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僕は女の子になりたい。  作者: 立田友紀
2. 若葉ガール・安藤春奈
23/129

23. 「妹とデート?(後編)」

 場所を変えよう。

 そんな秋奈の提案を受け入れ、僕たちはデパートの旧館。談話スペースに来ていた。昭和の雰囲気が残るレトロな空間だが、近代化の波から取り残されていることもあってか人通りは極めて少ない。

「何もこんなところに来なくても」

「人に聞かれたくない話だからね。でしょ?」

 秋奈に缶コーヒーを差し出される。黙って受け取って飲んでみるが、それは男だった時のそれよりもよっぽど苦みがきつく思えた。

「本題に戻るね。さっきの言葉は、安藤春樹としての言葉だよね?」

「まあ、そうだな」

 いつの間にか男口調に戻っていた。ここしばらくは使っていなかったはずなのに、素の時だとこうやってあっさりと出てしまう。やっぱり僕の本質は、男なのだろうか。

「あくまで、元は男であるということにこだわるんだ。……あれだけ男を。いや、自分自身を嫌っていたくせに」

「こだわってないってば。ただ――今は女になってしまったから世間の目を考えてそう振る舞っているだけで」

 そう、あくまで僕が自発的に女になろうとか考えて行動した結果ではない。ただの偶然でやむなくそうなり、世間に合わせるべく渋々そう振る舞っているんだ。そう、強く主張するわけなんだけど秋奈が返した言葉は……。

「っていう体裁にしたいだけ。本当は、誰よりも本物(・・)の女の子になりたがっていたくせに!」

 胸をえぐるどころか、脳を貫くほどの衝撃のある言葉だった。

 しかも、考えもしなかった発想だったはずなのに不思議と体温が下がってくる。身体の末端から感覚が消えて、血の気が引いていく。背中にはわずかに脂汗が浮かび上がってきた。

「……いやいや、そんなバカな」

 どういう返答をすればいいのか。それ以前に、自分自身がどう考えているのか。それを整理しようとする前に、秋奈はさらに言葉を続ける。

「もちろん、あたしの言葉が受け入れられないのは分かる。だって、その体裁にしないと世間が姉ちゃんをおかしいって見るはずだから。姉ちゃんだって、そう思ってるんでしょ?」

「そんなわけないでしょ! 仮に僕が女の子になりたかったとしたら、既に堂々とそう振る舞うに決まってるだろ? 事実、身体はそうなっているのだから」

 秋奈の言葉の意図が理解できなくて、それでも現実を否定したくて秋奈の言葉を否定していく。だが、僕の言葉をかき消すような秋奈はさらに言葉という名の圧力を重ねていくのだ。

「そう出来ないから、今もそうやって振る舞っているのでしょ? 世間に合わせるため、仕方なく、自分の意思ではない――そうやって言い訳ばかり重ねて」

 それは……。

「最初の時もそう。姉ちゃんは男装して学校に通うと宣言をしたよね?」

「確かに言ったけど、それは戸籍とかの変更とかで女として行くのは難しいからって判断しただけだし」

「そうやって保険(・・)を掛けたのよ。実際に女として通えるようになったら、あれだけ男装って言ったくせにパタリとやめたじゃない。髪型だって、アクセだって最初の時に比べて随分とレパートリーが増えたんじゃないの?」

 その言葉には、なぜか抗議の意が込められているように思えた。

「世間体だってば」

「ふーん? 世間体のためだけに、朝からヘアアイロンで髪をセットなんてするかな。今朝だって朝から気合を入れて服を選んでお化粧までして」

「だってそれは……僕が……」

「じゃあ、この前眞子ちゃんにおめかしをしてもらったことはどう説明するの? 満更でも無いように見えたけど?」

「それは……だって上物の服を着たらうれしいのは男も女も同じ話だろ?」

「そうかしらね。そもそも兄ちゃんは衣服なんて着れればいいって思考の人だったはずだけど?」


「だいたい、世間体にしてはいちいちやることが細かすぎるんだよ」


 秋奈の言葉は、図星だった。

 確かに世間体ばかり意識して、それが女の子にとっては当然のことって考えて色々やってた。でも、それはどう考えてもやり過ぎの域の達していた。本当の女の子だって、ここまでするだろうか? 女の子だって様々なタイプが居て、そこまでやらない人だって中には居てもおかしくない。

 でも、だとしてもやり過ぎだと完全に言い切れるのか? 確かにやりすぎかもだけど、その一方でおしゃれが本当に好きな女の子だって多いはずだ。世間様が女子に「そういう」イメージを持っているならそれに合わせてもやり過ぎとは言えないはずだ。それに考えてもみれば、ここまでしたのは男だとばれるリスクを極限まで回避しただけに過ぎないじゃないか。

「違うよ。あれは、僕が本当は男の子であることをごまかすために」

「ごまかす必要なんてないじゃん。だってあなたは、もう既に身も心も女の子なのに」

 そう言われれば、そうだけど……。

「……どうしてなの?」

「それは……」

 彼女の言葉が僕の見えない。見せてはいけない心の扉をこじ開けるようで、だからこそ恐ろしくて心を閉ざそうとしていた。

「もしかして、()()()のことを覚えているの?」

「あの時って?」

「それは……」

 秋奈はそこで言葉を止める。そう言えば、母さんも眞子も言っていたはず。真意を問いただそうとすると二人ともはぐらかしてきたが……。

「もしかして、僕が事故をした時よりも前の話?」

「……さすがに気づくよね」

 あの時――それは多分、僕が記憶を失う前の話。

 実は数年前。僕は、生死をさまようほどの交通事故に遭った。幸い身体の傷は治ったけど、それ以前の記憶は今も失われたままだ。事故に関わる辛い記憶だからと、母さんもそれ以前のことについてはあまり話したがらないし、僕自身も今さらだと思って深くは考えて来なかった。

 でも秋奈の口ぶりから。あと、この前の母さんの女装写真からして。

「まさかだけど、かつて僕が女になりたがっていたとでも? あるいは、自分を女だと思い込んでいたのか」

「……察しが良いね」

 事故前の僕は女になりたがっていた? それとも、自分自身を女だと信じて疑わなかったのか。だからあの時も女装をして写真を撮ったというのだろうか。どちらにしても、状況証拠をつなぎとめるとやっぱりそうだとしか考えられない。 

 記憶が無い分そこにリアリティも無いけど、秋奈の言葉と状況証拠から考えて話としては整合性が取れているとは思う。そしてその時の感情が残っていたとしたら、今も無意識のうちに女の子になりたがっていたとしてもおかしくはないと思う。

「無意識のうちに、僕は女になりたがっていた。でもそれは社会的におかしいことだ。だから、世間におかしいと思われない程度に、世間体を意識していたのかも」

「あたしはそう考えるけどね」

 でも本当にそうなのだろうか。何せ、それはあまりに現実から離れてて想像もつかない世界なのだから。

「で、それを踏まえてもう一度聞くね。言っとくけど、あたしは本気だよ」

 秋奈はそう言うと口を真一文字に結ぶ。そんな秋奈の様子に、僕もまた神妙な面持ちになる。


「姉ちゃんは本当に――女になりたいの?」


 それは、究極の質問だった。今の僕がどうあるべきか? ――それを秋奈は、わずか一言でまとめてきたのだ。

「――それは」

 ……答えようにも、回答が見つからない。それ以前に、何をどう答えれば分からなかった。

「――分からん。僕にも、分からん」

 そもそも僕はなんで女の子になったのか。最初は、迫害から逃れるためのものとしか考えていなかった。あるいは、辛い今の状況を変えてくれる。言い換えれば、安藤春樹って存在を消すためのものとしてでしか考えていなかったはずだ。

 だからそれさえ解決できれば、何も性別を変える必要性は無かったはずなのだ。

 でも、一方で僕の身体は女の子のまま。だとしたら、そこに男らしさが出るのはおかしな話だ。そうである以上僕は女らしく振る舞うしかないんだ。女の子になりたいとかそんなことは関係ない。男を捨てるとかそんなことは関係ない。

 僕は――わたしは、今与えられた性別としての振る舞いを……全うするしかない。

「一つだけわかるとしたら、理由はどうであれ僕は女の子。だから、それらしくあるしかないってことだけかな」

 結局理由とかは何もわからない。どうすべきかも全然わからない。でも、どうあるべきかという問いに対してはそう答えるしかない。

「あたしが聞いているのは、『あるべき論』じゃない」


「――姉ちゃんの『本当』の気持ち」


 そんなこと……言えるわけ無いじゃないか。

「さあね。自分でもよく分からんわ」

 話は終わりだ。そうとばかりに、缶コーヒーをゴミ箱へ投げ捨てる。そういう所作は、やはり男譲りのところだと感じつつ振り返る。秋奈も僕の気持ちを察したのか、いつの間にか僕の隣に立っていた。

「そっか。じゃあそういうことにしとく」

 そう言い、右手を引き戸にドアを掛ける。もう帰ろう、とは言外に伝えたつもり。だから、僕は秋奈のことなんか振り向かずにデパートの入口へと歩き始めた。ところが、用無しのだったはずの左手が温かい(・・・)何かにつかまれる。

「でも。だとしたら浴衣は、どうするの?」

 声の主は、妹だった。

「いいよ、あんたから借りてくから」

「……本気?」

 優しくて温かかったはずの手が、一転して冷たく重たい石のように思えた。彼女に目を向ける。顔は微笑んでいたが、目は僕のことをじっと捉えている。まるで僕を捕まえて離さないと言わんばかりに。

「本当は、我慢しているんじゃない?」

「そんなバカな」

 溜め息交じりに言葉を返す。だが、妹の目は僕の身体だけじゃない。心まで見透かしているようだった。

「藍色の、朝顔模様の浴衣。帯は紫色だったかな」

 その言葉に、一瞬だけハッとする。それは、僕がつい先ほどまで手に取って眺めていた。けれども、世間体とか諸々のことで止むなく商品棚に戻した浴衣のことだったわけだから。

「本心を口に出せとは、もう言わない。でも、自分に嘘を付くのはやめようよ。純粋に欲しかったんでしょ?」

 秋奈の言葉が、耳に痛い。正直なところ、あれはやっぱり欲しい。僕は男ってことは、重々承知のうえだ。だけどもたまには、ああいう綺麗な服で着飾るくらいの役得はあっても良いじゃないか。

「そりゃ、着たいさ。僕だって、わたしだって――人並みのおしゃれはしたい」

 でもそれは、世間様がきっと認めないことだ。世間様だけじゃない。そもそも、僕が女の子になろうと思ったのはもっと生活しやすくするためというある種の打算(・・)があったから。なのに、ここで浴衣を欲しがるということは、自らの意思で女の子になろうとしていることをどこかで認めてしまうことになるから。

 それは言い換えれば、もう元には戻れなくなってしまうことと同義だったから。

「でもダメなんだよ。そうすると、もう元に戻れなくなるからさ――」

 戻れなくなる。それもそうだ。でも何よりも……。

「お前の、兄ちゃんで居られなくなるから」

 そんな気がしたのだ。

「……はぁ。分かったよ」

 握りしめた手をほどき、ため息をつく秋奈。それを見て、僕はこの話が終わる。きっとそうだと、錯覚していたんだ――。

「じゃあ、ふぬけな姉ちゃんに変わってあたしが本心を伝える」

 でもそれは、妹にとっては押さえていた気持ちの引き金でしか無かったんだ。


「姉ちゃんにはもっと女らしく居て欲しい。あたしの傍で、もっとお姉ちゃんやってほしい。もっともっとおしゃれをして、一緒にお菓子つついて、そんな当たり前の姉妹でいたい!」


「兄ちゃんなんかに戻るなッ!」


 そ、そんな勝手なことを言われても……。

 僕自身のアイデンティティが、音を立てて崩れていく。それでも、情けない姿を妹には見せられない。だから辛うじて残ったわずかな理性を保って、言葉を紡ぐ。

「それじゃ困るんだよ。だって僕は……」


「……んっ」


 だけど、僕が言葉を全て言い終える前に、その口が。いや、()が塞がれていた。

「何度も同じこと言わせないで。異論は認めないよ」

 そう言い、腕を組まれて無理無理部屋から連れ出される。唇には、かすかだけど確かに温かい感触が残されている。全身には、未だに沸騰した血が流れている。緊張からなのか、息が上がっていた。

 それら全部は紛うこと無い、秋奈が僕に残した痕跡(・・)だったのだ。

読んでいただきありがとうございます。前後編の後編です。


前半部は春奈の隠されていた気持ちについて描きました。

後半部については賛否両論あるかも。秋奈がどうしてそのような行動をしたかについては、次の回以降で語られることになります。ただ、衝動的な行動では無く秋奈なりに意味を込めた行動であることは間違いものの人によっては衝撃を感じる描写になっている可能性は否めないかもです。


次回に続きます。

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