第1話 俺、ふっとぶ
ふと深夜にアイスが食いたくなることってあるよな。ない?
地方の面白味のない静かな住宅街だがコンビニまで五分とかからない。
欲求に逆らわず部屋でだらける用のゆるいシャツとスウェットパンツのまま、スポーツサンダルをつっかけて走り出た。
今日は奮発してブランドアイスを買っちゃったりするかな。
そんで思う存分夜更かしして積んでる漫画やドラマとか消化しよう。
この俺、鷲塚実の高校生最後の夏休みが明日から始まる、記念すべき晩だ。
少しくらいの贅沢は許されるべきだよな!
門から踏み出したところで視線を上げると、雲一つない夜空だ。どこからか霧が出ているかのように縁が掻き消えて大きく見える月があり、意味もなくニッと笑顔になる。
そんな風に、足を止めるべきじゃなかったんだ。
すぐ側の電柱に、無理に取り付けた感ありありのライトが、ふっと消えて辺りは真っ暗になる。ここの路地は車一台通れる程度の幅しかないが、子供も通るのに薄暗いからって少し前に町内会で付けてもらったばかりだ。
もう故障かよ。予算ケチったな?
そんなことを思い出しながら明かりがあったはずの部分を探して電柱を見上げるが、真っ暗でよく見えない。
違和感に首を捻るも、何かが迫る振動に道へと視線を戻した。
突如、暗闇に大きな影が浮かびあがり、激しいクラクションの音に煽られる。
次には目に飛び込んだハイビームで、目が眩み視界が奪われた。
やたらと地面を揺るがすようで、腹に響く重い音からしてトラックか?
疑問が浮かんだのは、視界に入ったときでさえ真っ暗で全体像が分からなかったからだ。
そして二度と知ることはないんだろう。
せめて面でも拝んでやると、気力を振り絞って目蓋をこじ開けていた。
この勢いならフロントガラスを突き破って一矢報いることができるかもしれないと考えてしまうほど、避けられないと直感していたからだ。
眩さに目を眇めながらも、俺は体を精一杯そいつへと傾け、右手を伸ばす。
「こんな住宅街の抜け道ですらない路地に全力で突っ込む奴があるかーい!」
そんな文句が口にできる時間はなかったはずだ。
無謀運転野郎の鼻面へと渾身のツッコミをかましたかったが、全身がベコリと軋むのを感じたのか感じなかったのか。
それすらも確かでないままに、すべてが消えていた。
★★★★★
「ヒェッ! 俺死んだ? 死んじまったのか!? はい俺今死んだー!!」
なぜか叫んだ自分の声が聞こえ、目を開こうとして眩しさに思わず閉じなおす。
またか。
さっきとの違いは激しい疲労感に瞼が重いことだ。
それでも今しがたの非現実な出来事を確かめたくて、どうにか目を開ける。
俺、立ったままだ。
手を翳しながら辺りが実像を結ぶのを待つ。
光は、窓から差し込む淡い陽ざしだ。
照らし出された木の壁や天井が目に入り、室内だと分かる。
俺を遠巻きに囲む人々は、事故に遭った人間を心配するでも、野次馬で見ている様子でもない。
なんか変なのが居るぞといった顔つきだ。
俺からしたら、そいつらの方が異様だった。
どいつもこいつも、ゴチャゴチャと時代がかった服装で小汚い。
それはまだいい。
ぱっと見だが髪や目の色がカラフルだ。茶髪や金髪が多いが、濃淡も様々で少し赤みがかっていたりと調子も違う。
おっさんの太い眉毛も同じ色だから、染めてるんじゃなくて自毛だと思う。
それに彫りの深い顔立ちで、みんな立派な体格をしているところは、どう見ても日本人ではない。
俺、いつの間に移動したんだ?
って、え、もう朝?
事故の後遺症で、夢遊病みたいに歩き回ったとか……?
「おぃおぃ、んだぁ、てめぇはよぉ。いきなり飛び込んできたかと思や、おかしな叫び声あげやがってよぉ?」
茫然と周囲を見回していると、静けさを破った声にビクッとして振り向く。
分かりやすいキャラ来たーーーーー!
ややモヒった金髪を左右に揺らしつつ、人相の悪い兄ちゃんが踏み出していた。
ややと言ったのは、サイドが剃ってるんじゃなくて短い毛のためだ。
生え方がまだらだし、伸びかけているのかもしれない。
もしてかして人様のお宅に無断侵入しちまったのか?
怒られるだけならいいけど即サツガイされたらどうしよう……。
そんなことが海外であったとか聞いたことあるし!
「あー、は、はろー、あいむ、ぐっどまん、さんきゅー」
「おぁん? なに言ってるか、分からねぇなぁ?」
あ、あれっ!? 日本語通じてる?
いや初めから意味理解できてたな……。
コキコキと首を鳴らしつつ、にじり寄る背の高いヒョロマッチョの半モヒ。
異様なのは左右に首を揺らす速度が、くいくいと妙に軽快なことだ。
鳩かよ。
めちゃくちゃこわい。
足が反射的に後ずさろうとする。
意味もなく謝ろうと口を開けるが、混乱と緊張で声は喉に張り付く。
野郎は俺の前で止まって威嚇するように見下ろし、頭を左右に揺らし続ける。
お前は風見鶏か。
細身に見えたが背は余裕で俺の頭二つは高いためで、近いと横も一回りでかい。
まともに絡まれたら、また死ぬ。
――また?
なに言ってるんだ俺。
さっきのは夢だったんだよ……どう考えても。
こうして、思いっきり息してるだろ。
「興奮して危っねぇやつだなぁ、おい。鼻息荒げやがってよ?」
訳が分からず硬直していると、半モヒはジャラジャラと腕輪を鳴らして、そのゴツイ手を上げた。
俺へと伸ばされる手が、スローモーションのように感じられる。これからこいつに殴られるのか叩き出されるのか。なのに足は動かない。
止まれよ、おい。
そ、それ以上、近寄るんじゃねええぇ!
心の中だけで勇ましく叫び、半モヒの行動を押し留めようと両手のひらを突き出していた。
穏便に、ね!
そう、なだめるつもりでだ。
しかし震える手は来るなという内心を反映してか思ったより勢いづいて、うっかり半モヒの胸を突いていた。
冷やりとした汗が額を伝う。
まずった。
ど突くつもりじゃなかったんですううぅ!
出かかった謝罪の言葉は止まる。
心臓も止まるかと思った。
「ぼっ、ふゅひゅふゅひゅひひゅはふぃぶゅふっふぅッ――!!」
手が触れたと思った瞬間に、半モヒは錐もみしながら吹っ飛んでいたのだ。
お、おぅ……すっげえサイクロンしてる。
そのまま背後の人垣をも驚きの吸引力で薙ぎ倒し、待合室らしき広間のテーブルや椅子をも巻き込むと、半モヒは壁にぶつかりめり込んで止まった。
あ、俺死ぬわ。今度こそ本当に。