表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕は女の子になりたい。  作者: 立田友紀
3. 若葉ガールは苦悩する
37/129

35.「逃げてばっかり(前編)」

「これが、姉ちゃんの望んだことへの結果? 姉ちゃんが言う『人を守る』って、こういうことだったの?」

 道路に転がった酒瓶を見つめながら、秋奈は静かに問いかけてきた。時刻は既に夜の2時過ぎ。僕たち以外は、誰も居ない。そんな空間での彼女の問いかけは、あまりにも冷たく厳しいように思えた。しかもそれが、普段は何にも考えて無さそうな妹の口から出た言葉なのだから、ますます動揺を誘ってしまう。

「……急にどうしたのさ」

 それでも、妹の手前動揺は見せられない。だから、口調だけは平静を装って言葉を返した。

「そのまんまだよ。人を守るって、誰かを犠牲にしてまでやるようなことなのかな」

「犠牲って……」

 分からなかった。困惑といったほうが良いのかもしれない。当初は、秋奈の口調に動揺をしていたけれども今となっては彼女の問いかけの意図が理解できなかったんだ。

「犠牲にしてまでやることではないけど――誰かがやるしかないのだったらやるしかない。違うかな?」

 犠牲って何? 秋奈がどういうことを言いたいのかが、分からない。

少なくともあの状況では、誰かが二人を守らないといけなかった。それで僕がけがをしたことを「犠牲」って言うのならば、僕が動かずに最悪の展開になっていたらどうなるというのだ。元男として、何も出来なかったことのほうが僕はきっと悔やむことだろう。

「ふーん。誰かがやるしかない、ね」 

 秋奈はため息交じりにそんな言葉を吐く。ため息交じり、といったけどその言い方はどことなく人を小馬鹿にするような感じだった。その言い方に、ムカッとしていつもなら飲み込むはずなのについトゲのある言い方で返した。

「なんだよ、文句でもあるのか?」

「別にぃ? ただこの人は、自分の言葉の矛盾にも気づいてないおバカさんなんだなーって」

「バカって何だよ、喧嘩売ってるのか?」

 ついカッとなって踵を返して、秋奈を睨み付ける。だけれども、月夜に照らされた彼女の顔はただ感情的になっている僕なんかよりもずっと恐ろしい表情のように思えた。

「……何が人を守るだって? 偉そうなこと言った結果がこれなの?」

 冷たく重く恐ろしい声だ。その声が、僕の動揺や迷いまでを見透かしているように思えてますますしどろもどろになってしまう。

「守っただろ? 確かに僕はボロボロだけど、最悪の結果は回避したはずじゃん」

 そうだよ、最悪な結果ではない。僕は今できることをやりきっただけだ。そもそも最悪とはなんだ。眞子や結衣が死んだわけではない。性的に犯されたというわけでもない。多少怪我は負ったかもしれないけど、それでも二人は……。

「これ自体が既に最悪な結果だってことに、どうして気づかないの?」

 違う、そんなことは無い。目の前に起こった事実を否定したくて、必死に言葉を紡ぎ出した。

「最悪ではない! 事実、眞子も結衣もさほどの傷を負わずに済んだ。これ以上の回避方法なんかあったのか?」

 そう言い切った瞬間、僕の頬にするどい痛みが走った。

「姉ちゃんってバカなの!? これ以上の回避手段が無い? だったらどうして、眞子ちゃんもあなたもそんなにボロボロになってるの? 結局一番傷ついたのは、他ならぬあなたたちじゃない!」

 頬を抑えて、秋奈を睨み付ける。だけども秋奈の怒気をはらんだ表情は、僕が睨み付けた程度じゃ決して緩むことも解けることも無くて。だから何を言えばいいのかますます分からなくなってしまった。どうしようもなくて、俯く。視界には、血のにじんだ包帯と鼻緒が写る。

 傷ついた足を見つめて、僕はふと思った。……本当は分かってる。本当は認めたくないだけなんだって。自分の判断で、二人を傷つけたことに。

「もう止めて。これ以上、姉妹で喧嘩をしないで。母さん、これ以上二人の罵り合う声は聴きたくないよ」

 そんな時だった。母さんは僕と秋奈を同時に抱きしめた。

 涙声だった。気の強くて負けん気ばかりの母さんが、一日に二度泣いたのだ。

「秋ちゃんのいうことも分かる。でも、春ちゃんだって思うところがあったはずよ? だからあまり責めてあげないで。たった二人の兄妹なんだから……」

 その言葉に、罪悪感がますます募った。僕はただ守ろうとしていただけなんだ。男だったころには出来なかったはずの当たり前のことを。でもそれは、誰かを傷つけることにしかならなくて。

「……ごめん、言い過ぎた。でもさ、どうして眞子ちゃんがあの時おかしいくらい元気だったか分かる?」

「場の雰囲気を悪くしないため」

「違うよ。一番責任を感じているであろう姉ちゃんを心配させないために、自分が辛いのを隠して気丈に振る舞ってたんだよ」

「……」

「眞子ちゃんだけじゃない。あたしたちだって心配をした。聞けば、先生や生徒会長。警察まで動いているらしいじゃない。これだけの人に姉ちゃんは心配を掛けたんだよ?」

 何も言えない。全て、事実だから。

「……何より、姉ちゃん自身が傷ついてるじゃない。人を守るためって必死に正当化してるけど、どうせ今だって後悔してるんでしょ?」

 その言葉にハッとする。秋奈が言う「傷ついた」、の範囲に僕が含まれていたからだ。

「お願いだから、二度とこんなことしないで。姉ちゃんのこんな姿、二度と見たくないから」

 その言葉と共に、春奈は母さんの腕を振りほどいて歩き始めた。だけどその後姿には、どことなく悲しいものを感じてしまい。だからどうすればいいのか分からなくて。何とも言えない後味の悪さだけが、僕のなかに残る幕引きだったのである。


 ◇


 誰かを守るために、初めて人に手を挙げて。

 そして、そのことで妹と初めて喧嘩をして。

 さらにいえば、そのことで母さんまで泣かせて――そんな出来事から三日が過ぎた。

 幸い、傷がさほど酷いものじゃなかったおかげか、喧嘩による傷はすぐに治った。眞子も退院を済ませたらしく、ここ最近は毎朝元気な声を聞かされている。一見すると迷惑な話だが、これもきっと眞子なりの気遣いなのだろう。

 そして、そんな眞子から伝え聞くところによると結衣の調子も普段の様子に戻りつつあるらしい。宮川も生徒会長の尽力のおかげで事件翌日には解放されたようだ。色々傷ついたみんなだけど事件から少しずつ立ち直ろうとしている。心の傷も、身体の傷も癒え始めた今、僕の元にも平穏が戻ろうとしていた、はずだった。

 だけれども。

「……暑い」

 そうつぶやき、ベッドに身を預ける。ここ最近、なんだか気の乗らない日が続いている。やらないといけないことはたくさんあるはずなのに、何一つ手がつかないのだ。それでいて、じゃあ気晴らしに何かしようかと思えばそれも何だか上手くいっていない。

 机に置いてあったファッション雑誌を手に取る。女の子になってから、服装の勉強も兼ねて読んでいるものだ。それでも最近は、読むこと自体がちょっとした楽しみとなっていたのだが。

「……ワンピース、しばらく着てないかも」

 別に何か嫌なことが書いてあったわけではない。モデルの子が可愛らしいワンピースを着て写っているという、ただそれだけの話だ。それなのに、雑誌を読み進めれば読み進めるほど。こういう写真を見れば見るほど、僕の心に重りのようなものがのしかかるような気がした。何と言うべきか、この本を読むだけでますます僕が世間の普通(・・)からかけ離れているように感じたからだ。

 きっと世間の普通の女の子ならきっとこういう事柄に興味を示すものなのだろう。だけども、女の子になった僕がやっていることは何だ? 喧嘩をして人を殴りつけて、人を守った気になってたけど実際は守ろうとした人の心を痛めたわけで。

 皮肉にも男であることを拒否して女になった僕が、男になろうと中途半端にあがいた結果がこれだ。醜いったらありゃしない。

「ほんっと()んなるね」

 何だかじっとしていることさえも嫌になって、思わず立ち上がる。本を見てると、秋奈のことを思い出す気がしてちょっと乱雑に本棚に立てかける。

 クローゼットを開けて、適当に服を着る。ジーンズを選んだつもりだった哀しいことに下はデニム地のスカートだった。こういうときでも、やっぱり女の子なのかと己の深層心理に嫌気がさしつつもパーカーを羽織って、財布だけ持って家を出た。

 うだるような暑さだと思ってたけど、外は適度に風が吹いていた。別に何をする訳では無いけど、動いていればそのうち忘れるだろう。あてもなく歩き続ける。街の景色は普段と変わらない。ちょっと前に祭りがあったことを忘れたかのように、大通りには車が我が物顔で駆け抜けていた。

「僕だけ、か」

 引きずっているのは、そう思っていたその時だった。通りがかろうとした公園から、罵声のような声が聞こえた。何事かとあわてて駆けつけるとそこには、大勢の男たちが一人の男から逃げ出していた。その直前まで何が起こったのかは、想像の付くところである。

「……口ほどにもねぇ」

 その男を、僕は見たことがある。教室で、廊下で、校庭で、そして――お祭りで。

「……宮川ッ」

 そこに考えは無かった。ただ、条件反射で声を掛けていた。

「安藤か」

 そして僕たちはにらみ合う。三日ぶりの、そしてある意味初めて交わした言葉だった。


 ◇


「なんだよ話ってのは」

 二人で公園の日陰のベンチに座る。宮川のことは、中学に入ったころから存在自体は知っていたけどこうやって面と向かって話すのは初めてだったりする。さっきまでの暴力沙汰を見ると、直接話すのは抵抗があるけど結衣への話し方を見ると完全な悪者とも言えず、そういう意味では複雑な気持ちだ。

「この前の祭りの日に聞けなくてさ……というか大丈夫だったの?」

 色々訊きたいことはあるけど、突然のことだったのでどうすればいいか分からずしどろもどろになる。まず祭りの日の逮捕劇もそうだし、先生に怒られなかったのかってことも気になる。あとはさっきの喧嘩も、反省しないなって言いたいし……あとは結衣のことも。

 でも、繰り返して言うけど彼とは初めてすぎて何をどうやって声を掛ければいいかが分からないのである。

「お前、結構気が強いと思ってたが俺にびびってるのか?」

「び、びびってなんかねーし? ぼ……わたしがどうしてあんたを怖がるのさ?」

 嘘である。どう考えてもびびってるやつだ。

「わっかりやすいなお前! ったく俺なんかでびびるなよ。女を殴る趣味はねえよ」

 そう言い頭をわしゃわしゃされる。何だか不本意だ。子ども扱いでもされていそうな気がする。「触らないでくれる?」といい、無理やり宮川の手を掴むと「んだよこういう時だけお高く留まって」と今度は逆さの腕でやっぱり頭を撫でられるのである。間違いなく遊ばれている気分だ。

「ったく、おもしれえ。猫みたいな反応するんだな。そうそう、この前の警察の件は別になんてことねえよ」

「えっ、そんな軽いノリなの?」

「あんなのただのお泊りだよ。もっとも楽しくはないがな」

「えぇ……」

 逮捕されたのだからてっきり今後のことを心配していたが、宮川の場合は逮捕され過ぎて感覚が狂ってるのだろうか。

「安心しろ。逮捕じゃねえから、前科はつかねえ。ついでにいうと、今年の誕生日までは逮捕されねえから安心しろ。もっともそこまではやらかさねえけどな」

 悪びれもせずに言うあたり、サイコパスな気がした。まあ確かに、14歳の誕生日までは逮捕されないというのは有名な話だ。ってことはこの人、14歳までひたすら喧嘩をし続けるつもりなのだろうか。なんと迷惑な……。

 ちなみに「春」という漢字が名前に付く時点で察しが付くだろうけど、僕は残念ながら14歳で逮捕される年齢だったりする。まあ、悪事する気は無いけど。

 ともかく、そんな調子の彼に若干の呆れを抱きつつ再び顔を上げる。ところが彼は舌の根も乾かぬうちにさらなる犯罪に手を染めていた。

「ともかく、結衣とあんたの過去に何があったかを聞きたくて……って何でたばこっ!? あんた未成年でしょ?」

 確認するまでも無いし、そもそも僕とタメで成人しているわけが無いのだけど。

「ココアシガレットだ」

「んなわけあるか。煙出てるぞ?」

 しかもたばこの煙って思っていたよりも匂う。母さんは吸わないし、僕の周囲にはたばこを吸う人はいないから慣れていないのだ。思わず鼻をつまむと、さすがの彼もたばこを地面に擦り付けて消していた。個人的にはそのたばこをどこで手に入れたのかとか、どうして堂々と犯罪行為が出来るのかなどと色々ツッコミどころは多いのだけれど。

 しかしたばこを消してからの彼はいつになく神妙な顔をして問いかけてきた。

「ったく、で、用件ってのは……ああ結衣との過去ね。でも何でだ?」

「それは……」

 やっぱり、結衣のことを抱きしめていたあれが頭から離れないというのが一番だ。それから、やたらと結衣は宮川を持ち上げるしそれなのに二人が仲良くしているところを見たことが無い。正直、二人の関係性があまりに分からないのだ。

「気を悪くして欲しくないけど、あんたと結衣がどうしてその……仲が良いというかそんな感じなのかが気になって」

「ああ……そう見えたか」

「それに、この前の喧嘩のあと結衣と話したんだよ。聞けば昔にも二人の間で似たようなことがあったらしいじゃん? それを聞いて、わたし思ったの。二人をどうにかしたいって」

 後半のは、正直余計なお世話だという自覚はあった。でも、宮川と話すうえでいつか伝えたいことだったのは事実。いや、言っていて少しずつ気持ちが固まってきた。結局こういうことでしか、僕のもやもやって解消されないんだなって。

「それは、世間でいうところの『余計なお世話』ってやつだ。俺に結衣を押し付けるな」

「だろうね。でも、結衣を守るために戦った。それは、事実なんでしょ?」

 今回の喧嘩も、昔の喧嘩だってきっとそう。二人に何があったのかを、僕は知らない。だけれども、二人がどうしたいのかは分かっているつもりだ。きっとどうしたいか、行きつく先は同じはず。それでも二人は、向き合うことから逃げているんだ。

「目の前でお前がタコ殴りにされていたから助けた。そこにたまたま結衣がいた。ただそれだけだ」

「なるほど、そうやって逃げるわけだ?」

 その言葉を聞き、宮川は目線を鋭くした。喧嘩慣れしているせいか、彼の眼光もまた恐ろしい。

「これは警告だ。俺に女を殴る趣味は無いが、場合によっては気絶させることになるぞ」

「そうやって脅して逃げるつもりなんでしょ? どうせ本当は殴るつもりなんて無いくせに」

 だから僕は、彼の善意に賭けた。確かに彼は常日頃から喧嘩ばかりしているようだ。さっきだって、容赦なく男たちを殴っていた。だけれども、結衣にはそんなことは絶対にしない。

 僕が結衣と釣り合うことが無いことは分かっているけど、結衣を守りたいという気持ちを共有したのは事実だし、そんな相手をきっと殴ることはないだろう。しかし彼の言葉に嘘はなく――いつの間にか右拳が目の前に現れた。猛烈なスピードで迫っているはずなのに不思議とスローモーションに感じてしまい、「あぁ、気絶するのか……」なんて目をつむる。

 しかしその拳が僕の顔面に当たることは無く、まぶたに風が当たると目の前で拳が止まった。

「あれ?」

 間抜けな声を出しながら彼に問いかける。しかし彼は、いつの間にか僕に背を向けてベンチに座り込んだ。

「……悔しいが、お前の言う通りだ」

 その言葉と共に、彼はたばこを吹かした。


第35話です。宮川と春奈が初めて直接的な関わりを持ったお話でした。

宮川と結衣の過去に何があったのでしょうか。次回に続きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

小説家になろう 勝手にランキング 小説家になろう 勝手にランキング

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ