55.「副団長への決意」
「やっと帰ってこれた……」
既に太陽の光は落ちて真っ暗な時間での帰宅ということもあって、正直身体も精神もクタクタの状態。女子としてどうかとちょっと思ってしまうところはあるけど、それでも玄関で寝転んでしまっても良いってくらいの状態だ。
そうだというのに……。
「できないことは無いけど、コンセプトを決めてからじゃないと動けないかな」
「うーん、やっぱりか……」
キッチンというか、リビングのほうから眞子と秋奈の声が聞こえてきた。おまけに、テレビでも見ているのか最近流行りのアイドルの曲が聞こえてくる。こちとら、出たくも無い応援団の会議で既にクタクタだというのに、ずいぶんとお気楽なものである。
「ただいま」
引き戸を開けて、二人に帰ったことを伝える。しかし二人は、パソコン画面に夢中でわたしの声など全く届いていないようだ。というか今さらだが、どうして眞子は当たり前のように我が家に居るのだろう? しかもこんな冷房の効いた空間でのんびりアイドル鑑賞とは……何だか不平等である。
「そもそも、衣装以前にダンスとかの方針も決まってないんでしょ?」
「一応チアダンスって方針は固まってるの。ただそれ以上は……」
「これまた、秋奈ちゃんの先輩もずいぶんと無茶ぶりしてきたわね」
チアダンスという言葉が引っかかる。だがすぐに、眞子が来ている理由に、というより二人がアイドルの動画を見ていることに納得がいった。
「応援団の衣装?」
「あっ、ハル姉。おかえりなさい」
わたしが二人に声を掛けて、やっとわたしの存在に気がついたらしい。それだけ真剣に見ていたとは……不平等と考えたことはちょっと悪いことだったかもしれない。
「うん、秋奈ちゃんが応援団の衣装係になったらしくてね」
眞子からの補足説明が入る。なるほど、秋奈もまた……。
「秋奈も巻き込まれたのか」
「まあ、断りづらくて」
苦笑いをしながら彼女は答える。同じ巻き込まれたにしても、こいつの場合はわたしと違って本当にみんなから推薦されて引き受けたのだろう。それにこいつ、根がお人好しだからそういったお願いはよほどのことは無い限り断らないだろうし。
さらに言えば、秋奈は運動神経も良くてクラスの中心人物に近い立ち位置に居ると聞く。そういった意味で、秋奈には貴重な経験になるのだろう。と、わたしは思った。
「まあ、ハル姉にはあまり関係無さそうな話だけど」
「まあ、そうなんだけど……」
明るく積極的な秋奈。その一方で、暗く控えめなわたし。今でこそクラスでもそこそこ目立つ立場であるとはいえ、男だったときはクラスの中でも目立たず。いや、悪い意味では目立っていたけど、なるべく目立たないように生活をしていた。陽キャのイベントであるこういったものにだって、本当なら自分から避けていたはずだったのだ。
「ん? いや、春奈も応援団員よ?」
だけども実際は、わたしもまた応援団員の一員。
「えっ、眞子ちゃん……。今日はエイプリルフールじゃないよ?」
眞子は同じクラスだけど、それが秋奈にはきっと信じられないことだろう。だけども……。
「いや、眞子の言うことは嘘じゃないよ。ついでに、こんなわたしでも副団長になったわけで」
もしかしたら、眞子や秋奈だけじゃない。わたし自身だって、未だに信じられていないのかもしれない。だけども実際は、本当に副団長になってしまったわけで。だからこそ、事実を淡々と伝えたのだが。
「あ、あぁ。あんたそんな大変な役回りを……って」
『ええええっ!?』
二人の驚きの声が、安藤家を物理的な意味で揺らすことになったのである。
◇
副団長になってしまったことを告白してから、少しだけ時間が経った。
最初に聞いたときより、二人とも落ち着いたのだろう。先ほどの家が揺れるほどの大声はさすがに終わって、二人とも息を整えているようだった。しかしそれでも、わたしが副団長になったという事実を受け止めきれないのか……。
「えっ? あんたが副団長って……大丈夫なの?」
「ちょっとドッキリも大概に……」
二人して目を白黒させながら、こんな調子で質問攻めしてくるのである。
「二人とも、うるさいよ。それに、わたしだって同じこと思ってるよ」
若干イラっとはするものの、事実なので強くは言い返せない。何だかモヤっとした気持ちを抱えながら「うるさい」と言う以外は出来なかったのである。
「だったら、どんな風の吹き回しで」
「それが……」
眞子に尋ねられ、しぶしぶ経緯を説明することになった。
「まあ、白団の慣例では団長と副団長は2年の男女が務めることになってるらしくて……」
眞子には詳しく説明しなかったが、細かいことまで含めて補足説明をするとうちの中学校の体育祭は各学年の各クラスがそれぞれ5つのチーム。いわゆる、赤団、白団、緑団、黄団、青団と呼ばれる各応援団に分かれたうえで対抗戦を行うという形式をとっている。
わたしや眞子は白団と呼ばれるチームに所属していて、秋奈は赤団と呼ばれるチームに所属をしている。各応援団には伝統というものがあるらしく赤団では例年チアダンスを行っており、白団は例年2年生が団長と副団長を務めているらしい。そういった経緯から、慣例ということでたまたま2年生の、それも女子だったわたしが副団長にされたというわけなのである。
「あぁ、なるほど。なんというかそれは……ご愁傷様」
続けて、でも断ればよかったんじゃない? と眞子は続けた。しかし、そう簡単に断ることが出来ない事情があってそれも出来なかったのだ。
というのも、わたしたちが通う学校は明治時代の初めくらいからずっと続いている歴史ある学校で、体育祭もまた戦前から続く伝統行事なのだそうだ。そんな行事に携わる応援団の伝統ということもあって、個人の意思で慣例を捻じ曲げるわけにも行かず……。
「まあ、断るに断れないっていうのが正直なところかな」
受け入れざるを得なかったというのが正しかったりする。
「そっか。本当にどんまいとしか言えないかも。……良かった、わたしは巻き込まれなくて」
うん、最後のほうだけ限りなく小さな声で何かぼそっと呟いているようだけど、聞こえているぞ?
「なるほど……ハル姉、災難だったね」
「まあ、表面だけなぞればね」
苦笑いしつつ、麦茶を口に含む。
ただ、秋奈の言う通り災難であるのは事実だけど、だからといってその事実を恨んでいるかと言われるとそういうわけでもなくて……。
「たださ、今となっては自分でやってみてもいいかなって気持ちになってさ」
その言葉に、二人がハッとした表情をする。確かに、これまでそういったイベントを否定する立場だったわたしがこんなことを言い出すと、驚くのも無理のない話だ。
「ハル姉がそういうこと言うの、珍しいね」
「うん。春樹の口からは、まず出なさそうな言葉だし……」
「まあ、そうかも」
何だか、過去の自分を知ってる二人にこういう話をするというのは、妙な気恥ずかしさを抱く。
二人から見たわたしは。二人から見た僕は、おそらくこういう人から注目されて行事を盛り上げるという仕事なんか絶対に向いてないように映っているのだろう。
だからこそ、それが突然の路線変更となればそれは驚くのが当然だし、もしかしたら「お前に務まるのか?」と非難されることだってあるのかもしれない。そういう非難の声が怖いというのも、正直な本心だった。
「驚かれるとは、分かってる。だけども、わたしはやってみようと感じた。やってみても良い、というよりやってみたいって」
それは、結衣の一言という小さなキッカケがによるものなのかもしれない。でも……結衣だけだとしても、これまで何も出来なかったわたしに期待をかけてくれたのだ。
「結衣は、わたしに期待をかけてくれた。そのとき思ったんだ。期待をしてくれるって、嬉しいことだし行動を起こすための原動力になるんだなって」
だから、やったことはないけど挑戦したいって。それが成功するか失敗で終わるかは、別として。
その言葉に、これまで驚きの表情ばかり浮かべていた二人のが真剣な表情になる。
「……そっか。春奈が本気で決めたことなら、わたしは応援する」
「あたしも、同じ。ハル姉がやりたいことなら、あたしも出来る限りで支えるよ!」
驚くことに、二人はわたしが言ったとんでもない言葉にあっさりと賛同してくれたのだ。しかも最初に口を開いたのは、意外なことに眞子のほうだった。もちろん、秋奈も間髪入れてそう言ってくれたけど、秋奈よりずっと現実主義の眞子がそういうことを言うことに、わたしのほうが驚いたくらいだった。
「……二人とも、ありがとう」
安心したというのもあるのだろう。漏れるような声でお礼を伝える。
もちろん、本気でこの二人が否定するとは思ってはいなかったけど……やっぱりこの二人に打ち明けて良かったと思った。……のだが。
「とはいえ、やると言ったはいいけどプランは?」
眞子の静かな問いかけに、言葉を詰まらせる。
「それは……」
一難去ってまた一難。わたしの気持ちを受け止めてくれたとはいえ、やっぱり現実は厳しくて眞子の指摘が耳に痛かった。そしてそれはわたしだけではなくて……。
「秋奈ちゃんも同じ。衣装プランの前にコンセプトを決めなくちゃ」
「うっ……あたしもか」
チームが違うとはいえ、同じく応援団員になってしまった秋奈のもとにも重くのしかかったようで。
「はぁ。あなたたち姉妹は揃いも揃ってどうしてこう後先考えず突っ走るのか」
眞子のため息が、リビングを包み込んだのである。
◇
「ごちそうさま」
「ありがとうね、わたしまで」
「いいよいいよ。さて、じゃあ……」
夕飯もそこそこに、さっそくパソコンを立ち上げる。というのも、プランを立ち上げる以前にわたしには応援団というもののノウハウがあまりにも無さ過ぎるのだ。それは、去年は小学生で体育祭に関わったことの無い秋奈にも同じことが言えるわけで。
「まず二人は、情報を集めることから始めた方が良さそうね」
眞子の助言のもと、まずは情報を集めるということから始めることにしたのである。
「眞子ちゃんは何か応援団がやってたこと知らないの?」
秋奈が尋ねる。確かに、わたしよりはクラスの中心に近い分応援団に関わる機会も多かったことだろう……と思ったのだが。
「……と言っても、わたしも去年のことはさすがに覚えてなくて」
「おいこら」
ついそんな言葉が漏れてしまう。
ヒントも無い完全な手探り状態では、どこからあたりを付ければ良いのか分からない。わたしたち姉妹としては、完全に詰みといった状況だった。
「とりあえず、赤団はチアダンスやるみたいだからそこから攻めるか」
いや、秋奈が入っている赤団は事前にチアダンスをやるということが大枠で決まっているようだ。秋奈が早速検索ワードを入れ込む。「チアダンス」「高校生」「映画」という3つのキーワードから導き出されるのは……。
「ああ、この映画か。この前金ローで地上波初ってやってたね」
「最高だった」
「いや、わたしたちが調べたいのは映画の中身じゃなくて応援のプランだよね?」
「えっ、あたしのイメージはこれなんだけど」
そう言いながら自信満々な顔の秋奈。しかしパソコンの画面に映っているのは、大きな体育館の中心で多数の観客に囲まれながらアクロバティックなパフォーマンスを見せるチアリーダーの姿だった。
「これやるの?」
そういいながら再び映像に目を向ける。しかしこの映像、どう考えても日本の普通の学生がやりそうなパフォーマンスとはちょっと違う気がする。というか、こんな大勢の観客に囲まれてハイレベルな演技をすることを普通の中学生に出来るわけが無い気がする……。
「衣装以前に現実味を考えようか」
「……やっぱりそう思う?」
そう言いながら残念そうに画面を閉じる秋奈。さすがの秋奈も、これを現実にするとは言い張らなかったのはお姉ちゃんとして一安心です。
「まあでも、チアダンスのイメージは少し固まったかな。衣装も見れたし」
「ちょっとダンスのレベルはすごすぎるけどね」
チアダンスのレベルについては再考の余地ありだけど、衣装を考える役目の秋奈としては少しずつイメージが固まってきたのかもしれない。
「まあ、内容を考えるのは先輩たちだしあたしが動けるのはコンセプトが固まってからなのかな?」
「そうね。秋奈ちゃんは緊急じゃないから今は先輩たちのコンセプト待ちになるかな」
「うん」
とりあえず、秋奈についてはこれで問題が解決したようだ。だがこれで全部問題が解決したのかと言うとそう言うわけでは無くて……というかむしろ。
「問題は春奈のほうよ。まずその……」
「うん、コンセプトというかプランを考えないとなんだけどそのノウハウが無いんだよね。どうやってあたりを付けるか」
むしろこっちが問題。チアダンスをやるという案もあるけど、それでは赤団と被ってしまうのでなるべく回避したいところ。だけどもそれ以外でどうするかとなると、なかなか案が出てこないのだ。
「ちなみに案を出す会議はいつなの?」
「一応来週までとは言われてる。案がどうしても出なかったらチアダンスにしようかと考えてるけど、わたしにそれができる自信は……」
そう、案が出ないのも十分問題なのだが仮にチアダンスをすることになったとしても……わたしが壊滅的に運動センスが無いのである。副団長なのにダンスが踊れないとは、なんかもう色々企画として破綻している気がする。
だとしたら、踊らないという方針で進めたいのだけどしかし踊らない応援って……この世にあるのだろうか?
「でも応援って基本踊るわけで、でもわたしは踊れなくて……」
完全に詰んでしまった。ど、どうしよう……。
久々にアイデアが思う浮かばない。ああやって副団長やるって宣言した手前今さら出来ないと言えるわけも無く……と頭を抱えたそのときだった。
急に眞子が、何かを思いついたようにパソコンを操作し始めたのだ。
「応援って本当に踊るだけ?」
そう言いながら、彼女が調べ出した動画サイトはある意味でわたしが想像していたものをまったく想像の付かないものだった。
「あぁ、この手があったか!」
55話です。遂に春奈が表舞台に出る決心を固めました。今後彼女は、どのように表舞台で活躍していくのでしょうか。次回に続きます。
追記 評価ポイントがいつの間にか500になっていました。いつも応援してくださる読者の皆様、本当にありがとうございます。今後とも、「僕は女の子になりたい。」をどうぞよろしくお願いいたします。




