66.「優勝をめざして(後編)」
――じゃあ聞くけど、あなたなら安藤さんよりいいアイデアを出せたというの?
その言葉と共に、被服室に光が差し込む。
いや、その言い回しだとちょっと誤解が生まれそうな。でも、そう言いたくなるような雰囲気をまとって彼女は現れた。
『会長!?』
わたし以外の3人が、驚いたようなおののくようなそんな声を上げる。でも、彼らの反応はわたしも納得してしまう。実際に、今の彼女は普段のわたしに見せる表情とは違っていて、かつての凛としてかっこいい生徒会長の姿だったわけだから。
それから会長は、静かに先代の団長のもとへと近寄りながら静かに問いかける。
「……あなたがやっていることは、先輩の立場を使ったいじわるにしか見えないのだけど?」
「千歳会長には関係の無いことじゃないか?」
「関係無い、ってわけでもないでしょ? 私は生徒の代表者であって、困っている生徒を見過ごすわけにはいかないのだから」
「そっか。それはまた随分と仕事熱心なことで」
「ありがとう。お褒めにあずかり、光栄よ」
二人の間に、バチバチと火花が散る。
会長の迫力に負けじと、先代団長も言葉のラリーを返す。最後のほうは、文面だけ見ればお互いを褒めているようだけど……本心から褒めているなんてことは全く無くて。目に見えるはっきりとした悪口では無いからこそ、二人のやりとりが怖くて耐えきれず。
「もう良いですっ!」
わたしは、二人の間に割って入って無理やりにでもやり取りを止めた。
「……先輩方のお気持ちはよく分かりました。確かに先輩のおっしゃることも事実です。わたしのお願いで嫌な気持ちにしたなら、無理強いはしません」
怖いと言った割にどうしてこんなことをしたのか、その理由さえ分からなくて。でも、この雰囲気が嫌で無理やりにでも止めさせるために飛び出してしまって。
「ちょっと待って春奈ちゃん。私たちはそこまで強くは……」
会長と、先代団長と、わたしの三つ巴を宥めようと女性の先輩までその場に介入する。だが、この場の雰囲気にいよいよ嫌気が差したのか。
「もう良い。彼女がそう言うなら、俺たちは引かせてもらおう」
そんな捨て台詞だけ残して、先代の団長は立ち去ってしまった。
いや、先代団長だけではなく。
「……間違ってるのは、私たちじゃないかな?」
「分かんねぇよ」
あとを追うように、3年生がみんな立ち去ってしまう。そして被服室には……わたしと会長だけが取り残された。
◇
「どうしてですか?」
思わず、会長に訊ねてしまった。
「……」
分かっている。きっと会長は、窮地にあるわたしを助けようとしてくれたんだってことくらい。
それなのに。理不尽だってことは分かってのに……怒りを隠すことがどうしても出来なかった。
「これは白団の問題ですよね? なのに、どうして会長が割って入ってくるんですか?」
葉月さんに伝えられた、道具の手配や交渉までやってくれたこと。本当ならばありがたいことなはずなのに、初めて聞いたときはものすごくモヤモヤしていた。全く関係の無いはずの会長まで巻き込んで手を煩わせてしまって。
最初は申し訳ないというか、情けないという感情のほうが大きかった。
でも今回のように、わたしが交渉とかをしているときに横に入られるというのは何だか仕事を奪われたような気がして。さらに言えば、わたしのやり方がヘタクソだから見かねて助けに入りましたと言わんばかりに感じられて。
「……これじゃまるで、わたしが出来ない奴みたいじゃ無いですか」
「そんなつもりはっ……」
会長は戸惑うような、悲しむような声で言葉を返す。
分かっている。会長が本気でそんなことを思っているわけじゃないことくらい。だけども……。
「でも、そう思っちゃうんです。わたしが凡人で、あなたが何でもできる天才だからこそ――」
「そう、映っちゃうんです」
言ってすぐに後悔した。でも、この言葉にはきっと僻みや妬みという感情が大きく混じっているのだろうなって。気持ちの面で整理がつかない、確かにそうかもしれないけどそれを差し引いても。自身の能力の低さを棚に上げた、最低な言葉だった。
「……そうだね。これは――」
「やりすぎた、ね」
なのに会長は、わたしに何も反論しなくて。それがますます、わたしの嫌な気持ちを増幅させていく。
「……違うでしょ」
「違う?」
「なんで会長が『やりすぎた』なんですか。わたしのほうが、よっぽど失礼なことを言っているというのに」
何だかわたしでも訳が分からなくて、そのまましゃがみこんでしまう。悔しくて、やりきれなくて、会長に八つ当たりしてたくせに涙があふれてしまう。
「……だいたい、情けないじゃ無いですか。会長に、葉月さんに、いろんな人に手助けしてもらってるのに、わたし自身は応援団に何も貢献できてない。大口ばっかりたたいて、何も出来ないなんて」
そんなこと聞かされたって、困るのは会長のほうだというのに。だけども、そんな言い訳染みた言葉ばっかり口から出てしまう。
それなのに……。
「うんうん。ハルちゃんの気持ちは何となく分かる。私も最初はそうだったから」
会長は何も言わず、しゃがみこんだわたしの隣で座り込んで続けた。
「でもね、『何も貢献できない』とか『情けない』ってとこは違うんじゃないかな?」
そういい、背中を撫でられながら話が続く。あれだけ失礼なことを言ったのに、彼女は全くと言って良いほどに怒っていなかった。むしろその逆で、わたしの背中を撫でながら話を続ける。それこそまるで、わたしを励ますかのように。
「だって、いろんな人が協力するから応援団なんでしょ? だったら、手助けはしてされての繰り返し。手助けされたことを感謝しても、悪く考えるのは失礼になっちゃうってそうは思えないかな?」
「……そう、なのかなぁ? でもっ」
いや、言っていることは分かるんだ。会長の言うことは、往々にして正しいから。
でも、リーダーなのに自分の仕事が出来てないのはダメなんじゃないだろうかって、やっぱり思うしだからこそできない自分が……。
「情けないんです。やっぱり、わたしはリーダーである以上誰よりも成果を出さないといけないから」
協力することの大切さ。それは、分かる。
だけどもわたしはリーダーだからこそ、みんなよりも成果を出さなくては……。
「だから、それこそがハルちゃんの勘違いだし傲慢だし、おかしい!」
その瞬間、目が覚めるような大きな声が耳を抜ける。何かと思って見上げると、そこにはさっきまでの穏やかな顔が一転。鋭く、厳しい視線でわたしのことを見つめていた。あまりのことに混乱しつつも、彼女の言葉はなおも続いた。
「リーダーなら何でもできるなんて、そんなの思い上がりでしかない! 自分が出来ないなんて責任を負う必要なんか無いし、それは言い換えれば周りを信用してないってことになるんだよ?」
「……」
「確かに今回の件は私もしゃしゃり出すぎた。そこは謝る。ごめんね。でも、道具を借りるときの申請は葉月さんにお願いされてやったことで、それを否定することは葉月さんのことも否定することになるんだよ?」
そうとだけ言うと、彼女は強く掴んでいたわたしの肩を離して続けた。
「……言い過ぎた、私も頭を冷やしてくる。けど、あんまり自分を責めないで」
そういって、彼女は立ち去ってしまう。
訳が分からなくて、茫然としていた。だけども立ち去り際の彼女の表情を。顔を隠したその表情が……わたしには痛くて仕方なかった。
◇
頭を冷やして、次の策を練ることにする。
だけども、この後具体的にどうすれば良いのかがやっぱり思い浮かばなかった。
もちろん、会長が言っていたことだって理屈としては分かる。でも、他の人にばっかりお願いしてやらせて自分自身が何も出来ないだなんてこんな情けないことがあるだろうか? そんなこと、リーダーとして一番ダメなことなんじゃないだろうか。
「……ダメだ。どうあがいても、行き詰まる」
あと10人。せめて5人は、人が欲しい。
でも、一番可能性が高いという3年生を引き戻すということそれそのものが出来なかったのだ。
そうなってしまえば、もう関係ない人を手当たり次第に勧誘していくことになるのか? ――そんなこと、やったところで上手く行くわけが無い。
「……そっか、これが人間関係の差ってやつなんだろうか」
今さらながら現実を突きつけられる。
男から女に変わって、確かに学校での居心地は良くなった。前よりはちょっとだけ、交友関係が広まったのも事実。でも、本当に困った時に助けてくれる人は……。
――どこにも居ない。
その事実が、今のわたしに深く突き刺さる。
いや、考えてみれば応援団の役目を押し付けられたのだってみんながめんどくさがったからじゃなかったっけ。
やりがいとか責任とかで考えないように、というより意図的に目を背けていた分今ここになってますますダメージとしてのしかかってしまう。
「悩んではいられない、よね」
それは分かっている。いつまで悩んでいたって、話が進まない。どんなに悩んだって、時間は待ってくれないのだ。でもそれを分かっていても、やっぱり怖くて動き出せない。
我ながら、こういうとこは男だったときと変わっていないと自嘲する。でも動かないと、と席を立ったその時だった。
「……げっ、安藤」
「宮川、なんで?」
普段はまったく視界に入らないはずなのに、どうしてこんな時ばっかり……こういう問題児と会ってしまうのか。
宮川といえば、このクラスきっての問題児だ。成績は赤点スレスレなうえにヤンキーだか不良だか知らないけど学校の外でしょっちゅう問題行為を起こしてそのたびに会長や先生のお世話になるという札付きの悪ガキだ。
実際わたしも、この夏に随分とこの男に振り回されたものだ。いや、厳密に言えばこいつと結衣の二人にか。良かれと思ってやったことはことごとく外すし、何とも後味の悪い気持ちになったことは覚えている。
「……珍しいね、放課後に」
「うっせ、忘れ物取りに来ただけだ」
「そう」
そうとだけ言葉を返して、そのまま見捨てれば良かったのかもしれない。
だけども、普段そういうことをやらない人がやるということは少なからず気になってしまうところのあるみたいで。
「……」
つい、見なくてもいいはずなのに彼の挙動を眺めていた。
「んだよ、ジロジロと見つめて」
「あっ、ゴメン……」
別に謝らなくてもいいのに、と思ったけど言ってしまったものは仕方ない。あいつが何で今さら忘れ物を取りに来たのかは気になるけど、それが今のわたしに関係あるわけでも無く。そのまま何事も無く立ち去ろうとした。
だけども。
「いや、ちょっと待った」
そう言い、彼はわたしの制服の首根っこを掴んで無理やり止めさせた。
「ちょっと! わたし猫じゃ無いんだけど!」
制服の襟が首に食い込んで痛い。思わず抗議してしまうが、彼はわたしの抗議などまるで耳に入っていないらしく、身勝手にもわたしの言葉を無視して言葉を続けた。
「うるせえ、黙って話を聞け」
「何よその上から目線! あんたいつからわたしに指図できるようになったの?」
「俺だって本意じゃねえよ。だけど……気になるんだよ」
「おめーがそうやって無理していると、結衣や俊吾が顔を暗くするわけだから」
……嘘でしょ。
だってわたしは、誰に心配されるほどの友だちなんかいないはずなのに……。
「そんなの、俺が見過ごせねえんだよ」
なのにどうして、こいつはわたしを見過ごせないだなんて言うのだろうか。




