89.「クリスマス・ラプソディ(前編)」
それは、芦原から来た一本の電話から始まった出来事だった。
『今度の週末、映画を見に行かないか?』
眞子や結衣以外からの、初めての遊びの誘い。しかも普段はあんまり見ることのできない、映画を見に行くというもの。
確かに芦原とは最近よく話すし、一緒に行動する機会も多い。だから遊びに行くこと自体は嫌では無くて、むしろ行きたかった。
でも、それでも実際に関わるようになってからはまだたったの4ヶ月しか経っていない。はっきり言って、まだまだわたしは彼のことをあんまり知らなくて彼だってわたしのことをあんまり知らなくて。
だから、怖かったんだ。もしわたしの何気ない一言で場をシラケさせたら。せっかくの楽しい遊びを、ぶち壊してしまったら。
でも、本当にそれで良いのかとも思った。
何だか煮え切らない態度のように彼には映っているだろうけど、でもこれで彼の誘いを断っていろいろ思い悩むのもそれもそれで後悔するだろうって思ったから。
現にわたしは、そういう後悔を何度もしている。男だったときは――まあカウントに入れないことにしても、女になってからも何度も。そんな失敗は、もうしたくない。だから……。
「今からでも良いなら、映画、いっしょに行っても良いかな?」
わたしはそう言って、電話を切った。ちょっとだけうきうきした気持ちになった状態でね。
でも、その時のわたしは知らなかった。実は彼が言っていたこの内容は、ただの「遊び」ではなくて「別の意味」が含まれていたということに。
……いや、本当は気づいていたのかもね。そして、見てみぬふりをしたのだ。真実を知るのが、怖かったから。
◇
そして約束の土曜日の朝。
出かける前に姿見を確認して、服が変じゃないか確かめる。持ち物も、抜かりない。体調面も、昨日は早めに寝たからきっと大丈夫なはず。例の日も当分先だし、薬だってポーチに入れた。ホッカイロも一応お腹に貼って、寒さ対策も大丈夫なはず!
そんなわけで、いつもに無いくらい入念な準備をしてわたしは家を出ることにした。
「うぅ……。にしても寒いなぁ……」
マフラーの上から首元を抑えつつ、集合場所の駅まで足早に移動する。
もう12月なんだから寒いのは当然なんだけど、やっぱり年末も近いせいか一段と寒さがこたえる。女性になって冷えに敏感になったってこともあるのだろうけど、こういう時は四六時中ズボンの男性がちょっとうらやましいなって思った。
でも、寒いのを承知でスカート履いてるわけだから、そこは文句を言っちゃいけないところだとも思ったりはする。それに、ちゃんと厚めのタイツ履いて寒さ対策しているから、意外に言うほどは寒くないし。
男性だったときは、こんな薄い布で寒くないのかなあって思ってたけど、やっぱり当事者にならないと分からないものである。
それにしても。
「まさかこんな服を着て男の子と映画を見に行くことになるとはね……」
おりしもクリスマス・イブの今日。わたしとすれ違う人の多くは、気のせいか若い男の人と女の人ばっかり。
彼らはきっとカップルでデートってやつなのだろうけど、まさかそわたしもこれからその中の一員になるのだから、なんとも不思議な感覚だ。
まあ、男の子って言っても今日のお相手は芦原だからそこまでカップルらしいことはまあ期待できないとは思うけど。
いや、デートがしたいってわけじゃないのよ? ただ普通に「楽しかったね」で終わる、そういう平穏な休日のほうがわたしにはお似合いだし。
……なんて、そんな妄想とツッコミをひたすら頭の中で繰り返しているうちに。
「おっ、春奈ちゃん。こっちこっち!」
いつの間にか、待合せの銀時計についていたみたい。そして目の前には、私の名前を呼びながら手を大きく振る男の子の姿が。どうやら芦原のほうが先についていたみたい。
「おはよう。もしかして待たせちゃったかな?」
「いや、俺もちょっと前に来たばっかだぞ」
「そっか、良かった」
今日、寒いものね。
男の子だし、多少の寒さは平気かなって思うけど、だからって寒い中待たせていいってわけじゃないからね。
しかもこの子、こんなに寒いのに上にはジャケット1枚しか羽織ってないし。
「というか芦原、オシャレしてくるのはいいけどさすがにもう1枚上に着なさいな」
まあ似合ってるしカッコいいから、当人がいいなら良いんだけど。風邪引きそうって意味ではちょっと心配。
とまあ、まっとうな心配を投げかけたのはいいんだけど。
「なっ、オシャレだなんてそんな!」
この子、さてはオシャレってとこだけを拾って肝心なところを完全に無視してるな?
でもまあ、普段ジャージ姿か制服姿しか見ないぶん、今日の服装がよりオシャレに見えるのは事実。なんならちょっとかっこいいくらい。
もちろん地がイケメンだから、普段でもまあそこそこかっこいいとは思うけど。
そうだ、せっかくの機会だし今まで散々色々なことに巻き込んでくれたぶんの仕返しでもしてやろうか。「もしかして、ちょっと意識してる?」
つい、そうからかう。まあ仕返しって言っても別にそんな痛い目を見せようだなんて思ってなくて、ちょっとからかってやるくらいのつもりだったんだけど。
「いや、そうじゃなくてこれは姉ちゃんが!」
「はいはい、分かってるって」
やばい、意外に反応がかわいくてちょっといじめたくなってきた。
別にサディストってわけじゃないよ? でも、何も言わないでも慌てる芦原がちょっとかわいくて、愛らしくてね。ついつい遊びたくなっちゃうってわけ。
「俊吾くん今日もかっこいいねぇ」
そう言いながら、頭をなでなでしちゃう。本人は「なでるなー」ってムスッとした表情で言ってるけど、そういう生意気なところがまた可愛くて。
まあ、からかってしまったけどこうやってただ遊ぶってだけでもしっかりオシャレをしてくれたのはわたしとしては嬉しいし。
「でも、純粋に嬉しいのよ? ありがとうね」
って頭を撫でつつ、ついお姉さんっぽく言ってしまう。もちろんこの気持ちに変な気持ちなんて無く、ただ友達として嬉しいって伝えたつもりだったんだけど。
「はあ? そんなことを春奈ちゃんだって、今日めっちゃオシャレしてるじゃねえか!」
彼の不意打ちが、わたしの「何か」に突き刺さった。
「なっ、何を言ってるのかなぁ? わたしいつもこんな感じでしょ」
そう言い、明後日の方向を見つめて動揺をひた隠しにするけども。
「いやいや、いつもオシャレなのは知ってるけど、今日はいつもよりさらにオシャレじゃん?」
「ちょ、恥ずかしいから止めて!」
思わぬ彼からの反撃に、ついそう言って強引に口を塞いでしまった。
「ば、ばっかじゃないのかな! わたしがいつもオシャレなのは、当たり前でしょ?」
そう口走る。言ってからとんでもない言葉だと思ったけど、恥ずかしくて全身の血が沸騰しそうでもう引っ込みがつかなくなっていた。
分かってる。今日着ている服は、いつもは絶対に着ないような服装。それもそこらへんの女子中学生が居るような服装でないことに。しかも今日に備えて、ファッション誌とかを調べまくって準備した服だってことに。
でもそれは、特別なことをしたいってわけじゃなくてただ単に芦原に恥をかかせたく無くて。というよりも、わたしの見栄でしかないものなんだ。わたしの服のせいで芦原が恥をかくだなんて、それこそわたしのプライドが丸つぶれだしね。
というか、これでも一応元は男の子なんだから。男にそんなこと言われたって、嬉しくなんかないっての。……っていうか。
「あっ、ゴメン。無理やり口ふさいじゃって」
ゴメン、恥ずかしかったとはいえ口を抑えるのはさすがにやり過ぎだったよね。慌てて彼を解放して、手を引っ込める。
「あっ、気にするな。それに俺こそ……、春奈ちゃんそういうのニガテって前言ってたの忘れてた」
「良いよ。それはわたしが克服するべきことだから」
そうお互いに謝りつつも、どうにも気まずい雰囲気が流れてしまい……。どうしよう。せっかくの楽しい遊びの時間が早速変になっちゃいそう。
こういう時、例えば眞子だったらどうやって振る舞うんだろう。きっと彼女なら答えは知ってるんだろうけど、でもここに眞子は居ないし。
……こんなことなら、やっぱり遊びの誘いに応じなきゃ良かった。
そう、マイナスな気持ちが心を覆い隠そうとしたとき。
「春奈ちゃん」
「な、なにかな?」
「映画、見に行こうぜ?」
そう言いながら、彼は手を差し出す。別になんてことはない、至ってシンプルで当たり前の言葉。でも落ち着いて考えて、今日の目的は、何なの? 映画を見に行くことでしょ?
「うん」
そう言って、差し出された手を掴む。そうだよ、難しいことなんて無い。やり方なんて考えなくても、その時はその時でお互いのどっちかがどうにかするんだから。だから、それに乗っかっちゃえばいいんだよ。
◇
そんな訳で、芦原にエスコートされるとあっという間に映画館にたどり着く。まあ、駅につながっているショッピングモールにあるんだから、それも当然の話か。そんでもって。
「そういえば、芦原は何か見たいのある?」
「うーん、そうだなぁ」
さっそく、今日何を見るかって話になる。チケットカウンターの上にある画面には、今日上映される映画の情報が一覧になって並べられていた。
クリスマスという書き入れ時なだけあって、上映されている映画の種類は結構多い。定番のアクション映画や話題の恋愛映画。小さなお友達に大人気のアニメ映画から、どこに需要があるのってつい聞きたくなるような戦争映画まで。今日の午前だけでもかなり幅広いジャンルが上映されているみたいだ。
「種類が多くて悩むなあ。何か春奈ちゃんは見たいのある?」
「えっ、わたしに振るの?」
と、言いつつもわたし的にイチ押しはもう決まってて。
「それはやっぱり、アクション映画でしょ!」
そう言いつつ、隣の画面で流れているアクション映画の告知CMを指さす。
『プラネット・ウォーズ デルタの覚醒』。全世界で同時上映されている、大人気SFアクション映画の最新作品だ。クラスでも結構話題になってる作品で、実はここ最近の『金曜映画劇場』って番組でも毎週のように過去作が放送されているのだ。まあ、放送されているのを知ったのが昨日の夜だったから、結局過去作は見れてないんだけど。
「これ続き物だけど、春奈ちゃん前作見てるのか?」
「いや、見てないけど」
「ダメじゃん。それでストーリー分かるの?」
「一応、『プラネット・ウォーズとは?』って案内サイトは見た」
「それ一番ダメなやつじゃ……」
ええーっ、文句が多いなあ。じゃああんたが見たいのは何なのさってこっちから聞いてみると。
「俺が見たいのはあれかなーって」
そう言い、彼が指さしたのは。
「えっ、『あなたべ』見るの?」
思わず驚きの声をあげてしまうがそれもそのはず。彼が指をさした作品『あなたの膵臓をたべたい』は、これまたちまたのJK、JCの間で大流行している恋愛青春映画だったわけなのだから。確か元はケータイ小説だったと思うけど……芦原にケータイ小説の世界観って分かるのかなぁ。しかもこれ、アニメ映画だし。
「何だよ。男が『あなたべ』見ちゃダメなのか?」
「いや、ダメじゃないけど……これどんな映画か知ってる? アニメ映画で、しかも恋愛映画なんだよ?」
まあ、わたしも正直気にはなっていた作品ではあるからみたいというのはあるんだけど。
というか、むしろ『プラネット・ウォーズ』よりよっぽど見てみたいくらい。さっきああ言ったのは、芦原が男の子でこういう作品は見ないだろうって踏んだからの提案だったわけなんだけど。
「いや、芦原がこれ見たいなら……じゃあこれにしようか」
「えっ、春奈ちゃん的には嫌だったんじゃないのか?」
「嫌とは言ってないでしょ? 正直、あんたが男だから気を遣ってアクションを推しただけで、あんたが良いならわたしもこれ見たいし」
「そっか? そうか、じゃあこれ見ようか!」
「うん」
そういうなり、芦原はさっそくチケットを引き換えに行ってくれた。
「スクリーン真ん中のいい席が取れた」
「それは、良かったね」
それにしてもなんか、芦原が生き生きしてる。
意外だなあ、こいつこんな繊細な映画とか見るんだ。しかも運動部の男子だから、てっきり恋愛映画とかアニメ映画って聞いただけで、めっちゃバカにしてきそうだなって思ってたくらいなのに。
でもまあ……。
「春奈ちゃん、ポップコーン何食べたい?」
「じゃあ、わたしはうす塩味で」
「りょうかーい!」
そう言ってまるで子供のようにはしゃぐ彼。そんな様子を見ていると、ついこっちまで何だか心がほっこりするというかなんというか。上手く言えないけど、こういうのが母性ってやつなのかなって気がした。
元男なわたしでも、母性って湧いたりするものなんだろうか。分からないけど。って言いながら彼を見守っていると。戻ってきた戻ってきた。
「買って来たぞーっ!」
「うん、ありがとうねってあれ!?」
戻ってきたのは良いんだけど、よく見ると彼が買って来たポップコーン。結構サイズが大きいというか山盛りというか……。
「ちょっと、誰が食べるのよこれ?」
「二人で食べるんだぜ? だったら多めに買わなきゃだろ?」
「あのねぇ……」
わたし、女になってからだいぶ食が細くなったんですけど――なんて言えないしなあ。おまけに買ってきてくれたコーラもたぶんこれ、量的にLサイズだよね? ……あんまり大きな声で言えないけどわたし、けっこう近いんだけどなぁ。
「でも、途中でなくなるよりは、な?」
ダメだ、彼の時々放たれるイケメンスマイルには勝てない。なんかもう、ちょっとの失敗は。いや、失敗でも無いけどこういうのはつい許しちゃうのだ。これだからイケメンはズルい。
「……まあ、それもそうね。せっかくだし、いただこうかな!」
「ああ! じゃ、スクリーンに行こうぜ」
そんなわけで、わたしたちは大きなポップコーンを抱えながらスクリーンへ移動することになったのである。ちなみに余談なんだけど、意外に芦原が劇のほうに見入っちゃって、エンドロールを見ているときに慌ててポップコーンを食べる羽目になったんだけど……それはまた別のお話。
そんなわけで、運命のクリスマスデートがやって来ました。
二人ともこの時点ではただ遊んでいるようでしかないけど……どうなってしまうのか? 次回に続きます。




