96.「『あたしだけ』のお姉ちゃん」
「あたし、やっぱりハル姉が好きだよ。諦められない。あたしだけのお姉ちゃんでいて欲しい!」
秋奈がいう『好きな人』。
それは――よりにもよって、私自身のことだった。
「えっ……と。うん、そうだね」
突然の言葉に、なんて言葉を返せばいいんだろう。驚くべきこと、といえば驚くこと。でもそのくせ、秋奈の言葉がどこかストンと納得できてしまうところもあり。
「私は、秋奈のお姉ちゃんだよ? なのに今さら何を」
それでも、秋奈の言葉を受け入れるわけにもいかず、わざとかわすような言葉を返した。
「うん、そうそう。やっぱり私は秋奈のお姉ちゃんだ」
確認するかのように、同じ言葉をつぶやく。だけども秋奈は、彼女が放った爆弾を撤回する気は全く無いようで。
「……ハル姉、今の言葉を単純な妹としての言葉って理解したでしょ?」
いや、私がそれをかわそうとしてるのもきっと分かっていたんだ。だからこそ。
「あたしが言ってるのは、『恋愛』って意味だよ? 異性……じゃないけど、姉妹って枠を超えてハル姉が好き。できればずっと独り占めしたいし、結婚ができるならそれをしてもいいとさえ思ってる」
退路を塞ごうと、衝撃的な言葉を並べた。ここまで来れば、もう誤解することは無いだろうってそう言わんばかりに。
そうね。ここまで来れば――確かにもう、誰も誤解しないよ。
鈍感って言われがちな私も、さすがにわかる。確信する。秋奈は、私を1人の女性として好きになっちゃったってことに。
「そっか」
ため息交じりの言葉がついに漏れる。正直に言えば、戸惑いって気持ちのほうが大きかったから。
もちろん、「好き」って言ってくれることは嬉しい。「嫌い」って言われるよりは、好かれていることが分かった方が良いのは人間誰しも当たり前。私だって秋奈のことは大好きだし、たまには喧嘩もするけどそれを含めても秋奈はやっぱり私の可愛い妹だ。
でも、「好き」は「好き」でも――姉妹に恋愛感情を抱いていいかって言われたら。
「でもっ」
と言いかけて、気がついた。口だけ動いていて、声になっていなかったことに。
それでも秋奈の気持ちは――おそらくこの世界では認められないこと。たとえ仮に私に、付き合っている人がいなかったとしても、断るしかないような内容。
誰よりも優しくて、誰よりも気高くて。誰よりも純粋な気持ちだってことは、秋奈のそばにずっと居たからこそ人一倍分かっているつもり。
でもそれは、モラルが崩壊した無いようであることは間違いなくて。
「あのね。ちょっと前にお姉ちゃんは、『どうして私に優しくしてくれるの』ってあたしに尋ねたよね? あの時はぼかしたけど、今はっきり言うね。……大好きだから、だよ。大好きな人には、尽くしたくなるのは当たり前の気持ちでしょ?」
止めなくちゃいけない。それが姉の役目だから――分かってるよ。でもそれを止めようにも、私は上手く言葉を紡げなくて。そしてそんな私を知ってか知らずか……秋奈の気持ちは止まらなかった。
「だから……お姉ちゃんが望むなら」
そう言うなり、衣擦れの音が。おかしい、なぜそこでそんな音がするのかと一瞬考えたがすぐに彼女の意図が分かってしまい。
「待って秋奈っ! それは」
やっと言葉を紡ぐことができた。そう思う間もなく、彼女は、私の手首を掴んで胸元に近づけようと。というよりも、はっきりと秋奈の胸元に手が触れさせたのだ。
「ちょっとっ!」
驚きと拒否の意味で、手を引こうとする。でも秋奈のほうが力を込めているせいで、私は秋奈の胸元から手が離せない。そうこうしている間にも手のひらには、秋奈の鼓動とぬくもりが伝わってくる。けどそのぬくもりは、いつも感じる優しさでは無く、どこか生々しくて湿った嫌な暖かさで。
「どう? これでもあたし、それなりに大人になったんだよ?」
「そうかもだけど……」
確かにそれは、「大人」の女性の胸なんだろう。実際秋奈は、私よりも背丈も胸も一回りも大きい。いつの間にか胸も私よりずっと大きくなってたし、男だった時の私も妹とはいえ多少意識してたところがあるのも事実。
「でも、おかしいよ! やめてよ。嫌だよ、こういうの」
でもだからって妹に手をかけるはずなんか無いし、胸を意識していたにしてもそういう感情を抱いたことなんて無かった。まして同じ性別となった今、そういう目線で見たことなんて一度も無いのに。
というか、身体を重ねるって行為そのものが――想像もつかないし怖い。気持ちも秋奈の一方通行だし、私の意思なんて聞き入れられてないしやっぱりおかしい。おかしいよ! 嫌だ。こんな形で、妹の温もりを感じるだなんて。
「まだ間に合うから。ねっ? 悪ふざけってことで、止めよう?」
そう。胸を――おっぱいを触り合うなんて悪ふざけは女子同士なら結構珍しいことでも無い。それならば、お互い無かったことにできるから。まだ、戻れるから。
「悪ふざけじゃないよ。あたしは、本気だよっ」
だけども窓から漏れる月の光に映された彼女は、いつもの明るくて無邪気な女の子ではなく――どこか野獣のような。
本当はこんな言葉、秋奈には言いたくなかった。でも――。
「もう、気持ちを抑えるのは嫌だよ。姉妹だから、好きになっちゃいけないなんてそんなのっ!」
「触らないでっ!」
この時私は、初めて秋奈を拒絶してしまった。思いっきり手を引っ込めると、存外あっさりと秋奈の胸から手を離すことはできた。でも、手にはいまだに彼女の柔らかい感覚が残っていて。それが何だか今日に限っては、気持ち悪かった。
「今日は部屋に戻って。何だかもう……分からなくなって」
秋奈は好き。でも、拒絶してしまうことになるなんて、そんな私が情けなかった。頭の中にはいろいろな感情が今もうごめいていて、好きと拒絶と後悔と戸惑いの感情がごちゃごちゃになっていた。
混乱のし過ぎか、目頭が熱くなって何かがあふれ出て。それこそ枕に抱きしめて顔を隠そうとしたのに。
「なんでっ? でも夏のあの時は、ハル姉の方があたしに手をかけようとしたじゃない!」
秋奈は私の命令なんか聞かず、無理やり枕を取り上げたうえで肩を押さえる。それどこか、無理やり仰向けにしてさらに押し倒すようなかっこうに。
月光が照らす彼女の身体は、とてもきれいで艶かしくて。きっと私が男だったら、それこそ雰囲気に流されていたのかもだけど、その美しさが今の私にはかえって辛かった。
「そうだけど、本当にはしてないじゃない!」
目をつぶって言い返す。もし目を開けたら、私の方が正気でいられる自信がなかったから。それなのに、彼女の悲痛な誘惑は終わることなんてなくて。
「でもっ、あたしにはこうするしかハル姉を振り向かせる手段が無いんだよ?」
「そんなことしなくても、私の瞳にあんたは確かに映ってるよ!」
「だったらなんで目をつぶるの? 私を見てくれないの?」
「あんたの裸を見たくないからに決まってるでしょうが! そういう性的な、そういうことは姉妹では嫌だよ」
「でも女同士なら、どっちも傷つかない。芦原先輩となら、ハル姉が痛い思いをする。だったら……」
「誰がいつあいつとやるって言ったよ! 妄想が行きすぎよ。今のところそんな予定はないわよっ!」
「でもいつかは……」
「あぁくどいっ!」
「例え身体は痛くなくても、私の気持ちが傷つくのよ! それはあんただってそう。私の気を引くために、あんたの『初めて』を散らすっていうなら、そんなことやめちまえ!」
目を開けるのは嫌だった。怖かった。だって、今の秋奈はまるでけだもののようで、気持ちをどこに持っていけば良いのか分からなくて暴走しているわけだから。ただでさえ力では勝てない私が、このまま負けてしまったらどうなっちゃうのか。
きっと私たち姉妹はそれこそ、心が壊れてしまう。
でも妹の過ちを正すのがお姉ちゃんの役目だとしたら、そこから逃げるだなんてそっちのほうが最低な行動だ。だからこそ私は、目を開けて彼女へ言葉を投げかけた。
「私が好きって気持ちは嬉しい。けどだからって、無理やりはやっぱり変。まして私を大切にしてくれるのならば、ちょっとは私の気持ちを汲んでよっ!」
「じゃあなんで嬉しいのにここまで拒絶するの? 妹だから? あたしの身体が貧相だから?」
「違うわよバカ秋奈! あんたが大切な私の妹だから。たった1人の血を分けた妹だからこそ、私の気を引くためだなんてくだらない理由で身体を差し出さないで欲しいの!」
どうして姉妹が好きになっちゃいけないのか。そういう倫理的なところまでは説明できる自信がなかった。正直私だって、なんで姉妹同士がダメかなんて分からない。世間様の決めたルールに、私もがんじがらめになっているってだけなんだから。
けど好きな人を振り向かせるために身体を差し出す。それだけは間違いなくおかしなことだし、秋奈が好きでやっていたとしても止めなくちゃいけないことだから。秋奈だけじゃないよ。たとえそれが別の人だったとしても、たぶん私は同じことを言うと思う。
「そういうことは。せ、せ……せっく。そういうのを否定してるわけじゃない。でもそういうのは、お互いの気持ちが大事。いくら秋奈がしたくても、それを相手に強要するのはダメなんだから」
本当はこういうのは、男の子に言うべき言葉なんだろうけどと思いつつ続けた。
「秋奈が私を好きでいてくれることは、本当に嬉しいんだよ? でも私は、その気持ちを受け入れることができない。どうしても、そういう目線では見れないんだよ」
彼女のパジャマのボタンを留めながら、そう言った。残酷な言葉なんだろうって、分かってはいるけども。でもやっぱり、家族でそういう行為をするのは変だし……ひどい言い方だけど生理的に受け付けられないのだ。
「それでもあたしは諦めきれない。はっきりいえば、芦原先輩は大嫌い。あたしのお姉ちゃんを取り上げた張本人だもん」
それでも秋奈は、すぐには引き下がってはくれなかった。
今さら私が留めたボタンを開くだなんてバカなことはしなかったけど、でも彼女は相変わらず私を押し倒すような体勢で続けた。
「分かってるよ。『別れて』って言っちゃダメなことくらい。でも、ぽっと出のあの男のものに。ハル姉はいつかは、芦原先輩のものになる。それは、確かでしょ?」
「……そっか、ようやく分かった」
なんで秋奈が、ここまでの強硬手段に出たか。
私が好きってことは、理由の一つだったとは思う。ただそれだけじゃなくて、私がもう芦原にしか目を向けないってきっとそう思い込んだから、こういう手段に出ちゃったんだろう。
まったく。私が秋奈のお姉ちゃんだから、まだセーブを掛けられたものを。これが他人だったら、大変な事態だよ。我が妹なら、猪突猛進も良いとこだ。いろんな意味で。
そう言う意味では、何だか一安心。いや、安心はしちゃダメなんだけど秋奈の暴走の理由が分かっただけでも怖さの原因が分かったぶん対処ができる気がしたからね。
「秋奈、よく聞いて。まず初めに私は、あいつの所有物じゃないから」
そう言うなり、私は起き上がって秋奈を優しく抱きしめた。
「何か勘違いしてるみたいだけど、別にあいつと付き合ってるからってあいつのものになった覚えはないしあいつがそういう価値観を押し付けるなら、さっさと振って捨てます」
「……じゃあ、もう芦原先輩ばっかり見てるってわけじゃ」
「私がそんな性格じゃ無いことは、あんたが一番知ってることでしょ?」
そう言って、おでこにかかる髪を上げて秋奈のおでこと私のそれを重ねる。
「それにね、あんたの気持ちを受け入れられないとは言ったけどそれとあんたが嫌いっていうのは大違いな話。何度も言っているけど、私はあなたのたった1人のお姉ちゃん。そしてあなたは、私のたった1人の妹。恋人は別れたら終わりだけど、姉妹はお互いが死ぬまで終わらない。違う?」
そう。だから、秋奈が言ってるようなことは絶対に無い。芦原は、最悪別れてしまえばそれっきりかもだけど、秋奈とは嫌でも家族なんだから別れるなんてことは絶対無い。
「変な話だけど、お互いに大嫌いでもお互い死ぬまでは付き合ってくことになる。でもそれって、お互いにとっての一番って言えるんじゃ無いかな?」
こんな説得で、うまく秋奈を納得させられる自信はない。けど……。
「なんか私の方が考えがまとまってないけど、要は私にとって最大の理解者であって欲しいの。肉体ではなくて、気持ちで繋がっていたいの」
そう言って、秋奈をギュッと抱きしめる。やっぱり私には、同じ温もりでもこっちじゃないとどうしても受け付けられないのだ。
「自分勝手とは、分かってる。秋奈の気持ちを見て見ぬふりして、辛かったよね? 許して、とはいわない。でも、出来れば私の願い。聞いて欲しいかな」
そういって私は、また秋奈に我慢をさせてしまうのか。
もしこれで嫌われたとしたら、それはそれし仕方のない話。確かにこの出来事はなかなかショッキングな出来事ではあったけども、でも秋奈のことはこれからも妹として変わらずしっかりと接するつもり。
ただこれで秋奈が私を嫌いになってもおかしくないし、人の好意を振るってことはそういうことなんだから。
元の関係に戻れるなんて、そんなのはまやかし。どっちかが我慢しないと成り立たない関係。それなのに。
「……分かった。分かったよ」
秋奈は、そう言うと大粒の涙をぽたぽた流しながら続けた。
「大好きな人がそういうんだもん。あたしはそれには逆らえない」
そう言うなり、秋奈はわんわんと泣き出した。
「むしろ、嫌いにならないで」
そう言って泣く姿は、さっきまでの艶めかしい大人の女性とは思えなくて。でも変だけど、こっちの秋奈のほうがよっぽど良かった。良かったって言い方は変だけど、こうやって気持ちに素直になってくれるのは、姉としても安心するというか。
いや、安心って言葉は秋奈に失礼かもしれない。
子供の頃から秋奈には我慢をさせてばっかり。お母さんばっかり責めることはできないけど、よその家みたく誰かに甘えるってことができなかったし、私だって未熟だったから兄としても姉としても秋奈に何もしてあげられなかった。
今だって、勇気を振り絞って言ってくれた「愛情」をもしかして抑えちゃったのかもしれない。
そう考えると、秋奈に押し倒されたことよりも心が痛い。こんな状況で、秋奈に何をしてあげるのが一番の優しさなのか。
「嫌いになんかならないよ。なるわけないよ。ずっとずっと大好きだよ」
そう言って、背中をさすってあげてなだめて。
お兄ちゃんなら、お姉ちゃんならこうやってきょうだいをなだめすかすことは知ってる。けどこれ以上に、秋奈にできる私なりの優しさって――何だろう?
そこでひらめいた。
「ねえ、秋奈。目をつぶってくれる?」
「えっ?」
戸惑った声を上げつつ、目をつぶる秋奈。その表情を見ながら、意を決して――。
「……んっ」
私も目をつぶって、秋奈の唇に唇を重ねた。
それがどういう意味を持つか、分かりつつも。
「ちょっとハル姉、これって」
「うん。キスしちゃった」
あれだけ肉体的接触は嫌って言っておきながら。秋奈と恋人になれないって言っておきながらこのキス。矛盾も良いところだよ本当に。
「しちゃったって……こういうのって恋人同士じゃないとしないことなんだよ?」
ハル姉バカなの? っていう彼女。おかしな話だよ、それ以上のことをこの子はさっきまでやろうとしたのに。
「だからだよ。恋人以上に大切って意味」
でも私にとっては、キスのほうが特別な意味を持っていると思う。こんなこと、たぶん芦原にはしてあげられないことだと思うから。恋人、なのにね。
「中途半端」
「嫌だった?」
「嬉しかった」
「そっか」
そう言うなり、秋奈をゆっくりと寝かしつける。私も隣で寝転がって布団を被ると、除夜の鐘が鳴り始めた。108回突き終えたら、いよいよ年が変わる。女性としての新しい年が、始まる。でもね。
「来年も、きっと変わらないよ」
「えっ?」
「きっと変わらない。今まで通りの、1年が続くだけだよ」
「そうかなぁ?」
なんて言いつつ、彼女はわたしの腕をぎゅっと握りしめる。そんなに太くも頼もしくも無いし、抱き枕としてはあんまり向いてないと思うんだけどなぁ。そしてそんなことを思っている間にも、秋奈はすでに寝息を立てているし。笑ったり泣いたり怒ったり忙しい子だよ本当に。
「いや、だからこそか」
今までしっかりしすぎていたからこそ、こうやってしっかり甘えてくれなくちゃ。そうね、来年の目標が決まったかも。
「秋奈がいつでも甘えられるお姉ちゃんに、ならなくちゃね」
そう思いながら、瞳を閉じる。こうして激動の1年が、終わった。
問題回再び。
いや、本当にその言葉しか出てこない回になってしまいました。
正直、この小説に出てくる人間の恋愛観は、普通の恋愛観とは違いすぎてて果たしてこれで良いのかって悩む機会が結構多くあったりします。愛情表現って難しいですよね。人によって千差万別だとは、分かっているんですけど……。




