37.「初めての結衣ん家(前編)」
掴んでいたスマートフォンが突然震える。電話を掛けてきたのは――結衣だった。はやる気持ちを無理やりにでも抑えつつ、電話を取った。
「もしもし?」
『もしもし、ハルちゃん? 結衣です。今って電話できるかな?』
「大丈夫だけど……」
予想もしていない彼女からの電話に、しどろもどろになりながら答える。だけれども、僕の動揺っぷりとは裏腹に結衣の声は全然落ち着いていて。
『さっき眞子ちゃんとも話をしたんだけど、今月の中旬って予定空いてたりするかな?』
「中旬……? お盆前なら大丈夫だけど……」
聞かれたことにしか答えられない僕とは対照的に、結衣はずいぶんと落ち着いた声でいろいろ思案しながら話しているみたいだ。しかしどうしてこのタイミングで電話なのだろうか。というか、そもそも電話が出来る精神状況なのか。この前の一件で精神的に辛い……はずじゃないのか。疑問が疑問を呼ぶ状態で、結衣を心配する立場だったはずの僕が逆に混乱している気さえしてきた。
しかし、混乱している最中さらに驚くべき言葉が彼女の口から放たれる。
『じゃあ、12日にうちに来てよ。眞子ちゃんと一緒に遊ぼ!』
「あぁ、それならいいよ……うん? 待って!?」
我が耳を疑い、思わず聞き返す。だけどその先のことは正直覚えておらず、気が付いたら12日に「結衣の家で遊ぶ」と手帳に記されているだけだったのである。
◇
そんなわけで暑さが厳しい8月中旬のある日。じりじりと照り付ける日差しの中、僕は家の近所のバス停で眞子が来るのを待っていた。
「遅いなぁ……」
僕が早く来すぎた、というのもあるかもだがそれにしたって彼女はいまだ現れず。このバスを逃したら次は2時間後なだけに、早く来て欲しいなって思いつつスマホを取り出すと。
「ごめんごめん! ちょっと寝坊しちゃって」
そう言いながら、眞子がぜえぜえと息を切らしながら話しかけてきた。まさかとは思うけど、走ってきたのだろうか? そして、寝坊って言う割にもうお昼が近い時間なんだけど……。
「もうお昼なんだけど?」
「あははは。昨日の夜寝苦しくて、夜更かししてドラマ見てたらそのまま寝ちゃったみたいで」
そう言いながら、眞子はブラウスの裾をひらひらとあおいでいた。それは良いけど、おへそ見えちゃうよ? 一応女の子なんだから、そういうとこは気にした方が良いんじゃないかなぁ。
「気をつけてよ? まあ間に合ったから良いけど……」
まあ誰も見てないし、細かいところをいちいち言うのも野暮かと思って黙っておく。だけども、ブラウスをバサバサしていた眞子にとって、普通に立っている僕の方が奇妙に見えたのか。
「あんたは暑くないの?」
そんなことを訊いてきた。
「まあ暑いけど、眞子ほどではないかな」
そう答えつつ、ハンドバックからお水のペットボトルを取り出して眞子に渡す。
まあ、眞子と違って僕は歩いてここまで来てるからね。一応日傘も差してるから、直接太陽の光を受けているわけでも無いし。まあ、照り返しがあるからやっぱり暑いことは暑いけど。
「ほら、飲んで。口はつけてない新品だから」
「おっ、気が利くねえ!」
「……別に」
そう言いながら、眞子は豪快にペットボトルを開けて水をがぶがぶ飲む。相変わらず女の子らしさってものが無いのが気になる。顔も真っ赤だし……ってそれは今の今まで走ってきたからか。まさか日焼け止めくらいは塗ってるよね?
「というかそんな薄着で大丈夫なの? 逆に熱中症でやられちゃうよ」
さすがに日焼け止めは塗っているという前提で話を続ける。
たぶん暑かったから眞子は薄着にしてきたのだろう。だけどもカンカン照りの時は、日光を防ぐという意味で薄手の長袖のほうがかえって安全らしい。だから僕は七分丈のロングカーディガンに丈も膝まで隠れる茶色のスカートを選んでいるのだけど。
「それはわたしのセリフよ。あんたこそそんなに厚着しちゃって……大丈夫なの?」
「いや、焼けたくないから。日傘も差してるし、意外に平気だけど」
「女子力高いな! あんた本当に元男なの?」
僕の言葉にいまいち納得いかないという表情の眞子。まあ確かに、親友がいきなり性別が変わったあげく違う性別の風習にあっさり慣れたら、そりゃ納得いかないものだろう。
「信じられないとは、僕も思ってるさ。けど……」
それでも僕は、本質的なところで本物にはなれないんだ。
だから、非力だと分かっていてもあんな人たちに無謀にも立ち向かっていって結局みんなを守り切れなかった。だから、みんなの気持ちを理解できないまま今もこうやって悩んで壁にぶつかっているんだ。
結局今の僕は中途半端。女の皮を被った男っていう、訳の分からない存在でしかないのだ。
「何よ。そんな本気で悩むことも無いのにね」
そう言うなり、いつの間にかやって来ていたバスに飛び乗る眞子。よっぽど暑かったのか眞子は我先にとバスに飛び乗って行ったけど、僕にそんな気力があるわけではなく。というより、もともとあった悩みの種がさらに増えてしまい何だか気だるげに乗り込むことになったのである。
◇
バスの中は冷房が効いていて涼しい。だけれども、それが気の休まることとイコールになるわけではなく。街中を抜けて山あいに入って行けばいくほど、なんだか頭が痛くなってきたのだ。ちなみにこれは冷房が強すぎたというわけではなく、精神的な問題によるものだ。
「……緊張するなあ」
「そうかしら? 友だちと遊ぶだけでしょ」
「友だちが少ない僕にそれを言うか?」
若干自虐染みた言葉だとは思うけど、あながち間違いでも無かったりする。というのも、そもそも僕の友だちなんてこれまで本当に眞子くらいしか居なくてそれ以外の同級生のおうちに行ったことが無いのだ。それだけならまだいいのだが、加えて結衣とはお祭りの件でひと悶着がある。悪いのは僕だけど、その気まずさを背負って普通の顔で遊ぶことが出来るほど僕は精神的にタフでは無い。
「別に結衣なんだから変に気を遣うことは無いと思うよ?」
「だといいけど……」
手土産として持ってきたお菓子をのぞき込みながら答える。僕のようなコミュ障は、この世界ではなかなか生きづらいことが分かった瞬間だった。せめて男の子だった頃にもう少し友だちが居れば、こういうときの緊張しなかったんだろうけど。なんて考え事をしていると心の準備も持てないまま、あっという間にバスは結衣の家がある集落に到着してしまった。
おまけにそのバス停には一人の女の子が立って待っているようだった。彼女の正体は――あえて言うまでもなく結衣であった。
「やっほー! 待たせた?」
「全然だよー。それよりも遠くなかった?」
バスを降りるなり、さっそく眞子は結衣に話しかけていた。結衣も返す言葉がかなり明るい。ぱっと見る限りでは、この前のことは引きずっていないようだった。
「思ってたよりは遠くなかったよ? ね、春奈?」
「え、あ……ああ、そうだね」
考え事をしていたせいで生返事になってしまった。眞子はなんか本当に前の件を引きずっていないというか、良くも悪くも単純で能天気だからこんな感じなんだろうけど。でも僕は例の件が暴発しないかと考えるだけで肝が冷えて仕方が無いのだ。
「まあこんなとこで立ち話もだし、お家入ろ? ご飯も作ったし」
「おっ、部長の手料理だから相当美味しいんだろうなー」
「眞子ちゃんハードル上げるのやめてくれない?」
そう言いながら二人はバス停の上の民家へ向かっていく。門に掛けられた表札を見る限り、これが結衣のおうちなのだろう。にしても思っていた以上に大きな家だ。門の中の母屋だけでも、僕の家の3倍くらいはありそうだ。
「ハルちゃんも早く来てー。家の中は冷房効いてるから」
「あ、うん。ちょっと待ってて」
正直気は進まないけど、約束をした以上は入るしかない。覚悟を決めて、家の中に入る。
……覚悟とか約束とかそういうことが間違っているだなんて、そのときは考えもせずに。
◇
結衣の手招きで、玄関へと入る。しかし大きな家だ。外から見ても大きい建物だとは思っていたが、中に入ればますますその大きさを実感する。正直、今まで他人の家に行くというのは眞子の家くらいしか無かったこともあって、ただでさえ緊張していたのにますます萎縮してしまう。
「結衣ん家ってお金持ちなの?」
それなのに、僕の萎縮とは裏腹に眞子自身は結構能天気にそんな失礼なことをたずねていた。
「眞子っ、そういうこと言わないの!」
慌てて眞子に注意するが、彼女はきょとんとして何で怒っているのと言わんばかりの顔。お金の話とか、本当は人前でするべきではないと思うんだけど……そうは考えないのだろうか。
「そんなこと無いと思うよ? ご近所もみんなこんな感じだし」
「そうなの? 市内より家広くて驚いちゃうなあ」
結衣も特にその辺を気にするそぶりは見せずに、能天気に話をしていた。もしかして気を遣っているのは、僕だけなのだろうか。なんだか腑に落ち無くて一人でモヤモヤする。そして何部屋か過ぎたあたりで結衣がこっちに入ってと指示する。
結衣に招かれたお部屋は、日本家屋でいうところのいわゆるお茶の間だ。壁の天井に近いところには、漢字が書かれた額縁や神棚が掛けられている。なるほど、いかにも昔ながらのお金持ちな家にありそうなインテリアである。
目線を下に向けてもそれは同じで、大きなテーブルの上にはおいしそうなご飯が所狭しと並べられていた。正直、3人暮らしの僕の家では考えられないくらいのスケールの大きさで、いろんな意味で庶民離れした生活環境だと思った。
「これは……想像以上ね」
眞子が息をのみ込む。その気持ちは分かる。
「でしょー? 眞子ちゃん自分であげたハードルに引っかかったね」
部長のお手並み拝見、だなんて偉そうなことを言っていたくせに自分であげたハードルに挟まれた格好だ。しかし、ご飯と味噌汁はともかく鮎の天ぷらとか蓮根の梅じそ和えとか一品一品が手間の掛かる料理で驚いてしまう。僕も家の台所を預かっている身だから分かるが、結衣が作ったであろうこの料理もそんなポンとできるものではない。これを一人で作ったと考えたら、結衣のそのおもてなしの気持ちには頭が下がる思いだ。
だからこそ、僕自身どう振る舞えばいいのかますます混乱してしまったのが正直なところだった。
「隣が台所だから手を洗ってきてね」
「あっ、手土産はどうしようか?」
ようやく、結衣に話しかけることが出来た。だけどもその話しかけ方自体が、明らかに不自然だった。友だちなのに、どうしてこんな他人行儀なことしか話せないのだろうって。
「えっ、手土産持ってきてくれたの? そんな丁寧にすること無かったのに……」
そう言いながら腕を組んで考え込む結衣。もしかしたら結衣自身も戸惑っているのかもしれない。あぁ、礼儀として持ってきたつもりなのに裏目に出ちゃったのかなあ……。
「しかもこれ、駅前のあの店のマカロンじゃない! えーと、すぐに悪くはならないだろうしとりあえず、お仏壇に置いてきてくれる? そんであとでみんなで食べようよ!」
「分かった」
ぎこちない感じで言葉を返す。指示通りお仏壇に手土産を置くが、その仏間もまた普段は見かけないような豪華な部屋な造りだった。なんだか慣れない環境で、おじゃましてから時間も経ってないのにすでに気疲れが限界になっていた。
「はぁ、何をしてるんだろう」
「ハルちゃん、冷めないうちに食べようよー」
お茶の間から結衣の声が届く。だけれども、こんな状況で食欲が湧くわけもなく誰も居ない仏間で思わず一人ため息をついてしまったのであった。
◇
『いただきます』
その言葉と共に、三人でご飯を食べはじめた。本音を言えば何かを食べるような気分にもなれず、むしろ別のところに意識を向けたかったのだがそんな失礼なことも出来るわけもなく、ひたすら箸を動かす。もちろん、結衣が作った料理はおいしい。ただ、そういう気分にどうしても今はなれなかったのだ。
そしてそんな中でも、眞子と結衣は相変わらずのガールズトークをしていた。
「そういえば、9月に駅前にロフトが出店するみたいだよ?」
「ああ、私も聞いたわ。あれ東京の店よね?」
「別に都心に行かなくてもあるっちゃあるけど、ここから一番近くても電車で1時間は掛かるってお父さんから聞いたよ」
「そうなんだ、便利になるね」
ロフトねえ。聞いたことはあるけど具体的にどんな店なのかは僕は知らない。とはいえ僕以外の二人は部活というつながり以外にもいろいろ共通の話題があるようで話が尽きない。もしも二人の中に入ることが出来れば少しは楽しいのだろうけど……。
いや、どのみちそんな気にはなれないだろう。というのも、やっぱり前のあの件があってどう話せばいいか分からないのだから。そもそも友だち同士の会話ってどう進めればいいのかが分からないし。
そんな時だった。
「ハルちゃん、おいしい?」
見かねたのか、結衣のほうから話しかけてきた。
「あぁ、おいしいよ!」
これは本当だ。確かに料理の一つ一つがしっかり味付けされているし、変な言い方だが一品一品が気品のある味つけがなされているのだ。料理経験者だから分かるけど、こういう味付けはすぐに習得できるものでもない。言い換えればそれだけ結衣の料理の腕は高いといえるのだ。
正直眞子がハードルを上げて自滅してたけど、結衣ならそのハードルを楽々乗り越えそうな気がする。
「本当に? 味が合わないなら無理しないでいいからね?」
「いやいや、味は本当においしい。天ぷらの衣はさくっとしてるし鮎自体もホクホクしててくどくない。小鉢とかもさっぱりとしてて、ばて気味のこの時期でも箸が進むと思うなー」
だから素直にそう答えた。
「あんたいつからそんな評論家気取って食レポできる身分になったのよ」
「うるさい」
評論家気取ったわけじゃないけど、美味しいものはちゃんと美味しいというべきだ。それが作った人への礼儀だと思うし。
「でもそれだけしっかりとご飯を食べてくれて味を見てくれるのは、作った人間としては嬉しいよ」
「そんなものなのかなぁ? わたしだったら下げちゃうけどね」
まあでも、あまりぐちぐち言うのも考え物か。性格の違いもあるだろうし。二人は笑い合っているが、やってしまったかもとまた頭を抱えてしまう。そんな時だった。
「……でもね、その言葉の割にはハルちゃんさっきから顔が能面みたいなんだ。どうして?」
彼女の言葉にドキリとする。だけども、顔を上げて結衣を見つめるとさっきとは打って変わって複雑そうな面持ちをしていた。
読んでいただきありがとうございました。
舞台が再びいつもの3人組の日常に戻ります。だけれども春奈は、前の出来事が引っかかっているみたい。春奈は無事眞子と結衣と仲直りが出来るのでしょうか。次回に続きます。




