第2章 ライアス王国
お待たせしました。
第2話です。
ライアス王国 王都ラドエレム 王城
私、アリア・レノール・ベムラートは自分の部屋から父オーギスがいる玉座の間に向かっています。
見慣れた廊下を急ぎ足で歩いていますが、一応王女であるため気品を落とさないように姿勢はきっちりしているつもりです。
ラドエレムに建つ王城デラント。その歴史は古く大崩壊以前には既に建てられたと言われ、この城の天井の至る所に大崩壊前に広大な文明によって栄えた龍族の天井画が描かれています。
玉座の間の扉の前まで着くと、不機嫌だった私は半ば八つ当たり気味に扉を勢いよく開きました。
その玉座に王冠を被った中太りの中年の男性が座っていました。
彼こそがこのライアス王国の現国王であり、私の父オーギス・ベムラート一世です。
父はまだ昼間にも関わらず酒を飲んでいます。それも杯に移してから飲むのではなくワインの容器を直に、僅かに口から溢れていることも気にせずに。
「おお、アリア。待っておったぞ」
父は崩している体勢を直さないまま私を迎えました。
私は手にした国家方針書を父に突き付けました。
「お父様!これはどういうことです!?」
父は不思議そうな顔をしながら尋ねます。
「どういうこととは?その方針書がどうかしたのか?」
「軍の増強のことです!現状では治安維持や国土防衛に必要な兵力は十分に足りているはずです。なのに何故兵士三千人とワイバーン八匹も追加する必要があるのですか!?」
ライアス王国の現在の総兵力は約三万人で、ワイバーンは二十六騎保有しています。
これに追加分を合わせれば、ペシオ教圏の大国に並ぶほどの軍事力を持つことになるのです。
そもそもワイバーンというのはアルデオ大陸の有史以前から存在している生物で、主に暖かい地域の山などに生息しています。硬い鱗や鋭い爪と牙に加えて口からは炎を吐くなどの攻撃能力の高さや、その見た目の割に大人しい性格であるため、世界中で軍事目的で飼育されています。しかし、大きな図体からわかるように、飼育には大量の餌、それも大型動物の肉でなければなりません。当然ながらそれだけの餌となると調達には相応の費用が必要になり、ワイバーン一年分の食費で人一人が二十年暮らしていけると言われています。
「決まっておろう。近いうちに起こるであろう『聖戦』に備えるためだ。これだけ兵を有していればアリラン皇国からの求めにいつでも応じられる」
父は当たり前のように答えました。
『聖戦』とは、ペシオ教の総本山アリラン皇国が聖教同盟国家の軍を結集させて『聖教軍』を編成し、亜人族国家や破門国家に攻め込ませる侵攻のことです。
ペシオ教にとって亜人族は、五〇〇年前に大崩壊を起こしてそれまであった平和を犯した元凶であるため、彼らの根絶を最終目標としています。
彼らの根絶のために各国から多数の兵士を動員して諸国連合などの亜人族国家や国家元首がペシオ教に背いたことで破門された国家に攻め込むことで亜人族の勢力を衰えさせ、ペシオ教の権威を高めているのです。
聖戦発動時に各国から召集されて出来る聖教軍は約十万人ほどだ。参加した国の軍は多ければ多いほど教皇からの評価も上がるのです。
しかし、そんな理由で私は納得などできません。
「近いうちにって……最後に聖戦が行われたのはたった五年前ではないですか。そんなすぐにまた聖戦が行われることなんてなかったでしょう!」
アリラン皇国が発動する聖戦は二十年以上間を空けてから発動するのが普通です。
規則では発動の期間は特に決まっていないのですけれど、兵の補充や鍛練のためにこれ位の時間は必要になるため、続けて行う場合どんなに早くても十年経たずに行われることはありません。
「今までなかっただけで絶対にないということもないだろう。ペシオ教創設五〇〇年が経った上に、つい数年前に即位なされた現教皇様は歴代の教皇様に比べて評判が良い。短期間で再び聖教軍の召集をかける可能性は否定できない」
父の言う通り、今代の教皇レミジオ三世様は非常に人気が高い。
まだ青年と呼んでもおかしくない若さでありながら、男性では考えられないような美貌と周囲の寛大な姿勢から、特に女性の信者の注目を集めている。教皇選挙でも過半数以上の票を取って教皇に選ばれたことから、その人気さがよく分かります。
教皇様の人気さが余りにも強く、聖戦に参加したいと言う様々な身分の者が多数出ているため、早ければ今年中に聖戦を発動するという噂が本当に流れているぐらいです。
軍の増強の話を下ろすつもりはないのだと判断した私は別の話題に切り替えることにします。
「話は変わりますが、増税の件はどうですか?これまでも国民に重税を課してきたのにまだ絞り取るおつもりですか?国庫は十分に潤っているのに?」
ライアス王国は財政に困っているわけではありません。
むしろ全ペシオ教国家の中でも非常に経済力のある部類と言ってもいいでしょう。
まず王国南部と東部には農業に適した広大で肥沃な土地を有しており、その農場で生産されている穀物類を中心とした作物は近隣の国に輸出できるほど大量に収穫されます。
北部にある海のそばには大規模な港湾を設置し、更に北にあるエルラ島の鉱山からは珍しい鉱物や宝石が採掘されています。
国庫にはむこう数十年間、税を極限まで減らしても困らないほどの余裕があります。
さらに私が計算した結果、税の額を今まで通りにしても軍やワイバーンの維持費には足りることがわかりました。
それにも関わらず増税を行うなど国王の身でありながら民に反乱を煽っているとしか思えません。
そして、私の問いに対する父の返答はやはり納得のいかないものでした。
「増税しなければ教会への布施を減らさなければならないだろう。評価を下げられるような事態になることだけは避けねばならん」
また教会か。そう言いたくなった衝動を抑えて私は反論を続けます。
「我が国は先代以降、世界でも五指に入る程の額をペシオ教に投資しているではありませんか。事情を説明すれば教会も納得してくれるはずです」
「ならん!この国は過去に一度、ペシオ教から破門されている。教皇様の期待を裏切ったにも関わらず、隣国に併合されずに済んだ恩に報いるためにも布施の額を下げることは断じて許さん!」
「教会からの評価のことばかり考えて、民のことは何一つ考えていないではありませんか!お父様はペシオ教のためなら国民がどうなろうと構わないとおっしゃるつもりですか!?」
「よいか、アリア。この増税は、かつてペシオ教に背いた王国の懺悔でもある。ダークエルフ族と手を組んだルアス・オーレンドの罪はやつ自身の命だけでは足りぬ。本来なら一族郎党根絶やしするべきにも関わらず、それも未だに果たせていない。だからこのような形でペシオ教に貢献することで教皇様からの許しと信頼を得ているのだ。信仰心を改めた国民なら、このことも納得してくれるだろう」
私は父に半分怒り、そして半分呆れました。
この男は先代と同様にペシオ教からの評価さえ上がればいいとしか思っていません。
聖戦によって先々代王家のオーレンド家を蹴落として私達ベムラート家が王家に継いてから、ペシオ教中心の政策ばかり行い民への配慮など考えられたことは一度もありません。
軍の増強は聖戦に備えるという理由も確かにあるのだろうけれど、おそらく重税に耐えきれなくなった国民による反乱を抑える目的が大きいでしょう。
一国の王である以上、国民の生命や生活を守ることが義務であるはずなのにこの男はそれを理解していないのです。
かつての王ルアス・オーレンドは民の生活に合わせてバランスよく税収や政策を実行していたというのに、父は彼の評価すべき部分まで反面教師にしているのでしょうか?
ベムラート家が元々没落貴族であったという話が改めて納得できます。
やがて、父は自分が出そうとした本題に話を変えます。
「それよりも、アリア。お前に見せたい物がある」
そう言うと父はメイドの一人に命令してある物を持って来させました。
それは沢山の宝石がちりばめられた純白の絹のウエディングドレスでした。
「……もう用意していたのですか?」
私は父に聞きました。
あまり嬉しくなさそうな声だけれど、本当に嬉しくないのですから仕方がありません。
「当然であろう。ノイズ王国との親睦をさらに深める大事な結婚式だ。二ヶ月後にお前の十六歳の誕生日と同時に行われるからな。準備は早めにした方が良いだろう」
「ウエディングドレスならお母様のお古でも良かったのですが……」
「何を言う。父が可愛い娘にこれくらいするのは当然であろう」
私は二ヶ月後に結婚式を控えています。
これは私が十四歳の頃に決められた事で、相手は同盟国ノイズ王国の第一王子アシル・エトナ・リクール殿下です。
けれど、私はこの話に乗り気になれません。
自分が知らない所で勝手に婚約を決められたという理由もあるけれど、それ以上に私は婚約者のリクール王子がどう頑張っても好きになれないのです。
以前、ノイズ王国との友好パーティーで会ったことがあります。
顔立ちは整っていましたが、その時の彼の態度は酷い有様でした。
出された料理が不味いと大声で怒鳴り散らしたり、大した事でないミスをしたメイドにワインをかけたり、曲芸師の芸がつまらないと言って料理の皿を投げつけたりなど社交辞令も弁えていないような傲慢さでした。
「(あなたの命令でなければ、誰があんな男と……)」
何度そう心の中で吐き捨てたことか……。
しかし、彼の性格を知っていながらも父は婚約の話を進めていました。
『ノイズ王国との関係向上のため』というのは表の理由で、それとは別に裏の理由があります。
私をこの国から追い出すためです。父は自分の政策に一々口出しして来る私が気に入らず、どこでもいいから嫁がせてこの国から出て行かせようとしているのです。
私は王位継承権を持たないから、このようにして政治に介入する事でライアス王国を安定させようとしているのですけれど、父にとっては邪魔でしかないのでしょう。
『可愛い娘のため』などと言っていますが、父の目には私はただの厄介者にしか見えないのでしょう。
「お前も早めに準備を済ませておけ。私も二ヶ月後の式を楽しみにしておるぞ」
「…………」
私は何も言わずに玉座の間を出ました。
自分の部屋に戻った私は深くため息をついてベットに腰掛けました。
そしてすぐ横の壁に掛けられている絵に視線を向けました。
「お母様……やはり私はこの国の飾りでしかなかったのでしょうか?」
今は亡き母の絵に向かって呟きました。
私の母セリアは私がまだ幼い頃、父が民に不利な政策を行う度に強く非難していましたが、ある時から病で寝たきりになることが多くなり、医師の治療や介抱もむなしく亡くなってしまいました。
母の後ろ姿を見て育った私は母に代わって父の暴走を抑えようとしていたが、それも二ヶ月後で終わってしまうでしょう。
この縁談はライアス王国側から持ちかけているため、仮にライアス王国側の都合で結婚式が中止になると今後のノイズ王国との関係で不利な立場となってしまいます。
そうなれば、父が腹いせにどんな悪政に出るかわかったものではありません。
私は二ヶ月後の運命を黙って受け入れるしかありません。
母の絵画を見つめ終えた私は、ベッドの枕の下に隠してある物を取り出しました。
それは手のひら程の大きさの銀のペンダントで、龍の絵が彫られています。
「結婚するなら、”あの方”のような人が良かったのに……」
ペンダントを見つめながら、今更な台詞が漏れてしまいました。
このペンダントは私がまだ幼い頃、城を抜け出して城下町を探検しているうちに迷子になって泣いていた私を助けてくれた少年がくれた物です。少年といっても、当時の私よりも年上で今では立派な大人になっているでしょう。
優しくしてくれた彼に私は強い憧れを抱きました。けれどあれ以来、再び会うことは叶いませんでした。名前も聞きそびれてしまったので、探すことも困難です。
彼のことは一度たりとも忘れたことがありません。雪のような銀髪に炎の様な紅い左目と海の様な蒼い右目をした少年でした。