灯は消えず
ほとんどが土地の者だという観客は席の半分も埋めておらず、ともすれば演者と裏方のほうが多いようにすら思われた。
演目は『心のともしび』のアレンジ作。劇中でマリーが演ずる主人公は事故により失明し、健常者から全盲の身へと切り替わる。
この難役を表舞台から退いてひさしい彼女がどう演じるのか……批評家のダンは観覧席から獲物をねらう鷹のごとき眼でみていたが、
「もし盲目なりせば、罪なかりしならん」
マリーがこの台詞を口にするやダンの口からため息がもれた。終幕が近づき集中がとぎれたのか、このとき相手役が大きく振った手を見えないはずの主人公の眼で追ってしまっている。
閉幕までにそれを含めて三度、同様のあるはずのない所作が見受けられた。席にはこの地元でのマリーの友人である口ひげの紳士もいて、彼は横からこの辛口の批評家の様子をうかがっていたが、ダンの失望は明らかだった。
辺ぴな田舎での舞台が終わり、そのまま場内では小規模な宴席が設けられた。
「君の元気な姿がみられてよかったよ」酒の注がれたグラス片手にダンは声をかける。
グリーンのロングドレスに着替えてしゃれたサングラスをしたマリーは歓迎の言葉で返し、そして微笑みながら、
「あいかわらず、演技のことはほめてくださらないのね」少しなじるように言う。
「君の才能をだれよりも認めているからね」
いわれてマリーは肩をすくめた。四十にさしかかろうかという年齢だが、こうしたときに見せる仕草はデビューしたての十代のころを彷彿とさせ、それがまたよく似合っていた。
両者の対面はマリーが突如演劇界より姿を消してからおよそ二年ぶりである。理由は不明のまま病が原因かとウワサされ、最近になりコロラドの田舎町に隠棲しているらしいとダンの耳に入り、当人から招待状が届いたのがひと月前だった。
「ここは母の生地なの。人も、自然も、とても豊かでよいところ。一度は演劇をすてようと思ってここへきたのだけど結局できなかった。――ねえ知ってた? 私にとって一番認めてほしい相手があなただったってこと」マリーは眼鏡を外してダンを見つめる。
「……正直なところを言うと、君の活躍を望む反面、だいぶ不満を感じていた。派手なだけの安い役をあてられ、セックスシンボルとしての人気で持ち上げられて、君の才能のさびついていく様がたまらなかったんだ。僕が演出家だったころに見出したなかで、最たる逸材が君だったからね」
マリーの顔は病のためか苦悩にやつれた面影はあるものの、今みせている表情には力強さと溌剌とした生気が感じられた。
「何があったかはくわしく訊かない。が、この環境も悪くないと僕は思う。マリー・ライトという才能が、今度こそ純粋に芝居に打ち込めるならね」
本心からの言葉だった。しかし、この片田舎で実らない演技を続け、静かに忘れ去られていくであろう彼女の姿がよぎると、拭いきれない寂しさをも感じ、さきに見つけた演技の粗を口にすることはついにできなかった。
やがて多忙の批評家が別れを告げ小劇場から出ていくと、その場の者たちは顔を見合わせ、空気が一気にゆるんだようになる。
「うまくいったようですな」
ダンの隣席にいた口ひげの男が、杖を手渡しながらいうと、マリーはイタズラっぽい笑みをうかべる。男は彼女が自分を見つめる自然な瞳の動きに改めて感心した。彼は医師であり、またダンと背丈の似ていることで、発声の位置などから視線を合わせる練習にも幾度となく付き合っていた。
「ええ。――それじゃアレ、お願いね」
マリーの指示に傍らの小間使いが封筒をもち出ていく。
数日後にダンの自宅へ届くであろうそれには、彼女が一年半前に全盲になったことを証明する診断書の写しが入っていた。