り玄関の扉の前にたどり着くとドアは開いていた。ますます嫌や考えが現実味を帯びてくる。
恐る恐る扉を開けると、あの奇妙な咀嚼音が聞こえてきた。
(まさか……!?)
靴を脱がずそのままリビングへと駆け寄ると、翔太が無言でただひたすらに何かを貪っていた。
「母……さん……」
そう言った瞬間、翔太はこちらを振り返った。目には涙を浮かべ口元と手は血で真っ赤に染まっている。
「翔太……」
ゆっくりと立ち上がり、少しずつ近づく翔太に思わず後ずさりした。
「おねーちゃん……」
苦しそうな声で翔太はそう言うと、立ち止まった。
「僕どうしたんだろう……ものすごく体が熱いよ……」
体を震わせ涙を零して私を見つめている翔太は、朝見た明るい笑顔ではない、まるで今までが夢のような感じだった。
「お母さんも僕が……」
「翔太……落ち着いて」
だが私の声は翔太には届かなかった。
私が何を言っても翔太は体を小刻みに震わせ、パニックになりかけの状態だった、そして。
「うぅ……うわぁぁぁぁ!!」
大きな声を上げ翔太は膝から崩れ落ちうずくまった。
「翔太、大丈夫!!」
私は咄嗟に翔太に近寄り背中に触れた。
「熱っ!!」
翔太の体は服の上からでも分かるぐらい火傷するほど熱くなっていた。私は焼けるような痛みを必死に堪えゆっくりと背中を擦っていると突然ーーーー
「ヴァァァァァ!!」
翔太が低い唸り声を上げて私を払い除け、上向きに倒れた私に馬乗りになって両手で強く首を締め付けてきた。
「しょ……うた……」
翔太の目は赤黒く染まり、以前見られた優しさは一片の欠片も無い。炎の様に熱い手が私の首を掴み離さない。
「こ……の」
断腸の思いで私は翔太の顔を一発殴った。
予想外の行動だったのか、翔太は殴られるとあっさりと横に倒れ苦しそうに藻掻いた。
翔太が倒れた隙に二階へと駆け上がり、自分の部屋に入ると扉の鍵を掛け、その場に腰を下ろした。
過呼吸気味なっている自分の胸に手を当てて、無理やり大丈夫だと言い聞かせた。扉の挟んで向かい側では未だに翔太の発狂したような唸り声が聞こえ、不安と恐怖が入り混じり思考が上手く回らない。
「そうだ、吉野!!」
ふっと吉野の事を思い出し、スカートからスマホを取り出した。
「くっそ、あと3%しかない」
通常であれば警察などに電話するべきだろうが、この状況を警察は信用してくれないだろう。僅かな電力が残ったスマホで吉野へメールを送った。
「これで良し」
メールを送信すると、少し呼吸と緊張感が和らぎ始め少しずつ状況を整理できてきた。
母さんが翔太に食べられ、その翔太はコンビニで見た人工人類の様になり、今もなお扉の向こう側でうめき声を上げ強く扉を叩いている。本当に首の皮一枚で命が繋がっている感覚だった。
「翔太……どうしたんだよ……」
顔に手を当てた瞬間、今までにない翔太の行動とあの恐ろしい表情がフラッシュバックし、それと同時に今までの楽しかった思い出までも思い出してしまう。
「ヴァァァァァ!!」
その声で現実に戻され我に返ったが、その時には遅かった。顔を上げると、翔太は扉を叩き続け、扉の上下にある蝶番は上部が外れ、下の蝶番もあと数回叩かれれば容易に壊れてしまうぐらいにまで破壊されていた。自我をほとんど失った上に怪力まで持ってしまったとなると、もはや翔太は人工人類ではなく怪物そのものだ。
「逃げないと」
一人でそう呟くものの、部屋の扉からは翔太がいるため出られない。仮に翔太を押しのけて玄関まで向かったとしても単純な足の速さで簡単に追いつかれてしまうだろう。逃げるためにはこの部屋から直接外へ出る必要がある。となると答えは一つしかない。
私は部屋の窓を開けると身を乗り出した。そしてそれと同時に扉の蝶番が外れ扉が勢いよく倒れ、翔太が獲物を狩る目で私を見つけると、ゆっくりと私へとうめき声を上げながら近づいてくる。
恐怖を抑え込み覚悟を決めると、窓から飛び降りた。
だが、飛び降りようとした瞬間、翔太は私の服の首元を掴むと予想外の怪力で私を部屋へと投げ飛ばした。
「かは……」
背中から床へと叩きつけられ、反動が痛みとなって体を駆け巡る。
再び目蓋を開けると、私へとゆっくりと近づく翔太の姿が真っ先に目に飛び込んで来た。
「翔太……」
もはや翔太に言葉は通じない、唯一の逃げ道であった窓は翔太の後ろになってしまっている。翔太が近づく度に後ろへ下がり続けたがすぐに壁にぶつかってしまった。
もう死を覚悟をしたその時だった。
「お……ねぇ……ちゃん」
弱々しく苦しそうな声が翔太から聞こえてきた。大粒の涙が溢れ、それと同時に動きも止まった。
「翔太……分かるの?」
翔太に質問するが翔太は何も答えずにただ下を向いて泣いている。抱きしめて慰めたいがさっきまでの恐怖から体が拒否反応を起こし、体が動くの拒否する。
「ごめん……ね」
泣きながらそう言う翔太を見てこっちまで泣きそうになってくる。何もできない自分が情けなくて辛い。
「ありがとう……」
はっきりとした声で翔太はそう言うと、部屋の窓へよろめきながらも少し早足で近づいて行った。
すぐに翔太が何をしようとしているのかが分かった。腰の抜けた体を立ち上がらせ窓へ向かう翔太に手をのばす。
だが、その時には翔太はもうすでに翔太は私の様に身を乗り出して微笑むような笑顔を見せた。
「翔太!!」
ゆっくりと落ちそうになる翔太を掴もうとするも、わずか距離のせいで服さえも掴むことが出来なかった。非現実的な光景に時間が遅くなった様に感じた。
「あ…あぁ……」
恐る恐る窓から下を覗き込んだ。翔太はぐったりとした様子で地面に倒れていた。動く様子も息をしている気配も見受けられない。
私はすぐさま階段を駆け下り玄関の扉を開くと、翔太が倒れた場所へと向かい倒れている駆け寄った。
「翔太、分かる!? お姉ちゃんだよ。私だよ!!」
膝をつき、翔太の頭を膝に置くと名前をひたすらに大声で呼んだ。
だが、翔太は返事をしない。幸い血は出ておらずわずかに息はしていたものの、寝ているように静かに目蓋を閉じ動く気配すらしない。
「翔太……」
熱かったはずの翔太の体から徐々に熱さが引いていくのが分かる。
「絶対に助けてやるからな。もう少し耐えてくれ」
まだ息をしているならまだ命を助けられる。その考えだけが瞬間的に思考を埋めつくした。
私は背中に翔太を担ぐと、雨が降りしきる中ただひたすらに人に出会うまで道を走り出した。雨で体温が奪われ体力の消費もいつもより激しい。わずかに感じる翔太の息も少しずつ小さくなっていく。
「もう少し……耐えて……」
語りかけるように翔太に話した。気休めにしかならないその言葉を現実にしたい思いで水溜りを踏み、体力が限界を迎えそうになる中、必死にこらえて走った。
遠くで車の明かりらしき光が見えた。希望の光に思えた。雨で上手く見えないがどうやら大型車のらしい。
「おーい!!」
私は最後の力を振り絞りその光に叫びながら駆け寄った。
その声が聞こえたのか、車の周囲にいる人の一人が私に気付いた。少しずつ近づく私に向こう側の人も一人こちらに向かってくる。そして私が車につくより先に向こうから来た人と鉢合わせた。丁度二十代ぐらいの若い女性で胸には警察のバッチが付けられている。
「大丈夫ですか!?」
「助けてください。弟が……」
そう言いしゃがんで膝をつくとゆっくりと翔太を下ろし、頭を膝にのせると再び視線を上へ向けた。すると若い女性警官の背後から今度は同じぐらいの男性の警官が近寄ってきた。その警官は鋭い眼光で私を睨みつけると、静かな声で口を開いた。
「悪いが、人工人類は助けられない」
冷たい態度でそう言った。私はその言葉に耳を疑い「今なんて」と聞きかえしたが、返ってきた答えはさっきと何ら変わりない返答だった。
「人工人類が人を捕食している事件が多数起きている。悪いが君の弟は助けられない」
「そんな……」
その言葉に再び絶望に叩き落された。深い悲しみと何もできない自分に腹が立ち、情けなくその場で泣いてしまった。それを哀れに思ったのか、男性警官は私の前で膝を着くと私に問いかけた。
「君の弟は助けることは出来ないが、君の覚悟があるのなら将来力になる存在になる可能性がある」
「待ってください!!」
私にそう言うと後ろの女性警官は待ったをかける様に男性警官の話を止めようとした。しかし、男性警官はその言葉を無視し悠長に話を続ける。
「助けることもいつかは出来るかもしれない。だが、君の弟のその先の未来の事も考えてほしい」
警官は私にそう言った。
どちらを取っても私には最悪な結末しか思いつかない。自分の選択肢に行き詰まっていると翔太の手が微かに動いた。
手を握ると弱く握り返してきて生きている事がはっきりと分かった。助ける事も不可能では無いのかもしれない。
だが、どうやるかなんて分からない。それに翔太は生きれたとしても人食いの化物となってしまい、母さんを食べてしまった取り返しのつかない罪を生き地獄のように一生負うことになる。
「分かりました……」
私は静かにそう言った。翔太の考えを無視して人権さえも剥奪することになるかもしれない。でも、翔太の苦しそうな顔をこれ以上見たくはなかった。
「もう弟の辛い顔を……見たくないんです……」
「……分かった」
静かに男性警官はそう答えた。私は翔太を男性警官に預けると車の後ろに腰を下ろした。車には私の他に男女それぞれ一人ずつ乗っており、どちらも目の明かりが消えていた。
車は私が乗った後しばらくすると走り出し、ゆっくりと雨が降りしきる中、私は街が小さくなるまで窓の外の景色をただ眺めていた。
あの悲劇から七年の月日が流れた。
私はあの時の女性警官、「水原茜」さんに引き取られ、他人であるにもかかわらずとても親切にしてくれた。そのおかげで私は高校を無事に卒業し、茜さんと同じく警察官へと就職した。
吉野はあの日から行方不明となり、七年経った今でも手掛かりさえ見つかっておらず、メールも既読になっていない。それも就職する理由になった一つだが、それとは別の理由も私にはあった。
悲劇が起きて以降、多くのニュースや新聞などのマスメディアが人工人類の突如起きた食人行為について取り上げるようになり、いつしか食人行為をした人工人類は《ミュータント》となどと言われるようになった。
なぜ人工人類がミュータントとなったのか、その理由は未だに明らかになっておらず専門家や科学者、さらにはネット民に至るまで多くの人が様々な説を唱えていたが、所詮説の一つに過ぎなく事実的な証拠は現在に至るまで見つかってはいない。
それでも不幸な出来事に変わりはなく、人工人類も開発元の会社は責任を問われ、製造の廃止と残存している人工人類の回収、廃棄を決め人工人類は世間から姿を消す事となった。
が、ミュータントとなってしまった人工人類はこの話とは別になる。
ミュータント化した人工人類の全体数は提供されたデータから差し引いたとしても四百体以上に及び、それからというものミュータント絡みの怪事件が頻発するようになった。大半はのミュータントは夜行性と確認され、事件自体も夜間が多く夜以外なら危険性はないと思われていた。
しかし、昼間や早朝、そして時間帯が関係ない個体も多く存在が確認されてからは一日中安全とは言えない状況が続く事態にまでに発展した。
自衛隊や機動部隊などが総力を上げて多くの犠牲を出しながらも七年間で二百体ほど排除する事には成功した。
だが、ある日を境にミュータントの一部が突然変異を起こし、人間とは桁違いの身体能力と共に《能力》と言う特殊能力までも一部個体が覚え始めた。
より効率良く、そしてより他の人に見つからないようにして捕食するための人工人類特有の進化であると推測され、その能力によっては今まで対処してきた自衛隊や機動部隊でも対象できず見逃されることになった個体も少なくない。それに加えてミュータントは自らの見た目を利用して大半が自らの首輪を破壊し、社会にさらに深く溶け込みだした。結果、現在確認されている残存個体を排除するのは不可能に近い。
だが、国は諦めることなくトップレベルの生態学者やプログラマーなどをかき集め、対ミュータント装備、通称《解放器》を作り出した。
銃のグリップのような見た目をしているこの武装は生きたミュータントの細胞を移植された者のみが使用することができ、タングステン製の半刃のブレードパーツを取り付けて起動スイッチを入れることで、移植された細胞を活性化させて身体能力の強化や移植されたミュータントが所持していた《能力》の取得に加え、人間との判別が可能になる。
また、ブレードを付けていない緊急時であっても身体能力の強化により能力を持たない第一段階のミュータントであれば、ある程度対処する事も可能になる。
その一方で、二時間の制限時間や人体が一時的に変化して使用中は日光への耐性が弱まり酷い倦怠感に襲われたり、使用時は牙が生えたりとする副作用も存在する。理由は不明ではあるものの唯一ミュータントと対等に戦える武器であることには変わりなく、安全性も問題は無いことも証明されている。
なら量産すれば良いのでは。そう思うかもしれないが現実はそう甘くはない。
解放器を扱えるのは生きたミュータントの細胞を移植された者に限られる。つまり生きたミュータントの、しかも能力を獲得した第二段階の細胞がなければ解放器は使い物にならない。
ただでさえ人間離れしたミュータントを相手に生きたままの細胞を回収するのはかなりの犠牲を払うことになる。自ら命を犠牲にしてまで戦いたいと思う人材も稀にしかおらず、一つ作るためのコストもかかるため量産の実現には程遠い。
それほどのコストが掛かる解放器を使うのには身体能力の向上や能力獲得以外にも目を見張るものがあり、その一つとして解放器には三つの俗に言う必殺技がプログラムされていて、
排除優先の《衝動》
身体を強化する《静寂》 ブレードを強化する《旋律》 の三つが扱える。使用の際には使用者がどれかを発言する必要があるが、それを踏まえても余りある威力に設定されている。
そして、これらを扱いミュータントと戦う私達はいつしか《吸血鬼》と呼ばれ、翔太の細胞を移植された私を含めて、現在五人が警察の管理組織である。フラフに属している。
本当の原因を突き止め、再び人工人類と人類が共に生きれる社会に戻すこと。それが私が警官になった二つ目の理由であり、フラフ全体の最終的な目標だ。
2話 紅炎の騎士
フラフ本部二階訓練施設。
強化ガラスに囲まれた空間で所属している人しか入れない訓練場。プログラムで形成されたミュータントとの訓練や吸血鬼同士の対人戦闘の練習など様々な用途で使われる。
「はぁぁああ!!」
半刃のブレードが付いた解放器でプログラムで形成されたミュータントの胴体を切り裂く。プログラムは能力を使用しないが訓練には丁度良い難易度で私を襲ってくる。
「衝動!!」
大きく宣言する。解放器の刃に炎がまとわりつき、やがて紅い炎に包まれた強化な炎の刃が完成した。
明るい炎に釣られミュータントが一斉に襲いかかる。やはり単調な動きは実際のミュータントには劣る事がはっきりと分かる。
横へ大きく振りかぶり、ミュータントが刃の射程内に入った瞬間、大きく横へ振った。
「はぁぁああ!!」
刃は容赦なくその体を切断した。プログラムで形成されたミュータントは次々と本来のプログラムへと姿を変え、やがて消滅する。そして、最後の一体が消滅したと同時に目覚まし時計の様なアラームが訓練場内に響き渡った。
「終了か……」
私は解放器を起動する前の状態に戻すと、刃は元の半刃のブレードの姿へと戻り安全を視認すると、腰に吊り下げた金属製の鞘に収納し、ロックを解除して刃と解放器を切り離した。
解放器を制服の内ポケットにしまい、訓練場を出るとあらかじめ用意しておいた水筒のお茶を一口飲んだ。すると、
「お、また訓練か楓」
右から私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。水筒の飲み口から口を離し呼ばれた方向に体を向けると、黒色の制服に見を包んだ私よりも背の低い女の人が私を見つめていた。
「美月さん、お疲れ様です」
「うにゃー、私はただ散歩がてら見に来ただけよ」
「せめて事務仕事ぐらいしてください」
「やってるよ……部下が」
美月さんは私と同じくフラフの吸血鬼の一人だ。
だが、訓練している所さえ別のフラフの吸血鬼も誰一人として見ていない。『実は最強?』だったり『実は裏ではしっかりやっているのでは?』なんて噂もあるが、そんな事は一切なく素で全く何もしてないのだ。そのためどのような能力使うのかも、本当に吸血鬼なのかも分からないぐらいにまでなってしまった。
それに加えて、事務仕事さえも部下に押し付けて自分はサボってばっかりいるため社会ルール上、一様敬語で話してはいるものの私が唯一先輩と認めていない先輩でもある。
「ところでこれからどうするの? なんだったら私が相手してあげようか?」
「えっ……」
意外な返答に思わず声に出てしまった。
「えっ、てなんだよもしかして私がずっと怠けてばっかだと思ってる?」
当たり前だ。普段から怠けてろくに仕事もせず、屋上でミントの電子タバコばっか吸っているイメージしかこの人にはない。
だが、相手になると自ら言うことはやはり噂通りしっかりやっているのでは。とそう思った束の間。
「まぁ間違いじゃないし、さっき言ったのも嘘だけどね~」
やはり私が間違っていたやはりこの人はこの人だ。呆れて大きくため息をつく。
「んじゃ、訓練頑張って~」
そう言うと美月さんは回れ右をし、右手を上げて別れの挨拶をすると屋上へ続くエレベーターへと消えてった。
「本当に先輩なのかな……あの人」
そう独り言を言ったその時、施設内に高いアラームが鳴り響いた。私が一番聞きたくない音だ。
『緊急連絡です。ミュータントがセンター街に出現したもよう、解放器のチェックが終了次第、現場へ向かってください。繰り返します……』
「…………」
制服のズボンのポケットからイヤホン型の通信機を取り出し、走りながら右耳に付けてエレベーター向かい駐車場のある地下一階のボタンを押してその場に待機していたエレベーターに乗った。
エレベーターが地下一階に到着するとすぐに自分のバイクへ向かい、解放器とは反対側の内ポケットから鍵を取り出してエンジンをかけた。美月さんのバイクは朝見た時と変わらない体制で駐車場に置かれ、美月さん自身が来る気配もない。
バイクのランプをつけてアクセルを踏み轟音を上げてバイクが動き出し、ハンドルを握りしめて本部を出た。
目標の場所であるセンター街の道はよく知っているし、ここからならバイクで十分と掛からない。交通ルールを守りつつ現場までバイクを走らせていると、イヤホン型の通信機から声が聞こえてきた。
『追加連絡です。ミュータントの能力を確認しました。以降このミュータントを《鋼鉄》と呼称します。現在合流した機動部隊と交戦中ですが半数が重傷しており、増援を要請しています』
それが今回のミュータントの詳細。
制限速度ギリギリの速さまでバイクを加速させて現場に急行させた。
現場から少し離れた規制線の前にバイクを止め、前に立っていた警官に警察手帳を見せて規制線の中に入り、駆け足で現場へと向かっていると、進行方向から乾いた銃声音が聞こえてきた。
その音を皮切りに内ポケットから解放器を取り出し、起動スイッチを入れた。心臓に電気が流れたような衝撃が走り、口の中に違和感が生まれたと同時に視界が昼のように明るくなる。
身体強化が施された体は徐々に速度を上げ、やがて顔により強く風があたった。今の私の速度は恐らく陸上の世界的な選手以上の速さを誇っているだろう。横目で見える景色が移り変わるのが明らかに速い。
ある程度まで加速し、その勢いに乗ると地面を大きく蹴り飛ばし、大きく空へ飛んだ。
八メートルはあるジャンプから見える景色は多くの情報を映し出した。そして景色の中に不自然な行動をする男性の人影がしっかりと確認できた。
「いた……」
空中で解放器を半刃のブレードが入った鞘に差し込みその男性の目の前に飛来した。
「誰だお前……」
筋肉質の三十代ぐらいの男性が私に語りかけた。首には人工人類のみが着ける首輪が見えている。間違いなく奴こそがミュータント、鋼鉄だ。
「排除……開始……」
鞘に入ったブレードと解放器を一体化させ、解放器を鞘から引き抜き、戦闘態勢をとる。危険を感じ取ったのか微かに表情が歪んでいるのが分かる。
「次から次へと……邪魔なんだよ!!」
そう言うと、両腕が金属の様な光沢を放つ硬鉄の腕へと変化した。そして地面を強く蹴りその勢いを利用して私に殴りきかかってきた。
「クッ……」
咄嗟に剣で拳を受け止めた。静寂に包まれた夜の街に甲高い金属音があたり一面に響き渡る。剣で拳を上に弾き、大きく隙が出来た胴体を蹴り飛ばした。
「ぐわぁ!!」
鈍い声を上げ、後ろへ蹴り飛ばされた鋼鉄は強く地面に叩きつけられた後、よろめきながら立ち上がるとその目は赤黒く染まっていた。感情が高まっているサインだ。
「舐めんじゃねぇよ!! 小娘がぁぁぁ!!」
恐ろしい剣幕で再び地面を強く蹴り襲ってくる。怒りに任せて攻撃してくる鋼鉄の一撃一撃は先程の何倍も重い。
だが、それが仇となり隙が大きく動きが容易に先読みできるほどにまで鈍化している。
鋼鉄の顔は少しずつ息が上がって焦りへと変わり、そして殺されることが現実味を帯びてきたのか恐怖へと徐々に変わっていく。
大きく隙が出来た所で再び強く胴体を強く蹴ると、今度は突き飛ばされずに後ろに大きく後ろによろめき膝を着いた。
「舐めんな……舐めんじゃねぇよ……ガキ一人に……俺が倒されるなんてよ……」
息継ぎを挟みながらそう言い、赤黒く鋭い眼光で私を睨みつける。
「てめぇらのような奴らに……俺の人生を……終わらさせてたまるかぁぁぁ!!」
そう言いまたもや私に襲いかかってくる。その表情は殺意に満ちており、完全な化け物へと変貌している。
「旋律……」
ささやく様にそう呟く。途端、ブレードの周りに炎が渦の様にまとわりつき足元を淡く照らす。
それを見てもなお足を止めず鋼鉄は大地を踏みしめて突進し、私もそれに向かうように突進する。
「死ねぇぇぇーー!!」
狂気混じりの大声を上げ、硬質化した拳で私の頭を狙い硬質化した拳で殴りかかってきた。
咄嗟に体制を低くし攻撃を避けると、大きく隙が出来た鋼鉄の胴体に水平に剣を振った。炎の渦を纏った刃はその体を容易に焼き切り、茜色の液体が丸い水滴のように飛び散るのが横目で見える。
空を切り、刃にまとわりついた炎を振り払い後ろを振り返ると、苦しそうな声を上げ私へとゆっくりとよろめきながら近づく奴の姿があった。切り裂かれた胴体から火の手が上がり徐々にその体を紅い炎が包み込んでゆく。
「俺は……まだ……」
完全に炎が包み込むまで私を赤黒い目で睨みつけていた。そして完全に炎に包まれ、炎の塊と化した鋼鉄はその場で倒れ、それから二度と動き出す事はなかった。
解放器のブレードを鞘に収めロックを解き、解放器を起動前に戻して内ポケットにしまうと、通信機を作動させ本部に繋いだ。
「ミュータント排除終了しました……」
『……了解です。帰還許可を出します戻ってきてください』
「了解……」
通信を終えると、私は未だに燃え続ける《鋼鉄》に背を向け、一度だけ振り返るとその場から逃げるようにして起動部隊の救助の手伝いへと向かい、それを終えた後本部にすぐに帰還した。
残存ミュータント、残り百九十九体。
白犬狼です。
面白かったですか? 感想お待ちしております