神の槍(上)
鋼で作られた巨大蒸気配管の上をただひたすら走る。
雲一つない青色に染まった寒空の下、入り乱れた蛇のようにうねる数多の配管で形造られた廃工場の上を、三体の黒い狼のような影とそれ以外の一体が跳び回る。
「ここで絶対仕留めるよ! 逃がさないで!」
「了解です。隊長殿」
頬に装着した無線機器にてきとうな皮肉を引っかけて返すと、その男は腕を交差させ右手で左の腰に、左手で右の腰に手を潜らせる。
持ちなれた感覚。かすかな鉄と鉄がぶつかる音を立てて男の両手に現れたのは歪な形をし、妙な結晶が埋め込まれた、黒い双銃。
火薬と結晶による魔力の力を軸として弾丸を打ち出し標的を貫く鋼の牙。
神罰執行武装双銃型自動銃 神槍。
白い息を吐きながら走る男は両手をまっすぐ前に突き出し、かの銃を構え、こちらに背を向けて走る黄ばんだぼろ布を被った巨体目掛けて容赦なく引き金を引いた。
火薬のはじける音が凍てつく大気を震わせると同時に二十二口径の銃口から硝煙と、魔導による藍色の光の波を纏い、弾丸が射出された。
発射された二発の弾丸は標的の背中をとらえ命中すると思われた。が、風に靡いたローブにかすったほどのところで標的が上に跳ね、躱される。
「なっ、躱した!?」
その巨体からでは全く想像できないほどの瞬発性で弾丸の軌道を逃れた標的は、左上方の巨大配管へと飛び移った。
追い詰められた絶望的な状況とはいえ命が狙われている。文字通り死にもの狂いなのだろう。
さらに二、三上の配管に飛び移った標的がさらに上の配管に飛び移ろうとした時、頭上に先ほどとは違う桃色の髪を揺らした黒い影が現れる。
「往生際悪い! いい加減くたばりなさいよ!」
無線機から流れた声と同じ声色で影は言い放つ。
影は空中で両手に抱えていた大型ボウガン式神槍の銃口を、走る標的に向け一瞬の躊躇い無く引き金を引いた。
すると銃口の先に魔術陣が現れ五十口径の弾丸が鼓膜を震わせる鈍い音を立てて打ち出された。射出の反動で小柄の影が大きく仰け反る。
この近距離にして斜め上方からの角度。
――これは逃げられない――。
今までの戦闘経験から命中を確信したのか、黒い影――桃髪の女は唇に薄ら笑みを浮かべる。
しかしその弾丸と確信は的を外すこととなった。
弾丸が発射される刹那、避けられない事を悟った標的は懐に手を忍ばせ、ローブの内ポケットに隠し持っていたとある魔導具を取り出し前方に掲げると、ありったけの魔力を注ぎこんだ。
撃ち出された弾丸が魔道具に接触する瞬間、魔導具から光を帯びて等身大程の魔術陣が前方に展開され、自分の体を貫くはずだった弾丸を中心から真っ二つにする。
本来城壁を破る際に用いられる軍用魔導具を一瞬の防御のため、盾としたのだ。
轟音を響かせながら半分に割られた弾丸は標的の両脇を扇が開くように反れ、着弾した巨大配管の上で夥しいほどの爆発を起こす。帯びた魔力の炸裂、赤い閃光が配管を消し飛ばす。
「まだそんな物隠し持って……ホントしっつこい!」
またしても標的は弾丸を振り切り、すでに消えかかっている命の灯火を必死に守る。が、決め手を外された桃髪の女はそうやすやすと先を通さない。
標的の去り際、女はボウガン式神槍のグリップに設けられたレバーを瞬時に引くと、銃口の上部に収まっていた人差し指ほどの長さの短剣、銃剣が解放された。大型の神槍ごと空中で体をひねって回転切りを繰り出し標的に不意の剣撃を御見舞いする。
逃げることで精一杯の標的は鮮やかに繰り出された一撃に対応できず左脇を刃に裂かれたが、刃の入りが甘かったため致命傷には至らない。
一矢報いた女は手応えから傷の浅さを悟ると苦い顔を浮かべ、体勢を崩したまま眼下の巨大配管に転げる。
「傷は付けたけど全然浅い。まだ走れるよ!」
無線機で標的の健在を伝えると、片耳に取り付けた受信用無線機から少しノリ気な男の声が聞こえてきた。
「今回の敵さんタフだねぇ。俺が仕留めっから、そこで寝んねしてなぁ」
軽い口調の中にどこか優しさを思わせる声が届き、女は少し安堵の息をついた。
「頼むね、ロゼ」
「あいよ、ベルル」
走りながら無線機の先に言葉を呟いた金髪ヘッドバンドの黒い影、ロゼはその高身長と身軽さで配管を次々と飛び移り上へ上へと駆け上がっている。その瞬発過ぎる動きはまさに岸壁を巧みに上る狼の様だった。
右足で細い配管を蹴り左手で頭上を走る配管に手をかける。そこを重心に前方へ半回転し左手をかけていた配管の上に足を着く。と、頭上の巨大配管を誰かが駈ける足音が聞こえてきた。
「へぇ。図体のわりにゃ速ぇなぁ。……だが」
細い配管を足場に上に飛び出すと、目の前に脇腹を抑えながら走る絶望に沈んだ形相の巨漢が目の前に現れる。
そしてその時にはすでにロゼの手には散弾銃式神槍がリロードされた状態で収まっており、十二ゲージの銃口は巨漢の首元を捕らえていた。
「まだまだ遅ぇな。おっさんよぉ」
次の瞬間、散弾銃式神槍の銃口に一瞬魔術陣が浮かんだかと思うと轟音と共に散弾が炸裂した。
標的の左半身への完全な命中。疑う余地もなかった。
散弾銃の一撃をもろに受けた標的は吹き飛ばされ、おびただしい程の赤い血を撒き散らしながら落下し、薄い鉄網製の床に無造作に叩き付けられた。
落ちた巨体は動かない。声も上げずただそこに死んだ家畜の様に小さく丸まっている。
ただただ流れ出す血で鉄網の床を赤く染めるだけである。
「あぁあぁ、必死で逃げて逃げて終わっちまったらこのざま。哀れなもんだぜぇ」
巨大配管にしゃがみながら火を噴いたばかりの散弾銃で肩をぽんぽんと叩くロゼが、眼下の血溜まりを見つめる。
この出血量。そして何より紛うことなき弾丸の命中。その手応え。
――終わった。全身の力を抜くように息を吐き、何かを待つようにして目線を空に向けた時だった。
「がぁ……ああああああああああああああああああああああ!!!!」
痛みに震えた声にならない絶叫が肉塊、いや肉塊であるはずの物から響いたのだ。