5.「春奈ちゃんって言わないで!(前編)」
そんなわけで、有無を言わさず駅前の繁華街へと引っ張り出されてしまった僕。もちろん、心の準備なんてものも無いまま連れ出されたため、既に心のHPは早くもゼロである。
「すごく、帰りたいんだが……」
せめてもの救いは、この服装の僕を周囲が何とも思っていないこと。まあそりゃ身体も完全に女の子のそれなんだから、これで女性の服を着たとしても変とは言われないのだろうけど。
しかしそうは言ってもあまり目立ちたくないことには変わりなく、なるべく秋奈の陰に隠れつつ歩くことにした。ちなみに、服装は先ほどに引き続き黄色のTシャツにデニム地のエプロンスカート。僕が考える限りでも、ごく普通の女の子の服装だとは思う。思うんだけれども……しかし足元がスース―して慣れる気がしない。
「秋奈の陰に隠れているあたり、下手な女子よりよっぽど女子らしいわね」
「これじゃどっちが兄なのか分からないよ……。いや、今は姉ちゃんか」
「お前ら好き放題言って……覚えてろよ……」
「春奈ちゃん、お口が悪いですよー。女の子なんだから、もっとおしとやかに」
「春奈ちゃん言うな!」
秋奈のちょっと小バカにした言葉に、ついついカチンと来る。こいつは本当に、事態の重さを理解しているのだろうか。人のことおちょくって楽しんでるのではないだろうか?
「……だいたい、そんなすぐに女らしい言葉なんて使えるわけ無いだろうが。生まれたときから女だったお前とは違うんだよ!」
もし分かっていたとしたら、おいそれとそんなことは言えないことだろ? いくら身体が女の子のそれだとしても、気持ちまではすぐに本当の女の子になれるわけがないじゃないか。それをからかうかのように言うあたりが、あまりにデリカシーに欠けるのではないだろうか。
「もう少し考えてからものを言えよ」
頭に血が昇っていた。それは確かにある。けども言い終えてからそれは不適切なものだったと感じた。
「うん。……ゴメン」
彼女はそう言って黙り込んでしまった。さすがに、ちょっと大人げない言い方だったのだろう。
そもそもこいつだって、何も考えていないというわけでは無い。言い方はどうであれ、こいつなりに考えての言葉だったわけだから。
「春樹、それくらいにしときなさい。あなたの気持ちも分かるけど、秋ちゃんだって心配して言ってるんだから」
「分かってるよ。……言い過ぎた」
母さんが上手く取りなしてくれて、その場では一旦話が終わりかける。でも秋奈の言い分は、この件に限らず正論なように思えたのである。
「秋奈の言うことも一理ある。何はどうあれ、僕は女なんだから――そう振る舞わないとだな。認めたくは無いが」
そうは言いつつも、秋奈から離れる。話し方も、ぎこちないけど女の人っぽく。歩き方も、秋奈に合わせて少し内股にしてみる。ぎこちないのは否めないけど。
「姉ちゃん……ちょっと下手っぴ」
だけどもそれが、秋奈にとっては面白おかしく映ったのだろう。ため息をつきながらも、さっきまでよりはちょっと笑顔が戻ってきているようだった。
「まあ、ゆっくりで良いからさ」
「そうね。ゆっくりでも良いのよ。大事なのは、少しずつでも女の子に近づくことなのだから」
何だろう、普段はあまり意識しなかったけど――二人のアドバイスはやっぱりに響くものだ。そうか、変に気負うことは無いんだ。後ろめたいことは何もしていない。正々堂々と、普通に生きれば良いだけなのか。そう思えば気が楽になってきた。自然と肩の荷が下りてくる。下りてきたのだが……。
「でも、まさか再びこんなことになるだなんて思いもしなかったわ」
「――再び? ちょっと待って、どゆこと?」
何だかよく分からないけど、直感で分かる不穏な言葉に動揺する。
もしも母さんの言葉が事実だとしたら、前にも似たようなことがあったということなのだろうか。しかし僕が女になろうなんてことを面と向かって口外したことは無いし、そもそも子供のころから女性らしいことには恐ろしいくらいに無縁だったはず。
しかし、「失言をした」と言わんばかりの複雑な面持ちの母さんを見ると、聞こうにも聞けない。母さんだけじゃない、秋奈もまた複雑な顔をしている。
「そうだね。さてさて、そんなことよりどうやって春奈ちゃんをドレスアップしてあげようかなぁ」
ちょっと不自然だけど、秋奈も明らかに話題を強引に変えたがっている。秋奈と母さんが知っていて僕が知らないことっていったい何なんだろう……。
「姉ちゃん?」
声を掛けられ秋奈のほうを振り向く。
「……ん? どうした?」
「いやその……楽しくないのかなぁって」
楽しくないってわけではない。いや、楽しいかって言われたらそれは嘘だけれど……。ただ気になって仕方がないのだ。僕だけが知らない「あの頃」という単語が。
いや、考えないようにしよう。確かに気にはなるけど、それはここで考えることでは無い。あえて触れないで、道化を演じるのもある種の思いやりである。
「ちょっとぼーっとしてただけ。そんなことよりほら!」
目の前を指さす。そこには、最近改修された駅前広場とデパートがそびえていた。
「二人とも、行くよ!」
「え、あ……うん」「ちょっと、どうしたのよ急に……」
二人が戸惑っているがそんなことは関係ない。今僕が出来ることは、普通の女の子として生きるってことだけ。だから、それを実行するんだ。そんなことを心のうちにおさめつつ、僕は意気揚々を装いながらデパートの中へと入って行った。
◇
しかしそんなやる気も入り口の雰囲気であっさりと消えてしまう。
「やっぱ何度来ても慣れないわ、ここ」
「あたしも。新館は行き慣れてるからそうでもなんだけどね」
母さんと秋奈が感想を述べる。確かに、入り口の金銀や大理石の装飾は華やかで綺麗ではあるのだけど、何だか威圧感がして僕たち庶民には場違いな気にさせる。それは、店内を歩く他のお客さんも同じでどことなく華やかな装いであるがゆえに、ますます僕たちが浮いているような気がしてしまうのである。
「やっぱ、場違いって感じはするねぇ……」
正直、普段はこういう施設に来ないこともあって何となく居心地が悪い。そもそも普段から高級化粧品とかに縁が無いというのもあるのだろうけど。
「とりあえず、若い子向けのフロアに行ってみたら?」
「そうすると、やっぱり新館?」
二人が相談をしている。こういう時は、詳しい人に任せるのが一番だ。
「それとお金は渡すから、秋奈と二人で考えて買うのよ?」
「え? 母さんついて来ないの?」
突然のリタイヤ宣言に秋奈が戸惑いの声を上げる。
「母さんが行っても仕方ないでしょ? 若い子の服とかよく分からないし。秋奈、しっかり面倒を見てあげてね」
そこまで言い切ると、母さんは踵を返す。
「何かあったら電話で連絡してね」
そう言うと、母さんはそのままさっさとどっかに行ってしまう。って、この状況でどうすればいいんだ……。だいたい母さん、けしかけるだけけしかけておいて当人が勝手にリタイヤするだなんて。
「とりあえず、隣の新館に行く?」
「えっとそこが若い子向けの店があるところ?」
「あたしが知る限りでは」
「じゃあ、行こうか」
「うん」
頼みの綱は秋奈だけか。とはいえ、秋奈はこの手のデパートについては百戦錬磨だ。それならばこれ以上に心強い味方はいないはず。お金の入った封筒を、秋奈から借りたハンドバックに入れると、僕たちは「新館」と呼ばれるティーンズ向けの服売り場へと向かうことにしたのである。
「しかし、本当に広いなここ」
「改装されたからってのもあるかもね」
デパートにあまり縁が無い僕は、周りの光景の変化に驚く。そういえば、子供の頃は屋上の遊園地やレストラン目当てにちょくちょく行ってはいたっけ。子供だから、直接縁のある売り場とかは結構限られてはいたけど、それでもキラキラとしたショーウインドウの商品には何となく憧れのようなものは持っていた気はする。
ただそれも年を重ねるとだんだんと興味を失っていくもので、中学に入ったころからだと一度も行ったことが無いかもしれない。
「しばらく行ってなかったから知らないんだけど、つい最近の話?」
「そうかなあ。あたしも友達とたまに行く程度だから詳しくは知らないけど、まあここ最近なんじゃない?」
僕と違って秋奈は本当に行き慣れているみたいだ。やっぱりそれが現役の女子中学生である秋奈と僕の違いなのかもしれない。
「着いたよ」
「お、おう……」
そんなことを考えていると、あっという間に目的地である。
お店の外観は、思っていたよりも大人しい雰囲気。ただ、マネキンが着ている服とかは東京の女の子が着てそうな可愛らしくてお上品な服だ。店の周囲には現役の女子中学生や女子高生がわらわらと集まっている。この地域では、ここでしか服が買えないというのもあるのだろう。
ちなみに僕にとってはこの手の店に入ること自体が初体験で、正直どうすれば良いのか分からない。いわゆるデートなんかとも無縁だったため、情けない話だが少しキョどっていたりする。
「おいおい冗談だろ? この中に入るのか?」
「そりゃ入らないと買えないからねぇ。とりあえず、どんな服を買いたいの?」
秋奈は、僕の手をぐいぐいと引きながらそう問いかけた。まるで手綱を取られた馬のようだ。それに、どんな服買いたいかと問われると口頭で説明するのは意外に難しい。漠然としたイメージは浮かんでいるのだが、服についての知識が無いのでどんな服かを説明できないのだ。
「口じゃ説明出来ないぞ? 知識も何もないし……」
「そりゃそうでしょ。知っていたら、逆に引くってば」
じゃあなぜ聞いた? とはいえ秋奈の言うとおり、女物の服に詳しい男子中学生だなんて考えてみたらありえないというところでもある。
「じゃあ、どうすればいいのさ?」
思わず問いかけてしまう。そもそも衣服に関しては本当に専門外だ。だいたい、中学生なんて週5で学校行くか部活行くかぐらいしか行動パターンが無いのだから私服なんて必要ないし、仮に私服を着るにしたって母さんが買って来たものを適当に選んで着れば事足りてしまうのではないだろうか?
僕だってそんな調子だから衣服の名前なんてまともに知るわけも無く。
「確かに難しい問題だねぇ。あたしの場合だと、頭でイメージで決めてそれを元に直感で買っちゃうんだけど……でも姉ちゃんはそもそも知識が無いからなあ。なんか欲しいの無い?」
「おいこら、僕に投げるな」
何だこの回答になってない答え。せっかく専門家を呼んできたというのに、その専門家が使えないだなんて聞いてないぞ?
「もういっそお前のセンスで良いよ。僕にセンスを期待する方がどうかと思うし」
投げやりになってそう言ってしまう。そもそも出かけないのだから、何でもいいというのが正直なところだ。だけどそれはそれで秋奈の意図するところでは無いらしく。
「それでも良いけど、そうしたら姉ちゃん絶対その服を着ないと思うよ? それに服ってものは自分で選んで決めて買うから良いんだよ?」
「面倒くさいなぁ……」
思わず本音を口にする。ところが秋奈にとってはカチンとくる言葉だったらしい。思いっきり腰に蹴りを入れられる。もちろん、服が汚れないように膝蹴りであったのだが……それはそれでかなり痛い。
「ちょっ、何するんだよ!」
思わず抗議を入れるのだが、それをする前に秋奈のドスの効いた一言が。
「いいから、選ぶ!」
「……はい」
世界よ。これが妹には逆らえない、情けない兄の姿である。ああ、今は姉なのか……。