42.「夏の終わりの雨の音(後編)」
夏の雨は、意外に冷たい。雷鳴がとどろき、それまでのうだるような暑さが嘘かのように冷たい空気に包まれる。雨粒が服を貫いて、僕たち三人を濡らす。時間にしては10分程度。だけども雨粒の勢いが、雨粒の冷たさがそれをまるで永遠とも思えるかのように長い時間に思わせた。
「これ以上は風邪を引いちゃう」
そう言い、眞子が結衣の袖を引っ張る。僕が彼女に言ったそれとは違い、今度は強引だった。その強引さに根負けしたのか、あるいは抵抗する気も無かったのか。
「うん」
彼女は、眞子に連れられて動き出した。
眞子に連れられて向かった場所。それは、グラン・マルシェにある温泉施設だった。
「雨に打たれて身体も冷えてるし、服も乾かさないといけないじゃん?」
眞子はそう言って、半ば強引にフロントで手続きをしてくる。
彼女の言うことは、間違いではない。いくら真夏といえども、冷たい雨に当たって全身濡れていたら風邪を引いてもおかしくないし、帰りの電車でも周りの人に迷惑を掛けてしまう。お風呂に入って身体を温めつつ服を乾かすというのは、理に適っているとは思う。
だけども、この状況で結衣を連れまわすのは……果たして彼女にとって良いことなのだろうか。それが僕には分かりかねず。
「その……ごめんね。服を乾かしたら。すぐに帰るからさ」
どうすればいいか分からず、僕はただ謝ってなだめすかすことしかできなかった。
「うん、そうね。私こそ……二人を濡らしちゃって」
彼女はすでに泣き止んでいた。外見から見ても、言葉の調子を見てもそれは普段通りの様子だった。
「気にしないでよ。夕立だったんだから、仕方ないよ」
だけども、その足取りはこのデートが始まった時とは打って変わって決して軽くはない。僕たちの言葉に返事をしてくれているのはありがたいけど、それでも他の言葉が出ないというのはそれだけ辛いということなのだろう。
いや、辛くて当然だ。辛くないほうがおかしいじゃないか。
だって彼女にとって宮川は、生まれたときからそばに居た。いわば家族のようなパートナーのような存在なのだから。そんな存在に拒否されることの辛さは……想像に難くない。だからこそどう励ませばいいか分からなくて、僕のほうこそ口数が少なくなってしまう。
どうしてこうなってしまうのか。だいたい、僕が誰かのために努力をしてもいつもこうだ。人のためを思ってやったことが裏目に出てばかり。それは昔も今も変わらないことで。……そもそもの元凶は僕だというのに、そんな意味の無い自己批判が頭に渦巻く。
「ロッカーの鍵受け取ってきたよ! ついでに、浴衣も貸し出してくれたから」
それを見たからなのだろうか。いやこんな時でもと言うべきなのか――眞子は明るかった。
「だからこれ着てさっさと洗濯しよっ」
空気が読めない――人はそう思うだろう。だけども、これが三春眞子という女の子なのだ。彼女はそうやってどんなときでも僕たちを強引にでも掴んで引っ張っていく。僕たちに架かる雨雲でさえも、彼女ならきっと払ってしまうかのように明るく話しかけてくるのだ。
でも、だからといって全ての雨雲を晴らすことができるというわけでもないようで。
「気持ちは嬉しいよ。でも……」
そう言い、彼女はこちらを見ずに僕たちのもとから立ち去ろうとした。
「今は、一人にさせて」
その言葉を残して、彼女は雨が降りしきる露天風呂へと姿を消したのだった。
◇
残された僕たちは、屋内の大きな浴槽の端っこに陣取った。露天風呂には、結衣だけが今もぽつんと一人でお風呂に浸かっている。時々顔を隠すのは、きっと泣いている姿をまわりに悟られたくないからなのだろうか。
「結衣って意外に意地っ張りね」
眞子はため息をつきながら、タオルを頭にのせて話し続けた。
「……わたしたちの前でくらい、辛いのを隠さないでいいのに」
まるで寂しそうな声で、彼女はそう言う。
意地っ張り――確かにそれは間違っていないと思う。友達だからこそ、辛いときは頼って欲しい。それは、いつもこいつの言うことだから気持ちは痛いほどに分かる。少なくともこいつにとっては、目の前で辛い思いをされることよりも、痛みを共有した方がまだ良い、と考えるタイプなのだろう。
でもそれが、どんな人間にでも通用するかといえばそんなわけはない。そうやって悩みを打ち明けることだって、打ち明ける側からすれば辛い。まして痛んだ傷を掘り返してまでそんなことは出来ない。自分が弱っているときは、人にそう言う姿は見せられないものだ。
「逆だよ」
だから、結衣の気持ちを重ねつつ僕は答えた。
「どういうこと?」
「結衣って本当はすごく強い子なんだよ。だからこそ、傷ついた姿を人に見せることができない」
甘え下手なんだよ、と続けた。
結衣は、本当に努力家で頭も良くてはたから見れば本当にすごい女の子だ。でも周囲がそう言う目で見るということは、当人にとってもそのような立場を演じないといけないということにもなる。
結衣のことをちゃんと友達として見たのはほんの数か月間程度だけど、彼女のことだからそれはずっと前からそんな調子だったのだろう。
変な言い方だけど、彼女はきっと今まで全部一人で乗り越えてきた。だからこそ、人に頼ることが出来ないんだと思うのだ。
「誰かさんにそっくりね」
それなのに、眞子はなぜか僕のほうを見つめてそう言った。
「どういうことだよ?」
「別に。分からないならいいわ」
それって僕のことなのだろうか。でも僕は悩んだらすぐに人に相談するようにしているというのに。
そんな腑に落ちない気持ちになっていると、眞子はすぐに話題を変えて続けた。
「にしても宮川も宮川よ。なんであいつはあんなひどいことを言えたの?」
「それってさっきのこと?」
確かあの時の眞子は、静かに宮川へ怒りの気持ちを向けていた。どうして結衣が勇気を持って告白したのに、それを断ったのか。
「それ以外に何があるの?」
「断った、ってことだよな」
「それ以前よ」
いや、断ったことそれ自体への怒りというよりかは先ほどの宮川の回答の仕方、だったのだろう。
「……僕は、あいつの気持ちも分かる」
それは、宮川の気持ちを知る僕だからこその言葉だ。あるいは、男の論理を知っているからだからなのか。
「ああやって結衣の気持ちに素直に向き合っていないのに?」
「それはお前が、結衣視点でしかモノを見ていないからだ」
続けて僕は、宮川の真意を伝えた。宮川だって本当は結衣のことが好きだったこと。だけども結衣の未来を考えてわざと身を引いたこと。賢い結衣だから、抜け穴を見つけるだろうと考えたからこそ、あえて酷い言い方で彼女を突き放したこと。
ああ見えて、宮川は不器用な男なのだ。だから、そうするしか方法が見いだせなかったのだ。
「……でもそれって、逃げじゃない。だったら、素直にそう説明すればいいのに」
そう眞子は憤る。けど素直じゃないのははたして宮川だけだったのだろうか。
「結局、素直になれないのはお互い様だったってことだよ」
素直じゃないのは結衣だって同じだ。だって彼女もまた、自分の本心を押し込めて宮川のことを送り出したのだから。だとしたら、そんな彼女に僕に出来ることはもうひとつしかないじゃないか。
「どこ行くの?」
「わたしも、やらないといけないことがあったなって」
そうとだけ言い残し、僕は浴槽を出ることにした。
「……そう」
眞子の言葉が背中に刺さる。けど、今は気にしていられない。
露天風呂に続くガラス戸を開けると、外は未だに雨が降っている。身体に当たる雨粒は、やはり冷たい。それは傷ついた彼女の心を表すみたいに。
このままで一人にしていいのか――良いわけ無いじゃないか。確かに辛い思いをほじくり出すのは、心が痛むことだと思う。でもだからといって、いつまでもそんな辛い気持ちに向き合うべきなのか。
元凶の僕が言えたことでは無いけど、そんなのはさっさと押し流してあげたほうがいいに決まっている。確かに正しいやり方なんか僕には分からない。精神科医でもカウンセラーでも無い僕に何ができる。本当はどうすべきか、今だってぐらついている。それでも今は、やるしかない。
「……まああなたも大概、だけどね」
眞子が後ろで何かを言っている。だけども今は、聞こえなかったふりをした。
お待たせしました。42話です。
といっても内容自体は短めです。次回、この章のまとめの話へといければと考えています。




