第2.5章 裏切者
ライアス王国 王都ラドエレム 南側スラム街テサ区
二ノ月二十一日
会議が終わってから二十日後、僕とフレイアスさんは北部本部のアジトに帰還した。
このアジトは王都南側のスラム街にひっそりと建つ家の地下にあって、メンバー全員が中に入ってもまだ余裕がある程の広さを誇っている。
先代首領のリドアスさんが捕まる前に使っていた本拠地は王国軍に制圧されて使えなくなったため、今はこのアジトが臨時の拠点となっている。
フレイアスさんは出入り口のドアを三回ノックした。すると中から同じくノックを二回返す音が聞こえる。その音に応じるように、フレイアスさんが今度は二秒間隔で三回ノックを返した。
これは中にいる人たちに誰であるかを知らせる為の合図で、ノックの回数や空ける間隔でその人物を特定している。今のノックはもちろん僕とフレイアスさんの合図だ。
しばらくして、内側から鍵が開けられる音が聞こえてきた。
ぼくたちは周囲に誰もいないか確認してからドアを開いて中に入る。
「帰ったぞ」
「ただいま戻りました」
「「「お帰りなさい」」」
「おかえり、フレイにローグ」
「随分とかかったな、雨にでも降られたのか?」
「あんたがいない間こっちは大変だったんだよ」
僕たちを出迎えてくれたのは、北部本部に所属する一般メンバー達と、その後から順番にネオードさん、ギノルさん、イリアさんの三人だ。
この三人はルアス同盟北部本部の幹部メンバーで、フレイアスさんの幼馴染でもある。
ネオードさんは少し背が低くて結構ハンサムで穏やかな性格だけど、若干ナルシスト気味な所もある人だ。フレイアスさんとは特に付き合いが長い人でもある。
ギノルさんは大柄な体格で、高身長なフレイアスさんよりも背が高い。話し方も見た目通りがさつだけど、心も大きいみたいで情に厚く気のいい人だ。
イリアさんは顔は美人で面倒見もいいし頼れるお姉さん的な存在だ。ただ、やたらに細かい性格でちょっと身だしなみが悪いだけで怒鳴りだしたりするのが玉に瑕だ。
三人ともフレイアスさんが特に信頼を置いていることもあって、僕と同様にフレイアスさんの直属隊にも指名されている。この間やった会議の際は連れていけなかったけど、それ以外では行動するときも大抵一緒だ。
そしてもう一人、僕たちを迎えた人がいた。
「若、お待ちしていましたぞ」
「留守番ご苦労だったな、グリフス」
フレイアスさんと話しているかなり高齢のこの人は、僕のおじいちゃんのグリフス・コーディルだ。白髪と髭が多いけど、体格はがっちりしている。
おじいちゃんはオーレンド家がまだライアス国王の座にいた頃、近衛騎士を勤めていたそうだ。更に、聖教軍がライアス王国に攻め込んできた際にルアス様からまだ赤ちゃんだったリドアスさんを託されて城から脱出したこともあるらしい。
僕がフレイアスさんの側近的な立場に居るのもコーディル家の人間としての定めでもある。実際、今はもう亡くなった僕の父さんもリドアスさんの側近だった。
でも、僕はまだまだ未熟だからこれからフレイアスさんと一緒に頑張っていくつもりだ。
僕とフレイアスさんは普段の仕事場でもある執務室まで来た。
フレイアスさん用の少し豪華な机が一番奥にあって、そのすぐ横には僕用の小さい机が置いてある。そして手前には広いテーブルもあって、会議などでもよく利用されている。
フレイアスさんを一番奥にして、僕とネオードさんたちも両側の席に適当に座った。
「俺がいない間の状況報告をしてくれ」
フレイアスさんが聞くとネオードさんが話した。
「特に進展はなかったけど、悪い知らせが一つあるよ」
「勘弁してくれ。ここ最近、不幸なことばかりなんだぞ」
「言わなくたって、事実は変わらないっての。しっかりしなよ、フレイ!」
イリアさんにキツく言いつけられたフレイアスさんは仕方ない様子でネオードさんに話を続けるように指示した。
「10日前、オーギスが軍の増強と増税を行うことを決定したよ」
「チッ……。またか、あの豚が……」
フレイアスさんは忌々し気に呟いた。
ライアス王国の元王族にとっては、やっぱり自分の国を荒されるのは耐え難いんだと思う。
ギノルさんとイリアさんが補足説明をする。
「市民もこの知らせを聞いたときは、スゲエ嘆いてたぜ。一昨日ぐらいに農民らしい集団がわざわざ城の前まで来て『税を減らしてくれ』って頼みにまで来てた。向こうは聞く耳なんて持たなかったけどな」
「その時ちょうど教会の人間がやって来て農民の代表者が事情を話して城の奴らに掛け合ってもらうように頼み込んだんだけど、その教会のやつが代表者に異端容疑を吹っかけて城の中に連れ込んだ後、首をはねられた状態で門に放り出されたよ。最後には『税を払えないならお前たちも異端者としてこうなるぞ』って脅して逃げ帰らせたのさ」
「どうしてペシオ教の関係者まで!?税と教会は関係がないじゃないですか!」
教会の人間のあまりの横暴さに思わず怒鳴った。
ペシオ教は基本的に他国の政治には関与しない。
これは人族が治める国家の意思を尊重するという人族至上主義のペシオ教が掲げている訓示にもなっていて、反ペシオ教的な政策でない限りは大抵のことは容認し、干渉してはいけないことになっている。
「間接的ではあるが、関係がないことはない」
憤っている僕におじいちゃんが説明を入れた。
「ベムラート家が王位に就いてからは、ライアス王国は多額の税を布施として教会に納めておる。税の額が減れば布施の額も下がる。だから無関係だとは言い切れんのじゃよ」
「だからって、証拠もなしに異端容疑なんて濡れ衣まで着せるのは横暴すぎるよ!聖教騎士団だってこのことを聞いたら黙っていないはずだよ!」
「証拠なんて後からでも作れる。あいつらにはそれだけの力がある」
「そんな……!」
「それがこの大陸の今のルールだ。だからこれから俺達が大掃除するんだろう」
そうだ。フレイアスさんの言うとおりで僕達がこの大陸を少しづつでも変えていかないといけない。
父さんがリドアスさんを支えたように、僕もフレイアスさんを全力で支えてこの国を取り戻すんだ。
僕は改めて決意を固めた。
僕とフレイアスさんが自分用の椅子に座ったちょうどその時、外から誰かがドアをノックした。
フレイアスさんが応答する。
「誰だ?」
『フレイアス様。ディオット氏がお見えになりました』
「わかった。通せ」
フレイアスさんの許可が出て、執務室の扉が開いた。
入って来たのは、つば広の帽子を被ってラフな格好をした壮年の男性だ。
「待たせたな。フレイアスの若頭」
「よく来てくれた、ディオット」
フレイアスさんはディオットさんを迎え入れた。
ディオットさんはルアス同盟に協力している情報屋で、少し前にある仕事を依頼していた。
今日来たのは多分その依頼の結果報告かもしれない。
「来たばかりで悪いが仕事の話をしてくれ」
「ああ。失礼するぜ」
ディオットさんが椅子に座ると部屋の中にいる全員の視線が彼に集中した。今回彼に頼んだ仕事は非常に重要な物だ。
フレイアスさんはディオットさんに問い質す。
「単刀直入に聞く。ミーザは白か?それとも黒か?」
フレイアスさんは早速、依頼の結果を話すように促した。
ミーザというのは、ルアス同盟のメンバーだった15歳の女の子だ。本拠地が襲撃されるすこし前から行方が分からなくなって捜索依頼を出していた。
でも、ミーザちゃんが裏切って本拠地の場所をばらしたんじゃないかという疑惑が出て、フレイアスさんはミーザちゃんの捜索と合わせて本拠地発覚の原因の調査もディオットさんにお願いしていた。
ディオットさんは少し呼吸を整えて、はっきりとした声で答える。
「答えは……”黒”だ。本拠地の場所をバラしたのはミーザの嬢ちゃんで間違いねぇ」
それを聞いた途端、部屋の中は怒号と悲痛に包まれた。
「やはりミーザだったか……!」
「許せねぇ……あの女ぁ!」
「どうして……どうしてなんだい……ミーザ……」
全員が口々にミーザちゃんに対する気持ちを吐き出した。
最初からミーザちゃんを疑っていた人は彼女に対する恨みの言葉を吐き捨て、最後まで潔白だと信じていた人は悔しそうに顔を歪めた。
「そんな……ミーザちゃん……」
僕は後者だった。
フレイアスさんも彼女が犯人だということは大方予測できていたんだろうけど、それでも最後まで仲間を信じたい気持ちがあったからか、この報告にかなり堪えているみたいだ。
項垂れていた頭を上げてディオットさんに改めて尋ねた。
「……確かなんだな」
その目には怒りがこもっていた。この時点でフレイアスさんがミーザちゃんを敵と断定した証拠だ。
ディオットさんは話を続ける。
「ああ。本拠地襲撃の三日前に王国軍の詰所に入る姿が目撃されていた。その時に中にいた兵士に金を握らせて情報を引き出したが、特徴もミーザと一致していた」
「ミーザちゃん……どうして僕たちを裏切ったりなんて……」
「決まってんだろ!最初から軍に密告するためにうちに入ったんだろ!」
「いや、おそらく違うな」
ギノルさんが憤って答えるとフレイアスさんが否定した。
「どうしてわかるんだい、フレイ?」
「最初から裏切るつもりでうちに潜入したのなら、入ってから二、三日ぐらいで通報されたはずだ。だが、あいつは三ヶ月も居た。なぜそんなに長く居座る必要がある?」
「ルアス同盟に関するより多くの情報を集めるため……とかじゃないの」
「もしそうなら、どうして被害が本部だけで済んだんだ?」
「本部だけって……あれ?」
確かに、軍が攻め込んで来たのは北部本部だけで、ペシオ教圏内に拠点を置いている中央、西部、東部の支部には来なかった。
つまり、ミーザちゃんは本部の場所しか軍に教えていないということになる。
「確かにおかしいね。内にはリドアスさんやフレイ以外にも高額賞金首になってるメンバーが各支部に何人もいるのに、北部本部だけが標的になるなんて」
「敢えて伝えなかっったのかな?彼女にも良心が残っていたのかもしれない」
「良心が残ってんなら、そもそも通報なんてしてねぇだろ」
「だったらどうしてほかの支部の場所を言わなかったんでしょうか?」
「”言わ”なかったんじゃない。”言え”なかったんだ」
みんなで疑問を言い合っていると、フレイアスさんがその答えを出した。
僕はその答えの意味を尋ねた。
「どういう意味ですか?」
「単純なことだ。そもそもあいつはこの組織に支部があること自体知らなかったんだ。知らないことを言えるはずがないだろう」
フレイアスさんが発した答えにギノルさんが否定する。
「いや、それは流石にねえだろ。あいつは組織に入って三ヶ月もいたんだぞ」
「逆じゃよ。たった三ヶ月しかいなかった」
おじいちゃんが言った。
「あの娘はまだ下働きじゃった。だから組織のことは深い部分までの教育もしておらん」
この組織は首領であるフレイアスさんを筆頭に”幹部メンバー”と”通常メンバー”、そして”下働き”で構成されている。幹部メンバーは作戦の陣頭指揮や方針の取り決めを行い、通常メンバーは執務仕事に亜人族の救出やペシオ教関連施設の強襲などの実働任務に携わるのに対し、下働きの人は掃除や洗濯、買い出し、更には死体の片付け等の雑用をこなす。
下働きは幹部や通常メンバーのような”正規メンバー”とは異なり、日雇いの者や正規加入を目指す研修生で構成されている。正規メンバーになるには、まず数ヶ月間下働きとして研修を受けることになっている。その期間は人族と亜人族によって異なるけど、人族は三ヶ月~六ヶ月、亜人族は二ヶ月~四ヶ月程度だ。この時点ではうちがどういう組織なのかの説明はされるけど、中枢に関することを教えるのは幹部であっても許されない。破ったら教えた人も聞いた下働きの人も拷問か処刑される。その過程を終えてから、人材育成の担当でもある中央支部でさらに二ヶ月程の教育や訓練を受けてようやく正規メンバーとして認められる。
ルアス同盟は元奴隷や冒険者の他、盗賊や囚人もスカウトで所属することが多い。組織の幹部や人選要員の厳正な審査を行って、組織を裏切りそうな者や足を引っ張りそうな者はどんどん切り捨て、忠実に仕事をこなす人をどんどん取り入れていく。この繰り返しによって、組織は少しずつ大きくなっていった。
ミーザちゃんはライアス王国内でスリをしていたところをスカウトされて、あと少しで中央支部行きが検討されるというところで僕たちを通報した。もう少し待てば、もっと深い情報が手に入ったのに早とちりしてしまったということになる。
「最初から密告するつもりで入ったのなら、各支部の位置なんて重要な情報を調べ落とすはずがない。それにうちの人選要員の目は本物だ。それを欺けたとなるとあいつは相当優秀な詐欺師だということになるが、つい最近までただのスリで生計を立てていたガキがそんなすごい奴だったなんて考えられるか?」
「言われてみりゃあ……確かにそうだな」
「ローグ、ミーザが何かを調べたり組織のことを詳しく聞いてきたりとかの怪しい行動はあったかい?」
ネオードさんが僕に聞いてきた。
僕はミーザちゃんと年が近いこともあって仲が良かった。だから何か知っているんじゃないかと思って聞いたんだと思う。
少なくとも僕が知る限りでは彼女のそういった行動はなかったはずだ。
「いいえ。仕事で分からないことを聞いてきたりしたことはありましたけど、組織に関して詳しく聞くことはありませんでした。仕事も普通にこなしてましたし」
「つまり……ミーザは最初こそ裏切るつもりはなかったけど、途中で気分が変わってあたし等を売ったってところ?」
「そういうことになるな。おそらく、俺達を売ろうと決めたのは最後に本拠地を出て行ってから本拠地が襲撃されるまでの十日の間だな。だが、こんな短期間で心変わりをされるのは、はっきり言って想定外だった。今後は注意しておかないとな」
「ならよ、ミーザが俺たちを売った理由って一体何だ?」
「お金以外に考えられるかい?」
やっぱり、考えられる動機はそれしかないか……。
僕達はお尋ね者の集団だ。当然ながら、それなりの懸賞金がかけられている。そのせいで僕達はペシオ教の関係者や聖教同盟国家だけじゃなく、賞金目当ての冒険者や傭兵からも狙われている。
誰かに脅された訳でも最初から裏切るつもりだった訳でもないとなると、ミーザちゃんはうちで仕事をこなしていた最中に大金に目が眩んで僕達を売ったと考えるのが濃厚だ。
「給料はそれなりにやってたつもりだったんだがな」
「若、今後は構成員達の経済状況も調べて、給料等の調整もしておく必要がありますな」
「そうだな。だが、活動資金を本拠地ごと失った今はその余裕もない。ディオット、新しい稼ぎ口探しの方もなるべく早めに頼むぞ」
「まかしとけ」
一応はお尋ね者である僕達が直接『職探し』をするのはリスクが大きすぎる。その為、ディオットさんには仕事の仲介人や代理引受人になってもらったりもしている。
「フレイ、現状を考えると次の仕事が来るまで待つ余裕もないよ」
「食料と医療品が底をつきそうだよ。安い魔物狩りだけでもしないと」
「それに、新しい拠点探しもしねえとな。ここじゃあ狭すぎるぜ」
「いっぺんに言うな。泣きたくなる」
フレイアスさんは頭痛を起こした時のように額を抑えて顔をしかめた。
確かに今の北部本部は問題が多すぎる。頭が痛くなるのもよく分かる。
何とか短期間でお金を調達できないものかと考えていると、通常メンバーの一人が提案を出してきた。
「今からでもミーザを捜して捕まえるのはどうです?ルアス同盟の通報やリドアス様の捕縛で得た懸賞金をごっそり頂くんです。それなりに大金だったはずですから今の問題もある程度解決されるはずですよ」
「無理だろうね。あれから時間が経ち過ぎてる。足代だって山ほどあっただろうし、とっくに西部の教皇領付近のどこかに逃げ込んでいるはずだよ」
「もうちょっと早かったら、名案だっただろうけどな」
「西部支部に頼もうにも、あそこはやたらに金にがめついからねぇ。上がりの半分以上は持ってかれるだろうしね」
自信満々に言った彼だけど、幹部メンバーの皆さんに否定された。
「食い扶持にすら困っている俺たちを差し置いて、あいつ一人だけ豪華な暮らしを満喫してるわけか……。うらやましい限りだ」
「それは違うぜ」
フレイアスさんがため息をついているとディオットさんが口を割ってきた。
そして持っていた荷物の中から一枚の紙を取り出した。
「三日後に王国中に貼り出される予定の手配書だ。見てみな」
フレイアスさんが促されるがまま手配書を受け取って中を見ると……、
「……そういうことか」
フレイアスさんはその紙を僕たちにも見せた。
「ミーザちゃん……!?」
「どうしてミーザが!?」
「賞金安っ!!」
「それは関係ないだろ!!」
僕たちは驚きを隠せなかった。
そこにはペシオ教側にとっては一番の功労者であるはずのミーザちゃんの似顔絵が描かれていた。
手配書には異端認定された者に押されるペシオ教教会からの調印に、高くはないけど懸賞金まで出ていた。
「あいつは切り捨てられたって訳か……」
「そんなところだ。ちなみにその手配書の発行を命じた奴は本拠地襲撃を指揮した部隊の隊長だ。懸賞金もそいつが全額受け取っていた」
ミーザちゃんは懸賞金を受け取れなかった。
つまり、彼女は文無しでどこかを彷徨っている。
ペシオ教側に寝返った反ペシオ教の組織や他宗教の裏切り者はペシオ教総本山の教皇領に近い西側に逃げ込むことが多いけど、その頼みの綱であるペシオ教からも追われる身となった以上、教皇領やその周辺の国々に避難することはかえって危険だ。
「ディオット殿、ミーザが今どのへんにいるのかは調べておりますかな?」
「ああ。東に向かっていることが分かった」
「目撃情報でもあるのか?」
「ミーザと特徴が同じ少女が王国東部の都市メイフォンでスリをしたという情報があった。その後も目撃情報がさらに東側で何度も確認された」
やっぱりミーザちゃんは東側に逃げている。
大陸中央部から東部までは僕たちも比較的活動しやすいエリアだから、その気になれば捕縛できるかもしれない。と言っても、僕たちルアス同盟以外にペシオ教や賞金目当ての冒険者、盗賊、魔物の類にも命を狙われているから、僕たちが捕まえるよりも先に殺される確率のほうが高い。
無一文で大勢の人間から追われる身、考えただけでもぞっとする。
そう考えていると、「クックックッ」と不気味に笑う声がした。
「やれやれ、ここまで絶望的な状況だと、いくら裏切り者でも哀れに思えてくるな」
フレイアスさんが暗い笑みを浮かべながら言った。
僕にはその笑みに込められた言葉が分かる。『ざまぁないな』とか、そんな感じの言葉だ。
この時のフレイアスさんは本当に不気味に見えるから、僕を含めてみんな怖くて何も言えなくなる。
しばらく変な沈黙が続いて、唐突にフレイアスさんが沈黙を破った。
「あいつがどこに向かっているか見当はつくか、ディオット?」
「足取りを見ると、南下する様子が見られないから真っ直ぐ東に進んでいるのは確かだな。ただ、こっから東にある国のどこで止まるかまではまだ分かんねえな」
ライアス王国の真っ直ぐ東にある国は、順番にピエモラ王国、ボローニ王国、トリアスタ王国、そしてノイズ王国。
ボローニ王国までは北部本部の管轄だけど、トリアスタ王国より先は東部支部の管轄だ。
東部支部はノイズ王国で亜人族の救出任務を行う予定だから、捜索するにはちょうど良いタイミングだ。
フレイアスさんも同じことを考えたみたいで、すぐに部下に指示を出した。
「東部支部に鳩を飛ばしてミーザを捜索を任務に加えるように伝えろ。だが、これは優先任務じゃない。亜人族奴隷の救出と未開の地の偵察を優先させることを言い忘れるな」
「ちょっと待て。未開の地の偵察って、何であんな場所を?」
ディオットさんが突然尋ねて来た。
情報屋でも未開の地の情報は入っていないのかと思い、彼に説明する。
「あの場所で国籍不明の集団が開拓を始めているという情報があったんだ。事実か出鱈目かはまだわからないが、もうじき部下が到着するから後は報告を待つだけだ」
「けど、あそこはダ……!」
そこまで言いかけてディオットさんは口を止めた。
「どうしました、ディオットさん?」
僕は不思議に思って聞いた。
他の全員も今の言葉の続きが気になる様子だったけど、ディオットさんは話をはぐらかした。
「…………いや、何でもない。今のは忘れてくれ。俺の記憶違いだ。じゃあ、俺はもう帰る。報酬は今回は前払い分だけいい。また仕事があったら言ってくれ」
それだけ言うと、ディオットさんは荷物を持って帰ってしまった。
妙に慌てた様子で出て行ったディオットさんにみんな呆然としていたけど、僕の質問でみんなが我に返る。
「フレイアスさん。僕らがミーザちゃんを捕らえた場合、彼女は……どうなりますか?」
とっくに答えが分かりきった質問だけど、敢えて尋ねた。
フレイアスさんはこちらを見もしないまま答える。
「死刑だな。理由がどうあれ奴のせいで親父が死んだのは確かだ。これだけの反逆をしておいて軽罪で済ます訳にはいかない。ちょうど東部にいるらしいからな、拷問官のサーシャにくれてやるのも良いな」
「……何とか免罪符を出すことはできませんか?」
この質問にフレイアスさんの目つきが少し変わった。
「ローグ。お前とミーザは仲が良かったのはみんな知っている。俺もお前の気持ちはわかっているつもりだ。だが、それとこれとは話が別だ。残念だが、それは聞き届けることはできない」
やっぱり駄目か……。
リドアスさんや仲間達を裏切ったミーザちゃんを許せない気持ちは勿論あるけど、やっぱり友人として彼女を助けたいという気持ちも強かった。
落ち込んでいた僕にフレイアスさんは「ただ……」と補足を加えた。
「親父の命に見合うだけの利益をもたらしてくれるのなら考えてやらなくもない。俺たちやペシオ教の目を盗みながらそんな物を用意できればの話だがな」
リドアスさんの命に見合うほどのもの。ダークエルフ族を発見するとか、一国の軍隊を壊滅させるぐらいのものじゃないと多分納得してくれない。
せっかく出してくれたチャンスだけど、あまりにも難しすぎる。
達成はほとんど不可能だ。
少し落胆している僕をよそに、フレイアスさんは新しい仕事の話題を出した。
「よく聞け、みんな。突然だが、三日以内に強襲任務を行いたい」
「は?強襲って、どこにだよ?」
「これだ」
そう言ってみんなに見せたのは、先ほどディオットさんが渡したミーザちゃんの手配書だった。
「いやいや。ミーザは東に向かっていること以外手がかりがないから無理だってさっき話したばかりじゃないかい」
「そっちじゃない。ここだ」
フレイアスさんが指さしたのは、手配書の発行者の名前が書かれている欄だ。
そこにある名前『ステファゴス・ネイロード』を指先でつついている。
「その男は、本拠地を襲撃した軍の指揮官……なるほど、そいつが持っていった懸賞金を狙うんだね」
「ミーザが持っていったのなら諦めるしかなかったが、幸いにもこっちは手の届く範囲にいることはわかっているからな」
フレイアスさんや他の幹部メンバーの皆さんは不敵な笑みを浮かべた。
確かに標的としては最適だけど、今は軍の動きが活発になっているから動くのはリスクが大きい。
そのへんは大丈夫なのかと僕はフレイアスさんに尋ねた。
「でも、軍の動きが活発になったままですよ。派手な行動は危険じゃないですか?」
「本拠地が襲われた後、少しこいつのことを調べる機会があったんだが、こいつの自宅がある屋敷は王都郊外の辺境にある。多少なら派手に暴れても問題ない」
「あれからもう二ヶ月経ったんだよ。命令に対する兵士たちの士気や意欲も抜け始めている頃合いだ。動くにはベストタイミングだよ」
「向こうも大金が手に入って浮かれているだろうしな。冷や水をかけてやろうじゃねえか」
「そうだねぇ。ついでに高くなっているだろう鼻もへし折ってやろうじゃないか」
ネオードさん達もやる気満々だ。
フレイアスさんはすぐ側の壁にかかっている金属の管まで歩み寄ると、その管の蓋を取って中に空いてある空洞に向かって言った。
「幹部メンバーは全員集まれ。新しい作戦の説明と実行の採決を取る」
この道具は『通話管』というもので、僕たちが知恵を振り絞って開発したものだ。わざわざ他の部屋まで行かなくても呼び出しを行えるから非常に便利な代物だ。
五分もしないうちに北部本部所属の幹部メンバーが集まった。全員がそれぞれ席に座る。いくつか空席があるけど、そのメンバーは今は出払っていることをおじいちゃんから聞かされた。
フレイアスさんは作戦の内容とその作戦の利点とリスクを事細かに説明した。
説明を終えると、すぐに採決に入る。
「では、多数決を取る。ミーザの懸賞金を横取りした『ステファゴス・ネイロード』の屋敷への強襲。実行に賛成か反対か。賛成の者は起立しろ」
フレイアスさんが一拍すると一斉に全員が立ち上がった。
「賛成、九。反対、零。欠席、三。満場一致で当作戦の実行を決定とする。決行は三日後だ。それまでに武器の整備や情報収集などの準備は済ませておくように。以上、解散!」
その言葉で全員が部屋から出て自分たちの持ち場に戻った。
僕もフレイアスさんと一緒に三日後の準備をしないといけない。
仕事にかかろうとしたら、フレイアスさんに呼び止められた。
「ローグ。会議の時から呆けた顔をしていたぞ」
「すっ、すみません」
会議の最中、僕はひたすらミーザちゃんの事を考えていた。
今のミーザちゃんの状況を考えると、悪い方向に思考が働いちゃってそれが頭から離れなかった。
「疲れているなら仮眠をとれ。休息も重要だぞ」
「……わかりました」
僕はフレイアスさんに言われた通り、仮眠をとることにした。
仮眠室に向かうのは億劫だから、いつも僕は寝具を自分の机のそばに置いてある。
ソファーをベッドにして枕を置き、そこに体を預けると直ぐに毛布にくるまった。
どっと眠気が襲ってくる中、最後にあることを願った。
「(どうか、ミーザちゃんが無事でいますように……)」
その願いを抱きながら、僕は眠りについた。