67.「わたしの知らない仲間たち」
――おめーがそうやって無理していると、結衣や俊吾が顔を暗くするわけだから。そんなの、俺が見過ごせねえんだよ。
宮川の言葉が、わたしの脳内に響いて離れない。
どうしてこの男は、そんなことを言ったのだろうか。
確かにこいつは、わたしのクラスメートではある。夏休みには、こいつに関連して色々と世話を掛けて掛けられてみたいなことはあった。だけどもこいつは友だちではないし、だからこんな風に心配されるいわれも無くて。
「あんたには、関係ないでしょ」
そう言ってわたしは目を背けた。
言った瞬間に、罪悪感というかさみしさというか言葉に出来ない感情が生まれる。だけどもそういう気持ちに目を向ければますます惨めになる。そんな惨めな感情を、わたしは認めたくなかったのだ。
なのに、いつもはそんなにしつこくしないはずの彼が話を続ける。
「ああ関係ないさ。けどお前は、お前を誘った芦原や結衣の気持ちを考えたことは無いのか?」
何も知らないくせに、こういう時ばっかりいっちょまえに番長みたいな雰囲気を醸し出して……。そういうとこが、気に食わなくて。
「知らないよそんなの。勝手に巻き込んだのは、あの二人じゃないか」
だから、そうきつい口調で吐き捨ててやった。
だいたい考えてみれば、応援団だって芦原や結衣に押し付けられたものじゃないか。応援団をやることへの迷いはもう無いけど、勝手に押し付けておいて気持ちを考えろだなんてそれこそ理不尽の極みじゃないか。
「ああそうさ。確かに勝手に巻き込んだ――お前から見ればそう思っても不思議じゃねえ」
「そうでしょ? だから、わたしも勝手にやる」
勝手に押し付けられたんだ。だったらわたしにだってそうする権利はあるに決まってる。気に食わないならあの二人がやればいいだけの話。
それなのに、この男はさらにわたしに噛みついて来る。それも……。
「そうか。だがそれで、本当に上手く行く保証はあるのか?」
会長とわたしのやりとりを見ていたのか、会長と同じ言葉をそっくりシンクロさせて。
「それで成果が出ているなら良いんだ。でも行かないなら――もう少し周りに頼ってみるのは」
そうやって知ったようなことを言い始めるこの男に、ついにわたしは抑えていた感情を爆発させてしまう。
「――だったら、あんたは応援団をやってくれるのかッ!?」
みんなそうだ。何もやらないくせに、口だけは大きくて。
自分はやらないくせに、人にばっかり価値観を押し付ける。安全地帯に立って指示ばっかり――そんなふざけたことばっかり僕に押し付けやがって。
「どうせやらないだろ? 自分は安全地帯に立ってさッ!」
そう言って僕は机を叩いた。
ドンという乾いた音が教室に鳴り響く。
怯んだのか、宮川は一歩下がる。だけどもそんなことは僕にはどうでも良くてさらに距離を詰めて問い詰めた。
「周りに頼れ? とか抜かすけど……じゃあお前は僕の願いを聞き入れてくれるのか?」
そう言って鋭いにらみを効かせる。
ところが一度は怯んだ宮川も、思うところがあったのか反撃の言葉をぶつけてきた。
「だったら、素直に『助けて』って言えよ! だいたいな、いつだってニコニコと笑って誰にだって分かる綺麗ごとばっかり口にしてるがな――」
「伝わってくるんだよ! 表面上は穏やかで誰にでも優しいようで、本心では誰も信用していないってことが」
――誰も信用していない。
それが図星で、いつもだったらすぐに言い返せるはずなのにどうにも言葉が出なかった。
「……うっさいよ。綺麗ごとを吐いているのはどっちだ! お前だって理想論ばっかりじゃねえか。口だけ偉そうなことを言って、どうせ僕の願いなど聞きやしないだろう!」
何とか言葉を紡ぎ出す。でも言ってて思った。
宮川の言葉はやっぱり図星で、僕は最初から人のことなんか信じていないということに。
「なら言えよ! 言わなきゃ分かんねえだろうが?」
「だから言ってるじゃねえか! あんたは応援団をやってくれるのか、って!」
八つ当たりとも、諦めとも――何とも言えない負の感情が湧いては、彼にぶつける。途中からは、もう自分では制御できなくて黒に染まった感情のまま言葉という暴力をひたすらぶつけているような気がした。
ところが。
「どうせ『やる』とは言わねえんだろ? 口だけなのは最初から分かって――」
「分かった」
とどめを刺したつもりが、彼の「分かった」という言葉に思わず動きを止めてしまう。
「何のつもりだ。まさか情けでも掛けたつもりか?」
状況が飲み込めず、それなのにまだぼ――わたしは、宮川に疑いの言葉を掛ける。
だってあいつが、こんなことを言うはずは無いんだから。
そもそも、クラスメイトの全員がめんどくさがってわたしにお鉢が回ってきたのが事の発端だ。だいたいそんな状況なのに、今さら誰がやりたいなんて言い出すんだ。それこそこいつなんて、ますますそうじゃないか。
「情けじゃねえよ」
なのにこいつは情けなんかでは無いとのたまう。だったら――。
「……じゃあ何故?」
分からなかったのだ。こいつがあっさりと応援団に参加するという無理難題を飲み込んだことに。
そもそもこいつは、わたしに何か義理立てをする必要なんて無いはずのに。
「……仲間が困ってたら、助けるのが当然だろ。言わせんなよ」
「……知ったようなことばっかり言いくさってさ」
腹が立って、でもそう言われることがこそばゆい気もして――どこに気持ちをぶつければ良いのかが分からなかった。
「そんでもって、あと何人だ?」
「は? 何を言ってるんだよ」
「足りない人数だよ。俺からも声を掛けるからさ」
「恩着せがましいこと。……10人くらい」
「そうか」
そうとだけ聞くと、あいつはそのまま立ち去って行った。取りに来たはずの忘れ物を残したまま。
「あの子は、何をしに戻ってきたんだ……」
忘れ物とされるノートをぱらぱらとめくる。中には何も書いてなくて、なんなら名前さえ書かれていなくて。
「……訳が分からない」
それが正直な本心だった。
◇
人を増やさないといけない、それは分かっていたけど今日はもうこれ以上動けない気がして。だからその日は、作業を諦めて家に戻ることにした。
「おかえりなさい」
「ただいま」
家に戻ると、既にご飯は作り終えられていたようで秋奈もまたご飯を先に食べながら待っているようだった。
とりあえずソファーに鞄だけ置いて、さっさと食卓に着く。だけども目の前に広がっているご飯を見ても、どうしても食欲が湧かなくて。
「……もしかして、体調悪い?」
そんな様子をさすがに気にしたのか、秋奈まで声を掛けてくる始末。
「いや。ただ、食欲湧かなくて」
「そっか。じゃあ、ラップ掛けて……」
「いや、出されたものはちゃんと食べれるくらいは元気だから」
そうやって言ってはみたものの、妹をさせるだなんてそれこそ姉失格じゃないだろうか。いや、秋奈だけじゃない。どうしてこんなにも色々な人を巻き込んじゃうんだろう。
わたしはただ、与えられた仕事をこなそうとしているだけなのに。でも現実は上手く行かなくて、わたし自身も色んな人にやつ当たりをしているようで。
だけどもそれと秋奈は全く関係無いし、作ってくれた以上は食べるのが礼儀。そう言ってご飯に手をつけるけど、やっぱり頭のモヤモヤは取れなくて。
「秋奈はさ」
「うん」
「人を信じることって、できる?」
自分でも訳が分からなくて、ついそんな言葉を投げかけてしまった。秋奈を心配させるだけなのに――そうは分かっているにもかかわらず。
「どうしたのさ急に?」
「いや、ちょっとね」
宮川の言葉が、頭の中にフラッシュバックする。
――本心では誰も信用していない。
そんな、衝撃的な言葉を。
「……まあ、友達とか家族だったら信用というか信頼はあると思うけど」
「そっか。そう、だよね……」
当たり前の話だ。それが普通の人間なのだ。
なのに、わたしは誰も信じることもできなくて。
「でもどうして?」
「……なんかさ、クラスメイトに言われたんだ」
「『本心では、誰も信用してない』って。表面上はそうは見せないけど、って」
クラスメイト――宮川にまでそう言われてしまう始末。そしてその言葉が、今もわたしをモヤモヤとさせていて。
普通の人間じゃないから、そうやって思うのかなって。でもそうだとすれば「普通」の定義もまた分からなくて。……何だかもう、何をどうすれば良いのか分からなくなってしまったのだ。
だけども秋奈は、何も咎めずに静かに話を続けてくれた。
「ハル姉は、その言葉に対してどう感じたのかな?」
「……なんか、うまく言葉には出来ないけど」
言葉に詰まりつつも、秋奈の問いかけに対してゆっくりと答えをまとめる。
「図星……って、思った」
訳が分からなくなりつつも、誰も信用していない。そこは、間違いの無いことだと思った。
もちろん最初からそんなことを思っていたわけじゃない。リーダーだから、誰よりも結果を残さないといけないという責任感はあったつもりだし、今だってその気持ちに疑いは無い。
でも実際は、そういう「責任感」の名のもと誰も信じないで疑ってばかり。そんな酷いことを無意識のうちにやっていたことがショックだったし……。
「わたしは変わった、ってそう信じてたのに本当は何も変わってなかった。変われていなかった。その現実を見せつけられたことがキツくて……」
女に生まれ変わって、友達が出来て――もう男だったときのように自分の殻に籠る必要も周囲を警戒する必要もなくなっていたはずなのに、何も変われていなかった。その事実が、頭の中にこびりついて離れなかったのだ。
「……そっか。だから、ちょっとピリピリしていたんだね」
「うん。……って、もしかして嫌なこととか言ってた!?」
「そんなことは無いよ? でも……」
「やっと戻ってきたはずのハル姉の笑顔が曇るのは、あたしはちょっと嫌だったかなって」
「……ゴメン」
秋奈にまで心配を掛けて、何だか情けない以外の言葉が見つからなかった。
何がリーダーだ。何が姉だ。そうやって、自責の念に駆られたまさにその時だった。
「でもね、謝ることなんかじゃない」
いつの間にか秋奈は、目の前から消えていた。その代わりに彼女は、わたしの後ろに立ち優しくわたしを抱きしめる。背中には、彼女の温もりが。耳には、彼女の吐息が伝わってきた。
「どうしたのさ、急に」
「どうしたなんかじゃないよ。またそうやって抱え込んじゃって、ハル姉が責任を感じる必要なんて最初から無いのに」
「そっか。ありがと」
そう言い、抱きしめてくれる秋奈の手のひらを優しく包み込んだ。
秋奈はいつだってわたしのそばに居てくれる。わたしが辛いときは、いの一番にそばで支えてくれる。そんな優しさが、涙に変わってしまう。
「ごめんね、情けないお姉ちゃんで」
「それは言わない約束でしょ? 何度も言わせないで」
後ろを振り向く。彼女は、優しく笑っていた。
「あたしは、ハル姉の一番の味方なんだから。だから」
「頼ってよ。あたしだけじゃなくて、あなたを助けようとした色んな人に」
「……うん」
そう言い、秋奈の手をきゅっと握りしめる。
正直言えば、頼るってことが今も怖い。頼って、拒絶されるんじゃないかって。男だったときに、誰からも拒絶されて一人になってしまったのだから。そのトラウマが簡単に払拭されるわけなんてなくて。
だからこそ、会長や宮川が言ったときは素直にその言葉が受け入れられなかったのかもしれない。
でも……秋奈が言った言葉ならば不思議とすとんと入ってくる。事実、秋奈の言葉は真実なのだから。
「でも、今さら……」
「大丈夫。ハル姉が作った人間関係って、そんな簡単に崩れるほど脆いものなの?」
「……いや、違うと思う」
会長は厳しい人だけど、そんな簡単に人を見捨てたりはしないと思う。宮川だって訳わかんないことばっかりやってるけど、筋を通すことに関してはしっかりしていると思う。
「だったら、頼ってみればいいんじゃない? そうすれば、きっと自然と上手く行くんじゃないかな?」
そう、なのだろうか。でも確かに、秋奈の言葉は真実に思えてきた。
「うん、やってみるよ」
本当に上手く行く自信は無いけど、こればっかりはわたしのほうがやってみるしかないと思った。だって心を閉ざしているのは、わたしのほうだったからって気づいたから。
◇
そして次の日。教室に入ると――。
「安藤さん!」
「ハルちゃん!」
いきなり7、8人くらいのクラスメートに囲まれる。
「あっ、おはよう……」
唐突過ぎて、訳も分からなくて思考が止まってしまう。だけどもそんなわたしの気持ちをまるで無視するかのように彼らの話が始まってしまう。
「俺、部活あるけどその間で手伝ったりとかはできるかな?」
「あたしも、ずっと応援団は出来ないけど手伝いくらいなら全然できる!」
「なんでそんな大変な状況なのに、私たちを頼ってくれなかったの?」
「……えっ?」
みんな口々に色々なことを言ってくるが――要するに。
「協力してくれるってこと?」
「それ以外何があるのさ!」
その言葉がわたしには全く想像のできないことで、上手く言葉が出せなかった。
だが話はそこで終わらずさらに膨らんでいって。
「宮川から聞いたけど、マーチングバンドやるんだろ? 俺吹部だし、楽器とか吹けるからそれで手伝うことはできるかな?」
「うちは衣装作りなら手伝えるよ? 眞子ちゃんだけならきついやろうし、それで手伝ってもいいかな?」
最初の7、8人だけじゃなくて次々とクラス内で協力してくれる人が増えていったのだ。
「みんな……」
もう訳が分からなかった。今までは、わたしがいくら頑張っても上手く行かないことばっかりだったのにいつの間にかこんなに協力者が増えてくれていて。でも訳が分からないって感情よりも嬉しいというか安心という感情がそれを上回ってしまって。
「なんで……なの?」
どうしていいのか分からなくて、それなのになぜか涙があふれて止まらなかった。
「どうして、みんな……?」
どんなに頑張っても仲間が増えなかったのに、どうして急に――?
その答えは、今のわたしにはが全く想像もつかない人――結衣が持っていた。
「正ちゃんが、みんなに声を掛けてくれたからだよ」
「宮川が?」
昨日あんな喧嘩をしたというのに、どうして彼が出てくるのか。訳も分からないまま涙を拭いつつ、宮川のほうを向く。相も変わらず彼はむすっとした表情でこちらを見つめて呟いた。
「何だよ? 別に仲間なんだから当然だろうが」
そう言って再び視線を元の場所へと移す。
相も変わらず愛想の悪い男だ。でも普段は絶対にこんなことをやらない彼が、こうやってたくさんの仲間を集めてきたのだ。それが何を意味するか――それが分からないほどわたしも鈍感ではない。
「ああやって憎まれ口叩いてるけど、正ちゃんはハルちゃんを見放すことができなかったんだよ。だからこうしてみんなに声を掛けた」
結衣の言葉が意味するところ。それは、彼はわたしの「助けて」という気持ちにはっきりと答えてくれたと言うことだった。
わたしはあいつのことなんかほとんど信用していなくて、昨日の言葉だって半分は売り言葉に買い言葉程度にしか考えていなかったにもかかわらず。
「不器用なのよ。あの人は」
「そっか……」
だけど事実として、彼は動いてくれた。多くのクラスメイトが仲間になってくれようと声を掛けてくれている。
この状況でやれることは何か。答えは、わたしにも見えていた。
涙を拭って、しっかりと頭を下げる。
「みんな、ありがとう。わたしからも改めて――」
「手伝ってください」
そうやってみんなの前でお願いして――後のことはわたしにもよく分からなかった。まるで夢でも見てるかのように、あれよあれよと話が進んでこれまでの問題が最初から無かったかのように消えていってしまう。そして……。
◇
「それじゃあ、みんな今日もよろしくね!」
『おーっ!』
最初は2人しか居なかったはずの被服室が、いつの間にかたくさんの人に囲まれた賑やかな空間になっていた。




