36.「逃げてばっかり(後編)」
「……悔しいが、お前の言う通りだ」
その言葉と共に、彼はたばこを吹かした。灰色の煙が、空へと消えていく。これでも、この街で一番強い不良だとかクラスメイトは言っていたけど、今の彼にはとてもそんな称号は合わない。彼の背中には「強さ」という文字が見当たらなかった。
「逃げている。確かにその通りだ」
「……」
「結局色々理由をつけちゃいるが、要は結衣に向き合うのが怖いんだよ」
「……人を殴ることには抵抗ないくせに、好きな女の子へ向き合うことは怖いんだ」
「『好きな』は余計だ」
じゃあ何だというのだ。好きじゃなかったら、結衣のことを一番最初に心配なんかしないだろうに。素直になれない男だと思った。でも、彼の気持ちが分からないわけではない。というのも、今まで大切にしてきた友情が崩れるさまを、僕だって実体験してきたわけだから。
崩れたと言っても、僕の場合は眞子との友情を再び作り上げられたからまだいいのだ。でも彼にとっては、それが現実になるのがきっと怖いのだろう。そんな現実を見せつけられるくらいなら、さっさと自分から見切りをつけた方が傷つかない――きっと気持ちなのだろう。
「でも、わたしも分かる。わたしだって、眞子と喧嘩して絶交しそうだったからさ」
「三春とか? 普段のお前らはそれこそいつだってべったりじゃねえか」
「それが、ちょっとした隠し事で友情にひびが入っちゃって。あんたほど大変な思いをしたわけじゃないから、同列で話すのはナンセンスな気もするけどね」
僕はそう、彼の背中に話しかける。彼は静かにうなづいた。
「いや、本質はお前と同じさ。結局のところ、俺も結衣を失うことが怖いんだ。……一番の『親友』だからさ」
親友。普段から攻撃的で不良チックな言葉を多用する彼から、そんな言葉が出るとは、思わなかった。だけれどもそれが、不良になる前の時間が止まってしまった彼の「本来の姿」なのだろう。だったら僕は動かしたい。例えそれが僕のエゴで有り、罪滅ぼしだと思われても――そうすることでしか二人に報いてあげられない気がしたから。
「良かったら聞かせてくれない? わたしは、止まってしまった二人の時計を動かしたいから」
「……ポエマーかよ」
違いないかも。そう笑いかける。すると、それまで怖いと思っていた彼からも笑みがこぼれた。顔は相変わらず見せてくれないけど、きっとその表情は優しいものなのだろう。
「まあ減るものでも無いし、結衣のダチ公なら話しても損はねえだろう」
その言葉と共に彼は、これまでの出来事を話し始めた――。
◇
彼によると、宮川と結衣はいわゆる幼馴染みという関係だったそうだ。二人が住む地域はうちの学区内でもかなり辺境の山あいの地域。そもそも同世代の子どもが宮川と結衣の二人しか居ないという環境だったうえ、あの界隈は農家さんが多いという土地柄から大人たちはみんな畑仕事に出てしまう。そういうわけで、二人がいつも一緒で過ごしていたようだ。
「大人が居ないもんだからいつも二人で過ごしてた。結衣は頭が良くて、いつも俺の宿題をやってもらってて。代わりに遊ぶときは、俺がいろいろやってあげた。二人で助け合いながら、生きてきた。幼馴染みというか、家族のようなものだ」
彼の言葉からも、二人の間にはきっと強い友情というか絆のようなものがあったのだろう。だからこそ結衣も宮川のことを心配し、宮川も結衣のことを気に掛けている。表面的にはとてもそうは思えないけど、家族のような存在なら、それも当然の話なのだろう。
だけれどもそれだけ強い絆がありながらどうしてこんなにすれ違っているのか。それは――三年前のあの祭りでの出来事がキッカケらしい。
「……お前たちと同じだ。あの日も俺たちは、祭りに行っていたんだ」
二人にとって初めて千種祭り。小学生で、しかも普段は山奥の分校でしか過ごさない二人にとっては一大イベントだったことは間違いない。だからつい浮かれて、約束の時間を過ぎても遊んでしまっのだろう。それが何を意味するか、周りの大人たちはきつく言いつけていたにもかかわらず。
「今も忘れはしねぇ。約束の時間を破ったツケがここまで大きかったとはさ」
約束の時間を破った二人に何があったのか。言うまでもない。祭りの後の治安の悪さは今も昔も変わらないという。
「相手は二中のやつらだった。今思えばそれが、全ての始まりだったのかもな」
些細なきっかけから、彼らは中学生の不良グループと喧嘩をすることになるのである。喧嘩というよりは、一方的に難癖を付けられただけというのが正解だろう。宮川の口から明示されることは無かったけど、彼らにとってはきっと中学生の悪ノリというやつだ。小学生をいじめて楽しもう、というある種のゲームの標的にされてしまったのだろう。
だけれども、僕たちが実体験した通りあんな空間で小学生を助ける大人なんているわけが無い。だから彼は戦った。そうせざるを得なかったのだ。
「お前と同じさ。絡まれた以上は、やるしかない。それが結衣を守ることにつながると、本気で思っていたから。これでも、腕には自信あったし」
二本目のたばこに切り替わるが、相変わらず彼の声は重々しい。顔の表情は分からないけど、それでも口調からは過去に何が起こったのかが痛々しいまでに伝わってきた。
「腕に自信があったなら、どうしてそんな口調になるの?」
「……俺だけなら、勝てたんだよ。だけどもそこに結衣が居ることを忘れてたんだ」
その言葉にハッとする。確かに宮川自身は強い。でも結衣自身が喧嘩が得意なわけもなく、まして一対多数だとこちら側が不利になるのは当たり前の話。しかも年齢のハンデも考えれば……。
「まあ勝てるわけ無いんだよな。おまけに結衣が人質に取られたし。奴ら腐っても中学生だったから、ズルをする頭はあったみたいでな」
「じゃあ、あんたは……?」
その言葉に、ようやく彼は振り返って僕のほうに目を向けた。彼の表情は、苦虫をすりつぶしたようなそんな表情だった。
「ぶち殺してやるッ……そう言いたいのを堪えて、頭を下げたさ。額をアスファルトに擦りつけて、謝罪の言葉を吐かされて。とどめは3人がかりで殴る蹴るだ。だが結衣のためにも仕方がねえ。腹くくって耐えたさ」
それはあまりに酷い結末だと思った。僕ですらそこまで精神的な屈辱は体験していない。それでも彼は、小学生にしてそんな理不尽な体験をしたのだ。
「警察とかに突き出せばよかったのに……」
「おまわりがそんなこと、するわけねえだろ? 結局てめえの身はてめえでしか守れねえ」
その言葉に何も言えない。それが、真実だと僕も知っているから。警察が何をしてくれた? 彼らは僕たちを守ってはくれなかった。むしろ逆で、僕たちを助けたはずの宮川を犯罪者扱いして拘束していったくらいなのだから。
「だから俺は、誰からも舐められないようにしようとした」
そっか、それが彼の不良となるきっかけだったのか。自分が強くなれば、きっと結衣を守れるはず――そう信じて。今も彼は不良をやっているけど、そこの根元には「強くなりたい」という本心があるのだろう。
そんな悲しい過去を知ると、彼に同情の気持ちが湧いてしまう。どうして誰も手を差し伸べなかったのかって。
「まあこんなところだ。別に大した話じゃねえ、要するに俺がグレたってただそれだけなのだから」
「要するにじゃないよ! そんなの可哀そうだよ」
「何が可哀そうだ。そんな半端な同情なんてかえってうざったいだけだ。この道を選んだのは、俺だ」
「……ごめん」
彼を心配しての言葉だったのに、彼の強い拒絶の言葉に驚いてしまう。そうか、外部から見れば可哀そうであってもそこには彼の意思があるのだ。彼の気持ちも考えず世間の考えを強引に当てはめるのは、傲慢なことだ。
「いいこともあったさ。そういう道に入ったおかげで、嫌でもそっちの世界に詳しくなる。おかげで、誰が俺らをハメたのかもすぐに分かった」
そしてもう一つ驚くことに、彼は不良になり理不尽なことをしたやつらに制裁を下そうとしたのだ。
「おかげさまで仇を取ってやったんだ。半年掛けて」
半年という時間は彼にとって相当な時間だっただろう。だけども彼は、小学生にしてその不良グループを見つけ出し一人でボコボコにしたようだ。
「そりゃ嬉しかったさ。やっと仇討ちできたって。だから、それ以来ふさぎがちだった結衣に話しかけて報告したんだ」
普通ならばそれは嬉しい報告。決してきれいごとでは無いけど、仇討ちを聞いて喜ばない人なんていないはずだと思う。
「結衣は喜んだの?」
でも結衣はそういうことをして喜ぶのだろうか。彼がやったことは間違いなく正義だと思うけど、彼の顔が陰ったということはそれはハッピーエンドでは無かったのだろう。
「別に何にも。肯定も否定もしなかったさ。ただ、『見てられない』ってさ」
それは、結衣がいかにも言いそうな言葉だった。宮川が直接言ったわけではないからこれは憶測だけど、きっと彼女は見ていられなかったのだろう。大切な宮川が、自分のためとはいえ自ら傷つくさまを。そしてそれを結衣は素直に喜べなかった。
結衣にとって喧嘩の勝ち負けなんて本当にどうでも良くて、ただ大好きな宮川がそばに居てくれればきっとそれだけで充分だったのだろう。だからこそ彼の報復行為を「見てられない」って表現したんだと思う。喧嘩なんてバカらしいことから目を覚ましてほしかったから。でもその真意が、宮川に伝わるわけもなく。
「……分からなくなるよな。何のためにここまでやってきたんだろうって」
だから二人はすれ違っている。宮川は結衣を守ろうと身を削っていて、でも結衣にとってそれを見ることは純粋に守られることよりも辛いことなわけで。こんな状態で二人が元の関係に戻れるわけが無いのだ。
「だけどな、考えるうちに答えが出たんだ」
そういい、彼はたばこの火を消した。
「これは俺が手を引くべきなんだ、って。じゃねえと、結衣が幸せになれないから」
悲しいけど、それは事実なのだ。もちろん彼がただの喧嘩好きの根っからの不良でないことは分かっている。世の中の不条理を見たからこそ、彼なりの正義を持って喧嘩をやっているのだ。だけどその事実をどれだけ理解したところで、彼がやっていることはやはり暴力でしかない。
「……自身の行動が結衣を不幸にするってこと?」
暴力がいけないとされている以上、自身の行為で結衣に迷惑を掛けられない。だから宮川は、結衣のもとから離れていったのだ。それが、この問題の本質なのだろう。
「ああ」
彼はそう頷いて立ち上がる。
「話すべきことは話したぞ。お前も痛い目見る前に前にさっさとこの件から手を引くんだな」
そしてそのまま、ポケットに手を掴んで立ち去ろうとした。確かに、結衣と宮川の過去は十分に知り尽くした。これ以上過ぎた昔話を掘り下げたって、お互いにいい気持ちはしないだろう。だけれどそれで彼のことを帰していいって、どうしても僕は思えなくて。
「まだ話は終わってないっ!」
そう言いながら、僕は初めて彼の腕を掴んだ。
「あんたの言う通りだよ。結衣の未来を考えたら、不良なんて近くに居ない方がいいに決まってる!」
結衣の実力を考えれば、きっとこのまま県内で一番頭のいい高校に行って大学に進んで東京とか大阪の大きな会社とかで働くのだろう。だけどそういうエリートコースだと、経歴は綺麗でないといけない。そばに居る宮川の問題行為なんかに巻き込まれただけで、結衣の未来を潰しちゃうかもしれないのだ。
「だけども、あんたは肝心の結衣の気持ちに目を向けて無いじゃないか。色々もっともらしく言い訳付けて結衣から離れる口実にしてるみたいだけどさ」
確かに宮川の行為は褒められたものでは無いけど、それを含めても彼女は宮川にそばに居て欲しいって思っているのではないだろうか。
だいたい本当に結衣が宮川から離れたいなら、とっくに彼女自身から身を引いているはずだ。でも結衣は、何かあるたびに宮川のことを気に掛けている。彼が思っている以上に、結衣は宮川を大切に思っているのだ。
「結衣の気持ちから、逃げるんじゃねえよ!」
語調を強めて、宮川に言葉を叩きつける。いつまで経っても気づかないふりをし続けている宮川の目を覚まさせるために。だがこれは、僕からの彼に対するお願いでもあった。大切な親友の――結衣の気持ちに報いてあげて欲しいのだ。
だのにそれが彼に伝わるわけもなく。
「お前こそいちいち上から目線で俺に指図するんじゃねえよ!」
そう言い、掴んだ右手を振り払われる。しょせん、中学生女子の力で喧嘩慣れした男子の腕を抑えることなんか出来るわけもなくて。
「そんなことお前が言う前から分かってるんだよ! だけどな、俺のような奴が日向を歩くことはもう出来ないんだよ」
「意味分かんねえよ! 裏世界に入れ込んでるみたいに気取った言葉言うけどさ、だったらそんなこと止めちゃえばいいんだよ!」
売り言葉に買い言葉だとはわかってる。それに、僕が言うことが分相応でないことだってわかってる。だけどももう見たくないのだ。結衣がこいつを思い出して辛そうな顔をすることを。何よりそれ自体が、こいつと僕が結衣を傷つけたことへの償いになるのだから。
だけども現実はそう甘くない。
「……分かった。じゃあ俺が結衣のもとに戻ったとする。結衣はきっと喜ぶだろう」
「それでハッピーエンドじゃないか」
そうなるはずだった。でも一度でもそういう道に入ったものにハッピーエンドが訪れるわけもなく。
「そう出来ればいいんだがな……もう出来ねえんだよ。なぜなら俺は、一度でもこの街のてっぺんをとってしまったから」
てっぺんを取る。それは普通なら褒められたこと。だけども、面子を重んじる不良世界ではそれは重い足かせになってしまう。曲がりなりにも最強の立場を取ってしまった彼からそれを無理やり奪還しようとする者は後を絶たない。だからさっきも、彼は不良たちに絡まれていた。
「俺と関係を持つってことは、結衣自身にもそういうのが降りかかるってことなんだよ」
そっか……それを宮川は知ってたからあえて結衣を突き放していたのか。
「何も知らずに俺に口を出すなよ。大バカ女が」
「……ああそうさ。バカだよ。僕は」
だけど、それで良いのかよ? 本心を押し殺して、わざと悪役になって。それは……宮川自身が苦しくならないのか?
「だけども見てられねえんだよ! 結衣と同じだよ。本心隠してわざと悪役気取って――もう良い。じゃあこれだけ聞かせてもらう。あんたの事情、結衣の事情、全部無視してあんたの気持ちはどうなんだよ?」
それで宮川にその気が無いなら、それは仕方のないことだ。だけれども、宮川も結衣も未練たらたらでそのくせお互いどこかで意固地になってて。見てるこっちがハラハラするんだよ。
「……んなもん、放っておけるわけねえだろ。あいつのことが、好きなんだから」
そう言い、彼は今度こそ立ち去った。ぶっきら棒な、結衣への気持ちを残して。
だったら僕はやらせてもらう。例えどれだけお節介と二人に言われても、エゴを満たすために。そして僕が目指すハッピーエンドを迎えるために。
◇
「――とはいえ、だな」
二人の仲を取り持とうと考えたは良いが、いざスマートフォンの電話帳を開くと怖気ついてしまう。通話履歴には確かに「中村結衣」の名前が残っている。しかし最後に電話をしたのは5日前。今さら電話を掛けようにも、あんなことがあってどう掛ければいいか分からなかった。
「……これで終わりなんて、言わせない」
そうだ、こんな後味の悪い展開なんてごめんだ。だったら、二人のトラウマを払拭してあげるべきだ。そう自分の中で決めたのに――僕の右手は震えていた。
正直、怖かった。結衣が本当は許していないような気もするし、彼女を危険に巻き込んで今さら何を言えばいいのかが分からないのだから。それにプランだって思いつかないし……と思っていたまさにその瞬間だった。
「はいぃい!?」
掴んでいたスマートフォンが突然震える。電話を掛けてきたのは――結衣だった。
読んでいただきありがとうございます。
ここまでで宮川と結衣の話は一通り掘り下げられたと思います。これだけみると、「僕は女の子になりたい」というタイトルとズレてきているようにも思えますが、これも本編のつもりで書いています。次回からは主人公が春奈に戻ります。彼女が二人の仲をどう修復するのか、楽しみにしていただければと思います。




