真紅の薔薇
赤いランプの回る、薄暗い一室。機械の稼働音が床を震わせ、錆び付いたいくつものタンクや配管がひしめき合い、所々から細い蒸気が漏れ出している。設備に取り付けられたメーターの針がどれも不安定に震動していることからもこの部屋の機能が今も生きていることが見て取れる。
レイズは部屋の中でひときわ大きな機械の影に身を寄せながら、着々と機械を停止させる準備を進めていた。手には透明の液体が入った容器に、時計の文字盤が括り付けられた丸形の物体が握られている。
これは魔術爆弾。蒸気循環を゛破壊する(とめる)゛ものだ。
本来、蒸気の循環を停止させるなら連動している設備を一つ一つ停止させていくのが望ましいのだが、大元の中枢システムを焼き払ってしまうことができればそれほど手っ取り早いことはない。すでに廃墟となった施設だからこそ許されることである。
「――こんなもんか」
器用な手つきでそれを機械の配線部に括り付け、魔力を流し込んだ。すると容器内の粘液が赤色に薄く光を帯び、渦を巻き始める。
これでいつでも起爆可能、あとはコートの内ポケットに入った起爆装置のスイッチを押せばシステムを落すことができる。
レイズは胸の前で両手をパンパンと叩き機械の傍を小走りで離れると、寄り添い合うように置かれたタンクの裏側に回り腰を落とす。
さっさとこの場を終わらせて早くロゼに合流しよう――、不安感を深呼吸で払拭し起爆スイッチに手を掛けたその時、目の前の光景になにか違和感を感じ取り、眼を凝らした。
部屋の角、ほんの一角だけが他の朽ちかけた錆び臭い鉄の群れとは違う、どこか書斎を思わせるようなスペースとなっていたのだ。
不審に思いながらも立ち上がり、近寄ってみるとその異様さはより一層際立って感じる。
年季の入った木造の机。革張りの椅子。黒色の砂が入った砂時計。金の装飾が施されたコンパス。その他にもここが廃墟であるという事を忘れさせられるような小洒落た備品がいくつか乱雑していた。その中でも最も存在感を醸し出しているのは机の中心に置かれた黒革のトランクである。角には執行官が持つ腕時計等、様々な貴重品に使用されている黒光りの貴金属が装飾されていた。
レイズはトランクに触れ装飾部や錠前を軽く撫でるととある事に気が付いた。
「これ……執行官の使うものと良く似てるな……」
その特徴は自分たち執行官の使う備品に類似した点がある。現にレイズはこのトランクと瓜二つの品を持っていた。
トランクの表面に眼を走らせるが執行官の証である鐘塔と槍がデザインされた女神アテナの紋章は見当たらない。やはりただの思い違いかと思いつつも箱の中身に妙に惹かれてしまった彼は錠前に手を掛ける。カチャという音と共にトランクが開くと隙間から風が出てきたのか、はたまた外気が吸い込まれたのかよく分からない感覚が指先を掠める。
そしてゆっくりとトランクの蓋を開けると次の瞬間、信じられない光景を目の当たりにし目を見開いた。
黒い塊。施された真紅の魔結晶。一輪の薔薇を思わせるような形の【銃】これは――。
「神槍なのか……!? そんな……なんでこんなところに……!」
箱の中に納まっていたのは執行官のみ持つことが許された神罰執行兵器、神槍だったのだ。レイズなら双銃、ロゼなら散弾銃と、唯一無二の形を持つそれは人の手で生み出すことは出来ず、神より授かった宝具神具の神託物とされ使用者である゛執行官本人よりも価値のある物゛として厳重管理されている筈だ。
なぜそれほど重要な物がこんな廃墟の一室に放られているのか。レイズは困惑するばかりだ。
「……忘れ物か? いや、そんなことは絶対……」
首を捻り頬に汗を走らせながら思考を巡らせる。
神槍を執行官が現場に置き忘れる。そんな事はまずあり得ないことだった。己の過信によりかの兵器を紛失、または使用不可の状態まで破損させた場合、ただの懲罰程度では絶対に済まされない。何十年も幽閉されるか、人によっては死罪に処されてもおかしくないと耳にタコができるほど彼は言い聞かされていた。
そんな馬鹿なミスをする訳がない――、そう考えた彼はこの神槍は過去に行方不明になったものでそれをたまたま自分が発見してしまったのか、と一番可能性の高そうな予想を巡らせたがそれもすぐにありえないことだと気付く。
確かに執行官の歴史の中で行方不明になってしまった神槍というのも存在する。が、その数は体の指全てを合わせれば容易に数えられる程の数であり、その形状等は組織の人間以外でも知ることができるほど公にされ現在も継続して捜索願いが出されている。
一般人に公開されているのだ、当然候補官とはいえ当の執行官であるレイズがそのすべてを把握していない訳がない。
紛失物ではない。つまりこれは誠に考えにくいが誰かの忘れ物か、ただの偽物か、あるいは――。
少し震えた手で収まった物に手を伸ばす。
――――これはもしや――――。
その時だった。目の前のモノに触れようとした瞬間、先程まで背にしていたタンクが勢いよく倒れ鈍い轟音を響かせた。どうやら何者かが押し倒したらしい。
レイズは突然の出来事に身構える。触れようとしたモノを隠すようにトランクの蓋を閉めると、腰に掛けた゛自分゛の神槍に手を掛けた。
「ガルルァァァ」
振り返ると眼前には蒼い目を見開き牙から涎を滴らせる、自分の腰ほどの高さもある白毛の狼が、ガリガリと爪で鉄板の床を描きながら構えていた。完全に戦闘態勢である。
「魔物!? おいおい、いないんじゃなかったのか……!」
歯軋りすると二丁の神槍を取り出し左手に持った方を縦に、右手に持った方を横に構え二つの銃口を魔物、獰猛で知られるベアウルフと称される魔物の眉間へ向ける。が、脳内にとある疑念が走り抜け引き金に掛かった人差し指が緩まった。
――薄暗い鉄の密室空間。無暗に発砲すれば跳弾の恐れがあるか――?
自身の体に跳弾が返る可能性は極めて低いが当然魔物との戦闘に支障をきたすだろうし、何よりこの一室内はところどころから蒸気が漏れている。最悪、引火の危険があるため重火器の使用は極力避けたい。
レイズは発砲による危険性を考慮し二丁の神槍を腰のホルスターへ戻すと、眼前に構えた今にも襲い掛かってきそうなベアウルフの眸を見つめこう言い放った。
「犬一匹相手に弾使うのは勿体ないってさ。ちょっと遊んでやるよ」
挑発を理解したのか、ベアウルフは次の瞬間目の前の執行官に襲い掛かった。