第6章 キョクジツ駐屯地
長く苦しい戦いだった……。
これだけ長い文章書いたの生まれて初めてかもしれません。
日本国領 南洋道中央部
「それにしても良い景色だなあ、浦部」
「まあ、確かにそうっすね」
自衛隊員の後藤 竜一郎二等陸曹と浦部 悠介一等陸士は73式中型トラックの運転席と助手席から南洋道の平原を眺めながら休憩を取っていた。
彼らは南洋道の各所に設けた監視所への物資の輸送を終えて旭日駐屯地に戻る最中で、今は長旅による疲れを取るための休憩を兼ねて、現代の日本では滅多に見られない静かな平原を満喫していたのだ。
「しかし、後藤さんもこんな何もない平原を見てよく飽きませんね」
「何もないから良いんだよ。じきにこの辺りも開発が始まるから今の内に目に焼き付けておかないとな」
都会暮らしが長かった後藤は大自然の魅力というものに憧れていた。
人の手が一切つけられていないこの平原の姿は彼にとって十分に美しい光景だった。
「そろそろ出ますからシートベルト締めてください」
「はいはいっと」
後藤がシートベルトを締めた時だった。
ゴトンッ!
後部から物音がして、トラックが小さく揺れた。
「今、なんか揺れなかったか?」
「何か動物でもぶつかったんすかね?」
浦部は運転席から降りるとトラックの周辺や荷台の中を調べた。
しかし、特に変わった様子は何もない。
「おかしいな?気のせいだったかな?」
不審に思いながらも浦部は運転席に戻る。
「どうだった?」
運転席に乗り込んだ直後、後藤が聞いて来た。
「何もありませんでしたよ。強いて言うなら荷台にペンと羊皮紙があったぐらいで」
「ペンと羊皮紙?」
「はい。多分、今日乗せた”お客さん”の忘れ物だと思いますけど」
”お客さん”とはダークエルフ族のことだ。
日本はこの世界に転移してから初めて会った人間であるダークエルフ族と交流を深めるために、情報交換や人員派遣などを行っている。
今朝も旭日駐屯地からプリミントの森に帰る予定だったダークエルフ達を荷台に乗せて送り届けたため、浦部は彼らの忘れ物だと思い込んだ。
後藤は窓から荷台を見る。
「ペンと羊皮紙なんてどこにあるんだ?」
「どこって、荷台のど真ん中に……あれ?」
後藤の言葉に疑問を抱き浦部も後部荷台を確認するが、荷台の中央という今まで何故気付かなかったと思えるくらいにわかりやすい位置に置かれていたはずのペンと羊皮紙が消えていた。
浦部は再びトラックを降りて再度確認を行ったが、やはり何もなかった。
不思議に思いながらも運転席へと戻る。
「見間違いだったんじゃないのか?」
「そうだったのかなぁ……確かにあったような気がしたんだけどなぁ」
「それよりも、日が暮れちまうから早く駐屯地に戻るぞ」
「了解っす」
浦部はエンジンをかけてトラックを走らせた。
荷台に誰かを乗せていることに気づかぬまま。
◇
ハーミルは無事に高機動荷車(ハーミルの暫定名称)に乗り込むことができて、ホッと胸をなでおろしていた。
「はあ〜、ヒヤヒヤしたぁ。でも、これであの駐屯地に潜り込めるわね」
透明薬の効果が切れる10時間という制限時間内に徒歩で目的の駐屯地に着かなければならないハーミルにとって、この高機動荷車を見つけられたのは思いがけない幸運だった。
報告書用のペンと紙が見つかった時は心臓が止まるような思いだったが、相手の動きに合わせて移動させ、なんとか見間違いということにする事が出来た。
この乗り物なら数時間とかからずに目的地に辿り着ける。
しかも驚くべきことに、乗り心地が予想以上に良い。
馬車で今走っている場所を通ろうものなら揺れがひどくなるだろうが、これはそれほど揺れを感じない。
速い上に快適という文句なしの乗り物を造れる日本の技術の凄さを改めて実感した。
とは言え、当たってくる風が薄着(タオル2枚)の体には厳しく、なるべく風が当たらないように隅の方で蹲るように体を丸めた。
ハーミルは荷台の柵部分に寄りかかり、しばし高機動荷車での旅を楽しむ。
足を組んで楽な体勢をとろうとするが、腰にスカート代わりに巻いているタオルの下には何も履いていないことを思い出し、慌ててタオルを押さえつけて姿勢を正す。
誰にも見えないとは言え、一人の少女としての恥じらいはやはり隠せない。
ふと何気なく空を見上げると、このナンヨウドウで何度か遭遇した忌々しい存在が目に映った。
「(あいつ、また飛んでるよ‥…)」
”それ”は簡単に言うとマッコウクジラと鳥を合体させたかのような容姿で、丸い頭部と灰色の体、そして鳥のような翼と尾がついている。
それらの特徴からハーミルは『空鯨』と名づけているが、あれに会う度に碌な目に遭っていない。
最初に目撃した時、やたらに自分の真上を旋回していると思ったらその1時間後にニホンの兵士達がやって来て危うく捕まる所だった。
二度目に遭遇した時は夜だったにも関わらず、まるで自分がはっきり見えているかのようにチカチカ光りながらしつこく追跡してきた。
おそらく空鯨はニホン軍の偵察や監視用の飛行物体なのだろう。
二度も苦い思いをしたハーミルにとって、半ばトラウマのような存在だった。
「(今日はそのまま通り過ぎていったわね。流石に透明薬の効果には敵わなかったかな?)」
ハーミルは通り過ぎる空鯨を見届けながら、今回は見つからずに済んだと一安心した。
ここで、ハーミルが飲んだ透明薬の効果を詳しく説明しよう。
この透明薬は、正確には『一時的に姿を消す』のではなく『一時的に実体をなくす』薬である。
この空間における実体という『存在力』を薄くすることで、自分の姿や気配などの無意識のうちに発せられる『存在感』をなくしているのだ。
実証した実験で最も効果がはっきりしたものは、ラミアとの戦闘だ。
ラミアは通常の蛇と同様に生物の体温を探知できるピットという器官があり、たとえ暗闇の中や周りの景色に擬態する能力があったとしても発見されてしまう。
しかし、透明薬を飲んだ人間に対してはこれが効かず、半径2m以内までの接近を許してそのまま剣で屠られてしまった。
ハーミルは知る由もないが、今回彼女の頭上を飛んだRQ-4 グローバルホークは合成開口レーダーにも電子光学センサーや赤外線センサーにも反応していない。
以上のことから、透明薬は非常に優れた薬であるのは確かだが当然これにも弱点が三つほどがある。
まず一つ目は、飲んだ本人から発せられる声や足音などの音は消すことができない。
二つ目は、薬とは言え魔法の一種でもあるため、飲むと微弱な魔力が常に体から発せられ、エルフ族などの魔力の流れに敏感な種族や高位の魔道士などには気づかれてしまう。
三つ目は、姿は確かに見えなくなるが触ること自体はできるということだ。
触れるということは、壁をすり抜けることは当然できないし、敵からの剣や弓による攻撃も普通に食らう。
透明薬はあくまでも『存在力』を薄める薬であるため、実体が完全に消えているわけではない。
なぜ完全に消さないのかと言うと、『存在力』をなくすという行為自体に問題があるからである。
『存在力』が消えるということは、その空間における自身の実体が消滅するということである。
それはつまり、『死』と同義である。
研究中にこの事実を知った魔女族は、人体に影響が及ばないギリギリまでの効果を引き出すことに成功した。
そして完成したのが今の透明薬である。
ちなみに、今のハーミルの状態をわかりやすく表現すると『感触があるのに実体がない人間』と言うべきだろう。
高機動荷車に乗ってから1時間後、ようやく目的の場所が見えてきた。
道は既に草や石だらけの草原の上ではなく、目を疑うほど綺麗に舗装された道路になっている。
そのおかげで、今まで僅かに感じていた揺れも全くない。
駐屯地は網状の柵に囲まれていて防衛には少し頼りないが、どうやら拡張している最中らしく少し離れたところで城壁のようなものを建造している姿が見える。
やがて、高機動荷車は速度を落とし、駐屯地の門の前で止まった。
前方に乗っている兵士は窓を開けて門横にある検問所の人物と話をしている。内容からして開門の許可を求めているのだろう。
門の上の看板には『キョクジツ駐屯地』と書かれている。
ニホンは話す言葉は同じなのに言語は違うというおかしなところがあるが、親切にも看板はニホン語とアルデオ語の両方で書かれているためハーミルも理解することができた。
検問所を通過すると、似たような乗り物が幾つも保管されている場所に停車した。
ハーミルはペンと紙を持って荷台から降りると周辺を見渡す。
「さーて、どこから調べようかな?」
透明薬の効果は10時だが片道で約3時間かかったことを考えると調査可能な時間は4時間だけだ。
なるべく時間をかけずに調査しなければならない。
まず真っ先に目に付いたのは『キョクジツ動植物研究所』と(ニホン語とアルデオ語の両方で)書かれた白い建物だ。
白衣を着た研究員らしい人達が多く出入りしている棟と、かなり厳重に警備されている棟の2棟から成り立っており、一階には渡り廊下がある。
興味を示したハーミルは、まずはそこから調査することにした。
キョクジツ動植物研究所内部
調査可能時間 残り4時間
研究所内に潜入したハーミルは中の暖かさと明るさに驚いた。
今の季節は冬から春に移り変わりそうな頃だが、それでもまだ若干の寒さが残っている。
海水の温度もギリギリ水浴びできるほどだし、仕事柄寒さに慣れているとは言え高機動荷車での移動中に薄着で受けた風はかなり堪えた。
しかし、この建物内はちょうどいい温度に保たれている。
その上、明るさに関しては外にいるのと大差ない程だ。
明りの発生源は天井の至る所にある細長い奇妙な白い筒で、中に光の精霊を閉じ込めているのか或いは小さな太陽を人工的に作り出しているのかは分からないが、一定間隔で綺麗に並んでおり影ができることも許さない状態である。
ハーミルの常識だと、灯りと言えば小さなロウソクや窓から差し込む太陽や月の光で貴族や商人などの金持ちの家となると燭台やシャンデリアなどがある。
前者はどれも灯りとしては脆弱で、ひと部屋を光で包み込むことすら困難だ。後者は灯りとしての機能を十分に果たすが、設置までの準備や明るさを維持することが大変である。
しかしニホンは壁についているボタン一つで明かりを点けたり消したりできる。
ハーミルは早速このことを報告書にまとめ始めた。
続いてハーミルは彼らの研究の風景を視察する。
研究所内に入る際に入口近くで見た地図によると、一階は研究員の休憩所や仮眠室、食堂などがあり、二階は植物、三階は動物の研究を行っているらしい。
ハーミルは階段から二階に上がり、入室可能な研究室を見て回る。
研究室内はナンヨウドウで採取したらしい珍しい花や切り取られた木の枝、果てにはそのへんに生えている雑草まで置いてある。
研究のやり方は試料の表面を拡大して観察したり、すり潰して奇妙な液体の中に入れてその反応を確かめたりなど、今まで見たことのないやり方だ。
「(何の実験をしてるのか詳しく知りたいけど……時間もないし研究の様子だけ書いておけばいいか)」
今回の目的はキョクジツ駐屯地内の様子とニホンの軍事・技術力の調査であるため、今の研究内容自体を詳しく調べる必要はない。
一通り二階の視察を終えたハーミルは続いて三階に向かう。
三階の研究室では鳥や虫、小型の哺乳類を透明な箱や籠の中に入れて飼育しており、生態の調査を行っていた。
別の研究室を覗くと、動物から少量の血や毛を採取して何に使用するのか見当もつかない機材の中に入れ、何かの計測を行っていた。
少量ながら血を抜き取る姿をみたハーミルは不気味さを感じて急ぎ足で部屋を後にした。
一階まで降りたハーミルは今いる棟の隣にある警備の厳重な棟を見る。
「(後はあの中を少しだけ見て終わろう)」
そう決めると渡り廊下を通り、2人のニホン兵が見張りをしているガラスの扉の前で誰かが入るのを待つ。
流石にこの警備の中でペンと紙を持ち歩くことはできないので、ひと目の付きそうにない場所に隠す。
しばらくすると2人の研究員がやって来て扉を開けた。
そのやり方も首にぶら下げている自分の顔の絵が入った薄い板を扉にかざすという変わったやり方だったが、アルデオ大陸にも似たようなものは存在するため特に気にすることはない。
侵入に成功したハーミルは研究員たちの後に続いて様子を窺う。
会話の内容から、この2人はこの棟の中に保管されている数日前に採取された植物の確認をしに行くらしい。
研究員たちはやたら頑丈そうな扉の前まで来ると、扉に付けられているボタンを何度か押して鍵を開けた。
扉の先にはもう一枚同じような扉があり、その間はちょっとした小部屋のようになっていて、壁には全身を包み込むことができそうな分厚い服が保管されていた。
これだけ強固な扉に守られていることを考えると、この先によほど重要なものが保管されていることが容易に想像できる。
ハーミルは研究員と一緒に扉をくぐると研究員は扉を閉じ、しっかりと閉まっているか安全確認を行った。
そして、壁にかけられている分厚い服に着替え始めた。
「イイジマさん。本当にこれ着ないと入れないんですか?」
「ああ。陸自の隊員がアレのせいで丸一日意識が戻らなかったそうだ。防護服の点検も怠るなよ。それから耳栓も忘れるな」
研究員の2人は着替えながら話す。
ハーミルはその話を聞いて「一体何の植物だろう?」と頭をかしげた。
そして、次に研究員から発せられた言葉でハーミルの表情が凍りついた。
◇
「確か……”マンドレイク”でしたっけ?土から抜いた途端に大声で鳴き出すって言うファンタジーではお馴染みの植物ですけど」
「幸いにもまだ若い苗だから大事には至らなかったが、成長したものだと本当に命の危険があるそうだ」
ドンドンドンドンドンッ!!!
「な、何だ!?」
飯島と野田の2人が話している最中、突然誰かが出入り口の扉を強くたたいてきた。
「誰かが外にいるんでしょうか?」
「いや。明らかに外からじゃなくて内側から聞こえるぞ!」
「と、とりあえず開けてみましょう……」
研究員の1人が恐る恐るドアのロックを解除する。
ロックが解除されて途端、ドアが勢いよく開かれ、廊下からは何かがぶつかったり倒れたりする音が響き渡った。
その騒がしさは外で警備している自衛隊員にも聞こえるほどだった。
「やけに中が騒がしいな」
「俺ちょっと見てくるよ」
あまりの騒がしさに不審に思った自衛隊員の河本がICカードをかざして中に入ると、横から何かがダッシュで通り過ぎるような気配がした。
直ぐに横や後ろを確認するがそこには何もなく、動いているものといえば外から中の様子を伺っている同僚と自分が開けたばかりの自動ドアがゆっくり閉まっていくところだけだった。
辺りを見渡すと廊下の至るところに倒れたロッカーや散乱した掃除用具があり、まるで誰かが大暴れしたかのような状態になっていた。
「一体……何が起きたんだ……?」
突然の出来事に絶句する河本のもとに研究員の2人が駆けつけてきた。
「すみません、我々以外にこの中に誰かが入ってきませんでしたか?」
飯島が河本に尋ねるが河本は首を横に振る。
「いえ。お二人以外は誰も入れていません。騒音が聞こえたので駆けつけてみたらこの有様で……」
「そうですか……」
2人が沈黙すると野田がある仮説を立てる。
「もしかして……幽霊じゃあ……」
「バカを言うな。この研究所は建ってから二ヶ月もしていないんだぞ」
飯島が即座に否定する。
河本は散らかった廊下を片付けながら2人に言いつける。
「ここは私が片付けるのでお二人は戻っていただいて結構です。また同じことが起きるようなら上に報告します」
「分かりました。あとはお願いします」
それだけ言うと、飯島と野田は保管庫に戻り河本は掃除を続けた。
◇
ハーミルは息を切らしながら大騒ぎを起こしてしまったことにひどく落胆していた。
「ハァ……ハァ……ヤベー、バレてないかな?もう脱出したほうがいいかな?」
つい数日前も森の中を偵察中に誰かが引き抜いたマンドレイクの叫び声を聴いて半日以上気を失ったばかりで、まさかあそこでマンドレイクが出ると思わなかったハーミルは冷静さを失って命からがら逃げて来たのだ。
ニホン兵達に存在がバレるのではないかと危惧するハーミルだったが、落ち着きを取り戻すに連れてその心配も薄らいでいった。
研究所を出てから10分以上経ったのだが、警備が厳重になった様子がないし警報の鐘や笛が鳴る気配もない。
どういうことなのか考えているうちに、一つの結論を出す。
「きっと何かの見間違いか風のいたずらだと思い込んだんだ。うん、そうに違いない」
やたら強引な仮説だが、ハーミルは無理矢理それで納得して、報告書とペンを拾ってから次の場所へ向かった。
◇
キョクジツ駐屯地 港湾地区
調査可能時間 残り3時間
次にハーミルがやって来た場所は、駐屯地内にある広大な港だ。
ここでようやくハーミルは人魚族の報告にあった巨大船を発見することができた。
それも1隻や2隻ではなく、哨戒を行っている船や港に入出港する船を合わせると10隻以上もある。
「うわぁ。エルとミントの報告書も何度か見たけど、ホントにデカいわね」
灰色一色の船や白を基調に様々な色が塗られた船。
そのどれもが鉄で出来ている。しかも、どの船も帆がついていないのに動いている。
おそらく、哨戒を行っている灰色の船がニホンの軍船で大量の物資を積み降ろしている多彩色の船は商船のようなものだろう。
鉄で造られた船が海の上に浮いているということ自体驚くべきことだが、ハーミルはそれ以上にどうやって動かしているのかが気になった。
まもなく出港するらしい船の側に近づき動力の正体を確かめようと船体の周りを探索する。
船尾の海面より下を確認している時だった。
「あれ?何だろアレ?」
船尾船底部で何かが高速で回転しているのが見えた。
それを見てハーミルはあることを思い出した。
「確か前にリリが作った風造機とよく似ているわね」
魔女族のリリはある時、4枚の羽を回転させて風を起こす『風造機』という道具を開発したことがある。
羽を回転させることによって後方から空気を吸い込んで前方に押し出すという仕組みなのだが、動かすには魔力が必要で「魔力が勿体無い」という理由で結局使わずじまいとなった。
しかし、もし今船底部で回転している物が風造機と原理が同じならば、この船は後方に海水を押し出すことで動いているということになる。
風造機はそこそこ強い風を生み出していたが、テーブルの上に置いていたため自力で動くことはなかった。だが、水の上ならば動くことは不可能ではないだろう。いや、たとえテーブルの上でも車輪をつけたり油で滑りやすくすれば同じ状態に出来るかも知れない。
「あの原理を船に使うことを思いつくなんて、技術力が高いだけじゃなくて知識も豊富みたいね」
ニホンはアルデオ大陸の数十年、下手をしたら数百年分時代を先取りしているかもしれない。
報告書を書きながら自ずとそんなことを考え、ニホンの桁外れの力に僅かに恐怖するハーミルだった。
◇
キョクジツ駐屯地 滑走路
調査可能時間 残り2時間半
ハーミルはニホンの航空戦力の確認をするため、飛行物の離着陸用の滑走路に来た。
滑走路は2tm以上はあり、今は一本だけだがこれから更にもう一本隣にできるらしい。
そして近くには何か大きなものを保管しているらしい格納庫と数体の鉄羽虫や固定翼鳥(ハーミルの暫定名称)が停まっていた。
ハーミルはその広さに驚きを通り越して腹が立った。
「なんでこんなバカみたいに広いのよ。偵察する私の身にもなれっての」
不法侵入している上に内偵調査まで行っている人間が言える台詞なのかは不明だが、ハーミルのようなアルデオ大陸の人間にとってはこの広さは異常だ。
アルデオ大陸にもワイバーンやグリフォンの離着陸用の滑走路は存在するが、どれだけ長くても200m以上はない。
これだけ広い滑走路が必要となるとニホンはどんな怪物を飼っているのかと思いたくなる。
流石に全てを調査する余裕はないので、鉄羽虫と固定翼鳥が停まっている格納庫周辺を見て回ることにした。
ある程度調査を終えたハーミルがその場から立ち去ろうとすると、数人のニホン兵が鉄羽虫に乗り込む姿が見えた。
どうやらこれから飛び立つらしい。
折角なのですぐ近くで飛び立つ姿を見物しようと近寄った。
「これは前に見たものとは全く違うわね」
今ハーミルの目の前にある鉄羽虫は前部と後部の上部に回転翼がある個体で、後部の出入り口から30人近くの兵が乗り込んでいる。
中を覗くとかなりのスペースがあり、その気になればもっと乗せられそうだ。
やがて、全員が乗り込むと後部の扉が閉まり、上部の回転翼が回り始める。
初めはゆっくり回っていたが、次第に加速しあたりに風を起こし始める。
ワイバーンが離着陸する際も強い風が起こるためある程度の覚悟は出来ていたハーミルだったが、ここで思わぬ誤算があった。
「(ちょ、ちょっと強すぎじゃない!?)」
風は体が吹き飛ばされそうなくらいに強かったのだ。
そして思い出して欲しい。
ハーミルは今どんな格好なのかを。
「(と、取れる!タオルが取れる!!)」
ハーミルの必死の抵抗も虚しく、衣服代わりに巻いた2枚のタオルは強風で吹き飛ばされてしまった。
いとも簡単に全裸となったハーミルは恥ずかしさのあまりその場で縮こまってしまう。誰にも見えないとは言え恥ずかしいものは恥ずかしい。
だがそうしている間に風は無慈悲にもタオルを遥か彼方まで飛ばしていった。
「行かないで!ちょっと待ってぇ!!!」
突然の叫び声に周囲にいた人間が驚くのも気にせず、ハーミルは死に物狂いでタオルを追い始めた。
◇
トリアスタ王国南東部 ノイズ王国国境付近
トリアスタ王国はノイズ王国の隣にある国で、陸路からノイズ王国に訪れるにはこの国を通るしかない。
そして、ルアス同盟東部支部から送られたフィールとミミもこの場所を通ってノイズ王国の先にあるニホン国領のナンヨウドウに向かっていた。
2人は自分達と荷物を積んだ計3頭の馬と共に草原を駆けていた。
「それにしても、随分予定がずれちゃいましたね。フィールさん」
「仕方ないだろう。目の前で同族が奴隷にされていて、しかもその護衛が少数しかいなかったらお前だって襲撃するだろう」
「確かにそうですけど……ハーミルには悪いことしちゃいましたね」
「ああ。あいつには私から謝っておくつもりだ」
この二人が目的地への到着が遅れた理由は、旅の途中で奴隷の護送現場に出くわしたからだ。
フィール達はナンヨウドウに向かう最中、偶然にも50人近い亜人族が数珠繋ぎで歩かされている現場に遭遇した。
護衛の人数が少なく2人だけでも制圧できそうだったことや奴隷の中にフィールの同族であるエルフ族が混ざっていたこともあって、2人は彼らを救出することに決めた。
救出作戦は無事に完了したが、彼らを安全な場所に護送するために一度東部支部へ戻る羽目になってしまった。
その結果、到着予定日から3日も遅れてしまうことになった。
「海上ルートが使えたら箒で一飛びだったのに」
「今はカテドナ王国とノイズ王国の海軍が睨み合いをしているからな。そんな場所を飛んだらあっという間に見つかってしまう。透明薬も無駄に使うことはできない以上、こうして遠回りするしかないからな」
「まあ……そうですね」
現在のカテドナ王国とノイズ王国の関係は悪化する一方で、ノイズ王国は何度も領海侵犯などの挑発行為行ってカテドナ王国を威嚇している。
カテドナ王国は国力は弱いが軍事力はそこそこ有り、なんとか睨み合いで踏み止まっているそうだ。
「とりあえず、日が沈むまでは馬で進めるだけ進むぞ。その後はお前の飛行魔法で目的地まで飛んでくれ。夜ならこれだけの荷物でも運べるだろう」
「はい。闇属性の魔法は夜でこそ真価を発揮できますからね」
アルデオ大陸の魔法には様々な属性がある。
一般的で主流なのは炎、風、土、水属性であるが、それ以外にも光、闇、雷、氷などといった属性も存在する。
ペシオ教では闇属性を全面的に禁じており、他の国家や宗教でも特定の属性の魔法を禁じているところがあるが、魔女族にはそういった縛りがない。
闇属性の魔法は汎用性が高く、他属性との応用が効くため、あらゆる魔法に特化した魔女族の間では主流となっている属性である。
更に闇魔法は夜や洞窟の中といった暗い場所ほど効果が上がり、使用する魔力の量も少なくなる。
ミミの飛行魔法も昼間は箒の上に自分ともう一人分を乗せるのがやっとだが、夜間は五人乗せても(乗せられるスペースがあれば)全く影響がない程強力になる。
「さて、お喋りもここまでにしよう。急ぐぞ!」
「はい!」
フィールとミミは馬の速度を上げた。
目的地まであと少しだ。
◇
ナンヨウドウ キョクジツ駐屯地 訓練所前
調査可能時間 残り2時間
ハーミルは現在、羞恥心を抑えて左手で胸を隠しながら駐屯地内の訓練所の出入り口に立っている。
先ほど飛ばされたタオルの内、下半身に巻いていたタオルは取り戻せたが胸元に巻いていたタオルはこの訓練所内に入ってしまった。
もう退去しようかとも思ったが、まだ時間もあるしここまで来た以上は諦めるわけにいかない。
タオルの搜索と訓練所内の様子の確認のため、ハーミルは意を決して中に入った。
ハーミルはまず駐屯地に入ってから何度も聞く破裂音の音源を見に行った。
そこではニホン兵が黒い杖を構えて何度も火を吹かせている。
どうやらここは射撃訓練場らしく構えた杖の先には射撃用の的があり、杖が火を吹いた数だけ的に穴が空けられる。
どういう魔法なのかを詳しく知るためニホン兵に近づいて杖を観察すると、杖の横から金属の筒が大量に出てきているのが見えた。
出てきたばかりの筒を拾おうとしたが、
「熱っ!」
熱すぎてとても掴めなかった。
仕方なく少し離れて兵士の動きを観察すると、30発魔法を放つ度に杖に取り付けられた箱のようなものを交換している。
しかも魔法は連射が効くらしく、立て続けに放ったり3発ずつ連射したりと状況に応じた攻撃ができることがよくわかる。
ハーミルは杖に付けられている箱が大量に入っている大箱を見つけ中身を確認すると、先程の金属の筒が所狭しと収まっていた。
しかし、杖から排出されたものとは違い先端から別の金属が突き出ている。
この金属は銅のようにも見える。
「ひょっとして、この銅の塊を放っているの?」
ハーミルが訝しげに筒を見つめていると、その横にアルデオ語が書かれた上質そうな紙の束が置いてあることに気づいた。どうやらあの杖の説明書らしい。
ハーミルはそれを手に取って読み始める。
「『これは”ジュウ”という銅合金で包んだ小さな鉛の塊を高速で放つ武器の一種で……』ってあれ魔法じゃなくて武器なの!?」
ハーミルは思わず声を上げて驚いた。
咄嗟に周囲を確認するが、誰も気づいていないようで安心した。
しかし、ハーミルが驚くのも無理はない。
魔法ではなく武器であるならば、使い方さえ覚えれば誰でも扱えるということになる。
ハーミルは更に続きを読む。
「『武器の一種であり、このジュウは”ジドウショウジュウ”と呼ばれる種類である。他にも威力が低く短射程だが接近戦では有効な小型のジュウである”ケンジュウ”や連射性に富んだ”キカンジュウ”などといった種類がある。仕組みは”ヤッキョウ”という金属の筒の後部にある”ライカン”という部位に衝撃を与え、ヤッキョウ内で”カヤク”という燃焼物に火を点け小規模の爆発を起こし、その爆風によって鉛弾を射出する……』」
ハーミルは説明書の内容を報告書に写しながら読み続ける。
「『”ダンガン”にも種類があり、現在”ジエイタイ”の主装備である”89式ショウジュウ”は5.56mm弾を使用しており、それ以外にも7.62mm弾や12.7mm弾、ケンジュウ用の9mm弾などがある。9mm弾は使用するカヤクの量が少ないためその分威力が小さい。それ以外の弾は”ライフル弾”とも呼ばれ、ヤッキョウが長くその分火薬の量も多いため”コウケイ”が大きいほど威力も上がる。ライフル弾は貫通能力に特化した形状のため、一番小コウケイである5.56mm弾でも鎖帷子や板金鎧などの鎧も貫通することが可能である』……ジュウってホントにすごい武器ね」
板金鎧の厚さは最大でも2mmで、それだけあれば弓矢も貫通することはない。
鎧をあっさり貫通する威力を持った武器を兵士全員に支給することができるニホンの国力の強さに改めて感心した。
しかし、『ジエイタイ』というのはニホン軍のことを指しているのだろうが、なぜニホン軍と書かないのだろうか?
「『89式ショウジュウは連射時であれば1秒間に10〜15発撃ちだすことができ、その有効射程距離は500m……』って、弓矢だって頑張っても100m届くかどうかなのに」
文を読むたびに驚きを示すハーミルだったが、あることを思いつく。
「レイリーがこれを使ったらどうなるのかな……」
レイリーとは、ハーミルの親友の一人でありルアス同盟内で屈指の戦闘能力を誇る人族の少女だ。
彼女は魔法は得意ではないが、自分が手に出来る武器であればどんな物も使いこなして敵を殲滅することができる。
戦闘力ならばエリストア帝国に所属する『死神メイド サラ』に並ぶほどである。
そんなレイリーがニホンのジュウを使うことになれば……。
想像して僅かに寒気を感じたハーミルはそこで思考を止めた。
ハーミルは報告書に写し終えると、まだ見ていない訓練所を見て回ることにした。
狭い場所での戦闘を想定した移動訓練。敵に気づかれず、されど如何に素早く移動できるかを試す地這い訓練。先端にナイフを取り付けて、ショウジュウを槍として使う槍術訓練。
そこではショウジュウをいかに上手く活用するかを鍛える訓練がいくつも行われていた。
訓練風景を見て非常に楽しんだハーミルだったが、その途中でなくなっていたもう片方のタオルを見つけ、自分が今まで胸を隠さずに歩き回っていたということに気づいて赤面することになったが、それはまた別の話。
一通り調査を終えたハーミルだったが、ニホン語とアルデオ語で書かれた看板を見て今まで気付かなかったあることに気づく。
『このアルデオ語は誰が読むのか』ということである。
ニホン語がある以上、ニホンの公用語がアルデオ語であったと考えるのは不自然だ。
そもそもニホンはどうやってアルデオ語を知ったのだろう?
言葉こそは同じだが文字に関しては全く合っているところがない。
そうなるとニホンはアルデオ大陸の人間と接触していたということになる。
「可能性として考えられるのは、ニホン兵の話にあった”現地人”かな?」
ハーミルが真っ先に思いついたのは、調査初日に遭遇したニホン軍が言っていた”現地人”である。
その現地人がプリミントの森にいたことを考えると、かつてノイズ王国軍を撤退させた集団であることは間違いないだろう。
彼らがニホンに協力して文字などの情報を提供していると考えれば筋が通る。
しかし、彼等は一体どう言う連中なのだろうか?
少なくとも盗賊の類ではないことは確かだ。
低脳集団の盗賊が文字の読み書きができるとは考えられないし、そもそも本当に盗賊ならニホンがとっくに討伐しているはずだ。
それらを踏まえて考えると、彼らの正体は亜人族か他宗教の集団なのだろう。
深く考え込んでるハーミルの元にその答えがやってきた。
ニホンと接触した現地人と思われる種族がニホン兵と並んで歩いてきた。
ハーミルはその種族を見て絶句した。
「ダーク……エルフ……!?」
ハーミルは自分の目を疑った。
正体は亜人族であっていたが、その種族自体に驚きを隠せなかった。
もう滅んだとすら言われていたその種族はルアス同盟にとって最も重要な存在だった。
やがて、ニホン兵とダークエルフの男がハーミルの側までやって来た。
するとダークエルフは一瞬違和感を感じたような顔をしてハーミルが立っている位置まで寄ってきた。
透明薬の魔力に気づいたのだ。
ハーミルは慌てて、しかし音は立てないようにその場からかなり遠い場所まで離れた。
先程までハーミルがいた場所周辺でキョロキョロとするダークエルフにニホン兵が声をかける。
「どうかしましたか?」
「いや、微弱だが魔力を感じたような気がしたのだが……気のせいか」
そう言うと2人は去っていった。
気付かれなかったことにハーミルはそっと胸をなでおろした。
しかし、ハーミルは任務の中断を決意する。
これ以上の偵察は危険だと感じたのではない。優先任務を決行するためである。
「まずはダークエルフとニホンの関係を調べないと!」
残り少ない時間の中、ハーミルは駆け出した。
◇
旧レーアイナ公国 魔女族の集落
「う〜ん。どうしたもんかね〜?」
魔女族の族長アリッサは自分の家の執務室で深く悩み込んでいた。
執務室内はアリッサや彼女の秘書の魔法の影響で本やらロウソク立てやらが浮遊している。
「アリッサ姉様、どうかなさったのですか?」
アリッサの秘書の魔女メテアが心配そうに尋ねてくる。
ちなみに魔女族の間では目上の者は見た目がどうであれ姉と呼ぶようになっている。
「いや〜。私達って今のままでも大丈夫なのかな〜?って思ってね」
「どういうことです?」
「今はこうしてレーアイナ公国でひっそりと暮らしているわけだけど、それもいつまで続くのかなってこと」
アリッサは簡潔に答えた。
レーアイナ公国はペシオ教圏のど真ん中にあり、いつ敵が乗り込んで来てもおかしくない状態にある。
今までは死霊騒動のおかげでどこも近づこうともしなかったが、それもいつまで続くかわからない。
ペシオ教圏の勢力は年々強さを増しており、このままだと『レーアイナ公国の奪還』と『死霊討伐』の為に聖戦を発動されたり、自国の利益の為に一国が総戦力を上げて乗り出して来ても不思議ではない。
「そろそろ別の場所への移転も考えておいた方が良いんじゃないかなと思うんだよ」
「しかし、そうしようにも他に良い場所なんて……」
「いや。一つだけ目をつけてる国があるんだ」
アリッサの言葉にメテアは驚いた。
彼女が既に場所を決めていたことではなく、その場所が国だと言ったからだ。
今のアルデオ大陸にレーアイナ公国のような廃国はない。
だとしたら考えられるのは、その国の傘下に入るということだ。
「姉様、本気ですか!?私達にその国に従属せよと!?」
魔女族の魔法技術や能力はどの国からも高く評価されており、ペシオ教圏ですら禁止されているにもかかわらず、彼女達を生け捕りにして魔法研究などの様々な方法で利用する者が多い。
亜人族は比較的その辺りは穏やかな方だが、一応は人族である自分達をタダで受け入れるはずがない。
不利な条件を提示して来るのが目に見える。
しかし、アリッサはそれを否定する。
「そこまでは言ってないよ。可能な限り有利な条件でこっちの安全を確約させるつもりだよ。まあ、傘下に入る以上はある程度の働きは仕方ないだろうけどね」
「そんな簡単に言わないでください!そもそもどこの国に頼むつもりですか?」
「ニホンだよ」
「……はい?」
メテアは予想の斜め上の返答に呆然とした。
「ニホンって、例の未開の地に現れた集団……じゃなくて国家ですよね?」
「うん。ルアス同盟の報告書を何度か読んだんだけど、どうやらニホンには弱みがあるみたいなんだ」
「弱み……ですか?」
メテアも報告書は何度か読んだことはある。
ニホンの凄まじい技術に驚いたが、それ以外で特に変わった所はなかったはずだ。
「考えてみてよ。どうしてニホンはどこぞの国家を征服せずに未開の地の開拓を始めたと思う?ニホンのあの技術力の高さなら当然軍事力も高いはずだし、他国に侵攻して略奪することぐらい容易だろうに。だけどニホンは手間と時間が圧倒的にかかる道を選んだ。なぜだと思う?」
アリッサの問いに考え込むメテア。
思い悩んだ末、一つの仮説を口に出す。
「できなかった……いや、そうしようとも思わななかったから?」
かなり自信なさげな声で答えるが、アリッサは肯定する。
「両方正解だね。ニホンはそんな非道なことをする悪逆国家ではないってことだよ。まあ、未開の地に先に進出したのは偶然最初に見つけたのがそこだったからという可能性もあるけど、そうだとしてもその後で近隣に国家があることには直ぐに気づいたはずだよ。なのに侵略行為に出なかった事を考えると、少なくともニホンは過激な思考を持たない国だということさ。こういう国ならそれほど不利な条件を出されることはないよ」
メテアはアリッサの説明に驚嘆した。
更にアリッサは「それともう一つ」と言って人差し指を立たせて話を続ける。
「どうしてニホンは都市や城よりも農地を優先的に造っていると思う?」
メテアは直ぐにその答えを思いつく。
そんなものは一つしか考えられない。
「食料に困っているからではないですか」
「大正解♥」
アリッサは楽しそうに答える。
そしてメテアはあることに気づいた。
「ちょっと待ってください!それが本当ならば……!」
「そうだよ。私達はそんなニホンを相手に交渉を有利に進められる武器を持っているよ」
悪そうな笑みを浮かべるアリッサと驚愕の表情を隠せずにいるメテア。
それもそうだろう。
魔女族はニホンを相手に逆に搾り取ることが出来るかも知れないのだ。
「とはいえ私達はニホンについてまだ知らない部分が多いし、交渉はしばらく先になるかな」
「そうですね。しかし、ルアス同盟のハーミルさんの偵察だけでは情報収集には不十分だと思いますが、いかがいたしましょうか?」
「もっと効率よく情報を得られる良い方法を思いついたんだ。まあ、それにはフレイくん達ルアス同盟の協力や、こちらも色々と準備が必要になるけどね」
「どんな方法です?」
アリッサはメテアの耳を口元に寄せて小声で説明する。
内容を聞いたメテアは驚きのあまり目を見開いた。
「(それは……リスクが大きすぎませんか?)」
「(たとえフレイくんに断られても、東部支部の支部長さんに掛け合って直接頼み込むつもりだよ。私達にはニホンの正確な情報が絶対に必要なんだよ)」
アリッサの決断に顔を曇らせるメテアだったが、魔女族が有利に交渉を進めるためにもある程度リスクを伴う調査も必要だと思い、それ以上は何も言わなかった。
アリッサは空中に漂うティーカップを手に取るとメテアの前に出す。
「メテアちゃん。お茶お願い」
「承知しました、姉様」
メテアはカップを受け取るとお茶を入れに行く。
アリッサは椅子に座ったまま魔法で本棚から本を一冊取り出すと、それを広げて読み始める。
読み上げながら今後の流れに期待し始める。
「さーて、どうなるか楽しみだな〜」
高まる期待に胸を躍らせるアリッサだった。
◇
ナンヨウドウ やすらぎの入江
最重要機密情報(首領及び幹部以外の開封を禁ず)
キョクジツ駐屯地内調査報告書第三部
『ダークエルフ族の存在を確認。彼等はニホンと協力関係にある。ニホンはダークエルフ達の自治権を承認し、これに干渉しないという協定を結び、ダークエルフから情報を提供してもらう代わりに技術などの支援を行っている。ダークエルフ族はプリミントの森に集落を造り、そこで生活していた。集落内のダークエルフ族の現在の人口は約300〜500人と思われる。10年前に未開の地に侵攻したノイズ王国軍を撃退したのは彼等であることは間違いない。報告者ハーミルは現在地『やすらぎの入り江』で待機。首領からの直接命令を待つ』
ハーミルはキョクジツ駐屯地内で書いたばかりの報告書を確認し、封蝋で閉じてからルアス同盟メンバーの証である紋章が彫られた印璽を押す。
その表情は真剣さの中に焦りが僅かに混じっていた。
辺りはすっかり暗くなり、既に透明薬の効果は切れ、服もちゃんとしたものに着替えていたが、今はそんなことを気にしている暇はない。
ダークエルフ族の発見。それはルアス同盟にとってどんなものよりも価値のある情報だった。
『万が一ダークエルフ族を発見した場合、今ある全ての任務を放棄してでも最優先で伝えよ』という命令をフレイアスから直々に言われたほどだ。
ハーミル自身、まさか自分が『最重要機密情報』という言葉を報告書に書くだなんて夢にも思っていなかった。
この言葉は首領のフレイアスや幹部達が何らかの重要な任務を実行する際に、上層部内だけで情報を共有できるようにするための物なのだ。
本来ならばハーミルのような通常メンバーがこの言葉を悪戯で使えば、それだけで拷問部屋送りだ。
しかし、今回は『最重要機密情報』と、堂々と書ける内容が中に書かれている。
ハーミルはエル(エルディーネ)を呼ぶために珊瑚の笛を取り出す。
エルは最近、他の魚人族と共に北東の海に調査に行って顔を出さないことが多い。
物資の運搬も別の魚人族が担当し、決まった時刻に定期的に届けられ、その際に報告書も東部支部へ届けてもらっている。
しかし、今回ばかりはエルにしか任せられなかった。
自分が心を許す友人の一人であるエルでないと報告書が無事に届くかどうか不安だった。
ハーミルは珊瑚の笛を吹き、辺りに心地よい音色を響かせる。
後はエルが到着するのを待つだけだ。
夕食の準備をしようと海側に背を向けた時だった。
ヒュッ
何かが風を切る音を聞き、条件反射で身を伏せる。
岩礁から飛んできたそれはハーミルの右腕を掠めて物資の箱に突き刺さった。
刺さったそれが何かを確かめると矢だということがわかった。
「誰!?」
矢が飛んできた方向に向けて叫ぶハーミル。
しばらくすると剣や弓矢を携えた黒ずくめの男達が5人出てきた。
「(ニホン軍でもダークエルフ族でもない。だとしたらこいつらノイズ王国の密偵!?)」
形勢の不利を悟ったハーミルは報告書や笛などの大事なものが入ったバックを持って逃げ出した。
矢が何本か飛んできたが、二度も食らってなるものかとハーミルは紙一重でかわしていく。
入り江から脱出すると、崖に沿って近くの森に向かって走り出した。
「(森の中なら、さすがに連中も追いつけないはず)」
そう考えて森に向けて全速力で走り出すハーミルだったが、彼女の強運もここまでだった。
「……!?あれ?力が入らない……!?」
ハーミルは突然足の力が抜けたかと思うと、次第に走ることはおろか、立つこともままならなくなった。
やがて、崖の側でへたり込んでしまい、体の自由が利かなくなってしまった。
「痺れ薬がやっと効いたようだな」
黒ずくめの1人が言った。
先ほど掠った矢に痺れ薬が塗られていたらしい。
黒ずくめたちは段々とハーミルに近づいてくる。
「さあ、大人しく降伏してそのバックを渡せ」
「はっ、こんなもの……」
ハーミルはバックを下ろして手に持つと、
「欲しけりゃ取ってきなさい!」
残った力を振り絞って崖下へと投げ捨てた。崖の下は海である。
「なっ!?」
黒ずくめ達は慌ててハーミルを取り押さえるが、バックは崖下へと消えて行った。
リーダー格の黒ずくめは部下の1人に命じてバックの中身が残っていないか確認に行かせる。
残った四人はうつ伏せに抑えられているハーミルに尋問を行う。
「ハーフエルフがなぜこんな場所にいる。答えろ」
「バカンスに来てただけよ。ここはどこの国にも属していない土地なんだから、アンタ等に文句を言われる筋合いはないわよ」
しばらくはこんな感じのやりとりが続いた。
時折、手の甲を踏みつけたり顔を殴りつけたりなどの暴行があったが、ハーミルは黙って耐えた。
やがて、もう1人の黒ずくめが濡れた状態で戻ってきた。手に何かを持っている。
「見てください、この紋章!ルアス同盟のメンバーを示す紋章です!」
「そっ、それはダ……んぐっ!?」
男が持ってきたのは3枚ある報告書の1つだった。しかも最悪なことにダークエルフ族の情報が書かれた報告書だった。
ハーミルは男達を振り払おうと暴れだした途端、口に布を噛まされて声も出せなくなった。
男達は報告書を読み続ける。
「クソッ!文字のほとんどが海水にやられて擦れてるな。……何!?あの連中、ダークエルフ族と手を結んでいるだと!?」
「ん〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
ハーミルの抵抗も虚しく、黒ずくめ達に重要情報を漏洩させてしまった。
ハーミルは悔しさのあまり、目に涙を浮かべた。
男達はそんなハーミルに構わず、話を続ける。
「お前は早馬で王城にこのことを伝えろ。この報告書も持っていけ」
「このハーフエルフはどうしますか?」
「馬車を用意して同じく王城に運べ。こいつからは聞き出さねばならんことが山程ある。それまでは眠らせろ」
ハーミルは後頭部に強い一撃を喰らい、意識が朦朧とし始めた。
まどろみの中でハーミルはひたすら謝り続けた。
「ごめんね、レイリー……エル……
ごめんね、東部支部のみんな……
ごめんなさい、フレイアス様……」