8.「春奈と眞子」
結局、女の子になってしまった僕が転入するという事実を知った眞子であったがだからといって何か変なことが起こるわけでは無かった。むしろ……。
「そうだよ、制服! 制服が必要になるね!」
何と言うか、こういう妙なところでテンションがあがってしまうのがこの子である。ファッションが好きということは今日初めて知ったけど、その守備範囲が制服まで入るとは。
まあ何にせよ、制服が無いことには学校には行けないのでさっそく制服を作りに行くことにした。
「じゃあ、この服を着てみてね。着終えたら教えて」
おばちゃんが大よそのサイズを目分量で測ってくれたみたいで、試着用の制服を受け取って更衣室で試着してみることにした。
ちなみに、女子の制服は紺色のブレザーにグレーのスカート。首元は学年色のリボンだ。男子制服との違いはスラックスがスカートになったかと、ネクタイがリボンになったか程度。そのリボンも首にかけてパッチンと止めるという仕組みは男女共通で大して変わらない。
そんなわけで特に悩むことも無く試着終了。
「着終えたぞー?」
さっさとカーテンを開けてみんなに制服姿をお披露目した。いや、見せる気は無いのだが一応こうでもしないとその制服がちょうどいいのか判断がつかないので仕方なしにである。
「……やっぱり制服着ると大人って感じがする」
「そうね。強いて言えば、あのシュシュは黒主体の白いドットとかが良さそうね。あのシュシュは秋奈ちゃんのセンスでしょ?」
「うそ、よく分かったね」
「これでもよく見てるからね」
しっかしガヤがうるさいなぁ。僕としては採寸が正確にされればそれで十分だというのに、さっきから何か起こるたびにずっとこんな感じで女子トークが挟まれる。なんで女って生き物はこうも無駄話が得意なのか。
溜め息をつきつつも採寸をされるのだが、結局この試着がぴったりだったとのことですぐに採寸も終わってしまった。制服は、三日後には届くとのことで引換証が手渡される。それにしても本当に連休中の出来事で良かった。連休じゃなかったら、きっと着る服が無くて大変なことになっていただろうからそう言った意味では一安心である。
「良かったわ、これで一安心ね」
「そうだね、本当に」
女子ズ二人を尻目に、母さんとそう話し合う。しかし母さんが見ていたことは、どうも表面的なことでは無かったようで。
「違うわ。眞子ちゃん」
「……やっぱり気づいてた?」
さすがは年長者。秋奈と違ってこういう機微については、やはりすぐに気づくものらしい。
「ええ、そりゃあなたたちよりも二回りも人生経験があるからね」
「母は伊達じゃないね」
制服の引換書をハンドバックにしまいながら相槌を打つ。しかし、母は同時に何だか不吉な予言をしたのである。
「ただね、あの子……まだ心に何かを抱えてそう。昔からそう、不器用な子だから」
「どういうこと?」
「あんたのほうが、その原因を一番知っていそうなのにね」
そう言うと、母さんもまた女子ズのほうへ去ってしまう。三人とも表情はいつも通りのもの。でもなぜか、僕の心は胸騒ぎする。それは、これから起こる出来事が何となく分かっていたからなのかもしれない。
◇
重大な宣告というものは、往々にして唐突に出されるものである。
「そういえば、これから仕事行くから二人に留守番を任せたいの。大丈夫?」
『えっ?』
突然の宣告に息を飲む僕たち。もちろん、母さんのお仕事でそういう出来事はしょっちゅう起こることだということは昔から知っていた。
母さんのお仕事がどういうものかは、実は僕も知らない。だけども、朝から夕方までっていう会社員の一般的な働き方じゃなくて、土日だろうが夜だろうが緊急で呼び出しを受けたりすることもざらにある。もちろんそれを断れないということも分かっているからこそ、僕たち姉妹はすぐに首を縦に振った。
「大丈夫だよ」
「どうせ朝か昼には帰って来るんでしょ? 大丈夫よ」
僕たちは、本心とは裏腹にわざと元気に応えた。もちろん、慣れているとはいえ親不在で夜を明かすのは正直怖い。ましてこんな異常事態が起こっている。無性に母のそばにいたい――そう思うのはある意味当然だ。
でも、こんなところでそんな情けないことは言っていられない。母が居ないのであれば、家族で最年長になるのは僕だ。そして、兄が女性化した今いつも通りに振る舞えるのは秋奈しかいない。お互いがお互いを支えるためにしっかりしないといけないのだ。
「帰りはタクシーを呼んだわ。眞子ちゃんも乗っていくのよ」
「えっ? あっ……はい。ありがとうございます」
タクシーを呼ぶために、母さんが抜ける。そして、僕たち三人は誰も居ないタクシープールに残された。
「……相変わらず忙しいのね、佳奈さん」
「もう慣れっこだよ。それにいつまでも眞子ちゃんの家で面倒も見てもらうわけにもいかないし。なんなら姉ちゃんもそばに居るから」
「大丈夫だよ。まあ、何とかなるはず」
僕たち姉妹はそう強がる。怖いというのは、お互い本心だ。でも、だからといっていつまでも眞子の家にご厄介にはなれない。それ以前に僕たちは中学生だ。自分たちのことは自分でやるべきだ。だから眞子を心配させまいとそう言ったのだが――眞子はそこに違和感を抱いたのだろう。急に真面目な顔をして問い返した。
「それは……まあそうなのかもだけどさ。というか、さっきから何となく気にはなってたんだけどね」
心臓に針が三本ほど突き刺さった感覚を抱いた。それは、正体がバレたということに対しての感覚である。いや、待って欲しい。おそらく、眞子のことだ。何となく引っかかったことを尋ねただけだろう。
そう思いたかったのだが……。
「ねえ、春樹って今何をしてるの?」
決定的な言葉が、僕たちを貫く。僕たちは明らかに動揺していた。
「しかも秋奈ちゃん、春奈ちゃんを姉ちゃんって呼んでるし。いや、あなたたちの家のことだしわたしの知らないところで仲が良かったのかもしれないけど……」
更に眞子は、核心を突く言葉を放つ。そう、こいつは安藤春樹という存在を忘れていたわけでは無い。春樹との昨日の喧嘩の傷が癒えていたわけでも無い。気の沈みを、秋奈たちによって無理やり上げていただけにすぎないのである。
「……兄ちゃんはね、えーっとその」
「春樹くんは、朝から出かけてたと思うなあ。せっかくわたしがこっちに来たと言うのに……」
とっさに僕はそう言った。いや、そう言うしかなかった。
「確か夕方には帰ってくるって書置きはあったけどさ」
「ということは、生きてるのね? 少なくとも、安藤家に存在しているのね!?」
まるで、何かに怯えるかのような鬼気迫った声で問いかけてくる眞子。その様子が、とても恐ろしい。間違いない、眞子の傷は今も根深いところで残っている。もしそうだとして、春樹がこの世から消えたことを知ってどうなる……。最悪の未来が頭によぎりつつ、それでも挽回するための言葉をひねり出す。
「えっと逆に聞くんだけど、春樹くんと眞子ちゃんに何かあったの? もしかして、そういう関係とか?」
あくまでも第三者として。春樹のいとことして言いそうなことを想定して、言葉を紡いだ。
「待って待って、兄ちゃんと眞子ちゃんはそういう関係じゃないよ? ねえ、眞子ちゃん」
「兄ちゃ……。ええ、そうね。まあ恋人では無いんだけど……ただちょっと前に喧嘩しちゃって、あたしが言い過ぎちゃったみたいでさ」
「そっか……でも、きっと大丈夫だよ。男の人ってそういうとこある。これだから男子は……」
明らかに大丈夫では無い。それは、僕の言い訳もそうだし眞子の心の傷の深さもそうだ。むしろ、僕以上に眞子のほうが深い傷を負っていた。せめて僕が、もう少しだけ優しい言葉を返せていれば。もう少しだけ心のゆとりがあれば。
結局、後悔先に立たず。過ぎた過去は、修正できないのである。
「そっか……それならいいけど……」
表面上は納得したような一言。でも、最後の一言は聞こえるか聞こえないかだった。
そんな話をしていると、母さんが戻ってきたと同時にあらかじめ呼んでおいたタクシーが目の前に来た。
「じゃあ、私は行ってくるから後は任せたわ」
「うん、任せといて」
母と秋奈はそういった会話をして荷物を積み込んでいた。
一方で、僕は髪をなびかせている眞子のほうを向いた。眞子は、明後日のほうを眺めているようだった……。
「姉ちゃん、眞子ちゃん。そろそろ行くよ!」
タクシーの中から、秋奈の声が聞こえた。
「眞子ちゃん、行こうか」
そう言いながら、眞子の手首をつかむ。
「ちょっ」
そう言いながら、眞子は顔をしかめた。
嫌だ、って露骨にそう言った訳じゃないけど。
「あっ、ごめん。嫌だった?」
そうじゃないけど。
彼女はそう言いつつも、僕がつかんだ手首を振りほどいてタクシーへ歩き出す。つかむものが無くなった僕の手。でもそこには、微かだけど彼女の感覚が残っていた。
――細かった、な。
とても温かくて、生命力が宿っている。だというのに、彼女の手首と腕は恐ろしく細くて小さい。何かあれば、まるで小枝のようにすぐに折れちゃいそうな彼女。
もしかして今まで思ってなかったけど眞子って実は――「弱い」存在なのではないか。
……彼女の後姿を見て、ふと僕はそう感じてしまったのだった。
◇
帰りのタクシーは、終始無言の空間だった。
秋奈は疲れたのか助手席で寝てしまっているし、僕も眞子もとても話せる雰囲気ではなかった。さっきまでは、あんなにも盛り上がっていたはずなのに。運転手さんも、空気を読んで。あるいは、気まずかったのか。どっちかは分からないけど、淡々と車を運転する。
この街は、そんなに大きな街では無い。
タクシーに乗って数分もすれば、あっという間に眞子の家である。タクシーは静かに眞子の家の前に滑り込んだ。運賃は、我が家で負担することになっているので、眞子はここで降りるだけである。
だが、眞子はすぐには降りようとはしなかった。
「……家? だよね。もう、降りても大丈夫なんだよ?」
そう伝える。でも、その一言を聞いても彼女は降りない。
「降りないの?」
再度言う。だが、眞子から帰って来た一言は、どこか哀愁漂う一言だった。
「なぜ、あなたがあたしの家を知っているのかな?」
なぜか。それはもちろん、僕が安藤春樹だから。ただそれだけである。もちろん姿かたちは大きく変わったけど、安藤春樹としての記憶を引き継いでいる以上それは致し方の無いことなのである。
ただ、そんな事実を言えるわけもなく……。結果として僕はすっとぼけた。あたかも知らない雰囲気を漂わせて。
「あれ、あなたの家に寄るって話だったよね? だからそう思ったんだけどなぁ」
「そっか。そうよね!」
良かった、納得してくれたか。そうやって胸を撫でおろしたのだが、そうやって安心した直後――。
「やっぱり変だよ!」
そう言い、眞子は僕の頬を平手でつかんで僕の顔をまじまじと見つめた。
「何で佳奈さんのことを『母さん』って呼ぶの? 何で秋奈ちゃんのことを『秋奈』って呼び捨てするの? あなた、本当に春樹たちの『いとこ』なの? 本当は、あなたが『安藤春樹』なんじゃないの……⁉」
返す言葉が無かった。下手に返してしまったら、確実にバレてしまうと判断したからだ。故に、無言を貫く。
「無言は、肯定とみなすよ?」
背筋が凍る。だけど、だからといってこのままでは終わらせられない。僕は、一言だけ返した。
「いとこだよ。春樹くんと秋奈の」
「……そう。そうよね……ごめん」
血の気が引く思いだった。
なんで、たった一つの嘘のためにここまで不気味な気持ちになるのだろうか。嘘をつくなんて、今まで何度もやってきたはずなのに。何なら、何度もこいつとは喧嘩をして手を出したくらいなのに。
――どうしてそんな目で、僕を見つめるんだよ。
「……姉ちゃん、しっかりして?」
「……はえ?」
「もう、家着いたよ!」
「あ、そっか……」
いつの間にか、タクシーは我が家の前にたどり着いていた。何とか体の力を振り絞って荷物を下す。でも、その後は何をする気にもなれず、そのまま部屋に向かうことくらいしか、出来なかった。