第109話 夜釣り
薄暗い森の中を、俺とクロムは並んで歩く。
一人ぶつくさと何かを呟いているクロムを横目に見つつ、俺は辺りの気配を探っていた。
おかしなことに、もったりとした空気の密度は薄くなっているみたいなんだ。
おかしくはねえか。
そもそも、こんな冒険者に不人気の低レベル帯にしては、やばい雰囲気だった原因が闇川だったんだろうし。
そして、不本意ながら俺が消しちまった。
どろりとした闇の場に入り込んでいたからだろうか。
街のある方向に目を凝らせば、来る時まで感じていた暗ささえ薄くなった気がした。
感触としては闇濃度に変化はないため、俺の闇感度が著しく上がったせいかもしんない。
異常な場とやらを俺たちは、たまたま闇川という目に見えるものとして遭遇したが、あれでまだ何かの形になる途中らしいんだよな。
しかし奥地に向かって流れてたなら、どっから湧いてんだ?
あんな風に影響が増大し続けている大元が、なんなのかは気になる。
天然記念物ではないと言ってたよなぁ……あ、言ってない?
魔法おやじは、天然記念物ほどではないが、虹の浮島ほどの脅威にはなり得るとか言ってたんだっけ?
天然記念物とは質から別なのか、育ち過ぎれば空間に穴をあけるほどの威力になるってことなのか。
いや開けるのは異界側からだから、干渉し易くなる場が生じてしまうとか?
この件と天然記念物に繋がりがあるとは断言できないけど。
魔法団会議では本来の議題は別にあったし、あの短い時間の中では細部まで語られたわけではない。
まずは各部署が協力するかどうかの確認だけだ。後は追って話をというのは当たり前とは思うが。
ただ、まだ公にする前の懸念事項でしかない時点だったとはいえ、そこを隠しちゃうかね?
まあ、天然記念物とやらだって穴が開く兆候があれば対処するってことだし、そこまで深刻になる前に不穏の芽を摘んどこうってところなのかもしんないけどさ。
推測通りなら、妙な力の大本には、俺が転移してきた時の切れ目が残されてんだと思うんだよ。
もしかしたら、これまでの天然記念物と違うせいで、魔法団も判断しきれてないのかも。
いやいや長年続けてる本職さんの勘を、ぽっと出の俺が疑ってもな……。
ただ、飛ばされた当人だからこそ思うこともある。
未だ情報を出し惜しみしてるのだとしても、違和感があるんだ。
ここのところ俺たちは毎日黒森通いしてたんだぞ。
それでなんの前触れもなく、あんな広範囲に拡大するもん?
魔法おやじやクロムの口ぶりでは、もっとゆっくり場を形成するようだったろ。
この成長速度だから、危険度を上げてるのかもしれないけど。
半モヒも様子が変だって言ってたくらいだし、あ、あいつ遅くね?
さすがに今回は探しに行った方がいいか?
闇川のあった辺りを振り返った。
右手を掲げて、闇餅を伸ばしてみる。
届くとは思えなかったが、ざわりと、森が揺れるような感触が闇餅に吸着した。
「なに? まさか、まだ闇の場が……?」
「いや、なんかさっきの川の流れが戻ってきてるような感じが……いや、感じだけで闇濃度はないな」
「あー逆流してきたのかも」
「はぁ? 逆流!?」
「最奥に魔力が引き寄せられる力が働いていたのに、あなたが流れを一気に引き摺りだしたでしょ? あれだけ大きなものだもん。場の乱れも相当なものだしね」
「めっちゃ力んで綱引きしてたところを、切られてスカった感じ?」
「ぅん、え? つなひき?」
俺の高度な比喩では伝わらなかったようだ。
「行き場を失った力が暴走してとかそういうやつか? に、逃げないと!」
「大丈夫よ。さっき話したじゃない。あとは掻き消えるだけって。でも、それがちょっと大きいみたい……創生の闇」
「大丈夫と言いつつ、なんで闇壁を作ってんだよ!」
「風で帽子が飛ばされないように」
「とか言ってる間に、すっげ木々揺れてる! 迫ってきてるって!!」
まるで竜巻にでも飲み込まれるように、広範囲の木々が大きく撓りながら、その動きは瞬く間に近付いてくる。
のんびり歩いてたから距離稼げてねえ!
泡食ってて伸ばしたままだった闇餅を、うっかり射出!
「ち、散れ!」
「ほんと、おかしなことばかりするんだから」
隣からの冷めた声を無視し、俺は必死に全身から闇を滲ませる。
勢いを殺せないかと、闇餅にその力を上乗せしていく。
しかし、所詮は思い付きに過ぎない。
理想はクロムが出した壁みたいに、餅を平たく伸ばすことでした。
現実は硬さが増して撓りもしなくなり、重みを増した分、びたーんと地面を打った。
重くなるのかよ質量あるのかよ。
なんか強くなったっぽいから、もっと自在に操れると思ったんだけどなぁ。
「おりゃ!」
仕方ないから一本釣りする要領で、伸びきった闇餅を思い切り引く。
「お、残った闇もくっついてきた?」
振り上げた餅の丸い先端を上空に認めたとき、風のような空間の揺れが到達し、全身を駆け抜けていく。
なんだか斑に闇が張り付いたような空気で気持ち悪かったが、見た感じほど威力はなかった。
そして、目の前にやたら重量を増した餅の先が地面に叩きつけられ、四角い闇絨毯が広がった。
「グバァッッッ!!!?」
まるで人間サイズのクワガタリスだ。
「お、鳴いたぞ。まさか変異クワガタリス?」
「ひぃ! なにを引き寄せてんの!」
クロムが俺の背後に隠れて、横から頭を出し、恐る恐る様子を窺う。
普通に起こることではないらしい。
何か異物をくっ付けてきてしまったみたいだな。
この闇絨毯も、闇餅は見る間に吸い取って薄れて消えていき、ぴくぴくしているヒレが姿を現し……あ、はいトサカですね。
それは、がばっと跳ね起きて叫んだ。
「ハッ!? ここは闇と絶望の……アニキぃ!?」
お前は、なにを見てきたんだ。
やはり半モヒは無事だった。ちょっと意識が混濁しているようだが元気そうだ。
そろそろ探すべきか、街に戻って助けを呼ぶべきか悩んでいたところだから良かったよ。
「えー、怪我はないな?」
「うっス……なんと、闇が消えてる?」
「あー、邪魔かと思って」
こんな言い方したくはなかったのだが。
半モヒは顎が外れそうなほど口を開いて仰け反る。
そんな反応されると思ってた。
「っニキが! こんな得体のしれないもんを跡形もなくぅ!! 消しちまったとおぉ!!!」
「……話の流れで仕方なくな」
これは事実だから勘違いするなと言い返すこともできない……。
「しかも救出までされるたぁ……くっ、面目ねっス。二級品の名が泣いてらぁ」
いや、なんかくっ付いてきただけだし。
「あ、これだ……クロム! これだろ!!」
「ひあっ、急に脅かすな!」
興奮してクロムの闇座布団に乗りかかる勢いで前のめりになり、叫んでいた。
「逆流だよ! それで、俺も引き寄せられたんだって!」