18.「鬼会長と恐怖の風紀検査」
――あたしの大好きな姉ちゃんで居て、か。
昨日、秋奈から言われた言葉が頭を反芻する。
あの時は、秋奈のほうがその場に居られず逃げ出してしまったのだが、今にして思えばそれはたぶん秋奈なりのメッセ―ジのようなものだったのだろう。
それなのに、僕は何も言ってあげられなかった。答えようにも、言葉が上手く出せなかった。それゆえなのか、秋奈もまた無かったことにしようと逃げ出した。意気地なしの僕に愛想をつかした、からなのか。あるいは、兄妹の越えてはならない一線に踏み込んでしまったからなのか。
何にせよ、僕たちは開けてしまったのかもしれない。それまでの関係性を壊す、パンドラの箱のようなものを。
「おはよー」
眠気の混じったまぬけな挨拶をするが、リビングからは声が返ってこない。……どうやら母さんも秋奈も居ないみたいだ。もともと家族が居ないことには慣れっこではあるけど、秋奈まで居なくて一軒家を一人で使うというのはなかなかに寂しい。
「――それでも、だいぶ慣れてきたけどさ」
朝ごはんを食べ終え、洗面台に置いてあるヘアゴムで一つ結びをつくる。連日の雨で湿気が立って仕方が無い。髪が言うことを聞かないけど、男譲りのごり押しで無理やり結んだ。制服を着て、少し肌寒いからパーカーを上に羽織る。
再び洗面台で全身をチェックしてみれば、そこにはみんながよく知っているであろう少女安藤春奈が写っていた。
「よし、行ける……ん?」
行ける、と思ったけどなぜか違和感を抱いて再び鏡を見返した。
ぱっと見では大して変化は無さそうだけど、女の子になって一ヶ月。気がつけば、女の子になったあの日に比べて、髪が結構伸びていた。毛先も心なしか傷んでいるようだ。加えて、どことなく茶髪っぽい。
我が家は遺伝子的に色素が薄いらしく、母さんも確か地毛に茶髪が混じっていたはず。男だった頃は髪が短いからそこまで気にしたことは無かったんだけど……髪の毛が長い分ちょっとだけ気になってしまう。
「ま、いっか」
とはいえ、髪の色は朝の数分でどうにかなるものでも無いし、多少茶髪だって特に問題があるわけでも無い。まさかこんなときに風紀検査とかするわけでも無いし。
そんなわけでお気に入りの傘をさして家を出る。この時の僕は、まさかさっきの言葉がフラグになるとは……まだ知らない。
◇
そんなわけで、10分程度歩いて学校に到着する。傘を差してはいたけれど、雨の勢いが結構強かったこともあって服が濡れて結構寒い。
早くあったかい環境に移ろうとダッシュで教室に入ろうとするが……そこで待っていたのはかなりマズい状況だった。
「あぁ、春奈おはよう。って、何その格好!?」
教室に入るなり、いきなり眞子に驚かれる。出会うなりひどい扱いだよな。
「何って、寒いから上着を一枚重ねてきただけだけど……」
「それは見れば分かるけど、でもだからってなんで今日それを選んでくるのよ」
「いや、たまたまこれしか無くて」
こういう時制服って結構不便で、「ちょっと1枚」みたいな重ね着が意外に難しかったりするのだ。カーディガンとかセーターでも良いけどこの時期にニットはさすがにちょっと暑いし、かといってブラウスだけっていうのはやっぱり寒いし。
そう考えると上手くとりまわせて、雑に扱って良い服ってなるとパーカーが結局一番ってわけ。洗濯も気を遣わずじゃぶじゃぶできるしね。確かに学校で認められている服では無いけどみんな着てるし。
「これしかって……あんた今日何があるのか分かってる?」
「いや知らんって。なんか集会でもあるの?」
「前を見なさいよ。ヤツが居るわ」
眞子に耳打ちされながらおそるおそる「ヤツ」と呼ばれる人をのぞく。だがそこにいたのは、僕が思っていたなんかよりも数倍タチの悪い人で……。
「あ、あぁ……これ終わったわ」
泣く子も黙る鬼の生徒会長――千歳悠希。学年は、3年生。先代会長が諸般の事情で途中で辞めてしまい後を継いだそうなのだが、そこからは強力なリーダーシップと圧倒的な実行力でこの学校の風紀治安をたった一人で立て直したという凄腕会長なのである。
ちなみに武道の有段者で剣道、なぎなた、柔道の全ての段位を足すと50段になるとか。天は二物を与えず、じゃなかったのか?
「あんた、せめてパーカーは隠しなさい」
「そうだね」
とりあえずパーカーだけでも鞄に忍ばせる。しかし、凄腕会長を前にそんな小手先のことが通じるはずも無く……。
「さて、風紀検査を始めます。皆さん席に着いて、持ちものを机の上に置いてください」
言葉だけ聞けば穏やかなようだけど、誰一人として逆らえる人が居ない。先生の言うことを全く聞かない宮川ですら、嫌々しながらも指示に従っている。
そう、これが彼女の影響力の強さ。彼女の前には、誰も逆らうことが出来ない。そして予想はしていたけど。
「次は……安藤春奈さんね。髪色がちょっと明るいかしら。鞄も見せてちょうだい」
予想通り、髪色でワンアウトである。続いて鞄の中身を空ける。当たり前だけど私服のパーカーもこんにちは。ツーアウトである。そして……。
「それと、その髪留め。飾りがついたヘアゴムは、学業には不要よね?」
ですよねー。スリーアウトでチェンジである。
「まあ大したことでも無いから、ヘアゴムとパーカーは見なかったことにするわ。以後気を付けるように。髪に関しては、地毛証明書を親御さんに記入してもらい担任の先生経由で提出してください。いいですね?」
そう言い、彼女は僕に対する検査を終えた。
厳格に対処する――それが彼女の指針であることを考えれば珍しく温情のある処置だなとは思う。実は彼女、問題を起こしたヤンキーを本当に文字通り鉄拳制裁したという噂を持つ人だ。それを考えれば、実質何にもペナルティが無いだなんて、かなりぬるい始末のつけ方だとは思う。
でもさ……。
「待ってください、地毛証明も何も、好きで弄ったわけでもないのにどうしてそんなこと言われなくちゃいけないんですか!」
余計なことを、って人は言うかもしれない。でも、パーカーやヘアゴムと違って髪に関しては生まれつき故仕方が無いことじゃないか。それなのに、そこまで干渉されるのってさすがにおかしくないだろうか?
「ヘアゴムやパーカーなら、納得できます。でも、髪なんて生まれつきじゃないですか! 生まれつきなのに、どうしてここまで言われなくてはいけないんですか?」
「それが規則だからよ。校則にも、『髪は黒髪。ないし生まれつきの色のものとする』とあるわ。別に地毛申請だって、幼少期の写真を添えて提出するだけよ? 何か難しいこと言ったかしら?」
「……」
悔しい、というと不適切だけど歯噛みしてしまう。
でも、まあ彼女の言うことも一理ある。実際そこまで難しい話でもないし、無視したら無視したで内申って形でしっぺ返しされる。理不尽な校則かもしれないけど、そんなんで人生が狂わせられるなら……従うしかない。
「それが、社会を生きるってことよ。若さからの反発は結構だけど、あなたも中学生。中学校って組織に属す以上は、ルールには従ってもらうから」
そう言いながら、彼女は紙を手渡す。だけどその渡し方や言葉ぶりには、人としての情はまるで無かった……。
◇
家に帰り、母さんに例のムカつく紙を手渡す。
「これ、書いてくれる?」
「良いけど……どういうこと? 地毛証明?」
「母さんもそうだけど、わたし達って地毛が明るいじゃん? それが、生徒会長の目についたらしくって幼少期の写真とか医師の診断書を添えて地毛だと証明しろってさ」
バカバカしい話だとは説明しながら思うけど、そうしないとさらなる面倒事になってしまうのだから仕方が無い。だから、面倒ではあるけどこういうお願いをするしか無かったのである。
「あぁ、なるほどね。母さんの時代もそう言えばあったなぁ」
「そうなの?」
「母さんの時代にもやっぱり髪を金色に染めたり、ヘンテコな髪型にする子が多かったのよ。誰かひとりがやるとみんなが真似しちゃうものだから、生活指導の先生たちもすっごい厳しくてね……って今どきはないか。やだ、年齢がバレちゃうわ」
母さんはニコニコしながら筆をとったけど……別に喜ばしいようなことでもまして懐かしそうに話す内容でも無いような気はする。僕よりも何年も長く生きているからこその余裕、っていうのもあるのかもしれないけど。でも昔と違ってこんなことが進学にまで影響するだなんて……バカバカしさもいいところだ。
そりゃもちろん、僕だってヘンテコな髪型を奨励しているわけでは無いよ? 理由も無く金髪にしたりパーマを掛けたりというのはさすがにいかがなものかとは思う。まあ大人なら、別に個人の自由だとは思うけどね。
でもさ、杓子定規で黒髪以外全部アウトってさすがにどうなんだろうか。それを去年めちゃくちゃネチネチ言われたのが嫌だったから、もうとっくに地毛証明だって出したというのに。
「そっか、何で地毛証明って思ったけどあなた女の子だから男の子とは別扱いになっているのね」
生徒欄のところに、安藤春樹と書きかけて慌てて気づいたかのように言う母さん。そうか、だからこうやって書かされているのか。そして「春樹」って書くのは……さすがにまずいでしょ。
「あぁ、だから女としてもう一度書けって訳ね」
「そういうことかしらね。……秋ちゃんは地毛が黒いからこういうことをしなくてもいいわけだけどねぇ」
そういえば、秋奈は父親譲りの黒髪だった。そういう意味では、ちょっとうらやましいところだ。
「で、あとは幼少期の写真ね。うん、写真か……」
「アルバム取ってくる?」
口では軽々しく言ってくれるけど、そんなすぐに幼少期の写真なんて出てくるものなのだろうか。大多数の家では、子供の成長を記録として残してはいるだろうけどそんなすぐに出せる様なところにしまっているとは限らないだろうし。我が家だってそれは同じで、アルバムなんてクローゼットの奥の奥で眠っていてすぐには出せそうもなさそうだ。
しかも、気づかなかったけど僕にはさらに厄介な問題もあるらしく……。
「アルバムも何も、あなた最近女になったばかりじゃない」
「あっ……」
やってしまった。そうだ、なんか花の女子中学生ライフが骨の髄まで染みててすっかり忘れてたけど……僕って割と最近まで男だったんだ。だから過去の写真だって、普通に考えて男のそれしか無いに決まっているじゃないか。
「もう男の写真で出しちゃおうかしら」
「それしたら、『わたしが元、安藤春樹』ですって学校にバラすことになるじゃない!」
「確かに、そうなるわねぇ」
ここに来て、思わぬ難題が僕たち母娘を襲いかかる。まさかこうなるとは、さすがの僕も想定してなかったのである。
「……秋奈の写真、使う?」
「髪の色で分かるわよ」
「デスヨネー」
だったら、残った手段は医師の診断? いや、さすがに地毛証明のためだけにお医者様に行くというのは……ちょっとバカバカしいと思う。あるいは美容室で黒染めするというのは……それだとまるで僕が髪を染めたみたいになって負けた気がするからやっぱりアウトだ。
「あぁ、病院か美容院どっちか取れってことですか。びよういん、だけにって」
「微妙にダジャレになってないけど、でもまあ確かにバカらしいわね」
「あーぁ、都合よくわたしが女装とかしてる写真無いっすかねぇ」
まあ、無いとは思うけどさ。でも、幼稚園くらいとかだったらなんかありそうな気がするんだよね。というのも、僕自身も記憶があいまいなんだけど幼稚園の頃に男の子なのに魔法少女の衣装を着てた子がいたしその逆で女の子がヒーローベルトなんか付けてはしゃぐ子もいたわけで。
まだまだ性別という概念も固まってなくて、男と女の垣根なんか簡単に超えられたのだ。僕たちの年頃と違って。
だからそういうことって、割とありふれた話だと思うし自分がそういうことをしていてもおかしくはないと思ったのだ。まさか10年後にガチで性別が変わるとは当時の僕は思わなかっただろうけど。
「……女装、ね」
ところが、母さんはその言葉を聞いて明らかに狼狽していた。
「えっ、もしかしてあるの!? ちょっと、嘘から出た眞子ちゃんじゃない?」
まさかこの苦境を乗りこえられるとは考えて無かった分、思わず妙なことわざを口ずさんでしまう。しかし、母さんの狼狽具合を見るにそれはどう考えてもまずい言葉だったことに気づいてしまう。
「あぁ、ゴメン。今のは調子に乗った」
「いや、いいのよ。女装写真? 確かあるはず……」
そう言い、母さんはパソコンを立ち上げる。そして、普段は見ないアカウントを開けて、これまた厳重にロックが掛かっているであろうファイルを開く。そして、その中には……。
「うっそ……」
そこに写っているのは、小さな女の子が4人。幼いころの秋奈と眞子――これらは分かる。その隣にちょこんと立っているのは、おそらく幼いころの眞子の妹さん――これも、ぎりぎり分かる。だけど、写真中央に立っている、セミロングの髪にひまわりの髪飾りをつけ、水色のワンピースを着ている女の子は……誰なんだ。
見覚えのない顔であるがゆえに、何だか嫌な予感がする。
「まさかだけど、これってわたし?」
自分の顔は、鏡を見ないと見ることが出来ない。ゆえに、見覚えが無くにわかに信じがたいところではあるけれど……ただその明るい髪色や輪郭を見る限りその少女は紛れも無く幼い頃の僕だ。
「信じられない。てか、完成度高すぎでしょ! ぱっと見だとどうみても女の子だよこれ」
自分でも驚いちゃうけど、女装にしてはあまりに完成度が高すぎる。そんなちょっと女の子の服を着てみましたとは明らかに次元が違う出来なのだ。
「……ってことは、やはりあなたは覚えていないのね」
「え、この写真のこと? そりゃそうでしょ、もう10年近くも昔なんだよ? さすがに覚えてはいないよ」
だからこそ驚いているのである。でも、これだけ完成度が高ければ、もう地毛証明としては十分申し分のない写真だ。僕が安藤春樹では無い、安藤春奈としての過去を裏付けるにも十分過ぎる資料なわけだし。
「良かった。じゃあこれを出してくるよ。あの鬼会長め、今に見てろよ。わたしの可愛さにひれ伏させてやるんだから!」
なんだか、品の悪いお嬢さまが言いそうなセリフなような気もしないんだが思わずそう言ってしまう。しかし、勝ち誇ったわたしの顔とは裏腹に母さんは何だか沈んだ表情をしていて……心配で尋ねてはみるもののはぐらかされてばかり。結局それが何のせいなのかは分からなかったのである。
◇
そして、次の日の生徒会室にて。
「こ! れ! で! どうですか!」
昨日の溜まりに溜まった鬱憤を全力でぶちまけながら、その紙を叩きつける。言う相手は、もちろんあのいけ好かない生徒会長。さすがにわたしの覇気に、完璧超人でも多少は驚いたらしく。
「……まあ、そうね。幼少期の写真でも構わないって言ったものね」
地毛証明の申請書を困った表情をしながら受け取る彼女。
まあ、申請書の付属資料として幼少期の写真ってどうなのと僕も思ってるけど、でも昨日あなた言いましたもんね? 幼少期の写真でも良いよって。
「そういうわけなので、今後はよろしくお願いしますね」
何が生徒会長だ。生徒会長って言っても上から目線で接して良いって訳じゃないでしょ? でもまあ、一泡吹かせることができたから満足。これ以上は、少なくともガミガミ僕に言う大義名分も消えたわけだしね。
ともかく、それだけ言い切ればもう用事も無いのでさっさとこの部屋を出てやろうと身体を翻したのだけど。
「ちょっと待ちなさい」
「……まだ何か?」
今度は何が気に食わないっていうんだ。年上の人に対しての態度が悪いって? 確かにそれは否定しないけど、男だった頃から僕はそうだぞ。上から目線でさも正論のように話を押し付けて、僕を否定する」人は、大っ嫌いって。
そこはブレないでいるつもりだったんだけど。
「別に態度を怒っているわけじゃないわ。けどね、この申請書の名前とかあなたのふとした拍子に出る言葉遣い」
「悪いことは言わない。隠すつもりなら、ちゃんと気を付けなさい」
彼女の静かな言葉に、僕の背筋は凍った。
「話はそれだけ。お疲れ様」
そう言うなり、彼女はもう僕には目もくれずパソコンへと視線を写した。
「失礼しました」
何事も無かったかのように部屋を出る。けど内心は……正直動揺していた。
「あれは、どういう意味なんだ……」
隠すつもりなら、ってわざわざ言ったんだ。僕が何かを隠していることを知らないと、それは出ないフレーズ。しかもそうだとしても、相手方が僕の隠している情報を知っていたとしてわざわざ僕に言う必要も無い。
あれは、わざと言った言葉なのか? そうだとしたら、僕の正体がバレているってこと? ……正直断定はできないけど、歴代最強ってうたわれた彼女ならば勘付くことだって十分にありうる。
「くっそ……ぬかったかな……」
せっかく楽しくなった学校生活だというのに、僕が背負わないといけない「正体」のせいで再び胸が締め付けられる日々が……始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございました。
地毛証明というと今どきの読者様にはピンと来ない話かもしれませんね。筆者であるわたしが中学・高校生だったのはかれこれ10年ほど前なのですが、その時代は風紀検査の一環でこのような検査がありました。要するに、高校生が髪を染めないようにとか校内風紀が乱れるのを事前に阻止するためのものですね。
ただし、平成も終わるこの時代では教育上と人権の問題でだいぶこの手の検査はだいぶ少なくなっているらしく、今どきの内容とは少しそぐわないかも。なお、春奈秋奈ママの実年齢については……読者の皆様のご想像にお任せいたします。




