83.「わたしの夢」
「で、眞子ちゃん。ここまで来てくれたってことは、きっとそれなりに決心を固めてきたってことだよね?」
これまでの空気が、変わった。
九条先生の話し方は穏やかで、優しくて。それは、初めて電話で話したときと全く変わらない――そのはずなのに、なぜか表現ができないような凄みのようなものが混じっていて。
「答えを、聞かせて欲しいな」
答えは、決まっていた。
さっきも春奈に言った言葉。それが、わたしが考えに考えを重ねたうえでの最終結論。それなのに……。
「……わたしは」
口から出ようとして、でもそう言い切ることがどうしても出なくて。隣で春奈が心配そうに見つめていて、だからこそわたしが言わなくちゃいけないのに……どうしてだろう。既に出ている答えが、どうしても口から出なかった。
◇
わたしがどうしてファッションデザイナーという仕事を将来の目標にしたのか。
そのきっかけは、わたしたちがまだ幼稚園に通っていた頃。ビーズで作ったアクセサリーを春奈と一緒に作ったことまでさかのぼると思う。
当時のわたしは、服とかアクセサリーとかいわゆるオシャレってものにはさほど興味が無い――ある意味女の子らしくない女の子だった。むしろ、近くに住む男の子たちを引き連れて虫を採ったりザリガニを釣ったりといったことばっかり。
ある意味男勝りな女の子だったとはわたしも思うけど、そもそも幼稚園児がトレンドとかそんなこと分かるわけもないし、かといって周囲の女の子のように仲良くおままごとってのも性に合わなかったってのはあるんだと思う。だからそれはそれで、わたしらしいとは思うけど。
だけどもある日、春奈がわたしを誘ってビーズのアクセサリーを作ろうと言い出したことが――たぶん今の目標の原点。
奇しくも男の子っぽい女の子だったわたしだけど、その一方で春奈は、当時は男の子だけど本物よりもよっぽど女の子っぽい男の子だった。手先が器用だったこともあってか、彼女が隣で作るアクセサリーは、わたしが作るそれよりも一つ一つがとっても丁寧できれいで。
最初は、やっぱり男勝りの悔しさってのが大きかったんだと思う。春奈の器用なところがわたしには出来ないという悔しさ。彼女のアクセサリーが他の女の子を喜ばせていることへの嫉妬。何より、そのスキルを自分には手に入れられないっていうところが嫌だった。
だけども、自分で作ったアクセサリーできれいに彩られた春奈の姿に、ある種の憧れを抱いたのもまた事実だった。そこはやっぱり、女の子としての本能のようなものだから。
だからわたしもわたしなりにどうやったら上手くなるのかをいっぱい試した。そうして――。
「はるな。これ、あげる」
「これって……?」
そう不思議そうな顔をするあの頃の春奈。その時の様子は、今も鮮明に覚えている。この後、あの子は事故に巻き込まれて記憶をなくしてるから、たぶんこんな出来事なんか覚えて無いんでしょうけど。
「びーずのあくせさりー。はるな、きょうたんじょうびでしょ?」
「そうだけど、おぼえててくれたの? うれしい!」
そう言って彼女は、わたしの作ったアクセサリーを大喜びでつけてくれた。
「ありがとう! とってもかわいい!」
それから彼女は、わたしが作ったアクセサリーをたびたびつけて幼稚園に来ていた。そういえば彼女は、自分で作ったアクセサリーを人にあげたり自分でつけたりはしていたけど、人が作ったものは決してつけなかった。そんな彼女が、どうしてわたしのだけつけてくれていたんだろう。
理由は、本人が記憶を失ったから今や知るところでは無いけど――でもそれが、たぶん原点。
それからわたしは、少しずつ服とかアクセサリーに興味を持つようになった。最初は、いかにも小さな女の子が読みそうな雑誌の付録とかに夢中になって。そのうち、マンガに出てくる女の子の服装を見たり、少しずつ実際の服を見るようになっていって。気がつけばファッション誌を読むようになって。
もちろんその間に、わたしの夢を見つけてくれたはずの春奈が事故を経験して本来の性別に戻っちゃって。少しずつわたしと見る世界が変わって行ってしまったけど。
でも今、春奈は帰ってきてくれた。もちろん、姿も中身もかつての彼女とはちょっと違うけど――それでも、今の春奈はわたしのそばにいつも居て。
最初は、元の性別に戻ったばっかりであたふたしているあの子を支えるつもりでそばに居てあげただけなのに。そのはずなのに、一緒に時間を過ごしているうちに分かった。本当は、わたしのほうがあの子に支えられていたことに。
だからこそ、見せたかった。わたしの夢を見つけてくれた恩人の前で、言ってやりたかったんだ。
わたしはもう、一人でも大丈夫ってことを。夢が叶えられるってことを。
それなのに――どうしてわたしは、これまでずっとやりたいと思っていたはずの「自分の夢」を断ろうとしているのだろう。
◇
意識を再び現実に戻す。
目の前にはやはり、優しくもどこか凄みのある表情を見せる九条先生。隣には心配そうな表情の春奈。行く末を見守るひかるさんの3人の顔が。
だがこの3人がどんな表情を見せたところで、答えはもう決まっていて。
「……まずは、誘っていただいてありがとうございます」
そう言いながら、九条先生を見つめる。
「お二人がわたしに期待を掛けてくれていることも、環境的に恵まれていることも……」
本当は、どれだけこの空間に飛び込んでみたいか。どれだけ、自分の可能性を試してみたいか。
「でもわたしは、その期待に応えきれる自信がなくて。だからこのお話――」
やりたい。わたしの実力を試してみたい。
でもそれが必ずしも上手く行くとは限らないことを、わたしは知っている。むしろ失敗する可能性のほうが高いことも、わたしは知っている。
だいたい、見れば分かるじゃない。午前中に見た、表参道に並ぶ店でマネキンが着ていた服を。街を行き交う人々の服装を。あの時はすごいってただはしゃぐことしか出来なかったけど、落ち着いて考えてみれば、地元という狭い世界しか見て来れなかったわたしに、あんな服を考え付くことなんか出来るわけが無い。
おまけに、これだけ失敗する可能性が高いのに、どうして親を説得できるというの? それはもちろん、パパもママも話は聞いてくれるとは思うけど――絶対に賛成してくれはしないに決まってる。そんなことに、九条先生を巻き込めるわけ無いじゃない。
「断ろうと、思ってます」
そう言って、笑った。
本当なら、その表情はおかしいものなのかもしれない。でも、本心を。悔しい、悲しいって気持ちを悟られたくなくて、だからわざと気持ちを隠すそんな表情しか出来なかったんだ。
だけども九条さんは、その言葉を聞いて特に表情を変えるということも無く。ゆっくりとうなずいてただ一言。
「……そっか。それは、仕方ないわね」
もしかしたら引き留めてくれるだろう、とも思ったけどそんなこともない。随分とあっさりとした幕引きだった。
「引き留め……ないんですか?」
あまりにあっさりとした彼女の反応に、思わずそんなことを言っちゃう。もちろん引き留められたとしての断るというのに――我ながらめんどくさい女だ。
「まさか。眞子ちゃんが――眞子さんが、よく考えて決めたことなんだから。残念という気持ちはあるけど、それ以上は言えないじゃない?」
だけども彼女はただ笑って、そういう他なくて。
「三春さん。あの、私――別に先生の味方になるわけじゃないですけど……眞子さんはファッションデザイナーになりたいんですよね? だったら!」
ひかるさんはたぶん、わたしの本心とは別に純粋にわたしを思いやってそう言ってくれたんだと思う。わたしと年齢が近くて、職種は違ってもやっぱり同じ業界を目指す仲間としてそう言ってくれたのだろう。
「ひかる、良いんだよ。眞子さんの決断を、尊重しましょ」
でも、最初にわたしが断っておいて今さら引き留めてくれるだなんてそんな虫のいい話があるわけも無く。
「ごめんなさい。せっかくのお誘いなのに」
「良いのよ。若いんだから、色々悩んであなたなりの一番の選択肢をとってね」
「……はい」
そううなずいて、これ以上は話が膨らむわけも無くて。だからわたしも、微笑みながらうなずくしか無かった。そしてこれで、話は終わり。あとは、せっかく東京まで来たんだから春奈が生きたい場所に付き合ってあげるか。
「それじゃ、わたしは帰ります。今日はいろいろありがとうございました。ほら、春奈も」
そう、これで良いんだ。
もちろん悔しくて、辛いけど――かといってこれ以上夢を見るわけには行かないんだから。もちろん夢を見て追い続けるのは楽しいさ。出来ることなら、いつまでもそうしたい。でもそうやって夢を見続けて、いざ引き返せない場所で目覚めたらどうする?
だったら今の時点である程度の見切りをつけるほうが、後のダメージが軽くなるはずなのに……。
「眞子。本当にそれで良いの?」
春奈のその言葉に、全員が黙りこんだ。まさかとは思うけどこの子――まだわたしの夢を諦めていないっていうの? あそこまでわたしがはっきりと断ったというのに?
◇
本当に良いのか――その問いかけが、固まりかけた決心を再び揺らす。
「あんたが言う夢って、そんな簡単に諦めきれるようなものなの?」
淡々と紡がれる彼女の言葉。だけどもそこには、はっきりと。意地でもわたしをここに通わせるっていう、そんな意思が伝わってきた。
「……さっきも言ったでしょ。夢は夢として叶えたい。けど、このレベルが高い環境についていける自信はないって」
もちろん、気持ちはありがたいんだ。ここまでしてくれる友達はそうそう居ないってことも。
でも、表参道のスタバでも言った通り。夢はどうあがいても夢であって現実には成り得ない。もちろん、絶対に成り得ないってことはないけども、だけどもそれが確定ではないことは確かなことで。
「そんなリスクは踏めない」
分かってるよ。本当は、ただ怖がっているってことを。今すぐ逃げたいって、ただそれだけってことにも。それなのに……。
「じゃあ……夢を叶えるために他に出来ることって何?」
春奈はそうやって耳に痛いことを平然と尋ねてくる。しかもそれは正論であって、ただ逃げようとしているわたしにはすぐに答えられないような問い掛けでもあった。
「それは……」
「せっかくの機会をふいにして、選り好みするあんたに何ができるっていうの?」
やめてよ。そんなこと聞かれたって今のわたしにそんなこと分かるわけが……。
「何も知らないくせに知ったようなこと言わないで!」
無いじゃない。
それなのに、そんな理詰めで聞いてこないでよ。
「……えぇ。だから知らないなりに訊ねているんでしょ?」
なのに春奈は、知らないってことを前提にして。わたしの半ば八つ当たりさえも受け入れて、その上でさらに話を続ける。
「正直わたしも、この業界の厳しさとかはあんまりイメージがつかない。でもさ、この環境って眞子以外の同じ夢を持つ人は、望んでも手に入れられないんだよ?」
そう、春奈の言う通りだ。
本当は、わたしの八つ当たりに怒って勝手に出て行ってくれた方がまだ良かったんだ。わたしが正しかったんだって思いこむことが出来たのだから。
でも、春奈は優しすぎるんだ。そんなことを言われたら、夢を諦めるって現実的な判断が出来なくなっちゃう。出来ないはずの夢を、追いかけちゃうよ。
「やめてよ。そんなことを言われたら、本音が……」
「ほら見たことか。やっぱり隠してたんじゃない」
そう言うと春奈はわたしの手を掴んで言った。
「だいたい、失敗したって良いんだよ。その時は、その時でまた考えればいいだけでしょ?」
――だいたいわたしを見てみなさいよ。僕なんか、もう何回失敗している?
そう言って春奈は、ニコッと笑った。
そうだ。考えてみれば、わたしよりも春奈のほうが何度も大変な目にあってて。事故もそうだし、いじめもそう。その上性別まで変わっちゃって――それなのにその度にその大変な目を乗り越えちゃって。
「それにわたしは、眞子が創りだした服をもう一回着てみたいな」
そんなことを言われたら、やっぱり……なりたくなっちゃうじゃん。ファッションデザイナーに。
もう一回だなんて、言わないで。あんたが着たいっていうなら、何度だって作ってあげたい。だいたいこの夢のきっかけは、春奈なんだから。責任を取って欲しいよ。
「……九条さん。わたし」
今さらこんなことを言うのは卑怯だし、許されたことじゃない。分かってる。
でも、やっぱりやってみたい。自分の夢を、叶えてみたい。できるかできないか、じゃない。試してみたいんだ。
「……やっぱり、ここに来てみたいんでしょ?」
「はい。でもさっき断ったばっかりなのに」
「良いじゃない。色々と悩んで考えるのは、今しか出来ないことなんだから」
それなのに彼女は、こんなわたしをあっさりと受け入れてくれた。
「それは……ありがとうございますっ!」
「良いのよ。それにひかるも、ねっ?」
九条さんがひかるさんに笑いかける。その様子が、本当は師弟関係なはずなのにまるで親子というか姉妹みたいで。
もちろん、本当は夢を追いかける修行の場所って考えるべきなのに――居心地が良さそうで。この中に入れるのがちょっとずつ楽しみになってきた。さっきまであんなことを言っていたのに、わたしはやっぱりワガママだ。
「私も眞子さんが来てくれるのは嬉しいですよ! 困ったことがあったらいつでも相談してね」
「ありがとうございます。わたしも、色々先輩として頼らせていただきますね」
九条先生だけじゃなくてひかるさんも、優しくてありがたい話だ。もちろん、彼女はパタンナー志望で厳密に言えばわたしと全く同じって訳じゃないけど。でも、年がより近い分きっと色々なことでお世話になるんだろう。
それなのに。
「先輩って呼ばないで良いよー? それに私も、同い年の子がいて心強いから」
「えっ?」
「えっ?」
ひかるさんの、唐突な同い年って言葉にお互いが固まる。
ちょっと待って。春奈よりも。いや、わたしよりもよっぽど背も高いし話し方も大人っぽくて。てっきり高校生かと思ってたけど……。
「もしかして……眞子とひかるさんって同い年?」
「そうだけど――あれ、眞子ちゃんには言ってなかったっけ?」
『えええええっ!?』
今日一番の驚きの声が、大きなはずの九条家を揺らすことになったのだった。
◇
そんなわけで、九条さんとの面会は何とか無事に乗り越えることが出来た。
正直ひかるさんが。ひかるがわたしと同い年だったってことが、何気に一番驚くことだったけど……。まあそれはさておくにしても、わたしが中学校を卒業するタイミングで東京に出るってことはほぼ確定になって、あとはうちの親を説得するってところまで話が進んだのだった。
もちろん、ひかるさんとも連絡先を交換して長い休みとかではなるべく会ったり情報交換できるようにしたし――そう言った意味では夢に向かって一歩前進ってところなんだと思う。
そして、九条さんのおうちをあとにしてからは春奈とのデートを再開。さすがにずっとわたしの用事に付き合わせていたから、午後は春奈の行きたい場所について行くことにしたんだけど……。
「ねえねえ、雷門の提灯ってあんなに大きいんだね!」
「ほら眞子っ! あれ見て。たぶん富士山だよね? 見えるよ!」
「眞子、このぬいぐるみ可愛くない?」
東京の観光地を見るたびにこんなはしゃぎよう。言い方は変だけど、いつもの彼女よりもずっと素直でかわいかった。
いや、見た目的にはもともと結構かわいいほうだとは思ってはいたのよ? 春奈はあんまり認めないけど、もともと目も大きくてくりっとしていて結構可愛らしい顔立ちをしているのだ。本人は気づいてないだろうけど、男子からも結構人気だし。
ただ、そんな春奈も普段は男の子生活が長いせいか結構男の子っぽい振る舞いをすることが多いし、やっぱり下に秋奈ちゃんがいるせいか普段はしっかり者として振る舞うことが多いと思う。それだけに、こうやって無邪気な面を見るのは本当に久しぶりだった。
そんなこんなで二人で一緒にはしゃいで、初めての東京をできる限り目いっぱい楽しんで――。
「座れて良かったね」
「うん」
帰りの電車に乗り込んで座るなり、二人してついぐったりとしてしまった。特に春奈は、やっぱり朝イチから頑張っていたのか、明らかに眠そうで……。
「いやー楽しかった! また今度も東京行こうね!」
「……うん」
緊張の糸が切れたのか、うつらうつらしていた。
「疲れちゃった?」
「うん。……肩、借りるね」
そう言うなり、珍しく春奈のほうからわたしの肩に頭をもたげてきた。
いつもはしっかり者で、今日だって朝から迷子のわたしを何とかして道案内してくれて。わたしが九条さんの前でオドオドしているときは、助け舟を出してくれて――そんなすごい春奈も、やっぱりこういう時はわたしと同じ中学生なんだなって感じてしまう。
「……あのさ、春奈。今日は、ありがとね」
いつもは言わないけど、今日は。いや、いつもの分も含めての言葉。ついそれを口にしたのに――。
「すぅ……すぅ……」
いつのまにか春奈は眠っていたのだ。それも、ついさっき買った、ゲームキャラクター? のぬいぐるみをしっかりと抱えながら。
「まったくこの子は……」
せっかくわたしがいつもは言わないことを言ったってのに。まあそれは、昔からずっとそうだったか。
他人の悩みには敏感なくせに、その人の感謝の気持ちにはいつも鈍感で。だからいっつも自己評価が低くて。ずっとずっと損な役回り引き受けてさ。
でも本当は、ずっとずっと助けられっぱなしで感謝してるんだからさ。
「お疲れさま」
愛しき親友の頭を撫でながら、そう声を掛ける。
それにしても、いつかは伝えないといけないな。春奈にありがとうって気持ちを。
ここまでの3回に渡って、眞子の将来の夢をテーマに話を進めてきました。
実はこの回って、この小説のなかでも特にエポックメイキングな話だと作者は思ってて、ナンバリングされているなかで初めての春奈以外の視点でのお話でもあります。
そして、そんな回の主人公に眞子を据えることができたのが作者として一番嬉しかったところではあります(わたしとしては、眞子はもう一人の主人公って立ち位置なので)。




