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僕は女の子になりたい。  作者: 立田友紀
2. 若葉ガール・安藤春奈
27/129

27. 「母の心娘知らず(後編)」

「入ってもいいかな?」

「いいわよ」

 ――あとで、話がある。

 そう言われた僕は、秋奈がお風呂に入っているあいだに母さんの部屋へと向かった。部屋の中では、母さんが難しそうな顔をしてパソコンに向かっていた。

「……ベッド、座って良いわよ」

「うん。ありがと」

 何だかいつもと雰囲気が違う。それはさっきの母さんの雰囲気もそうだし、部屋に入った時点でも察してはいた。でも、ここまで雰囲気が悪いというか怖いというのは今までに無かった。何より、ミニテーブルの上に載せてある1杯のコーヒーが、今までにない真面目な話をするという雰囲気を醸し出していた。

「――もしかして、怒ってる?」

 僕が、女の子になろうとしたことで。ある意味では道理に合わないことをしたせいで。

「怒ってはいないわ。ただ――」

 そう言うと、母さんはこちらを向きなおした。さっきまでの難しい顔から一転して、優しい表情になる。だけどもそれは、普段あまり見せない表情だったからますます怖く思えた。さっきの秋奈も言っていたけど、どことなく無理をしている。そんな感じで。

「あなたに聞きたいことがあるの」

 思い返してみれば母さんとこうやって面と向かって真剣な話をすることはあまり無かった。もちろん、進学とか人生の転換点での相談とかはしたけど、大抵は「良いんじゃない?」って快諾してくれてそれでおしまい。もちろん、悪い意味で放置だったというわけでなく良い意味で自主性を重んじるという意味だったから、僕たちがやりたいことはどんなことでも後押ししてくれたし親から縛りを受けるなんてことも経験したことが無い。

 だからこそ、普段は父親っぽい面の強い彼女が母親のようなお小言を吐く様子には戸惑いを隠せなかったし、ちょっと受け入れがたいというのが本音だったのだ。

「聞きたいことって?」

 思わず問い返す。だけど、母さんは聞き返す言葉を言い終わらないうちに返した。

「あなたが、女の子になった事についてよ」

 僕は、言葉を失った。

 聞かれるとは、うすうす勘付いていた。先ほどの秋奈の件もあるし、浴衣を着せられたときもそれに近いことは言っていた。いつかは、聞かれる事だとも思っていた。でも……正直、心の準備が出来ていなかった。

 しかも秋奈のように最初から受け入れてくれたと時とは違って、今の状況を母さんに納得してもらえるように説明出来る自信は無い。

「って言われても……どう説明すればいいのか」

「さしあたって気になったのは――あなたが女の子になったことをどう考えているのかなって。実際のとこと、あなたはどう考えているの?」

 そんなの――良かったの一択しかない。

 だってそうじゃないか。女の子になって人生がこんなにうまく回っているのだから。クラスメイトと少しずつ仲良くなれて、友だちも増えて。女子として生きることが意外と性に合っていて。

 今の僕は、おそらく人としての幸せを全て噛みしめている。この現状を否定するだなんてよっぽど自己嫌悪が激しいか人生にとことんストイックかの選択肢以外考えられない。

 だけど、それを表に出すことは許されない。秋奈にも話したが、そこには社会通念という人が守るべきある種の規範。ルールがあるからだ。

「まあ、良かったんじゃないのかな? 意外に女の子生活楽しいし」 

 ある意味では透かした言葉になっているのかもしれない。でも、素直に気持ちを表現できない以上そうやって振る舞うしかないじゃないか。

「本当にそうなのかしら?」

 だけど母さんは、それに対して肯定とも否定とも取れない言葉を言う。それがどことなく僕の心を透かしているようで気味が悪かった。

「もちろん、元の性別を考えれば戸惑うことは多いよ? でも、ゆっても女の子生活はそこそこ楽しいし、今さらなってしまった性別を否定するわけにもいかないし」

「確かにそうだけど、今のあなたからは別の気持ちを感じるのよ」

 図星だ。驚きを隠すかのように、コーヒーを口に含む。でも、彼女は追及を緩めない。

「別の気持ちって、浴衣を着たことに対して?」

「それもあるわね」

「あれは、女の子としての処世術の一環だよ。そうしないと眞子に締められちゃう」

 眞子、言い訳に使ってごめん。でも、それは事実でもある。眞子に誘われて、でもそれがきっかけで浴衣を着てみたら意外と楽しかったっていうだけの話で。

「なるほどね。あなた、眞子ちゃんには頭が上がらないでしょうし、ひとまず良しとしましょう」


「でもね、あなたは本当に自分が完全な女の子になれると考えているの?」


 それは、死刑宣告のような言葉だった。

「どういうこと?」

「言葉通りの意味よ」

 もしかしたら、母さんは僕の考えそれそのものを全て見抜いていたのかもしれない。だからこそ、あえてこんなことを聞いたのだろう。さっきも話したが、母親でありながら父親っぽい人だ。僕が変な道に進まないように、釘を刺すつもりできっと言い出したのだろう。

「まあ、無理なんじゃないかな? 僕は男だし」

 でも、出来ないなんてことは本当にあるのかな? 口ではそう言ってみたが、女の子になるなんて明確な定義自体がそもそもナンセンスなのでは無いだろうか。

「私もそう思う」

 だから、ジャブのつもりだった。表面上そう言っておいて、ゆっくり軌道修正すればいいや。それくらいの気持ちだったんだけど、でも母さんは僕に付け入る隙を与えなかった。というか、言い訳の余地さえも与えなかった。

「全面否定するんだね。でもそしたら、今の状況だと困ると思うな」

 完全な女の子にはなれない。それはおそらく事実だろう。だって僕は、生まれついた時には男だったわけなのだから。しかし今の時点では僕の身体は、生物学的には女。精神的にも、三か月も女のフリをしていれば完全な男とはちょっと言い切れないと思う。

 そもそも、完全な女の子の定義って何だ。女の子だって多種多様な人が居る。完全なという言葉は少しナンセンスではないだろうか。

「そもそも母さんが考える本当の女の子って何? 確かに母さんの言い分はごもっともだとは思うけど」

 反抗というわけでは無いけど、ついきつい調子で言い返す。ところがそれさえも、母さんのきつい反撃でやり返されてしまう。

「じゃあ逆に尋ねるけど、一生このままで居るという保証はあるの? あなたが完全な女の子になるだけの環境が維持できるとでも言うの?」

 言われてみれば確かにそうだ。元々、原因不明の熱病がこの騒動の発端なんだ。だとしたら、もう一度同じことが起こったら僕は男に戻ってしまう。考えたくは無いけど、そういうことは十分に考えられる話だ。

「それに、完全なっていうのはちょっと変だけど。でも、女の子らしく振る舞おうとして元の状態に戻った時に困るのは誰かしら?」

「それは……」

 言葉に詰まってしまう。とどめとばかりに母さんは畳みかけるように言葉による刃を突き立てる。

「それに、男はどうあがいても女にはなれない。その逆も然りよ。どうしてだと思う?」


「いつかは子孫を残さないといけない。生物の摂理には逆らえない。所詮人間だって、生き物でしかないからよ」


 見たくはなかった。聞きたくはなかった。でも母さんの言葉は疑うべくもない正論だ。

 僕には、精通も初経も訪れたことはない。だから、子孫を残すという概念を知っていても実感は沸かない。でも、年齢的にそろそろその時は来るはずだ。そしてそのどちらもが、僕に子孫を残せる身体になったという証明になる。そのとき僕は、男の人を受け入れることが出来るのか。子供を身籠って、決死の覚悟で産むことが出来るのか。

「あなたはまだ経験が無いから想像がつかないかもしれない。秋ちゃんにだって話してもいないわ。でも、子供を産むってことは正直骨が折れるわよ? あなたにそれが出来る?」

「そんなの、なってみないと分からないじゃないか! だいたい僕が男の人を好きにならないといけない道理だってないでしょ?」

 何も子供を残すという義務は無いはずだ。現に結婚を選択しないという生き方を選んでいる人だってこの世に存在する。肩身は狭いかもしれないけど、無理に性別に拘る必要なんて実はないのではないか。

 母さんが言ってることは所詮、世間体だ。

「僕だって、一人の人間だ。自分の人生は自分で決める。男か女なんか、人を識別する記号でしかないじゃないか」

「確かに出産とか結婚とかを無理に考える必要はないわね」

「だから、そんなことはナンセンスで僕は僕らしく生きるだけで」

 男だ女だなんて、そんなの人が作り上げた記号でしかない。そのはずなんだ。

「だとして、じゃああなたはもし女の子を好きになったとしたらどうするの?」

 なのに、母さんの一言が耳に痛い。

「……それは」

 言葉に詰まってしまう。そんなこと、考えたことも無かったわけだから。それに、男だ女だ関係無いって言ったけど、もし僕が恋をするとしたらどうしてもその相手は女の子になっちゃうわけなのだから。

「言葉は悪いけど、それをレズビアンって世間様は見るのよ? あなたはその視線に耐えきれるのかしら」

 目は向けないようにしていたつもりだった。でも、実際そうだ。

 例え僕が秋奈や眞子を好きになっちゃったとして、でもそれは世間から見ればただの同性愛者でしかない。かといって、世間に合わせるために男性と付き合うことが出来るのか? さっきも言ったけど、二人でデートくらいなら全然問題無い。

 でも、男の人を受け入れるなんてことはあまり考えたくない。怖いっていうのもあるし、そもそも僕の精神のほうがおかしくなりそうなのだ。

「別に、恋をしなければいいだけじゃないか」

「そうかしら? 秋ちゃんが春奈に向ける目線は、明らかに兄弟姉妹のそれとは違うように思うけど?」

「……嘘でしょ。秋奈が、僕にそういう目線を向けていてくれている(・・・・・・・)の?」

 ダメだ。それは、さすがに人としてやってはいけないことだ。

 確かに僕は秋奈のことが大好きだ。でもそれは、あくまで家族としての目線での話であってそこに異性関係が。いや、同性関係とでもいうのか――そんな気を起こしたことはないし今後も起こすつもりは無い。

「いや違う! 秋奈は恋人として僕を見てはいないし、僕もそれは同じだ」

「誰も秋ちゃんと恋人になれとは言ってないじゃない。それに、秋ちゃんもそうだったけど春奈だって激しく動揺しているじゃない」

「うっ……」

 しかも、僕のうかつな一言で墓穴を掘ってしまう。

「疑うな、っていうほうがおかしいんじゃないの?」

 それは……違う。けど、違わない。

 さっきのキスは、変な言い方だけど僕にとっては初めてそういう気持ちにさせたものだ。それはたぶん秋奈も同じだった。目線を見れば、そんなことくらいは分かる。

 でも、同じことの相手が男だったらどうなっていただろうか。

「それとも、眞子ちゃんのほう?」

「な、なんで眞子まで出てくるんだよ! あいつは、あくまで友達だ! あいつには恋人がいるし、僕が割って入るのはそれこそ道理が立たないじゃないか」

「そんなにムキにならないでも良いわよ」

「ムキにはなってないよ。ただ……」

 ますます僕自身の気持ちが分からなくなってくる。でも、眞子を引き合いに出されたことでこの前の帰り道を思い出す。あいつに彼氏が出来てむしゃくしゃして、でもそれを表には出せなくて一人で押し込んで。

 それは、僕が精神的に男で好きだった人が取られたから――ってことなのだろうか。

「分からないよ、そんなの」

「分からない、であんたは女の子続けるって言ってたの?」

 母さんは、そこまで問いかけると一息を付いたかのようにコーヒーをごくりと飲み干す。

「じゃあ、やめろって言うの?」

「やめろ、とも言えないでしょ。あなたのこの身体を見せられて、男になりなさいだなんて私も言わない」

「そんなの、無責任じゃないか!」

 思わず、机を握りしめた手で叩く。言ってから気が付いたが、女の子になって初めて大声をあげていた。

 確かに、母さんの言い分は正解だ。僕がこのまま女になったら、心と体が一致しないままだとどうなるか。そんなの、僕の倍以上生きてきた母さんなら例え当事者でないにしたってある程度予想が出来ているということなんだろう。

 さっき言っていたレズビアンもそうだけど、世間での誤解や偏見は徐々に薄くなっているとはいえ未だに完全に消えているとは言えない。そんな渦中に自分の息子や娘を進んで入れたい親なんてきっといない。だから……そう言った。そんなことくらい、僕だって分かる。

「だったら、どうすればいいんだよ? 僕だって考えて考え抜いた結論が、こうなったんだよ? それを否定されたら、僕は……」

 でも、じゃあ女の子になった僕はこれからどうすればいいのか。急な性転換で本来の性別とあべこべになってしまった今、心と体が一致していない状況でどう振る舞うべきかなんて僕のほうが分からないに決まっている。

「……ごめん。私が言い過ぎた」

 母さんはそう言いながら、僕の頭に手をのせる。その手は、僕が思っていたよりも暖かくて優しいものだった。

「私は、あんたを追い詰めたくて言いたかったわけじゃないんだよ」

「だとしたら……」

「あんたが辛い目にあうところを、見たくなかった。親だもの、当たり前でしょ?」

 頭を撫でられてから、頬をやさしく両手で包まれる。その行動にも驚いたけど、続けて目の前に映った光景になおのこと驚いた。

 頬を手で優しく包まれながら目線をあげた先に居たのは――男勝りな母さんの()だった。

「ごめんね。私も実のところどうすればいいか分からないの。でも、ハルちゃんも何となく分かっているんじゃないかな」


「あなたのことを、世間が受け入れてくれる保証は無いってことに」


「……分かってる」

「頭では、でしょ。ハルちゃんは賢いから、たぶんそんなこと一人でも予想できるとあたしも信じてる。でもね、その敵意を跳ね返すのは……理屈や道理ではもう無理なの」

「……そんなこと言わても、実感が湧かないって」

「そうだよね。だから、そういう覚悟を持ってほしいって言いたくて。中途半端な気持ちだったら、自分も周りも不幸にしてしまう。……今ならまだ、戻れるから」

 笑いながらそう言う母さん。でも瞳まで笑っているかと言われると……それは違うように思えた。母さんはきっと、顔で笑って心で泣いているんだ。この先のことを案じて、でもきっと僕の気持ちを分かったうえで。

「……母さん。僕は母さんの娘として生まれてきて良かった」

だって彼女は知っているから。この後僕が言う言葉を。僕がまた、傷つく道を選ぶということを知っているから。

「……そう、ってことはやっぱり」

「うん、母さんの予想通りだよ」

 僕は、そう決意を。決意って言い方はちょっと変だけど、気持ちを素直に伝える。

「そう言うと、思ってた」

 母さんの心配はごもっとも。きっとこのままでいたら、一番苦労するのは僕自身ってことも理解しているつもり。だけど……やっぱり僕はもう男には戻れない。

 秋奈から頼まれたからとか、世間様の目とかそういう問題では無い。たぶんそれは理屈とかじゃなくて、直感の問題なんだ。

「わたしも同じ。母さんの言うことは正しいと思う。でもね……」

「どうせ、止めても聞かないんでしょ?」

「うん」

 そこで無理に引き留めないのは、親としての優しさなのか。あるいは厳しさなのか。

「あらかじめ言っておく。一人の人間としては賛成。でも、親としては反対だからね」

「厳しいね。でも、承知の上だよ」

 僕の価値観を否定するような言葉。でもそこにあるのは、たぶん親の愛ゆえに、なのだろう。

 だからこそ、その気持ちを胸に控えて……覚悟を決めて貫かないと。彼女は僕のことを一度留めて、さらに警告までした。親の心配を切り捨てたわけなのだから。そして、僕の我を押し通したのだから……。

読んでいただきましてありがとうございます。


「親の心子知らず」ということわざのとおり、子どもは往々にして親の気持ちとは真逆なことを行うものです。大人になってはじめて、親の言葉の真意に気づくものですが、たいがい時すでに遅しという感じでして。いつの時代もその本質は変わらないものですよね。


さて、本文中でも触れました「レズビアン」という言葉ですがみなさんご存知の通り女性間の同性愛者の表す言葉です。本作ではレズビアンを始め同性愛やその他の愛情形態について否定的な見解を示す登場人物が今後も出てきます。これについては、あくまで物語として否定的な表現をする場合がありますが、そこにLGBTの方々を否定する意図では無く、作者自身の考えとも一致しませんのでその点ご了承ください。


第2章はここまで。次回から、本格的な夏休みに入っていきますがその前に番外編。

来週は、リクエストにありました春奈が女の子になった日の舞台裏にまつわるお話です。

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