50.「会長の問いかけ」
そんなわけで、久しぶりに秋奈とお出かけ。だけども彼女に連れて来られた場所は服を買うたびにいつもお世話になっている例のデパート……ではなく、スーパーと薬局と小さな専門店が数件程度あるいたって普通の商業施設だった。
「てっきり駅前にでも連れ出されるのかと思ってたよ」
そして買った内容も本当に日用品と食料の買い出しだけ。何だか、本当に平凡すぎて逆に戸惑ってしまうくらいだ。
「ってか、ホント姉ちゃんは何を買うと思ってたの?」
「いや、オシャレって言うだけでなんか身構えるだろ? なんか特別なものというか服というか……」
買った食品をスーパーの袋に詰めながらそう答える。
なまじそういうことに巻き込まれてばっかりだったからというのもあるのかもしれない。実際に先月は秋奈と、先週は眞子たちとやっぱりそんなことをやっている。だからわたしの中では服を買うためにオシャレするっていう変な公式が成り立つわけで。
「まあ、確かに。なんか服を買いに行く以外でオシャレするようなところも無いしね」
「そうね」
そもそもこの街にいるだけなら、極論だけどジャージだけで何とかなってしまう。わざわざ買い出しのためにオシャレする必要なんてないわけで。……まあこれが、東京とかのような大都会なら話が変わってくるのだろうけど。
「さて、帰りましょっか」
「うん!」
そんなわけで、荷物をまとめたことを確認してスーパーの出口へと歩きはじめる。今思えば少し物足りない気はするけど、今となってはこれで良かったのだ。たまには平凡じゃないと疲れちゃうし。ところが、そんな平凡は思わぬ形でぶち壊されることになる。
「……ねえ、目の前のお姉さん。すっごくかっこよくない?」
突然秋奈が耳打ちする。彼女が目で指し示した先にはなるほど、確かにすれ違いざまに二度見しちゃいそうなくらい綺麗な人が歩いていた。しかし……彼女が近づくにつれて何だか嫌な予感がする。
目つきは鋭くて髪型はポニーテール。クールビューティというかいかにも出来る大人の女性って感じなんだけど、その容姿や顔立ちがどことなくわたしの知り合いと似ているのだ。ただ、わたしが思い浮かべるその人は……普段であればなるべく会いたくない人なんだけど。
「どこ行くの?」
「あぁ、氷貰ってこなくちゃってね」
出来る限りスマートに、かつ不自然の無いように向かい側の女性を回避しようとした……のだが。
「ハル姉何言ってるの? 生ものなんか買ってないでしょ」
秋奈は怪訝な顔を浮かべながらわたしにそう尋ねる。さらにその一言が、例の女性の注意を引き付けたのかどうなのか。結果として、真向かいから来た女性とも目が合ってしまったのである。
「あら? 安藤さん、お買い物?」
最悪だ。学校ならまだしも、私生活。それも思いっきり女性っぽい服装をしているときに限って、わたしが男だった頃を知っている人と出会うなんて。
「うっ、生徒会長……」
それでも声を掛けられた以上は無下には出来ず、努めて笑顔で応対する。
もちろん彼女に悪気はないことはわたしも重々承知してはいる。してはいるのだが、いかんせんこの人に会うと何かお説教されそうな気がしてそれが何だか嫌なのだ。もちろん言ってることは正論だけど、楽しい休日に誰が好き好んでお説教されたいだろうか。
出来ればさっと受け流して、そのまま無かったことにしたいところなのだが。
「『うっ』、とは何かしら? まるで会いたくなかったと言わんばかりの対応じゃない」
ほらね、開始早々お説教モード。やっかいなことこの上ないでしょ?
「勝手に人の心を読まないでください」
「えぇ……? この前はあんなに打ち解けたのになぜそんな急につっけんどんな態度を取るの?」
「だって仲良くなった覚えないですし……」
おまけにこの会長、なぜかわたしと仲良くなったと勘違いしているらしく勝手にわたしの頬をつんつんと突いて来る。こっちとしてはテキトーに話を切ろうとしてるくらいなのに。会長のやっていることも意外に子供っぽいっし、何というかただただメンドクサイ。
そしてこんな状況だというのに……。
「ねぇハル姉、このお姉さんと知り合いなの?」
あろうことか秋奈まで会話に加わってきたのだ。話がますますややこしくなってきそうなので。
「いや知り合いって訳では無いけど……」
ばっさりと関係性を否定し、ついでに話も切る。さすがわたし、天才だわ。
「知り合いじゃないっ!」
と思ったけど、わたしの天才的な言葉さばきを根本から否定する会長。ホント、えげつないことを軽々としくさってくれるね。
……ともかく、こうなったら腹をくくるしかない。やりたくは無かったけど。本当にやりたくなかったけど、会長を秋奈に紹介することにした。
「はぁ。この人は千歳悠希先輩。うちの学校の生徒会長だよ」
「生徒会長っ? ハル姉いつのまに権力者とコネ作ったの!?」
「これまた随分とひどい言いようね」
権力者とコネって、あまり良いものには思えないのだけど。それに、確かにこの人はあまたの不良をその腕っぷしでぶっ倒したり、物理でうちの学校の治安を立て直したりと嘘のような伝説をいくつも持ってたりするけど、だからといっていい思いをした記憶はないのだが。
「で、こっちはわたしの妹です」
「安藤秋奈です。いつも姉がお世話になっています」
なってないわ。ただただ、世話になったどころか面倒ごとにばっかり巻き込まれてるよ。
「いやいや、こちらこそ君のお姉さんにはとてもお世話になっているよ。これからもよろしく頼むね」
本当にね。むしろこっちがお世話している、って感じ。この人がそばに居ると、だいたいいつも酷い目にあうわけなのだから。
「なんか安藤さんの目がいつもに無く鋭いのは気のせい?」
「気のせいじゃないです」
溜め息をつきながら、そう答える。何だろうか、やってることはただの自己紹介だけなはずなのに、どうしてこう気疲れするのだろうか。でもまあ、これで話は終わりなはずだし。
「……話が随分と脱線したね。それで二人は買い物に来たの?」
「そうですね。普通に食材とかの買い出しです」
いや、終わらなかったわ。わたしの気苦労は早くも延長戦に突入したよ!
おまけになんで秋奈も普通に話に乗っちゃうのさ。あなたが居る限り、わたしもこの場に留まるしかないでしょ? とはいえ、秋奈を会長から無理に引きはがすのはやっていけないことだし……。悩んだ末、状況を見守ることにした。
「感心ね。中学生なのにおつかいとは」
「いえ、あたしたちは二人暮らしなので」
うん!? ちょっと待て。
「二人暮らし?」
「秋奈、話がめんどうになるからこの辺で……」
慌てて話をまとめようとしたが、一度話し始めた秋奈にブレーキがかかることも無く。
「とにかく、普段はどちらかが買い出し当番やってるんですけど、今日はハル姉体調悪くて。だから色々買い出しにきてて」
「体調が悪いの? の割にそこに居るのみたいだけど……あぁ」
「秋奈、そこまでっ」
思わず強い口調でそう言った。
言いたくはなかったけど、こういうデリケートな話題を他人に知られるのはあまりいい気分がしないから。でもそれってわたしだけじゃなくて秋奈も。もしかしたら会長だって同じことじゃないだろうか?
「そっか。辛いものね……あの日」
あっ、会長は平気な人みたいでした。というか、仮に気づいたとしてもわざわざ口に出して確認しないでよ。ただでさえ知られたくない情報なのに。そしてその言葉にさすがに事態の重大さに気が付いたのか、秋奈はやってしまったと言わんばかりの顔でわたしを見つめた。
「……ハル姉、ごめんなさい」
「まあ、仕方ないよ」
「いや、私も配慮が足りなかっね。ごめんなさい」
「良いんです。秋奈の言うことは事実ですし」
どっちにせよ夏休み明け、学校が再開すればやっぱり生理の問題とは切っても切り離せなくなる。いずれは知られることで、それが若干早まったというだけ。
「……そうか。遂に、というべきなのかしら」
「まあいずれ来ることだったでしょうし」
女性になったその日から、覚悟していたことだ……とまでは言わない。でも、いつかは来ることだった。会長だってそのことは、うすうす感づいていたはず。だから今さら驚くべきことでもないし、事実を淡々と受け入れる。
少なくとも、今のわたしはそんなつもりだった。なのに――。
「……しかし本当の『女性』になる。そんなことを、あなたは本気で考えているの?」
会長の静かな問いかけが、わたしの心を再びかき乱した。
◇
「……ええ、まあ。こうなった以上は、しっかりと現実を見つめるべきでしょうし」
会長の問いかけは、いつかの母さんからの問いかけとも重なるものだった。
もちろんだからといって、答えに窮するというわけでも無い。秋奈にだって散々宣言したことだし、現実を見つめるという決心だって固めている。例え会長と言えど、わたしの決心を揺らせるはずがないのだ。
「確かにそれは事実だけど。しかし、あなた自身の性別における価値観も変わってしまうのよ?」
分かっている。それは、性別を変える人に対して世間の人々が皆口をそろえて言うことだ。そこに例外など無いし、それが世間の常識だということだって分かっている。
「承知の上です」
「いや、分かっていないよ。社会から押し付けられる、『性別』という概念の重さを」
「……つまり何が言いたいんですか?」
正論を振りかざす会長に、嫌な気持ちが起こった。だからこそ、少し感情的に問いかける。
「端的に言えば、男性を受け入れられる覚悟があるか。そういうこと」
またそれか、と思った。
もちろん、何度でも繰り返すがそれが世間の常識だ。別に女に限ったことではないが、人間はいずれ異性と交際して結婚して、子育てをしてそのサイクルを繰り返す。そうやって、命のバトンを繋いできた。だからその流れに反するものは世間の常識と一致しないし、社会からも疑問を掛けられる。少数派が偏見で見られるのは、実に当然のことでは無いか。
「現時点のわたしには、男性はおそらく受け入れられないでしょう」
でも、果たして本当にそれが全てだと言えるのか。
「ならばなおさら! あなたが女性であることは疑わないけど、『本当』の女性にはなれないよ」
「では会長に聞きますが、女であれば絶対に結婚して子を為さないといけないんですか?」
「……絶対では、無いけど」
会長は口を濁した。当然だ、こんな問題に正解なんて無いのだから。
「だったら、どう生きようとそれはその人の勝手なんじゃないですか? 恋愛しない。結婚しない。子どもを産まない。全部尊重されるべき考えでは無いのですか?」
まくし立てるように、言葉を続けた。
「確かにそれが一般的な考えだとはわたしも知っていますが、でもそれが全てだとはわたしは思わないんです」
そう、男が好きになれないから女では無い。そう決めつけるのは、さすがに社会の傲慢だと思うから。
「もちろん、今はまだ女性になって日が浅い。そういうこともあるのでしょう。でも、だからといって世間の常識を押し付けるのは止めてください」
もちろんそれをわたしから押し付けるつもりは無いけど。でも、女性になったからこそ実感した。常識を押し付けられることの辛さやきつさを。もちろんわたしの勝手だし、こんな主張に同意してくれるはずもない……はずだった。
「あたしからも言わせてください。ハル姉は本気なんです。本気で女として生きる覚悟を決めた。一番身近にいるあたしだってそれが分かるし証明できます」
だけども、いつの間にか秋奈もまたわたしを庇うかのように言葉を紡いでくれた。
「……」
「だから……これ以上ハル姉を問い詰めるのはやめてあげてください」
そう言って頭を下げてくれる。別に秋奈が頭を下げる話でも無いのに。でも、こういう話題のたびに彼女はわたしと同じ立場に立ってくれる。当たり前かもしれないけど、そんな当たり前が今はとてつもなく心強かった。
そして、秋奈の気持ちが会長に伝わったのか。
「そっか。……ならば、余計なお世話だったね」
思っていたよりもあっさりと、彼女は引き下がったのだった。
でも、落ち着いて考えれば彼女はわたしに嫌がらせをするためにこんなことを聞いてきたのだろうか? いや、それは浅はかな考えだ。彼女だってきっと思うところがあったから、わたしにこんな質問をしたのだろう。
「いえ、心配してくれたんですよね。……きっとわたしのために」
それが正解だと断言はできないけど、でも確信をすることくらいはわたしにだってできる。
だってこの人は、確かにめんどくさい人だけどわたしのことが心配だから、わざと先の未来に起こりうる悪い可能性を提示したんだ。だいたいこの人だって根が悪くないことはこの前のお祭りで十分分かっていることだし。
「そう来たかぁ。……肯定すると、まるで恩着せがましくなるけどね」
「まあ、どうせそんなことだろうと思ってましたから」
そこまで言うと、なんだか急に肩の力が抜けてきた。やっぱり会長と話すのは、何だか疲れてしまうからなのだろう。悪い人では無いのだろうけど、やっぱり常人と違う雰囲気というか変なところで気を張ってしまうのだ。
「さて、話すべきことは話しましたしそろそろ帰りますね」
今度こそ、秋奈の手を引いて帰ろうとする。
「じゃあ、また休み明けに」
……本音は会いたくないけど。でもまあ、何だかんだで関わる機会はあるのだろう。そう、心の中で苦笑いをしつつ踵を返すのだが。
「ちょっと待て。最後に一つだけ」
その言葉に、わたしはつい足止めしてしまう。それが、わたしが見て見ぬふりをしていた不都合な事実を貫く言葉だとは、よもや思わずに。
「……あなたの身近な。本当に何でも話せる位身近な人の中で、君の女性化を反対している人が一人でもいるんじゃないかな?」
その言葉にドキッとした。
居ない、というべきだったのだろうけどそう答えるには身近すぎる人がその条件に該当しないことになる。かといって居ます、と素直に言うと彼女はここぞとばかりに言葉を返してくる可能性もある。
難しい判断に迫られる。だが、やはり嘘をついてあとで腹芸が出来るほどわたしは器用では無いし、そもそもわたしの周囲がどう言ってようがわたしの決断を覆すほどの力があるわけもなく。
「そんなの、居るわけ……」
「居ます。母親です」
秋奈は誤魔化そうと後ろからフォローを入れてくれたが、わたしはバカ正直に事実を伝えた。
「どうして?」
秋奈からすれば、せっかくフォローしたのにと言いたいのだろう。でも、やっぱり嘘はいけない。それに、いつかは向き合うべきことだ。目を逸らすわけにはいかない。
「……そう。一番辛いパターンね」
そう言うと、彼女はそのまま静かに腕を組んで何かを考える様な仕草を見せた。何か言ってくるだろうと、そう考えていたのだが会長は何も言わない。
「……何か言わないんですか?」
「何かを言うことは簡単。でもね、部外者の私が口を挟んでよいのか……私自身そう考えたのよ」
「遠慮だなんて、今さらじゃないですか」
逆に何も言わない会長が気味が悪く、ついそんなことを言ってしまう。
「確かに。では、余計なお世話だろうが一つ言っておくね」
「聞くだけ、聞いておきましょう」
そう言って、まるでふんぞり返るかのように偉そうな言葉を返した。でも、やっぱり聡明で頭のキレる会長なだけあって、その一言は……。
「では。確かにあなたの決意は立派なものよ」
「でもそれは、周りの支えがあって初めて成立することだよね? 私が言えたことでは無いけど、実の母親ならなおさら。しっかり事情を説明して納得をしてもらった方がいい」
「身近な人が頼れない、というのが一番辛いことだからね」
予想はしていた。でも、彼女の言葉の一つ一つがわたしの心を貫いた。
正論だ。彼女の言葉に間違いは何一つなかった。
「そうですね。しっかりと、考えておきます」
なのにわたしは、どうするべきか分からなかったのだ。どうやって母さんと向き合えばいいのかを。




