11.「幼馴染みの挽歌」
二人きりで話すにはもっともいい場所がある。
それは、学校の屋上だ。なぜなら、屋上には基本的に誰も来ないから。眞子もそこのとこは何となく分かっていたらしく……。屋上につながるドアのカギを閉めるなり、そのまま給水塔のそばの木陰で向かい合った。
「で、話って何かな?」
パッと見るだけなら、いつも通りの明るい笑顔で問いかけてくる彼女。しかしその目の奥には、光がまったく宿っていないようで。
「えっとね、……どうしてこの前よりもちょっと元気が無いのかなって?」
その原因はたぶん――というか間違いなく僕にあるのだろう。
だけども、その割にストレートに僕に対する目線が怖い、と素直に言えるわけも無くて。
「そんなことは無いと思うよ? 春奈ちゃんがわたしに嫌なことをしたって訳でも無いのだから、そうする理由も無いし」
そう言い、なおも笑顔を向ける眞子。だけどもその言い方が。この前までつけていなかった「ちゃん」って言葉にトゲがあったのは事実で。そして、僕の質問には深い答えを寄越さなかったくせに。
「あたしからも一つ聞いていい? 春樹って結局どこに行ったの?」
眞子から放たれた質問は、随分と重たいものだった。
「どこに行ったっていうのは、どういう意味?」
「朝、あなたが転校するって話をするその直前に担任が言っていたの。『安藤春樹君』は、訳があって別の学校に転校したって」
「なるほどね」
「親戚なんだもの。まさか知らない、なんてことは無いはずでしょ?」
そう言い、彼女はじりじりと距離を詰めてきた。その視線は、タクシーでの別れ際のあのときとそっくりで、長いこと幼馴染みをやっていたけどそれでも見ることが出来ないほど――恐ろしい姿だった。
「……それは、どうしても教えないといけないことか?」
正体を隠さないといけない、というは確かに大きい。
でもそれ以上に、眞子だからこそ真実を明かせないというところも大きい。
「逆にどうして隠さないといけないことなのかしら? それは、わたしも春樹に対して何かしらの危害を加えて転校のきっかけを作ったから?」
「まさか」
そう言って牽制するが、彼女の一言は本当にぐっさりと心に突き刺さる一言だった。
どうして眞子に真実を明かせないのか。それは――眞子にはせめて安藤春樹がこの世から消えてしまったという事実を忘れて欲しかったから。転校したと言えば、もうそれ以上安藤春樹のことを眞子は考えなくても良くなるはずだから。
何だかんだ言いつつも、眞子は最後まで安藤春樹という存在を庇ってくれていたのだ。であるならば、そんな彼がこの世から消えたという現実を――僕は見せたくなかった。
だけどもその、僕なりの最後の優しさを理解されないというものはやっぱり心に刺さるものがあって。
「だったらどうして教えてくれないのかな?」
「どうしてそこまで知りたがりなのかな? 親族でもないのに、そんなことを教えて何になるって言うの?」
冷たい言葉だとは思う。でも結局は、こうとしか言えなかった。春樹はきっとどこかで元気にやっているだろう、そう思いながら傷を癒してもらうことしか今の僕にはできないのだから。
それともいっそ僕の正体を明かすべきなのか。――ダメだ、今の時点で正体を明かしたところで火に油を注ぐだけだ。
「一つ言えるのは、彼はわたしよりも一足先に転校してでは、そこでは元気にやっているってことくらいかな」
だったら、せめてありもしない幻を見せて眞子の気持ちをおさめることしかできない。
それでも彼女は賢いから、そのありもしない幻をきっと見抜いてくるのだろうけど。
「……分かった。納得できないところはたくさんあるけど、とりあえずは理解しておくわ」
眞子は淡々と、そうとだけ言葉を返した。
そしてその瞬間に、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「さっ、戻りましょう」
そうとだけ言って、眞子は踵を返す。
きっと本来ならば、僕もここで話を終えるべきだったのだろう。だけども……。
「眞子ちゃん。わたし――もしかして眞子ちゃんを怒らせたかな?」
やらないでいい、って心のどこかで思っていたはずなのについそんなことを彼女に言ってしまったのだ。さっき、春樹のことを忘れさせてあげるべきだって考えていて、僕の存在が間接的に春樹の存在を思い起こさせてしまうことだってあるかもしれないというのに。
もしかして認めたくないだけで――僕自身本心では眞子と仲直りしたいってこと?
「さて、怒らせるようなことがあったかしらね」
彼女は僕の目を見ずに、そう続けた。
「怒ってるじゃない! どうして眞子ちゃんはわたしの顔を見て、そう言ってくれないの?」
「……さっきから思ってたんだけど、気安く『眞子ちゃん』って言うの止めて欲しいな。わたしたち、ただのクラスメイトでしかないのだから」
彼女はそう、穏やかな口調で返す。だけどもその言葉には、どこか眞子の気持ちが乗っていないというかまるでプログラムで生成された言葉のような気がして……。
「……そう、だよね」
僕自身が眞子のことを蔑ろにしたのに、今さらどうして眞子が優しくする義理なんてあるのか。
がしゃんと締まる屋上のドアを見つめながら、僕は無言のまま立ち尽くすことしか出来なかった。
◇
昼休みの出来事から、数日が経過した。
最初は僕の転校に大騒ぎしていたこのクラスも、数日も経てば僕がいる生活に慣れてきたようで。同じことは僕にもいえるようで、知らず知らずのうちにクラスメイトたちと顔なじみになって、近くの席の子とはちょっとした雑談が出来るようになっていた。
男だったときと比べれば、当たり前のことが当たり前にできるようになっていてそういった意味では今の環境はすごく居心地が良い。だから女の子になって良かったのかな――とは思いつつあるのだが……。
その日の放課後。掃除の時間に、このクラスで事件が起こった。
「三春さん、落ちついて」
「そうよ! 彼は転校しちゃったって、ただそれだけの話じゃ無い!」
新しいゴミ袋を掛けようと、職員室に新しい袋を取りに行って戻ったまさにその時。教室からは、異様な雰囲気が漂っていた。
こんな雰囲気では、教室には入れない。とりあえず話がある程度落ち着いたら入ろうと、教室から死角になりそうなところで息を潜めていたのだが。
「だったら、あなたたちは責任を感じていないの? だって明らかに、あいつの転校の原因はわたしたちにあるのよ? それで平然としていられるなんて、おかしいじゃない!」
転校の原因、という言葉を聞き全身に悪寒が走った。聞いてはならない話題のような気がしたからだ。だけど、全身の筋肉が硬直して動けない。そういうわけで、続く言葉を否が応でも聞かされることになった。
「だけどもそのワケだって、はっきりと言われてはいないでしょ? 事情があって安藤君は転校した。今の時点で分かることはそれだけじゃない」
声質から察するに、これは委員長さんだ。ずいぶんと落ち着いた話し方、彼女に何か言われたわけでなく彼女自身も何もしていないという自覚があるからだろう。
「だったら、彼が転校先の学校で頑張ってるって。そう考えてあげるしかないじゃない」
「だけどもっ! ……許されないでしょ、こんなの」
「もうやめろ! その話はしないって、先週決めたばかりだろ」
「俺たちは悪くない。あいつが勝手に転校した、時期が悪かっただけの話じゃねえか」
「そうね、私たちのせいじゃ――」
しかし委員長さん以外の人達は何だか声に落ち着きがない。誰が話しているかよく見てみると……そこには、僕に嫌がらせをしてきた男や女がたくさん。しかも揃いも揃って眞子を取り囲んでいたのだ。
「本当にそうと言い切れるの? 現実問題としてアイツは傷ついていた! 酷すぎる仕打ちに……打ちのめされていた。あなた達だって本当はそう思っているんでしょ! だから転校生にあそこまで優しくした。違う?」
眞子の怒りの声が、この教室を震わせた。怒りに震えた彼女の慟哭は、あまりにも恐ろしくてとても近づけそうになかった。目元は、髪が下ろされていてどんな表情をしているかわからない。でも、透明な雫が時々床に落ちていたことから、どんな表情をしているかはなんとなく察することができた。
「違うと言っているだろ。それに、そんなことを言ったらお前だって加害者じゃねえか!」
「宮川落ち着けよ。少なくとも三春は、あいつを救おうとしてた。それだけは違う」
「じゃあ俊吾はどっちの味方なんだよ!」
「みんな落ち着いてよ!」
委員長さんが必死に止めようとしているが、教室内には殺伐とした空気が流れていた。
「だって、あんなことがいじめだなんて……誰が思うのよ?」
「そもそも、私達は直接は何も言って無いじゃない。何なら、言っていたのはほとんど男子じゃない!」
「でも、わたし達は放置した。そんなの、いじめに加担したようなものじゃない!」
ここまでくれば、彼らが何を話しているかがもう読めてくる。要は、責任の押しつけあいだ。安藤春樹は、いじめに耐えられず、転校した。そう思い込んでいるのだろう。
確かに、小言を言われる生活は辛かったし憎かった。今だってその気持ちは変わっていない。でも、だからといってここまで同情されようとは僕は思っていないし、本人不在のまま勝手に話だけ進む。しかも素直に謝ってくれればいいだけなのに、責任の擦り付け合いだなんて見ているだけで腹が立ってきた。
抗議しようと、立ち上がる。だが、その瞬間だった。
「もう何を言っても、あいつはきっと許さない。わたしたちを」
眞子は、そうとだけ言い捨てると鞄を乱雑に掴み走り出す。そして……。
「あっ!」
「うそっ!」
教室の入り口で様子をうかがっていた僕とばったりぶつかってしまう。いや、とっさに彼女を受け止める姿勢を取ったから、僕だけ尻もちをついて眞子は僕に覆いかぶさるようによろけてしまう。幸い彼女は傷ついてはいないみたいだけれども、しかし彼女は、そのまま無言で起き上がって走り去ってしまった。
「……安藤さん、違うの。これは……」
委員長さんが弁解する。たぶん、僕がこっそりと話を聞いていたことに気づかれたのだろう。
「はぁ……まったくさ……」
僕は、静かに教室内に入り彼らと目線を合わせた。
「色々ツッコミどころはあるけどさ――みんな揃いも揃って何をやってるのさ?」
もともとこのクラスの体質についてはどうかと思っていたけど、僕の次は眞子がターゲットになるだなんてさ、さすがの僕だって思わなかった。だからこそ、つい一言そういってやる。大抵の人間は、そんな僕に怯んだみたいだけど。
「知ったような口を叩くなよ、転校生。三春が勝手に泣き出した、ただそれだけの話だ」
そんな中、大柄の男が出てくる。宮川正輝。このクラスの番長格の人物であり、僕に色々なことをしてくれた張本人でもある。彼だけは、僕なんかに臆しないらしい。そりゃそうだろう、それだけの太さが無いと僕に色々とやってはくれないのだろうから。
「安藤さん落ち着いて。正ちゃんもだよ!」
委員長さんが間に入って止めようとする。喧嘩を止めようと必死なのだろう。
でも、別に僕は喧嘩する気なんかない。正直こいつらなんかどうでもいい。僕がやろうとしたのは……。
「委員長さん、良いんだよ。この人と喧嘩する気は無い」
「じゃあ……」
新品のゴミ袋を置くと、僕は眞子を泣かせた全ての主犯を睨み付けて宣言した。
「三春さんを、励ましに行く」
踵を返した。こいつらには、もう用事は無い。
今さらになって気がついたんだ。本当に大切にするべきものが何なのかを。だから、構っていられない!
「……それをしてどうなる。転校生が三春のことを励まして、何になる?」
宮川のドスの効いた制止が、教室に響く。僕を威嚇しようと言うのだろうか。でも、だとしたら……。
「……獣みたいに寄ってたかってじゃないと何も出来ないあんたたちに、……何が分かる」
「人の痛みを知れないあんたらに、何が分かるってんだッ!」
そう、怒鳴りつけてから教室を立ち去った。全く、なんて手の掛かる幼馴染みなんだ。自分で自分に枷を掛けて……自分のことを大切にだなんてどの口が言うのだか。本当に本当に本当に……。
「眞子の大ばか者ッ!」
誰も居ない昇降口で、僕は心の底から吠えたのである。
◇
スニーカーに履き替えて、そのまま校門を飛び出す。僕は眞子の通学路をひたすら走った。
もちろん、あてなんてものがあるわけでは無い。ただ、それでも彼女がいそうな場所をひたすら走って探し求める。眞子が教室から逃げ出してから僕が追いかけ始めるまでの時間の差はそんなに無かったはず。だからそんなに遠方までは行ってないはずだ。
しかし、眞子はあの時走って逃げだした。徒歩の3倍速と考えれば、距離を稼がれたとも考えられる。
「――ったく、めんどくせえ女だな」
僕には分からない。慣れない女物のスニーカーで走ったせいか、甲の部分が擦れて痛い。それでも走り続ける。眞子に会うため。愛しき幼馴染みを救うという、ただそれだけのために。
狂ったかのように、この街を走る。すると、僕が探し求めていたあいつは案外あっさりと見つかった。
「……見つけたッ!」
彼女は、歩道橋から道路を走る車を淡々と見つめていた。距離が縮まるにつれ、彼女の表情が徐々に鮮明に映る。瞳からは光が消えている。まさかとは思うけど……そこから地面に飛び降りなんかしないだろうな? いや、もう何でもいい。そんなことをさせないために……やれることなんて限られているのだから。
「眞子ッ!」
僕は、信号を無視して眞子のもとへと駆け寄る。両手を水平に広げて、捕獲するように眞子を無理やり抱きしめた。
「な、何をするの!」
泣きはらした目を擦り、眞子は言う。余程驚いたこともあってか、必死に抵抗する。だが僕は、今出せる限界でそれを抑え込む。
「もう二度と離さない、絶対に絶対だ!」
「分かんない! 意味分かんない!」
もう、言い訳はしない……。少なくとも、眞子には言い訳は出来ない。
原因や結果は何であれ、僕は眞子を傷つけた。もしかしたら、眞子だって僕を傷つけたかもしれない。でもそんなこと、今さらどっちが悪いなんて議論したって仕方ないじゃないか。だったら、蹴りは今ここでつける。もう、眞子を絶対に泣かせない。
「意味を分からせてやる。要するに、僕は安藤春樹ッ! あんたの幼馴染みってことだよッ!」
自分勝手は承知のうえだ。眞子の気持ちを考えていないことも、分かっているつもりだ。だがそれでも、僕は知らせるべきだ。嘘をついて悪夢を見せ続けるよりも、残酷な真実を告げて悪夢から覚めさせるために。
「……だったら、……説明してもらうよ?」
彼女の抵抗が止まった。声が、鼻声になっている。それだけ僕は、眞子を追い詰めたのだ。だったら今は、眞子からどんな残酷なことを言われても受け入れるしかない。
「元より、そのつもり」
彼女は逃げない、そう判断して拘束を解く。その時初めて、僕は眞子の泣き腫らした顔を直視することになるのである。