秩父へ行く
なかなか休みが取れないという桑田孝夫から、8月15日なら確実に大丈夫、との連絡を受け、
「じゃあ、どこか行こうか?」ということになった。
しかしながら、たった1日しか休めないとあって、あまり遠くにも行けない。近場で、さらにどうせなら、どちらもあまり訪れたことのない場所がいいだろうと考え、埼玉県秩父の長瀞にしようということで話がまとまった。
河川沿いでもあるし、涼しくて良さそうに思えた。
桑田のクルマで道の駅・ちちぶに到着したのは、9時ちょっと過ぎだった。
まだ時間も早いせいか、駐車場はがらがらである。小雨がシトシトさす中、冷たい缶コーヒーを買って、軒下へと避難する。霧のように細かい雨が、風に舞ってまとわりついてくるのがあんまり愉快ではなかった。
しばらくの間、桑田と物産展示場に入って、地域で採れた野菜などを見たり、観光案内板やイベントの紹介を見たりする。
そこいらをうろうろしているうちに、駐車場の片隅に「ちちぶの水」なる噴水のような、水飲み場を発見。チロチロと音を立ててこぼれるこの水飲み場を見て、
「ふう~ん、ちちぶの水ねぇ……」桑田はそう言いつつも、手ですくって水を飲む。「冷たくてうめえや。みんな、ペットボトルに汲んでいくわけだ」などとつぶやくのだった。
時間がたつにつれ、車の数が増えてきた。道の駅の中でもかなり広い駐車場だったが、まもなく、ほぼ満車になってしまった。観光客の賑わいもひときわ高まり、活気づいてくる。
また雨がぱらついてきた。建物の中から外をぼんやり眺めていると、自転車に乗った人物がふらっとやってきて、先の水飲み場に向かうのが見えた。片手に空のペットボトルを持っている。さっき桑田も言っていたように、水を汲んでいく観光客や地元民はよく見かけるので珍しくも何ともない。しかし、その異様な出で立ちは、周囲の人々からはあからさまに浮き上がって見えた。
全身、真っ黒な雨合羽をぴっちりと体にまとわりつかせ、顔も、目のあたりをごく一部だけ覗けるようにした以外は、息ができないんじゃないか、と思えるくらいに黒いビニールを巻き付けている。単に雨よけとは、とうてい思えない。実際、彼(?)は水飲み場で水を飲んだり、ベンチに座ったりを繰り返しながら、20分ほどそこにいたが、その間に雨は上がり、それでもマスクを取ろうともしなかったからだ。
きっと事情があるのだろうが、様々な想像が駆けめぐってしまう、そんな怪しい人物であった。
「それにしてもあいにくの雨だぜ。昨日まで天気よかったんですけどな」と桑田はなんだか自分が悪かったことのように言う。
これからの行動をどうするか決めるため、物産店に入り、「みそぽてと」なるものを食べる。
「みそぽてと」とは、読んで字のごとく、ジャガイモをすりつぶして固めたものを串に通し、味噌を塗って焼いたものである。甘味噌で、スイート・ポテトにも似た、おやつにちょうどいい食べ物だった。
「これが、秩父名物・みそぼてとでかあ……」桑田は微妙な顔つきで、しげしげと串を見つめる。
「特別『うまいっ!』っていうほどじゃないけど、まあまあ、イケるよね」とわたし。
「まあな」桑田もうなずく。
1本120円、量もまあまあ。熱々のうちに食べるとおいしい。桑田の好意に甘えて、おごっていただいた。ごちそうさまでした。
「さてと」一息ついたところで、わたしは切り出した。「ライン下りなど計画していたんだけど、この天気では楽しくなさそうだよね」
「そうだよな~。まったく、雨のやつめ」
「それに、ほら、そこの壁に貼ってある観光ポスターを見てよ。3コースあって、安いのが1,550円、高いほうなんて2,900円もするんだもんね!」
桑田は両の目を大きく広げ、額に深い皺を何本も寄せて叫んだ。「うわぁ~、これはまたたけえなあ。ライン下りはまた、『今度』ということにするか」
桑田の「また、今度」とは、金輪際、結構でございます、の意味である。過去数十度と聞かされてきたが、かつて一度たりとも「今度」という日が来たことがない。
「外の観光案内図によると、鍾乳洞があるみたい。行ってみる?」わたしは江ノ島の洞窟探検がお化け屋敷のようで楽しかったことを、桑田にざっくりと説明した。
「ほ~、いいねぇ。行ってみるか」
ということで、桑田のフォレスターに乗り込んだ。
「ナビ、セットしないの?」
「しとくか。おれも割と方向音痴だからな」桑田はナビのタッチパネルを操作しだしたが、目的地である「橋立鍾乳洞」というのがどうしてもヒットしない。挙げ句に、京都の天橋立とか出現してしまい、
「日帰りじゃ無理だよねぇ」なんて笑い合う始末。
近くだし、標識をよく見ながら行けば間違えることもあるまいと、ナビを当てにするのはやめにした。途中、右折のところを直進してしまい、その先の道の駅・「あらかわむら」でそばを食べた。
桑田は暖かい山菜そば、わたしは天ぷらせいろそば。せいろが二枚重なっていて、天ぷらもめんつゆもなかなかの味。
「やっぱり、水がいいとそばもおいしいんだな~」と桑田も舌鼓を打っている。
そば屋を出て、物産展にいそいそと足を運ぶ桑田。たくさんの野菜が並んでおり、その一つ一つには「生産者・西村きよ」とか「生産者・鈴木孝一」などと書かれたシールが貼られている。鴨居の上には、ずらりと生産者の顔写真が並び、思わず、野菜の生産者の名前を探してしまった。
桑田は、「こいつは安いな。土産に買ってってやるか」と、まるでバーゲンの主婦のような目つきになっている。結局、タマネギをいくつか買い求めていた。
会計のついでに、橋立鍾乳洞への道順を尋ねていたところも、さすがに抜かりがない。
長瀞のこの一帯には、「秩父三十四カ所」という礼所があって、これから向かう橋立鍾乳洞も実はその一つ。秩父札所28番、橋立寺奥の院という。物産展のおばちゃんの説明のおかげで、こんどは迷わずにたどり着いた。
駐車場からは坂を下りてちょっと歩く。しくしくと降り続ける雨が、なんともうっとうしい。ただでさえ蒸し暑いのに、ますます湿気が増し、不快指数がぐんと上がる。
「こんな傘しかねえけど、いいか?」桑田が車から引っぱり出したのは、なぜかピンクのビニール傘。
わたしはなにか言わなくてはならない義務を感じたが、語彙が浮かばず、「……おしゃれじゃん」
桑田はあわてた様子で、
「いやいや、言い訳をさせてくれ。これには深い訳が」
それによると、透明傘を持って飲食店に入ったはいいが、出るときにそれが無くなっていた。困っていると、店の主人が、「こちらの傘が余っているので、よかったら、代わりにどうぞ」と渡されたのが、このピンクの傘なんだそうである。
入り口で入場料、大人1人200円を払って、さっそく鍾乳洞へと向かう。
坂を20mくらい行った先に、鍾乳洞がある。
鍾乳洞は、岩山にぽっかりと空いた穴が入り口となっていた。急な石の階段を下りて行かなくてはならないのだが、先を行くおじさんなど、
「うわぁ、だめだ、やっぱりおれは降りられんわ」と引き返してしまった。どうやら、足を悪くしているらしく、曲げ伸ばしが不自由なようであった。とはいうものの、降りかけた階段は、大人1人分の幅しか無く、途中で引き返すのに、ちょっと手間取ってしまった。
中はひんやりとして、そとの暑さが嘘のよう。最初に目にしたのは、お地蔵様。ただ、足許がぬめっていて、周囲はどこもかしこも狭く、閉所恐怖症の人はパニックを起こしそうだと思った。
わたし達も、パニックこそ起こさなかったけれど、身をこごめて通る箇所も多く、江ノ島の時のようなワクワク感のかわりに、閉塞感でバクバクであった。
狭いところをくぐったり、急な階段を登ったりと、まさに苦行である。
「まあ、人生こそ、修行だからな」桑田が最もらしく洩らす。
やっとの思いで出口までたどり着いたときは、正直なところ、ほっとした。
「明日あたり、筋肉痛でヒィヒィいいそうだぜ」と桑田が言うので、
「年を取ると、筋肉痛が遅れてやってくると言うからねぇ」とわたしは言い返してやった。
「何はともあれ、無事に脱出できてホッとしたぜ、まったく」
観光気分で入ってはみたものの、ぐったりして楽しむどころではなかった。入り口の案内には、「再入場の際には、その都度料金をお支払いください」などと書いてあったが、桑田の言うところによれば、
「金を払ってまで、もう一度入ろうとは思わねぇよ」
土産物屋を奥に見つけたので、一休みすることにした。雨はほとんど止んでおり、湿気が蒸気になってあたりに漂っている。それとも、これは霧だろうか? 滲み出る汗に、さらに大気中のこうした水分がまとわりつき、ほんとうにいやな気分である。
「ソフトクリームを売ってるぞ。食おうぜ」桑田が提案したので、二もなく賛成した。先に誘った方が代金を払うという暗黙のルールがあるらしく、桑田はさっさと2人分を支払っていた。
「あ、さっきもみそぽてと奢ってもらったし……」とわたしは形式上、とりあえずそう言う。
「いや、ここはおれが」これもまた、きまりきった答え。いつも、ごちそうさま。
観光地にはソフトクリームが定番。ここのはオーソドックスなバニラ味。
ソフトを食べながらわたしは言った。
「ソフトって、その観光地の産物が使われていたりするよな。たとえば、山梨だと巨乳とか」
「巨峰でしょ」わたしはすかさず、過ちを正す。
「ああ、巨峰だったか。間違えた」
「わさびソフトっていうのもあるんだって。やっぱり、鼻にツンとくるのかなあ」
「練りわさびをそのまま使っていたら、ちょっと怖いかもな」
「それこそ何かの罰ゲームじゃん」
「四国の方には、紫イモソフトとかあるらしいぜ。うまそうだな」
「川口にはキューポラ・ソフトがあるってさ」
「えっ、まじか?!」桑田は目を見開いてびっくりしている。
「うそだよ、信じちゃダメじゃん」
15分ほど休んでから、駐車場まで戻った。
車に乗り込むと、桑田が思い出したように言う。
「実は、ナビから音声が出なくなっちまってよ。イエロー・ハットで見てもらったんだが……」
「接続がゆるんでたとか?」
「う~ん。それがどうも、ナビの本体がおかしいらしく、結局よくわからなくてな。それでよ、その時に店員に言われたんだ。『この車内、なんだかカビ臭いですね』って」
「ひどい言われようだね」
「『ひょっとして、エア・フィルターを換えてないんじゃありませんか?』って言うんで、『あ、そういえば全然』と。車内、カビの臭いがこもってるだろ? わりいなあ」
「で、ナビは結局直してないの?」
「ああ、そうなんだ。フィルターも交換してねえや。今度やるよ」
駐車場を出ようとしたとき、ゴン、と鈍い音がした。
「ありゃ」桑田が肩をすくめる。「やっちまった、看板をちょっとだけすっちまったぜ」 窓から見ると、来るときはまっすぐ立っていた「駐車場」の看板が、やや傾いていた。まあ、変形しているわけでもないからいいということにしよう。
再び道の駅・ちちぶに戻ってきた。
よく見ると、ピンクの建物がどこかメルヘンチックである、道の駅・ちちぶ。
観光案内板を見て、どこかめぼしい所はないかと探す2人。桑田が案内板の上の方にある「じばさんセンター」というのを見つけて、
「これって地場産ってことなんだろうけどよ、かなで書かれていると、『じいさん、ばあさんセンターって読めるよな」などと言うものだから、それまでたしかに地場産だったそれが、じいさん、ばあさんとしか思えなくなってしまった。狭苦しいホールの中を、じいさんやばあさんが右往左往しているシュールな様子が目に浮かんでくる。
「ぷっ。桑田が変なことを言うから」コーヒーとか飲んでいる最中だったら、間違いなく吹いていたところである。「『ちちぶ』までも、別なものに見えてきたよ」
「『ちぶさ』かぁ?」桑田はこともなげにそう言った。
このあたり、巡礼地ということで、寺が多い。「少林寺」という寺を見つけたので、徒歩でそこまで行ってみることにした。
「これってやっぱ、『ショウリンジ』だよね?」わたしは聞いた。
「だなあ、きっと。拳法でもやってるんだろう」桑田は真顔である。内心、あり得ないと思ったが、つっこみどころではないような気がして黙っていた。
夏休みということで、人が多い。車も増えてきて、道はやや渋滞気味である。そうした車を横目に、バイクがすいすいとすり抜けて走り去っていく。こういうときのバイクの持つ機動力は、やはり特権だなあと思う。
大型免許も昔と違い、いまでは教習所で簡単に取れる。そのおかげで、近年、女性大型ライダーが急増しているという。人気なのはハーレー・ダビッドソンで、車体こそ大きくて重いが、シートが低いので足つきがよく、立ちゴケしにくいとか。
以前は、バイクは男の乗り物だ、とか、ハーレーこそは男のロマン、などと言っていたそうだが、時代はシフトし、これからは「ハーレーは女の乗るバイクだ」なーんて言われるようになるのかもしれない。
通りを一本越し、単線を渡ると、趣のある街道に出た。
「ここ、なんだか川越を思い出させるぜ。小江戸と呼ばれるように、風流な町並みなんだよなあ、あのあたりは」桑田は懐かしそうに通りを眺めた。
どこか遠くで蝉の鳴く声がする。きっと、アブラゼミだろう。レンガを敷き詰めた道は、下駄のからん、ころんという音がこの上もなく合いそうな、懐かしくも優雅なたたずまいである。
通りを300メートルばかり歩くと、左の小道に「この先少林寺」と道しるべがあった。
「あ、ここだ。ほら、正面に見えるあれがそうみたい」
来る途中に渡った線路を、もう一度渡り直す格好になり、遠回りだったけれど、いい感じの街道を発見できたのでよかったと思う。
札所15番「少林寺」
一休さん? の絵が描かれた看板がお出迎え。
「着いたな」と桑田。
「拳法の修行はしてなさそうだよ」とわたし。
境内は閑散としており、観光客はほとんど誰もいなかった。かなりマイナーなスポットなのかもしれない。
のんびりとあたりを散策し、途中にあるベンチで一休みする。
「あれ、何か落ちてる」ふと見下ろすと、バッジのようなものが。裏には「鴻巣観光」などと書かれていた。記念バッジなのだろう。高齢者の方たちの観光ツアーかなにかが催され、その際にここ少林寺に立ち寄った。そして、いまわたし達が座っているベンチに掛けて、さっき観てきた名所各地のこと、あるいは嫁や舅、日常でのあれやこれやをおしゃべりしたりしたのかもしれない。そして、その中の誰かがこれをうっかり落としていった。家に帰った後で、「あら、わたしのバッジがなくなってるわ。残念ねぇ」とちょっぴり惜しがったりもしただろう。
それからどれくらいの時が過ぎたのだろうか。昨日かもしれない。それとも、数年たっているかもしれない。いまもお元気に暮らしているのだろうか? その間にどれだけの幸と不幸がめぐったのだろうか…。
などと考えていたら、妙に情が湧いてしまった。持ち帰るのもアレだし、写真に収めるにとどめた。
「そろそろ帰るか。夕方になると道も渋滞するしよ」桑田はよっこらしょと腰を上げた。わたしも、別世界から引き戻された気分で立ち上がる。
「うん、帰ろうっか」
道々、先日中谷と江ノ島に行ったとき、トンビに餌やりをしたときのことを話した。レストランの窓からパンくずを投げてやると、窓のすぐ近くまでトンビが舞い降りて餌をくわえていくのである。
それを見た別の席の若者4人が、一斉に奇声を発する。
「『うわっ、スッゲー!』とか『コエーッ、コエーッ!』とか、いわゆる、ジャニーズ系のノリだったよ」とわたしが言うと、
「いまどきの若者はジャニーズ系の影響なのかね、言葉が乱れきってるよな」といつになく憤慨していた。
「まあ、でも。『言葉は生き物』とか言う学者もいるよ。時代とともに変遷していくんだよ、きっと」
「まあ、そうかもな。奈良時代とかの人の言葉は、現代人にはつうじないかもしれねえなあ」
「ほんと、ほんと」
道の駅まで戻ってくると、桑田は、
「わりい、おれ、ちょっとトイレに」と小走りで去っていった。
トイレは混んでいて、桑田は長蛇の列の最後尾に立つ。
しばらくして、ほっとした表情で戻ってくる桑田。ハンカチで手を拭きながら、
「いやあ、洩れるかと思ったぜ」
さっきまで止んでいた雨が、またぽつり、ぽつりと落ちてきた。別れを惜しむ名残雨だろうか?
わたしは助手席に乗って、外を眺めた。桑田がエンジン・キーを回す音が、なんだか物寂しげに思えるのだった。