22. 「妹とデート?(前編)」
「夏祭り、みんなで行こう!」
夏休み前、最後の日。僕は、眞子と委員長さんにそう告げた。
最初は二人とも驚いているようだった。特に委員長さんにとってはそうだっただろう。当然だ。この前の勉強会の一件もあって、特に眞子に対して気まずいというのはあっただろうから。
でも、それじゃいつまでたっても僕たちは元の関係に戻れない。彼女は、僕を人並みの中学生らしい生活に導いてくれた。安心して笑っていられる環境を作り出してくれた。それなのに、今度は委員長さんが居場所を失いかけている。そんなことは、やっぱりどう考えてもおかしい。
恩返し、というと変な表現かもしれない。でも、やっぱり元に戻したかった。三人が過ごせる、いつもの空間を。
「ほら、わたしはこの街に来て初めてだから……。だから、行ってみたい。この三人で夏祭りに行きたいんだ」
ぎこちない誘いかただとは承知している。特に眞子は僕の正体を知っている。矛盾をはらんだ言葉だと気づいているはずだ。だけれども……。
「私でいいなら、行くけど」
「良いじゃない。春奈は初めてなんだし……一緒に行こうよ」
二人は、この提案に乗ってくれた。それが、嬉しくて。
「やった!」
思わず声を上げてガッツポーズをしてしまう。あまりこういうのは女の子らしい行動では無いのかもしれないけど。でも、計算通りにいったことが今の僕には嬉しくて仕方なかったのだ。ところがこの計画は、一つだけ誤算があって……。
「だったらさ、みんなで浴衣着て行こうよ!」
眞子は、僕と委員長さんを見つめて思いついたかのようにこんなことを言い出したのだ。
「……はっ?」「……えっ?」
その言葉に、委員長さん共々思わずフリーズする。彼女にとっては単純に浴衣を着ると言うことに驚いたのかもしれない。もちろん僕にとってもそれは同じなんだけど、それ以上に浴衣という異質な衣服を着ることにそれそのものに驚きを隠せなかったのだ。
「良いじゃない。年に一度よ? だったら女子らしくおめかししてみんなで浴衣着て行こうよ!」
「えっと、私は大丈夫なんだけど。ハルちゃんはどうなの?」
さすが委員長。驚くべき事態であってもすぐに冷静に物事を考えてくれる。僕の表情を読み取って、心配までしてくれた。それはありがたいのだが……しかし断るであろう委員長さんもまた案外乗り気らしい環境で断れるわけも無くて。
「えっと、わたし。浴衣を持ってないんだけど……?」
かくして僕は、生まれて初めて「浴衣」というものに袖を通すことになったのである。
◇
そして、それから一週間後のとある日。うだるような暑さのなか、僕と秋奈は駅前広場にあるデパートへと向かった。
「さすがに中は冷えてるね」
節電節電とうるさいこのご時世だが、このデパートに関しては惜しげも無く全館冷房がガンガン掛かっている。おかげで、今まで居た外の暑さが嘘のように涼しい。例えていうなら砂漠の中のオアシスとでもいうのだろうか。火照った体に冷風が心地よかった……はずなのだが。
「あ、あづいよぉ……」
そう言いながら、肩のあたりにへばりつく秋奈。炎天下の中歩いて来てるから、こいつ自体がある意味焼石のようになっている。おかげで、ひんやりとしたはずの身体が再び暑くなるではないか。
「やめなさいよ。わたしまで茹でダコになるじゃない!」
「じゃああたしだけ茹でダコになるのは良い――ってこと?」
「そうじゃなくて!」
茹でダコになっていいとは思ってないが、抱き付かれるとさすがに暑いんだって!
だいたい秋奈の露出度は僕より高めじゃないか。Tシャツに七分丈のチノパン。頭にはキャスケットと明らかに涼しそうな服装だというのに、暑いとはこれ如何に。
「それなら、このまま居てもいいじゃん」
「あぁ、もうホント鬱陶しいんだから!」
屁理屈ばっかり言ってくる秋奈を振りほどこうとする。暑いというのもそうなんだけど、最近のこいつは何だかスキンシップが過剰すぎる気がするのだ。
「ちょっとやめようよ! 僕たち一応異性なんだよ?」
思わずそんな言葉を吐く。うっとうしくて仕方ないから放った、本当に何の気なしの一言だった。
「……ゴメン」
だけど、秋奈にとってはそれは酷い言葉だったのかもしれない。彼女は、呟くようにその言葉を言って僕から離れた。
「あっ、いや……お前が嫌いとかそういう意味じゃなくて」
思わず言い訳を放つ。でもその一方で。これ以上このままで居ると、僕たちの関係性が崩れてしまうような気もしたのだ。
兄と妹。いくら血を分けた兄妹と言えど、そこには性別の違いというどうしても変えられないものがある。言い換えれば、そこにはやっていいラインとやってはいけないラインがあるということだ。今でこそ僕と秋奈は性別が同じとはいえ、僕自身も完全に女の子の精神というわけでなければ、いつまでも女の子で居られるという保証も無い。
関係性という言葉で、ふとあの時の告白じみた言葉が頭に浮かぶ。
――これからも、ずっとずっと。あたしの大好きな姉ちゃんで居てよ。
他のことばかりに気を取られて忘れてたけど、改めてみれば重たい言葉だ。
大好き、ってのはやはりそういう意味なんだろうか。それはもう、兄妹愛というか家族というかそういうつながりから離れてしまう感情では無いのだろうか。
スキンシップが恋愛につながるとは思ってないけど、でも今までそんな身体の関係というか身体をくっつけるということが無かった分どうすれば良いのかますます分からなくなってくるのだ。
秋奈も察したのかもしれない。少しだけ気まずい雰囲気が流れる。もしかしたら、言い方がきつかったのかもしれない。
「……その――言い方割ときつかった? よな」
今さら後悔したところで、である。反省するべきは僕だ。兄妹だから、それに甘えてしまっていたのかもしれない。でも親しき中にも礼儀あり、ではないか。
「そんなことは無い。あたしも、少し調子に乗った。ごめん」
彼女は、僕の方を見ずに独り言つような口調で言う。お互いに気まずくて、顔を向けられない。自ずと視線がショーウィンドウのほうへと移る。そして視界には、夏の華である……。
「――あれって」
「浴衣、だね」
そこには紫を主体とした浴衣を羽織り、手元には藍色に朝顔の柄が抜かれた小物入れ。帯にはしゃれた扇子を差しているマネキンがいた。もし僕が着た場合も、こんな感じだったのだろうか。
いやいや、僕ならばもっと無難なものを選ぶだろう。そう思いながら、妄想をかき消すように慌てて首を横に振るのだが。
「……姉ちゃん?」
「何?」
突然呼ばれたような気がして、慌てて秋奈の方を振り向く。
「『何?』じゃないよ。急に浴衣なんか凝視しちゃって……」
「いや、まあ綺麗だなって思って」
「……」
何だよ秋奈、こういうときだけ急に黙り込みやがって。というか、本来の目的がそれじゃないか。なのに、そんなに僕が浴衣を見ることが変なのか?
「いや、別にあれを着ようとは思ってないよ? ただ、良いデザインだなって……」
「それは、あたしもそう思うけど……」
そう言うと、秋奈は神妙な顔をしたまま歩き始めた。
「どこ行くのさ?」
一人で勝手にふらっと歩きだす秋奈に声を掛ける。だがその回答は……。
「決まってるでしょ、浴衣売り場よ」
分かっていたはずなのに、何だか意味が分からない言葉だったのだ。
◇
そもそも今日秋奈と出かけたのは訳がある。
一つ目は、連日の猛暑で電気代がかさみ家の中でクーラーをつけることに抵抗を感じたから。二つ目は、連日引きこもっているニート妹を外に連れ出したかったから。そして三つめは……。
「着いたよ」
秋奈の言葉の通り、目の前にはさまざまな浴衣が飾られている。そう、今度のお祭りできる浴衣を見繕うためである。現役JCならこの手の服は詳しいだろうし、何より感覚が近いからそれなりに良い浴衣を選んでくれるだろうと考えたのである。
ちなみに、ファッションリーダー眞子のほうがこういうのは詳しそうな気もしたが、マネキンにされる可能性もあったからその案は一瞬にして脳内で破棄されている。
「……すごいね。思ってた以上に華やかだ。みんな、こんなの着ているんだね」
浴衣を着る女性自体は何度も見てるし、去年も連れがみんな浴衣を着ていたからあまり意識をしたことは無かったけど……こうやって自分が着るという意識をもって見るのは初めてだ。そのせいか、思わず見とれてしまう。
「まあそうなるけど……そんなに驚くことかなあ?」
秋奈はため息をつきながら見ている。そうか、僕にとっては初めての経験かもだけどこいつにとっては身近で驚きもしないってやつなのだろうか。
「そうだよ。色だって鮮やかだし、柄も凝ってるし……」
初めて間近で見る浴衣に思わず興奮し、謎のハイテンションになる。
「これとか大きくヒマワリがあしらってるよ。これ着て歩いたら、周りの人は度肝抜かすんだろうなぁ……」
「そういうことするために着るものではないけれど……」
「分かってるって」
さすがに僕だって最低限の常識はあるってば。それに、可愛いとは思うけど僕の美的センスには合わないし。
「微妙にウザいわね。今の顔といい、さっきの『美的センス』って発言といい……」
「あっ、聞こえてた?」
「……うん」
マジか。そこは聞かれたく無かったかも。
確かにテンションが上がっていたのは事実だけど、あんまりそういうのを見られるというのは年上の落ち着きとかを否定しているようで何だか恥ずかしいではないか。しかも、秋奈の目線はものすごいジト目だし、若干。いや、かなり心に刺さる。
「いや、まあ多少はね?」
「何も言わないで。分かってるよ、僕が調子乗ってました」
妹に同情というかフォローされて思わず恥ずかしくなる。年上として、やはりこれは無いだろう。だけども、そんなふざけた顔からふと彼女は真顔になる。
「でもなんで急に浴衣なんて欲しくなったの?」
「なんで、ってそりゃ前説明したじゃん」
「いや、経緯は知ってるけどさ。でも、今までは女物の服にあんだけ嫌がっていたのに」
「あぁ、言われてみればねぇ」
確かにそうだ。普段の僕だったら、それこそ絶対拒否って姿勢を崩さなかったと思う。それでも何だかんだで着せられてはしまうのだけど、一度は拒否の姿勢は見せるはずだ。
だけど、今度に限っては何だかすんなりと受け入れられた気がする。着る機会は目の前にあるから。眞子にお祭りに行くための引換条件にされたから。言い訳はいくらでも出てくる。でもだからといって、何も浴衣を絶対に買う必要も無いはずなのだ。最悪秋奈のそれを借りて行けばいいだけなのだから。
だったら、なぜ?
「心境の変化、てやつかもね。でもさ……」
分からないのだ。どうしてそんな気持ちになったのかが。
「まあ、姉ちゃんにも人並みに女の子らしい気持ちがあったってことかな」
「違うわ。いや、まあ多少は揉まれて女の子らしくなったかもしれないけど」
でも、根っこの部分はどうしても男だと思う。というよりも、完全な女の子にはやはり成り得ないのではないだろうか。
「強いて言えば、処世術だよ。女の子世界を生き抜くための」
かわいい……とは思っていたけど踏ん切りがつかない。気になっていた浴衣の箱を陳列棚に戻して、秋奈のほうを向く。
「前から思ってたんだよね。僕はやっぱり根っこは男で、完全な女には成り得ないってことに」
この前の水泳の時もそうだ。状況が状況とはいえ、僕は女の子の裸を直接見ることが出来なかった。どうしてもそこには、「異性」というフィルタが掛かってしまうからだ。水泳が得意だから教えてと頼まれたときも、女子の身体を触れることにかなり抵抗があった気がする。胸を揉まれたときも同じこと。男子の品定めの時だって同じだ。
……男社会が嫌になって逃げてきたのに、女社会に入ることが出来なかったのだ。
「でも、現に女の子になった今の状況で、こんなことは言っていられない」
それは、僕の身体は女の子のものだから。女の子として生まれ変わってしまった以上は、女社会に合わせるしかない。服装を合わせるだけで終わるなら、かえって楽じゃないか。
「そうだよ、そういうことだ。心境の変化、というよりも周りに合わせることを覚えたってのが正解かな」
たぶん。何かが違うような気もするけど、でもそう説明するのが一番簡単で合理的だ。
「で、納得した?」
浴衣売り場から出ようと、踵を返す。だが、右腕をぐっと摑まれる。
「嘘つき――」
立ち止まって振り返る。そこには……悲しそうな表情をした秋奈が立っていた。
「それって、兄ちゃんとしての言葉だよね? 安藤春奈じゃなくて、安藤春樹としての言葉だよね?」
彼女の言葉が、僕の心を抉る。その言葉に、僕は動けなくなっていた。
読んでいただきありがとうございます。長くなったため、前後編に分けています。
前回のプールの話でも触れていましたが今回も引き続き自分のアイデンティティーを問うお話になりました。こういう問題って、意外と当人よりも周囲の人のほうが本質を突き止めていることの方が多かったりしますよね。このお話でも春奈自身よりも秋奈のほうが的確に真実をついているようですが……。
次回に続きます。