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僕は女の子になりたい。  作者: 立田友紀
1. 僕が……女の子?
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9.「転校生、安藤春奈」

「あなた、本当に春樹(はるき)たちの『いとこ』なの? 本当は、あなたが『安藤春樹』なんじゃないの……?」

 そんな言葉を残して、眞子は家へと戻って行った。今までに見たことのない、そんな表情を残して。

 あの時の眞子は――おそらく本能で僕の正体を見抜いていたんだと思う。それはすなわち、僕が「安藤春樹」であるということもそうだし、何かしらの理由で性別が変わってしまい女として生活をせざるを得ない状況になったということまで。

 もちろん、理性的に考えれば。いや、そこまで大げさに考えずとも、それはどう考えてもあり得ない出来事だ。ただ、それでも現実にはそのあり得ない出来事を受け入れて考えないとつじつまが合わないのだからそのような思考に至るのは何ら不自然でないわけで。

 結局、眞子を納得させるような言い訳はついに連休中には見つからなくて。そうこうしてるうちに、楽しかった――というよりは色々と苦労ばかり味わった連休が終わって登校日がやってきちゃったというわけなのである。

「はぁ。……今日休もうかなぁ」

 相も変わらず、憂うつな朝だ。しかも眞子がらみのことがさらにそれを加速させる。ただし、義務教育期間である中学生が学校から逃げ出せるわけもなく。

「姉ちゃん……まだ学校にも行ってないのに休みって何なのさっ!」

 そう秋奈に言われて、無理やり叩き起こされる。

 女の子の朝は、早い。寝ぼけた目を擦って居間に向かおうとすると、首根っこ掴まれてさっそく母さんの鏡台で髪をとかされることになった。ついでに寝ぐせを直すためのスプレーを髪に掛けられる。スプレーの甘い香りが、改めて自分が女子になったことを印象付けるような気がした。

 本当の女子なら、たぶんみんなこういうのを当たり前にやってるんだと思う。秋奈だって、僕にこういうことをしてくれるってことは言い換えれば自分でもできるってことなんだろうから。そう考えると、僕の知らないところで秋奈も立派に女の子をやってるんだなって感じた。

「それにしてもここまでやる必要あるか? 別に寝癖なんて適当に束ねれば隠れるだろ?」

「バカ言わないの。姉ちゃんはきれいな髪をしてるんだから、ちゃんとケアしないともったいでしょ?」

「別に欲しくてこの髪を持たされたわけじゃないんだから」

「あーあ、これが持ってる人のぜいたくな悩みってやつですよ」

 呆れたと言わんばかりに秋奈はため息をついた。そうは言われても、である。僕だって一晩でこんなに伸びた髪にありがたみも何もないよっていうのが正直な感想だ。だいたい秋奈だっていうほど変な髪質ってわけでもないでしょうに。

 ともかく、そんな感じで髪を整えると次は洗顔である。しかも、洗顔せっけんを使って泡々にして洗わないといけない。

 タオルで水分をとったら次は化粧水に乳液を塗って……お化粧は校則で禁止されてるからそこは考慮しないでいいけどそれにしたって女の子の身支度は結構めんどくさい。

 最後に、先日受け取った制服を着ていく。これは、男子時代と比べて特に着るものに大きな変化が無い分特に考えずに出来る作業だ。強いて言えば、ブラホックを鏡を見ないと付けれないのだが……。

「姉ちゃんそんなとこでブラ付けない!」

 お風呂脇の化粧台でつけると、これまた小姑に怒られてしまうわけである。別にいいじゃん、女しかいないんだから。

 しかし、ちょっと学校に行くための準備でこんな調子とは。そしてこれが毎日続くって考えると……頭が痛くなってきた。女の子になりたいなんて、気軽に言うもんじゃなかったなと改めて後悔するが、後悔先に立たずとはまさにこのことである。

 まあ、眞子の件も十分に頭が痛いけどさ。

 ともかく、そんなわけでやっと着替えていつでも外に出られる状態で居間へ。

 せっかくの初めて女の子の制服を着たというのに、お披露目しようなんて気もさらさら起こらずそのまま食卓へ向かった。はぁ、やっと朝ご飯だ。

「あら、春奈。秋奈も、おはよう」

「おはよーお母さん。もう姉ちゃんが女子力無さ過ぎてあたしがおかしくなっちゃうよ!」

「しょうがないわよ。まあ春奈も早く慣れることね」

「まじか、この家に慈悲は無かったわ」

 お母さんからもありがたいお小言が。かといって抵抗するとますます厄介な事態になりそうだし、表面上は従うしかなさそう。ただ、それでも当たり前のように、「春奈」としての扱いを受ける。「春樹」っていう人物が最初から居なかったみたいに。それが何だか妙に不自然な気はした。

「どうしたの? 表情が暗いけど……」

 食べようとしたら、秋奈がそう尋ねた。

「いや、ちょっと考え事をね」

 別に大した話では無い。ただ、この出来事ってたぶんこの家だけでは無いのかもしれない。これから先、どんなところに行っても、「安藤春樹」って存在は消えてしまい全て「安藤春奈」という存在に置き換わる。別に僕が死んだわけでは無いのだが、それでも「僕」という存在が生きたままに失われるというのは何だか不気味な気がするのだ。

 もっとも気持ちの問題だけなんだろうけど。

「何を考えることがあるのだか」

 秋奈は、不思議そうに尋ねるけど……まあそれは当事者にならないと分からない問題なんだろう。だから、とりあえず軽く流してご飯に手を付けた。

 ところが……。

「そういえば姉ちゃんさぁ、言葉遣いはともかく見た目は完全に女の子だね」

 その瞬間、僕は口に含んでいたオレンジジュースを噴き出した。慌てて、母さんが布巾を寄越す。一応制服には掛かって無かったが、目の前のトーストと目玉焼きは橙色に染まってしまった。

「ケホケホッ、何て事言うんだよ!?」

 僕は若干涙目になって抗議する。オレンジジュースを噴き出した時にむせてしまったようで、鼻の気道のほうにもそれが入ったかもしれない。しかも、地味に痛い……。

 だけど、それ以上に「女の子」というセリフに驚いた。戸惑いを隠せずには居られなかった。

「え、だって……ねえ?」

「どこからどう見ても女の子になったわね。言葉遣いはともかくとして」

 静かにコーヒーを飲みながら、母はそう返した。

「待て待て、冗談じゃない」

 自覚はしていた。実際にそれは事実なわけだし。あの買い物の次の日から、秋奈の女の子教育もあって表面的にはだいぶ女性化しているとは思う。ただ、それを言葉で言われるというのにはちょっと抵抗があった。

 言葉にするのは難しいけど、肉体的に女の子になったからって、精神的に完全な女の子になれるとは限らない。僕は、今までの十三年を男の子として生きてきたのだ。十三年のタイムラグを埋めるには、それ相応の時間が必要なはずで、その現実を受け入れるというのはやはり難しいものなのである。

「強いて言えば、話し方まで女の子寄りにならないかしらねぇ」

「冗談じゃない、出来るか!」

 心の中では、僕は今だって男の子だ。なのに女言葉なんて、使うにはちょっと抵抗があった。

「まあ……追々ね。しばらくは無口キャラを貫くことにするよ。運がいいことに転校生って立場だからね」

 そう言いながら、胃にご飯を流し込む。

「思い出した。今日は転校の手続きが必要だった。ちょっと先に出るね」

 そう言うと、僕はそのまま二階の洗面台に向かった。簡単に身だしなみを整えると、そのままリビングには戻らず玄関に向かった。これ以上リビングに居たら、自分が自分じゃなくなる気がしたからだ。

「待ちなさい」

 玄関でスニーカーの靴紐を結んでいると、後ろから母の声が聞こえてきた。

「ほら、転校の手続きの書類。これを忘れちゃ転校も何もないでしょ?」

 それはまあその通りである。ただ、この書類を受け取ると不意に一人で学校に行くことが不安になってきてしまい……。

「じゃあ、頑張ってきなさい。無理はしないようにね」

「ああ。行ってきます」

 ダメだダメだ。甘えてたら何も出来なくなってしまう。無理をしない程度で、頑張るようにしないと。そう思い、僕は家を出る。今日の朝日は、何だかいつもよりも心なしか明るいように思えた。


 ◇


 歩くこと10分。僕が転校することになっている、千種(ちくさ)第一中学校は今日も朝練の学生や挨拶運動に取り組む学生によって朝から賑わっていた。

 それにしても、なかなかバレないものである。まあ、性別が既に違っているからというのもあるだろうけど誰も安藤春樹だとは思っていないようだ。ついでに言うと転校生としても見られていない。完全に生徒の中に混ざってしまう……そんな感じである。今まで何かにつけて爪はじきにされていた僕にとっては、久しぶりの光景だ。ただそれは、今までの残念さを浮き彫りにさせるということでもあるけど。

 ともかくそんなわけで、いち転校生である僕は転校生らしく職員室へと向かうことにした。ちなみに、道筋は在校生しか使わない最短ルートを使っていた。改築に次ぐ改築で複雑な校舎になってるのだが、一中迷宮(・・・・)に迷わずに職員室まで到達できた転校生はたぶん僕が初めてだろう。

 もっともそんな間抜けなことを考えつつ、職員室の扉の前ではバカな考えを捨てる。扉を開けると、そんなバカなことも言ってられない。だって目の前にに居るのは、先生(みかた)ではなく先生(てき)だけなのだから。

「おはようございます。今日からこの学校に転校することになりました、安藤春奈です。転校の手続きを行うために来ました」

「ああ、岡野先生。例の()、来ましたよ」

 すぐに、英語の先生である松本先生が僕の()担任である岡野先生に声をかけた。

 その瞬間、嫌な予感がした。

 事務の人と手続きを行うのかと思ったら、僕の元担任が呼ばれたのだ。まさかとは思うけど、再び岡野先生が僕の担任になるのだろうか?

 いや、岡野先生の事を嫌っているわけではない。ただ、岡野先生が担任だと僕の元クラスに強制配属されてしまうことになる。そしてそれは、言い換えれば眞子がいるクラスに、さらに僕に嫌がらせをした人達も全員いるわけで。

 だとしたら、なんか――やりきれない気分である。

「はじめまして。今日から君の担任を務めさせていただく、数学担当の岡野です」

「こちらこそはじめまして。安藤春奈です」

 あぁ、世は無常だ。これでは、元々のクラスに逆戻りになるだけではないか――。

「早速だけど、時間が時間だから教室に向かうよ。大丈夫かな?」

「大丈夫です」

 けれども転校生というご身分である以上、そんな感情を表に出すことは許されない。あくまで僕は安藤春奈であって、安藤春樹では無いのだから。

 時計の針は八時十五分を差した。予鈴の時刻だ。心の準備をする時間さえ、神は用意してくれなかったみたいだ。

「じゃあ、行こうか。うちのクラスがどこにあるか分からないだろうから、私の後ろでついて来てくれ」

 その言葉に黙ってついていく。改築に次ぐ改築とはいえ建物がそんなに大きいわけも無く、本当に心の準備もする間も無くクラスの前にたどり着いてしまう。先生は、やはり受け持っているクラスの面倒を見ないといけないこともあって先に教室に入ってしまった。

 教室の外にも聞こえる先生の声を聴きながら、ふとこれからのことを考える。

 果たして僕は、本当に女の子としてうまくやって行けるのだろうか? せっかく性別まで変わって、立場まで変わったのにまた同じことにはならないだろうか? さっきまでは、懐かしさと不思議さばかり混じったポジティブな感情だったのに、急にネガティブな考えで埋め尽くされてしまう。

 最悪、僕の正体がバレてしまうことだって考えられる。そうなったら、致命傷だ。僕は本当に、この世に残れなくなってしまう。そんなことになっていいのか?

「……違うよ。そうじゃないでしょ!」

 自分の頬を叩く。そうじゃない、そんなことやってみないと分からないじゃないか。始まってもいないのに、どうして最悪な状況ばかり想定してしまうんだ。それにどう不安がったところで、目の前の現実が変わることは無い。

 だったら、今できる最善を尽くすしかない。本当は怖い。でも、そうするしかないのだから……。

 気持ちを落ち着け、一呼吸を置いた。手鏡を取り出し、自分の表情を見つめる。鏡に映る彼女は、間違いなく女の子。派手じゃないし、何か特技に秀でるわけでも無さそうな地味な女の子。でも、間違いなくそこには安藤春樹は存在していない。

 準備は出来た。今の僕は――いや、わたしは「安藤春奈」なのだ。

「それでは、お待ちかね。転校生です」

 担任が扉を開けて、入ってくださいと言う。僕は、それを聞くとゆっくりと教室に入った。目指すは、教卓だ。

「……可愛い」

「お人形さんみたい……」

 口々に感想が聞こえてきた。口で言われるとなかなかに恥ずかしい言葉だけど、今は動揺していられない。僕は、黒板に向かい合うと白のチョークをつかんで、自分の名前を書いた。奈の字が書き慣れていなくて戸惑うけど、何とか違和感を出さないように書ききる。

「はじめまして。安藤春奈と言います。東京から来ました。よろしくお願いします」

 見慣れたクラスメイト。見慣れた教室の中での偽りの自己紹介は、気恥ずかしいというよりは罪悪感や背徳感で辛いものだった。だけど、それを悟られてはならない。背中に流れる冷や汗を感じ取りつつも、笑顔でお辞儀をする。

 ところが顔を上げた直後、僕の目線はある一点に定まった。

「……」

 目線の先に写るのは、僕の大切な親友である三春眞子。彼女の表情はいつもの通り穏やかなものだ。だけど、笑顔の裏にはこの前の目線が浮かんでしまう。

 違う、眞子は本当はそんな奴じゃないはずなのに。

「はい、そういうわけで新しいお友達です。それでは、二十八人改め二十九人となった二組ですが、一生懸命がんばりましょう!」

 担任の言葉に盛り上がる教室。歓迎のオーラが教室内を支配していた。

 みんなは僕の正体なんか知らない。でも僕は忘れない。眞子だって忘れない。忘れないからこそ、知られないように悟られないようにしないといけない。

 だからわたしは演じるんだ。平凡で普通な女子中学生を。

 読んでいただきありがとうございました。

 今作の舞台となっている街は、関東地方のとある街と設定しています。また春奈は、生まれた時からこの町に住んでいますが転校生という身分もあってこの街から離れた東京から来たと作中では振る舞っています。

 そのため、性別が変わり、それまでと全く同じ環境でありながら全く違う環境で生まれ育ったかのように振る舞うことになります。彼女の様子をみなさんに見守っていただければ幸いです。

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[気になる点] 脱字: 姉ちゃんはきれいな髪をしてるんだから、ちゃんとケアしない勿体ないよ」
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