第12章 各々の動き3
ようやく日ノ戦争に入ります。
ノイズ王国南西部 トリアスタ王国国境付近上空 高度500m
ハーミル捕縛から11日目
深夜、既に日付が変わった頃、フレイアス一行を連れた魔女達は夜の空を飛んでいた。
空は満天の星空で、彼女達はそこから降る月の光と夜目が効くフレイアスの指示を頼りに進んでいる。
国境内に入ってからすこし経つと、前方から小さな光が点滅を始めた。下から見れば星と勘違いするだろうが、実際の光の高さはフレイアス達がいる高度500mとほぼ同じ高さだ。
魔女族族長のアリッサは光に気付くと、光に応答するよう先頭を飛ぶ魔女に指示を出す。
先頭の魔女は人差し指を上にあげて短い呪文を唱える。
すると、指の先から人の頭ほどの大きさの光の玉が現れ、前方の光と同様に点滅を始めた。
規則的に点滅を繰り返して、前方の光の反応を待つ。
しばらくすると、前方の光が点滅を止めてこちらに接近して来た。
そして次第に、光を放つ者の姿が明らかになってきた。
「遅れてすまない、リリ」
「ご苦労様っス、フレイさん」
同じ魔女族であり、ルアス同盟メンバーのリリだった。
フレイアスはリリの他に待機しているはずのメンバーがどこにいるか聞く。
「これから案内するッス。ついて来てください」
リリに言われるまま、一同は後をつけて飛ぶ。
そして少し進んだ先の森で降下した。
森の中では、10人以上の東部支部のメンバーが待機していた。中にはフレイアスやネオード達3人と付き合いが長い者もいる。
「久しぶりだな、エリット」
「こっちこそ久しぶりニャ、フレイ!それに、みんなも相変わらずそうだニャ」
「元気そうでなによりだよ、エリット」
「しばらく見ねえ内に随分と立派になったもんだぜ」
「もう何年振りかしらね」
フレイアスとエリット、そしてネオード達3人は幼少の頃から一緒に育ってきた間柄で、実に2年振りの再会になる。
再会のひとときを楽しみたいところだが、今はそんな場合ではないので本題に入る。
「早速だが、このノイズ王国とナンヨウドウの現状の確認をさせてくれ」
「あれ?連絡届いていないのかニャ?」
「昨日の報告がまだ来てないんだ。お前等なら、最新の情報が入っているはずだ。全て話せ」
魔力を多く使う魔通信の関係上、任務中は現場の人間とその指揮官の間のやり取りが優先され、たとえ首領のフレイアスであっても報告が届かないこともある。
作戦の最前線にいる彼女達は、全体の中で少なくとも2番目に情報を持っているはずである。
「了解ッス。まず、レイリーさんからの報告によるとノイズ王国軍は今日を含めてあと2日で編成が終わるそうッス。既に外交使節が二ホン領のナンヨウドウに向かっていて、到着はおそらく同じ2日後くらいになるッスね」
「ノイズ王国軍の数と最高指揮官は?」
「数は約1万5000人で、最高指揮官は第1王子のアシル・エトナ・リクールに決まりました」
「それと、レイリーがリクールを上手く誘導してくれたおかげで、ライアス王国のワイバーン6騎が今回の戦いに間に合わなくなります」
ノイズ王国に残っていた2つの班それぞれのリーダーであるレーアとエミルも立て続けに答えた。
「上出来だ。ナンヨウドウのフィールとミミはどうなっている?」
「ミミ姉さんは真面目に仕事はこなしてるっスけど、補給が出来ないから食料面で苦しんでるそうっス。フィールさんもまだ見つかっていないっス」
「ニホンがノイズ王国の動きに気づいている様子は?」
「ないっスね」
大方の状況は分かったが、まだ肝心なことが聞けていない。
フレイアスは率直に聞くことにした。
「ところで、ハーミルはどうなった?」
「「「……!」」」
その質問に、現地メンバー全員が気まずい顔を作った。
その様子を見て、フレイアスは結果を察した。
「……駄目だったのか」
「……はい。レイリーの報告によると、王城に入れられて……辱めを受けていたと……」
「クソッ!」
ギノルが悪態をついた。
王城に入れられた以上、ハーミルの救出は絶望的となった。
フレイアス達だけでなく、魔女達も苦虫を噛んだような顔になった。
「今あいつはどうしている?」
「牢獄に入れられたそうです。今、レイリーがハーミルの様子を探っている頃ですね」
「様子を探っているって、どういうこと?」
イリアの問いにエリットが答える。
「レイラの命令で、レイリーにハーミルの心を読ませて、ハーミルが裏切る気かどうか確かめているんだニャ。それでハーミルを処分するか、まだ保留にするかを決めるみたいニャ」
「何よそれ!?ハーミルを信用してないみたいじゃない!」
「いや、ハーミルの意思がはっきりわかる良い案であるのは確かだ。レイラもハーミルを殺さない口実が欲しかったんだろう。あいつはこういう時、本当に堅物だからな」
憤るイリアをフレイアスが宥めた。
そして今度はここにいるメンバーの確認を始める。
「今ここにいるメンバーは何人だ?」
「あたしとエリットさん、それからレーア班とエミル班の計14人ッス」
「それに、私とフレイくん達5人、そして可愛い妹達30人も合わせると、50人ちょうどだね」
「悪くねえ数だな」
ギノルの言う通り、実に軍の一個小隊程の数である。普段、襲撃任務や救出任務を行う時でも、これほどの人数が集まることは滅多にない。
いつもより味方が多いためか、メンバー達の士気も上がり気味だ。
すると、ネオードが気難しそうな顔で言う。
「数が多いのは良いけど、問題は今の僕達に何ができるかだね」
「そうだな……。まさかとは思うが、この数で王城に乗り込もうだなんて考えている奴はいないな?」
「えっ?」
ローグが拍子抜けした様な声を上げた。図星だった様だ。
周りの人間が呆れた様な顔になる。
「ローグ……お前はもう少し現実を見ろ」
「普通に考えて無理でしょ」
「でっ、でも、フレイアスさんやみんなはその辺の冒険者に比べてすごく強いですし、魔女族も全部で32人もいますよ!今は確かに数が多くて無理なのは僕でも分かりますけど、遠征軍が出払った後なら数もだいぶ減っているはずですから、レイリーさんと協力してハーミルさんの救出も出来るんじゃないですか?」
「ローグ、確かに遠征軍がニホンへ向かえば数は減るけど、最低限ノイリスの治安維持と防衛が可能な戦力は確実に残るさ。城門や城壁は魔女の皆さんに乗せてもらって突破すればいいとして、中に入った直後に矢の餌食になるのがオチだよ」
「それだったら、ゴーレムを作ったり魔獣を召喚してそれを囮に……。そうだ!いっそのこと、魔獣の大群で攻めれば……」
「ちょっと待った」
ローグの提案を遮ったのはアリッサだ。
アリッサはキツめの口調でローグに説明をする。
「あのねぇ、クソガキ。当たり前のように言ってるけどゴーレムを作ったり魔獣を召喚するのだって楽じゃないんだよ。ゴーレムは形を形成するための形成魔法と動かすための操作魔法の二種類の魔法を同時に使うことでようやく戦力にできるものなんだよ。発動中はゴーレムから離れられないし、バリスタ一発ですぐ壊れるし、壊れたら再び作り直すのにも魔力がいるし、その間は隙だらけだしで、マジで使えないからね。魔獣の召喚にしたって大体同じだよ。魔界から呼び出す召喚魔法と呼び出した魔獣を制御する制御魔法を同時に発動させないといけないの。普通、召喚魔法で出す魔獣は自分からだいぶ離れた敵がいる位置に合わせて呼び出して、後は魔獣の好きに暴れさせるものだけど、それをノイリスの街の中で使えば、関係のない市民まで巻き込まれることになるよ。そうならないために制御魔法を使う必要があるけど、召喚魔法より魔力食うからあんまり長続きしないし、出せる量も大幅に減るよ」
「そうだったんですか……。考えがまだまだ未熟でした……」
ローグは自分の浅はかさを反省した。
そこにフレイアス達がフォローも兼ねて補足説明を入れる。
「まあ、魔獣に関しては、用済みになった後で自分達の手で殺処分するって方法もあるけどな」
「でも、大抵の魔導士はそれが面倒でそのまま放置しておくケースが多いのよね」
「冒険者ギルドで貼り出されている魔獣は基本的にそういうやつっスからね」
「えっ!?そうだったんですか?」
「ローグ知らなかったのかニャ?あたしでもしってることだニャ。ちなみに言うと、仲間に魔導士がいる冒険者とかは魔獣を敢えて召喚してもらって、賞金が出るようになったら狩るっていう卑怯なやり方をする奴もいるニャ。まともな冒険者だと、自分の戦闘の特訓のために召喚しては倒し、召喚しては倒しを繰り返すこともあるニャ」
「後者は『ユーリ式』って呼ばれててな、勇者ユーリも同じ方法で強くなったことでその名が―――」
「チッ」
ギノルの説明中に大きく舌打ちをしたのはフレイアスだった。彼は俄かに不機嫌そうな顔になっている。
何事なのかを逸早く察したネオードとイリアはギノルの口を塞ぐ。
「(ギノル、フレイの前でその話は……)」
「(いっけね。忘れてた……)」
「(気をつけなさいよね)」
3人は小声で話した。
すると、エリットが呆れたような顔でフレイアスに告げる。
「フレイ。フレイにとってユーリが憎たらしい存在っていうのはあたしやみんなも同じだからよく分かるニャ。でも、フレイのそれはちょっと度が過ぎてないかニャ?名前を聞いただけでそんな態度になるなんて変だニャ」
「……気にするな。俺が子供なだけだ」
フレイアスがここまで不機嫌になる勇者ユーリとは、ペシオ教で聖人として崇められている女性だ。
彼女の話は物語にもなっており、ぺシオ教圏でその物語を知らないものはほとんどいない。
大崩壊より数十年前に突如現れた悪龍を追い払ったことで大陸中に名を轟かせた冒険者で、ぺシオ教がなかった当時は人族だけでなく亜人族からも称賛を受けていた。
ここだけ聞けば、正義の英雄と呼び続けられることになるが、その後で問題があった。
ユーリは冒険者仲間だったペシオ教の初代教皇に悪龍討伐で得た金のほとんどを与え、今のアリラン皇国にあるセリブス教会の建造費に充てたのだ。
ペシオ教の創立にも携わったことで、亜人族の彼女に対する評価も一気に下がった。
そのため、勇者ユーリは反ペシオ教の国家や組織にとっては目の敵とも言える象徴に成り下がったのだった。
話が脱線してしまったため、フレイアスが話題を戻す。
「とりあえず、東部支部に一度連絡して、俺達に何か出来ることがあるか確認を取ろう。アリッサさん、東部支部のキキに繋いでください」
「りょーかい。ただ、みんなの魔力はあんまり使いたくないから、フレイくんも協力してね」
「まあ……その程度なら大丈夫でしょう。お願いします」
フレイアスの承諾を得たアリッサは、彼の肩に手を置き呪文を唱え始める。
すると、フレイアスの体から光の粒子が出て、アリッサの魔通信具であるペンダントに集まり始めた。アリッサは今、フレイアスから魔力を吸収してそれを魔通信に使っているのだ。
しばらくすると通信が繋がり、ペンダントをフレイアスに渡した。
「もしもし、レイラか?」
『はい。レイラです。リリ達と合流できましたか?』
「ああ。早速だが、俺達は何をすればいいか言ってくれ」
『…………』
フレイアスは真っ先に本題に入るが、レイラからの返答が来ない。
再度尋ねる。
「どうした。何か一つぐらいはあるはずだ。早く言え」
『……かなり無理を強いる内容ですので、とてもフレイアス様にやらせる訳には―――」
「は・や・く・い・え!」
フレイアスはかなりキツい口調で恫喝した。
そして、レイラから依頼された内容は確かに返答を渋りたくなるような内容だった。
『ノイズ王国に再び戻ってくるであろう、ライアス王国のワイバーン隊を撃退して欲しいのです……』
周りでレイラの声を聞いていたメンバーや魔女達は顔を真っ青にした。1騎で一般兵士1000人分の戦力と言われるワイバーン6騎を、たった50人で何とかして倒せと言うのだから無理もない。
しかし、フレイアスとアリッサは少し考え込んだだけで顔色を変えずに承諾する。
「了解した。全力を尽くそう」
「アリッサお姉さんもついているから安心してね」
当たり前のように了承した2人にメンバーや魔女達は再度驚愕した。レイラも魔通信の向こうで驚いているような様子だ。
そんなことに構わず2人は会話を続け、レイラもそれに応じる。
「ただ、それにはキキの魔法が必要だ。こっちに呼べるか?」
『そうなりますと、こっちは連絡手段がなくなってしまいます。そちらにいる魔女族を何人か代わりに寄越してください』
「わかった。5人ほどそっちに送っておくね」
『ありがとうございます』
「それと、北部本部にワイバーン部隊に関する情報を最優先で調査するように伝えてくれ」
『それは既に連絡済みです』
「仕事早いね〜」
要件を終えて、フレイアスは通信を切ろうとした。
「また何かあったら指示を頼むぞ」
『……私でよろしいのでしょうか?』
「?」
一瞬、フレイアスはレイラの言葉の意味がわからなかった。
だが、直ぐに彼女が自分の失態のことで思いつめていることに気が付いた。
「(……まったく、あいつも相変わらずか)」
レイラは冷静で判断力がある優秀な部下であるが、その分責任感が人一倍強く失敗を最後まで気にする性格であることは若い頃から知っている。
だが、今はレイラの力が必要な時であるため、立ち直らせるために説得を行う。
「今更何を言っている?現時点で最も情報が集まっているのはお前と東部支部だ。今作戦の総指揮官に一番ふさわしいのはお前だけだぞ」
『しかし……私がハーミルを1人でナンヨウドウに行かせたせいで、組織全体が存亡の危機に―――』
「だったらその分の失態を成果で取り戻せ。俺が何のためにお前を東部支部の支部長にしたと思っている?今は目の前の問題を片付けることだけを考えればいい」
『……わかりました。全力を尽くさせていただきます』
「頼んだぞ。俺からは以上だ。じゃあな」
フレイアスが通信を切った途端、周囲から非難の声が上がる。
「フレイアスさん!本気ですか!?ぼく達だけでワイバーンを倒すだなんて!」
「いくらなんでも無理が過ぎるぜ!」
「そうだよ!君の気は確かかい!?」
「アリッサ姉さまもなんであっさり引き受けるんスか!?」
「あーあ、私の寿命も残り数日か……。短かったけど楽しい人生だったな……」
全員ワイバーン討伐作戦に反対のようだ。
ワイバーンの強さを知っていれば無理もない反応だ。
「あ……あんな自信満々で言うからには、ちゃんといい作戦はあるんだろうね!?」
エリットも「ニャ」を忘れるほど動揺している。
「受けたものは仕方ないさ。やるしかないだろう」
「まあ、何とかなるよ。フレイくんとお姉さんがいるんだしね♡」
「そんないい加減な……!」
「この育て親にして、この息子ありって奴っスか……」
フレイアスとアリッサは全員を適当に宥めた後、すぐに別の話に移る。
「アリッサさん。もう1人だけ連絡したい奴がいますけど、お願いできますか?」
「別にいいけど、誰に繋ぎたいの?」
「レイリーです」
「……確か、今頃はハーミルちゃんとお話しているか、もう終わった頃だと思うけど、何か言いたいことでもあるの?」
「ハーミルの様子を直接聞きたいだけです。それと、色々と心配なことがありますので」
「りょーかい♡」
「一応、最初は盗聴設定で様子を見させてください」
「えっ……?」
「うわぁ……。フレイさん、サイテーっス」
「……必要な処置だ。口出しするな」
盗聴設定というものは、通信を繋いだ相手の声を聞くためだけの設定で、主に本通信をする前に周囲に誰もいないか確認するために使うことが多い。
しかし、盗聴設定を使うことは魔女族でも卑しい行為とされており、使って欲しいと言うのはフレイアスだけだ。
周りの魔女たちもフレイアスに冷たい視線を送っている。
「わかったよ使ってあげるよ。まったく、お姉さんはフレイくんをそんなデリカシーのない子に育てた覚えはないよ」
アリッサはブツブツ言いながらも再びフレイアスの肩に手を置き、通信を開始する。
「繋がったよ」
アリッサがペンダントを差し出すと、そこから2人分の聞き覚えのある声が聞こえてくる。
フレイアスは詳しい会話内容を知るため、よく耳を凝らした。
◇
ノイズ王国 王城 地下
フレイアス達がリリ達と合流した時と同じ頃、レイリーは一人で地下にある牢獄に向かっていた。この時間は城のほとんどの人間が寝静まっているが、夜勤で今も働いている者もいるため、この時点でのレイリーの行動は怪しまれることはない。
地下の牢獄は格子だけで覆われた中が丸見えのものがほとんどだが、一番奥には比較的優遇された囚人が入る扉付きで少し広めの個室牢獄がある。そこにハーミルが入れられている。
中に白骨死体が転がる牢獄の前を幾つも素通りし、たどり着いた最奥の牢の前に、二人の番兵がいた。
しかし、彼らは夜通しで見張りをするべきにもかかわらず、大きないびきを掻きながら眠っていた。これは、レイリーがあらかじめ届けた夜食に混ぜた眠り薬によるものだ。そこそこ強力な薬であるため、多少のことで起きる心配はない。
レイリーは番兵の懐から牢の鍵を抜き取ると、念のために後ろに誰もいないか確認をしてから扉を開ける。
牢の中は真っ暗で、扉を閉じると部屋はほぼ完全な暗闇に支配された。
常人なら前後不覚に陥るほどだが、レイリーには扉のわずかな隙間から差し込む光だけでハーミルの表情や体勢がはっきりとわかる。それがなくとも、気配だけで相手の識別は可能だ。
今のハーミルは、天井から吊るされた枷で拘束されており、手を上にあげたまま立たされる体勢をしている。これでは睡眠をとるのが難しい状態だ。
服は新しく用意された粗末な麻の服で、温かくなりかけとは言え、今の時期の気温にはまだ厳しい格好だ。
「……誰?」
ハーミルが音がした方向に向かって震えた声で尋ねる。
レイリーにはハーミルの姿は見えるが、ハーミルにはレイリーの姿が見えない。
声が震えているのは、入ってきたのが暴漢の可能性があるからだ。クリフォードから「ハーフエルフには手を出すな」という命令は出ているはずだが、ハーミルの美貌ならそれを無視する輩が一人や二人でても不思議ではないと、レイリーは個人的に思う。
「ハーミル……」
「……レイリーなの?」
聞き覚えのある声で自分の名前を言い当てたことで、ハーミルはようやく相手がレイリーだと分かった。
レイリーは親友を少しでも安心させようと、彼女のすぐ目の前まで移動し、彼女の両肩に自分の両手を置いた。
「ははは……。ごめんね、レイリー。ちょっとドジっちゃった」
ハーミルは力のない笑顔をレイリーに向けた。
彼女はレイリーを励ますつもりでやっているのだが、当の本人から見れば心が痛む姿だった。
レイリーはハーミルの容態の確認をする。
「……痛いところはない?あいつらに……ひどいことされなかった?」
「そんなことより、私が連れて行かれてる間に、外でどんな変化があったか教えて」
ハーミルはこの期に及んでも、自分よりも周りのことを気にしていた。
「ハーミルが……あいつらに奪われた報告書がきっかけで……ノイズ王国はナンヨウドウ侵攻の準備を進めている。フレイアス……いや、ルアス同盟は……ダークエルフ族と二ホンの救援をすることを……決めた」
情報を漏らす可能性があるハーミルに詳しい内容は教えられない。
レイリーは漏れても問題ない内容を選んで説明する。
「フレイアス様にも、私の失敗のことは伝わってる?」
「うん」
「じゃあ、この国には来る?」
「……」
「……ごめん、これは言える訳ないわよね。フレイアス様は、何か言ってた?」
「……ハーミルが何か情報を漏らしそうになったら……殺せって」
これは伝えても問題ない、むしろ伝えなければならない内容だ。
ルアス同盟に背くことがあれば、一切容赦しないとあらかじめ忠告する。これは一種の脅迫のようなものだ。
レイリーは表情だけで相手の考えを読み取ることができ、少しでもハーミルがルアス同盟内部か二ホンに関する情報を漏らそうという兆しがあれば、それを見抜いて2秒もかけずに殺せる。
ハーミルもレイリーにそんなことが可能だということは誰よりも知っていた。
現時点では、レイリーはハーミルを助けることができない。
理由は3つある。
1つ目は、今ある他の任務を完遂させなければならないことだ。無視してもいい任務もあるがそうでない任務の方が多いため、実行のタイミングは慎重に判断する必要がある。
2つ目は、ハーミルの枷の鍵が見つからないことだ。扉の前にいた番兵は扉の鍵を持っていたが、枷の鍵はなかった。扉の鍵と枷の鍵は別物である。他の誰かが管理しているだろうが、誰が持っているのかまでは、候補が多すぎて見当がつかない。明日から城内を徹底的に調べるつもりだが、実際に手に入れるのはしっかりと計画を立ててやることを済ませた後だ。
レイリーが”本気”を出せば枷ぐらい壊すことも可能だが、3つ目の理由がそれを不可能にしていた。
ハーミルを拘束している枷には特殊な魔法がかけられており、何らかの理由で枷が外されたり壊された場合、それが宮廷魔導士に伝わってしまう。万が一、魔導士達が城中の兵士を呼び起こしたら、ハーミルを連れて行くことはおろか、レイリー単独でも脱出できなくなってしまう。
ハーミルを救うには、現行任務を全て完遂し、枷の鍵を見つけ、何らかの方法で魔導士達の動きを封じる(殺害、拘束、もしくは事態が知られても対処できなくなる程の混乱状態にする)必要がある。
すこしの間、無言になったハーミルはレイリーに頼み事をする。
「レイリー。お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
「……残念だけど、今はまだ……ハーミルを助けることはできない。まず先に他の任務を終わらせないと……」
「殺して」
「えっ……!?」
レイリーは絶句した。
だが、聞き間違いの可能性を考えて、もう一度聞いてみる。
「ごめん、ハーミル……もう一度言って……」
「私を殺して。私が死ねば、レイリーの仕事もだいぶ楽になるでしょ」
普段、頼みごとをする時の口調で自分の殺害を要求するハーミルにさすがのレイリーも困惑する。
すこし悲しそうな表情が混じっているとはいえ、笑顔でこんなことを頼むなど常軌を逸している。
「どうして……」
「これ以上、私のせいで……フレイアス様やルアス同盟のみんなに迷惑かけたくないの。だから、あいつらの拷問が始まる前に、私が何か喋っちゃう前に……死なせて」
レイリーはハーミルがただ強がっているだけかもしれないと考えて、彼女の目と表情をはっきりと見る。
だが、その行動は今の言葉に嘘偽りが全くないことを証明してしまった。
自分の失敗のせいでルアス同盟が壊滅の危機に瀕していることが、本気でショックだったようだ。
「……怖くないの?」
「そりゃ……怖いわよ。だからレイリーに頼んでるじゃない。アンタなら、痛みも感じさせずに私を殺せるでしょ」
ここまで清々しいと、どうやら護送されている間か捕まった時から死ぬことを考えていたようだ。
これでは「何か情報を吐いたら殺す」という脅迫は、むしろ逆効果だ。
だからレイリーは、それよりも効果的な”脅迫”をすることに決めた。
目の前にいるレイリーから、金属がこすれる音が聞こえる。ナイフを鞘から抜き取る音だ。
真っ暗で何も見えないハーミルだが、ここまで近いと音で大体の予測はつけられる。
ようやく自分を殺してくれる決心がついたのだと思ったハーミルは、顎を上げて自分の首を差し出す。
ナイフの固く冷たい感触が首筋にあたり、レイリーの左手が自分の頬に触れる。
「(フレイアス様……みんな……、短い間だったけど、すごく楽しかった……)」
覚悟を決め、目を瞑ってレイリーが自分の喉を切り裂くのを待った。
だが、10秒ほど待っても一向に首の刃が動く様子がない。
不審に思って目を開けるが、相変わらずの暗闇で何も見えない。
だが、唇に生温かい空気が当たる感触がした。
この時、ハーミルの顔にはレイリーの顔が間近にまで迫っていた。あと数cm(シルトメイル=cm:センチメートル)近づくだけで、唇と唇が触れ合いそうなくらいに。
「どうしても死にたいのなら……殺してあげる。でも……本当にいいの?」
「?」
レイリーにしては珍しくもったいぶった言い方をする。
「ハーミルは……自分が死んだ後、私が何をするか……考えたことある?」
「……どういう意味?」
言葉の意味が全く分からないハーミルはレイリーに尋ねる。
すると、レイリーはハーミルの耳元で囁くように答える。
「私……ハーミルを殺した後で、フレイアスも殺して……ルアス同盟も潰すよ」
「!?」
ハーミルは敵に報告書を奪われた時以上の衝撃を受けた。
レイリーはそんなハーミルに構わず、淡々と続ける。
「私がルアス同盟に入ったのは……ハーミルに誘われたからだよ。……でも、ハーミルがいなくなったら……あんな組織どうなろうと私の知ったことじゃない。むしろ、ハーミルが死ぬ原因になったあの組織を……私が放っておくと思う?」
ハーミルの顔からみるみる血の気が引いていく。レイリーなら今の言葉通りにルアス同盟を1人で潰すことが可能だからだ。
彼女にとっては、自分が死ぬよりもフレイアスやルアス同盟の仲間たちが殺されることの方が恐怖を感じるのだ。
「やめて……」
「ハーミルがくれたこの髪飾り、あいつらの血で汚しちゃうけど……でも、ハーミルが大好きなフレイアスやみんなの赤で染めるって考えると……それはそれで魅力的だよね」
「やめてよ……」
「とは言え、フレイアスと本気で殺り合ったら……さすがの私も無事じゃ済まないかな。でも安心して……。たとえ刺し違えることになっても……フレイアスは絶対にハーミルの元に送ってあげる……」
「やめてよ!レイリー!どうしてそんなひどいこと言うの!?」
「それはこっちの台詞……。ハーミルだって、私にひどいこと言ったくせに……人のこと言えないよ」
「え?」
ハーミルには、自分が今までレイリーにどんなひどいことを言ったのか、心当たりがなかった。
とにかく今は何とかしてそんな凶行を止めさせたい気持ちでいっぱいだ。
レイリーはハーミルから離れ、更に続けて言う。
「どうして……死にたいなんて言うの?どうして……自分を殺させようとするの?」
「だって……。もう、そうするしかないから……。私が死なないと、みんなに迷惑がかかるから……」
「でも、そんなこと……私が許さない。あなたが死んでも……ルアス同盟に迷惑がかかるようにするから」
ハーミルには声だけでレイリーが本気で怒っていることがわかった。
混乱気味の頭でどうにかレイリーを止めようと考え、ある方法を思いついた。
「じゃ……じゃあ、命令するわ!私が死んだ後、フレイアス様達にひどいことはしないで!!」
命令であれば最優先で実行するレイリーなら、『命令』として頼み込めば止めてくれると思い込んだハーミルは、咄嗟に”命令”した。
だが、その期待は脆くも崩れ去った。
「残念だけど……死人の命令を最後まで聞く義務はないよ」
「そんな……!」
レイリーを抑える手立てがなくなったハーミルは、もうどうすればいいのか分からなくなった。
今にも泣きそうな顔で尋ねる。
「お願い、レイリー……。怒っているなら……謝るから、私がレイリーにどんなひどいことを言ったのか教えて……」
レイリーはしばらく黙り込んだ後、再びハーミルに顔を近づけて、囁くように話し始める。
「ハーミルは……フレイアスに死ねって言われたら……死ねるの?」
「……死ねる。それがフレイアス様のためになるなら」
「そう……。なら、その反対はどう?」
「反対?」
「フレイアスを……殺せって言われたら、ハーミルは殺せるの?」
「!?」
ハーミルは何と答えればいいのか分からなくなり、黙り込んでしまう。
自分がフレイアスを殺すなんて想像したくもない。
好きな人をこの手で殺めるなんて、できるはずがない。
「答えられないってことは……出来ないんだね」
「そんなこと……出来るわけ……」
「あなたは私に……同じことを言ったんだよ」
「えっ……?」
尚も意味が分からずに困惑するハーミル。
それに業を煮やしたのか、レイリーは2人の間では禁忌であった言葉使い出す。
「私を置いて……勝手に死ぬ気なの、”ご主人様”?」
「……っ!」
その言葉で、ハーミルはレイリーの思いにようやく気づいた。
だが、それと同時に怒りも湧き上がった。
「レイリー、それは言わないって約束だったでしょ!」
「でも、事実であることには……変わりないよ。私があなたの……”奴隷”だって事実にはね」
ハーミルとレイリーは少し複雑な関係にある。
2人は表向きは親友同士だが、実際はレイリーは奴隷でハーミルがその主人ということになっている。これにはレイリーの過去が大きく関係している。
だが、ハーミルはこの関係を嫌っていた。レイリーとはあくまで親友として付き合いたかったのだ。
そのため彼女はレイリーに、互いに親友として接するように”命令”して、今のような関係になった。
ハーミルが憧れを抱いているフレイアスを失いたくないように、レイリーもハーミルという親友でもある主人を失うことが嫌なのだ。
「勝手に私の主人になって……勝手に私を残して死ぬなんて、許さない……」
「……私はただ、あの時死のうとしていたレイリーを助けたくて……。でも、建前だけでもあんたの主人にならないと……全然言う事聞かなかったから……。その後だって、あんたが普通の女の子らしく生きていける様に一緒に過ごしてきたのよ。もう私がいなくたって自由に生きて―――」
「無理だよ……!」
そう言うとレイリーはハーミルを強く抱きしめた。
「ちょっ……、レイリー!?」
暗がりの中で、親友とは言え女の子に抱きしめられたことに驚きと恥らいで動揺した。
レイリーはそのまま話を続ける。
「もう……今更普通になるなんて……できないよ。私……何百人も殺してるんだよ。こんな仕事でしか……自分の価値を示せないんだよ。”演じる”ことはできても……なれないよ。戻れるわけ……ないよ」
自虐するレイリーにハーミルが反論する。
「そんなことない!私と一緒の時はすごく優しい子だったじゃない!気遣いができて、甘えん坊で、笑顔が可愛らしい女の子。それがレイリーでしょ!」
「ハーミルが……傍にいたからだよ。あなたが……私を頼ってくれて、役に立ったら褒めてくれて、失敗しても励ましてくれた……。誰かに頼られて……”嬉しい”って思えたのは、ハーミルが初めてなんだよ……」
「レイリー……」
レイリーはハーミルを抱きしめる手に更に力を込める。
「ハーミル……『殺して』なんて命令するなら、どうして私に……優しくしたの?私……あなたを殺したくないって思ってる。ずっと一緒に……いたいって思ってる。こうして……あなたの温かさを感じていたいって思ってる。全部……あなたのせいだよ。私をこんなに弱くするなんて……ひどいよ」
レイリーの言う通り、数年前の彼女は『冷血姫』という渾名がつけられるほど、冷酷で無慈悲な殺し屋だった。
だが、ルアス同盟に入ってからは、正確にはハーミルが彼女の面倒を見るようになってからは、以前よりも性格が比較的穏やかになった。と言うより、”弱く”なった。
その原因は、ハーミルによるレイリーへの”愛情”だ。ハーミルの”優しさ”が、レイリーの心を蝕んだ。それまで大切なものや失うものがなかったレイリーは一切の隙や弱みがなかったが、ハーミルという主人を得たことで、同時に心の隙や守るべき大切な人という暗殺や工作を生業としている人間にとって致命的な弱点が生まれてしまった。
過去に厳しい訓練を受け、常に血と泥に塗れた日々を過ごしていたレイリーには、恐怖、苦痛といったものには耐性があったが、愛情に対する免疫は全くなかった。
傍にいるだけで、愛情という名の毒に心を蝕まれ、かと言って一度感じた温もりという快楽を忘れられない。例えるなら、麻薬という表現が最も相応しい。
そのため、ハーミルから「殺して」と告げられた時は、レイリーにとって死刑宣告をされることと同義であった。
ハーミルは自分の影響でレイリーがどれだけ辛い思いをしたのかを悟り、未だに自分を抱きしめている彼女に慰めの言葉を送る。
「お願い、泣かないで、レイリー」
「……泣いてないよ。泣き方……わからないし」
「ううん。涙が出てなくたって、泣いているってわかるわよ。友達だもん」
暗闇のせいでハーミルにはレイリーの表情は見えないし、実際レイリーも涙を流してはいない。
だが、あれだけ悲痛な気持ちをぶつけて来たのだから、それはもう泣いていることと変わらない。
レイリーに感情表現ができるようになったことに、ハーミルは少し嬉しくなる。少し前のレイリーでは考えられないことだ。
「レイリー、ごめんね……。私が意気地なしだった。殺したくないわよね。私だって……同じ立場なら嫌だもん」
ハーミルが謝ると、レイリーは彼女を包容から解放して、両手を彼女の頬に当てた。
レイリーが顔を自分の真正面の位置に調整すると、ハーミルは改めてお願いをし直す。
「お願い……訂正してもいい?」
「いちいち……聞かなくてもいいよ。ご主人様なんだから―――」
「レイリー……」
ハーミルは悪い子供を叱りつけるような声でレイリーの言葉を遮った。
レイリーは言い方を訂正する。
「……別にいいよ。何でも言って……」
「私……頑張って耐えるから、助けに来て。絶対よ」
「うん……。ハーミルも……何も喋らないでね。でないと……」
「わかってる。絶対に何も言わないよ。フレイアス様やみんな、何よりレイリーのためにも死ぬわけにはいかなくなったしね」
「約束……だよ」
「うん」
レイリーは両手を頬に当てたまま顔を近づけて、ハーミルの額に自分の額を押し当てた。ハーミルも当てられた額を押し返す。
この行為はアルデオ大陸に古くから伝わる風習の一つで、大事な約束事を互いに守ると誓い合うための行為である。主に子供同士でやることがほとんどだが、ハーミルとレイリーは約束事がある時はいつもこれをやっている。
10秒ほど額を押し付け合った後、互いに顔を離した。
そしてレイリーはハーミルから離れ、最後に別れを告げる。
「もう……行かないといけない。また来るね……ハーミル」
「うん。待ってるからね……」
レイリーが扉を開け、閉めた後に鍵をかけ、そのまま地下から出るまでの音を聞き取ると、ハーミルも体力温存の為に休息に入る。
そして、レイリーやフレイアスが助けに来てくれることを信じて、その時をひたすら待つのだった。
地下から出たレイリーは真っ直ぐメイドの就寝室に向かう。
その途中、周囲に誰もいないことを確認すると指輪を口元に近づけた。
そして、一言呟く。
「盗み聞きなんて……いい趣味してるね、フレイアス」
それは魔水晶の盗聴設定で自分とハーミルの秘密の会話を聞いていたデリカシーのない男に向けられたものだった。
魔水晶から返事は来ないが、レイリーは気にせずに通信を切って何事もなかったように歩き続けた。
◇
事の一部始終を聞いていたフレイアス達は何とも言えない気まずさに押しつぶされそうになっていた。
ハーミルがレイリーに自分を殺すように要求したところから始まり、レイリーに毒づかれて通信を切られた後も、誰も一言も喋れなくなり、奇妙な沈黙が数十分に渡って続いていた。
「……すみません。もういい加減に誰か何か喋ってくれませんか」
沈黙に耐え切れなくなったローグが口を開いた。
それをきっかけに他のメンバーも次々と話し出す。
「いやぁ……すごい話だったね……」
「まさか、あんなにヘビーな話を聞かされるとは思わなかったっス……」
「ハーミルがレイリーのことをやたらに気にかけていたのは、そういう理由があったのね」
「おかしいと思ったぜ。今のアイツ、全然『冷血姫』なんて呼べねぇぐらいに大人しいしよ」
「それでも怒らせると怖いことには変わり無いニャ」
「だけど、最後レイリーはどうしてフレイアス様だってわかったんだろう」
「簡単だよ、レーアちゃん。盗聴設定を使う人なんてフレイくん以外いないからだよ。女の子の秘密を探るなんて卑しいことを平然とできるのはフレイくんしか考えられないしね」
「えー!フレイアス様、ひどーい!女の敵!」
「言い過ぎですよ、エミル先輩。いくら本当のことだからって」
「おまえら……泣くぞ」
「やめてよ、フレイアス君。いくらフレイアス君でも、男の泣き姿なんて私達気持ち悪くて見たくないのよ」
いつの間にか会話内容がレイリー達の会話の感想から自分の悪口へ変わっていることに落ち込むフレイアス。
だが、気を取り直して作戦会議を始める。
「さて、みんなも聞いたと思うが、ハーミルが死んだら俺達の命が危なくなる。ハーミルはレイリーに任せて、俺達は今ある任務をこなしつつ、レイリーが仕事を無事に遂行しやすい状況を作ろうと考えているが、異論はあるか」
「それに関しては異論はないけど、具体的にどうやってそんな状況を作るつもりなんだい?」
ネオードが聞いた。
「単純なことだ。ニホン軍にノイリスを攻めさせるんだ」
「ニホン軍に?……つまり、その混乱に乗じてハーミルさんを救出するってことかニャ?」
「そうだ。珍しく頭が冴えるな、エリット」
「馬鹿にするニャ!」
ニホン軍が王都に攻め込めば、当然ノイリス中の兵は敵を追い返すために総動員されることになる。
王城が空っぽになれば、ハーミルの救出も容易になるだろう。
「でも、その前に1万5000人の王国軍がニホンへ攻め込むのよ。もし、ニホンがそれに負けたり、勝ったとしても損害が大きくて講和するような事態になったら、救出は不可能よ」
「それなら、俺達がゲリラ攻撃を仕掛けて敵軍を少しずつ減らしていけばいいだろ。ダークエルフ族へのアピールにもなって一石二鳥だ」
「ニホン軍に情報提供するのもいい手っスよ。ミミ姉さんに頼んでやってもらうっス」
「みんな、レイラさんから任されたワイバーン討伐の話が出てこないんだけど、さり気なく話逸らしてない?」
「フレイアス様、アリッサさん。その辺に関しては何か考えてますか?」
「一応考えてはいるけど、ワイバーンがノイズ王国に再び来るまでは、まだ余裕があるからゆっくり話すよ」
「おい、ローグ」
フレイアスが先程から何も言わないローグに声をかけると、ローグは驚いたように顔を素早く上げた。
「すっ、すみません。ウトウトしちゃって……」
どうやら疲れで眠りかけていたようだ。
ギノルが軽口を挟む。
「呑気なもんだぜ。一応大事な会議中だっつうのに、居眠りとはな」
「でも、無理ないさ。夜通しで馬を走らせ続けてたからね」
「あ……、私を急に眠気が……ふわぁ‥…」
イリアの欠伸につられてネオードとギノルも欠伸をした。
フレイアスも先程から眠気に襲われかけていた。ここまできてようやく体力の限界が来たようだ。、
一旦会議を中断することに決めた。
「会議は一旦中断する。アリッサさん、俺達はすこし仮眠を取らせてもらいます」
「わかった。見張りは任せておいてね」
「ありがとうございます。夜明けと同時に起こしてください」
「りょーかい♡」
フレイアス達5人はそれぞれ大きめの石を枕にしたり、木に寄りかかりながら各々眠り始めた。
夜明けが来るまで、5人は十分に疲れを癒した。
◇
二ホン国領 ナンヨウドウ西部 ノイズ王国国境付近
フレイアスがノイズ王国に到着して翌日の昼、ミミは森の木の陰からニホン軍のテントの様子を窺っていた。
テントの側にはニホン軍のものではない数騎の馬が停めてあり、数人が馬の見張りと世話をしている。
テントの中にはその馬に乗って来た者達がいる。
そして、テントの中から彼等とニホン軍の話し声がここにも聞こえてくる。
「もう直ぐ1時間が経つぞ!まだ来ないのか!」
「間もなく来るという連絡がありました。もうしばらくお待ちください」
怒鳴っている方が客人側で、冷静に対応している方がニホン軍だ。
客人はノイズ王国の外交使節団で、ここに着いた時からこんな威圧的な態度を取っている。
ことの始まりは今から1時間前。
東部支部から「ノイズ王国からの使節がナンヨウドウに向かっている」と言う連絡が来てから、国境付近に駐留しているニホン軍を偵察していた。
すると、案の定報告にあった使節団がやって来て、「緑の集団と話がしたい」と要求して来た。
しかし、駐留所には外交権を持つ者がいなかったらしく、急遽北部のキョクジツ駐屯地から外交官を呼んでいるところだ。
ミミは今、残り少ない透明薬を使っているが、敢えて外交官が来るまではこの森で監視することにした。
理由は、万が一外交官が何らかのトラブルなどで来なかった場合、薬が切れる前に逸早くこの場から去るというのが一つ。
そして、もう一つは
ぐぎゅうううううう〜〜〜。
今の音に大いに関係がある。
「お腹空いたなぁ……」
ミミは腹部を抑えながら呻くように呟いた。
空腹によって起きる彼女の腹の虫は不規則に鳴き続け、この状態でテントの中に入れば音でバレてしまう可能性が高い。
テントの中では客人にお茶とお菓子でも出しているのか、先程から甘く香ばしい香りがテントの外である此方にまで漂ってきて、空腹で苦しんでいるミミの食欲を更に掻き立てていた。
彼女は拠点だった『やすらぎの入り江』がニホン軍に制圧されてからというもの、まともな食事ができていない。
海路を絶たれて補給が受けられず、ニホン軍の偵察や行方不明のフィールの捜索の合間に食料調達をしていたのだが、一応は潜入調査をしている身なので派手に狩りを行うことができず、食べられる木の実や野草も中々見つけられない日々が続き、最早体力がいつ尽きても不思議ではない有様だ。
最後に食事を取ったのは昨夜で、今日は朝から何も口に入れていない。その最後の食事も木の実1個という寂しい夕食であった。
しばらく待っていると、このナンヨウドウでは聞き慣れた鉄車(暫定名称)の走る音と唸り声が聞こえてきた。
音のする方向を見ると、比較的小さいタイプの鉄車が走ってきて、テントの前で止まった。 そこから、2人の男性が降りた。そのうちの1人はニホン兵とは違った格好をしている。
テントの前で見張りをしていたニホン兵が鉄車から降りた2人に敬礼をして、テントに入るように促した。
ミミは木の陰から離れ、2人の後に続いてテントの中に入った。
テントの中ではノイズ王国の使者がふんぞり返った様子で椅子に座り、その両側に護衛の兵が立っていた。
ミミはテント内の入り口付近で対談の様子を窺う。
ニホンの外交官が使者の向かい側の席に座ると、双方は簡単な自己紹介を始めた。
全権大使のタケダと名乗った外交官が要件を尋ねると、ノイズ王国の使者レヴィはそれを無視してニホン国について尋ねる。
「ニホン、か。この大陸の国ではないな?」
「はい、我が国ニホン国はアルデオ大陸より北東の位置にある島国です」
「そんな国は聞いたことがないが、まあいい。ここに来たのは貴国に我が国から要求があるからだ」
「何でしょうか?」
いよいよ本題に入り、ミミは気を引き締めてその様子を見守る。
「一つはダークエルフ族を一人残さずノイズ王国に引き渡すこと。もう一つは未開の地からニホンが撤退することだ」
「…………。ちなみに拒否致しますと?」
「決まっているだろう?神の名の下に貴様らを滅ぼすことになる」
完全に脅迫同然の内容だ。
ここでタケダが出す返答次第で、ミミの行動も変わる。
そのまま要求を拒否した場合は、そのことを東部支部に報告し、今後はニホン側に味方して行動する。
しかし、要求(特に前者の要求)を呑んだ場合、ミミは文字通り暴れなければならない。
まず、ノイズ王国の代表として来たレヴィを殺害し、恰も交渉が決裂したかのような状態にする。これによって、ニホンとノイズ王国を完全な戦争状態にできる。
だが、その後でニホンがナンヨウドウから撤退するか、ノイズ王国と和解しようとする可能性がある。その時はそのまま進軍してきたノイズ王国軍にダークエルフ族が蹂躙されるか、或いはダークエルフ族を交渉材料にして再度交渉の場を設けようとすることは目に見えている。
そこでタケダを人質に取り、徹底抗戦を強要する。全権大使と名乗った彼は少なくともこのナンヨウドウの最高責任者であることは間違いないため、人質としては十分に使えるはずだ。
これだけのことをミミ1人で出来るかどうか問われると、正直微妙なところだ。
しかし、今はやれることを全力でやるしかない。
「なるほど……」
ミミは杖を取り出して、すぐに発動できる攻撃魔法の準備を始めた。
覚悟は既に出来ているが、不安で今にも押しつぶされそうな気持ちだ。
「(お願い……断って!)」
これまでのニホン軍の動きを見れば、ダークエルフ族を裏切る真似をするとは思えないが、それでも絶対ではない。
祈るような気持ちで息を呑みながら、タケダの答えを待つ。
「……では、両方とも拒否します」
「なっ……!?」
「やっ……!(断った……!)」
ミミは驚きと歓喜で声が出そうになったが、寸前でなんとか堪えた。レヴィと護衛の兵士も驚きを隠せずにいるが、すぐにそれが怒りに変わった。
「……撤回はしないのだな?」
タケダはその問いにしっかりと頷いた。
「はい」
「ふん!己の選択を後悔するぞ!」
レヴィは憤慨しながら兵を連れてテントを出た。
ミミも彼の後についていくと、レヴィが馬を見張っていた護衛の兵士に交渉の結果を話していた。
「侯爵閣下、結果はどうでした?」
「交渉決裂だ!直ちにノイリスに戻って陛下に報告し、この地を力尽くで手に入れるぞ!」
「まったく、馬鹿な連中ですな。折角の慈悲を拒絶するとは……」
「だから言ったんですよ、蛮族と交渉なんて無駄だと」
「見るからに弱小な軍……と呼べるかどうかも分からない集団しかいないのに、我らの攻撃を防げると思っているのですかね」
「蛮族にそこまで考える知能はないということだな」
ブツブツ文句を言いながら、使節団は馬に乗ってノイリスへと戻った。
使節団がだいぶ遠くまで走り去った頃に、テントからタケダと彼と一緒に鉄車に乗っていた将校らしきニホン兵が出てきて、苦笑しながらポツリと呟く。
「想像通りになりましたね」
「なってしまいましたね」
彼等もノイズ王国が攻め込んでくることは想定できていたようだ。
十分な情報を得たミミは帰還しようと森の中に立てかけてある自分の箒を取りに戻る。
箒を見つけて跨り、今まさに飛び立とうとした時だった。
何かが自分に勢いよくぶつかってきた。
「痛っ!?」
箒で飛び立つ瞬間は無防備になってしまうため、モロに衝撃を受けて倒れてしまった。
ぶつかってきた何かはそのままミミの上にのしかかり、彼女の動きを封じる。
上に乗っているものを見た途端、ミミの表情が凍りついた。
「(ダ……ダークエルフ族!?)」
その肌の色と髪の色、何より尖った耳は間違うことのないダークエルフ族特有のものだ。
まだ現段階ではダークエルフ族と接触することは危険であるため、なんとか必死に暴れて逃れようとするが、相手は透明薬を飲んでいるはずの自分をよく把握しているかのように行動を先読みして押さえつけられる。
そして全く身動きがとれなくなると、ダークエルフの女性は言葉を発する。
「ミミ、落ち着け!私だ!」
聞き覚えのある声で名前を呼ばれたミミは、疑問符を浮かべてダークエルフの顔を見る。
すると、肌と髪の色こそ違うが、その顔たちと服装は見覚えのあるものだった。
イチかバチか問い質す。
「……もしかして、フィールさん?」
「そうだ」
10日前から行方不明になっていたルアス同盟メンバーのフィールだった。
ミミは再会を感激する。
「無事だったんですか!?今までどこに―――」
「説明は後だ。とりあえず、お前が今拠点にしている場所まで連れて行ってくれ」
フィールはミミを解放し、ミミのアジトまで連れて行くように要求した。
ミミはフィールを箒に乗せると、そのまま一気に高度を上げる。
そして、全速力でアジトに向かった。
ミミと魔法を解いて元の姿に戻ったフィールは小山の洞窟の中でこれまでの経緯や成果を話し合っていた。
互いが得た情報を交換することで、今後の行動や報告のまとめをとりやすくするのだ。
「つまり、フィールさんはキョクジツ駐屯地で、やすらぎの入り江が制圧されたことを知った後は、ボクを探しながらニホン軍……いえ、ジエイタイの宿舎で過ごしていたんですか?」
「ああ。本物のダークエルフと鉢合わせになって正体がバレそうになったこともあったが、なんとか誤魔化せた。ただ、お前が目撃されたという情報が何度か駐屯地に届いていた。今後は気をつけろ」
「はい……」
フィールはミミと話し合っている最中で、ミミが以前よりもやつれていることに気づいた。
不審に思ってあることを尋ねる。
「ところで、ミミは今まで食事はどうしていた?」
「…………。木の実やきのこを探したり、水だけで過ごしたりで、ろくに食べてません」
「そうか。そろそろ30分経つな……ジエイタイからもらった土産がある。食べてみるか?」
「土産?」
フィールは自分の後ろに置いてあった袋をミミに差し出した。
袋の穴からは湯気が出ている。
「これって……さっきフィールさんが持っていた袋から取り出して、何か水を入れたりしたものですよね?」
「セントウリョウショクニガタと呼ぶ、彼等の携行食料だ。作り方を教わって、何日分か頂いたんだ。この袋に最初に入れた白いものは水をかけると熱を発する仕組みになっていて、その熱で同封している食べ物を温めるんだ」
フィールは簡単な説明をしながら袋から別の物を取り出してそれを開封する。
ちょっとした容器のような形をしているそれには、白い穀物のようなものが炊き上げられていた。
「これって、米ですか?」
「ああ。ツキノ国でパンの代わりに主食として食べられている穀物だ。ニホンでも同様に主食としてよく食べられているそうだ。そして、こっちは……」
別の袋を取り出して封を開けると、フィールはその中身を炊かれた米の上にかけた。
袋の中から数個の肉団子と煮汁が流れ出てきて、あたりに食欲をそそる匂いを充満させる。
ミミはその匂いで思わずヨダレを垂らしながら見とれてしまった。
フィールは完成した食事を先の割れたスプーンと一緒にミミに差し出す。
「味は保証するぞ。冷めないうちに食べろ」
ミミは言われるがままにスプーンの先端を肉団子に刺して、それをそのまま口に運ぶ。
「美味しい!!」
今まで口にしたことのない柔らかい食感と濃い味に感動を覚えた。
同時に、ジエイタイの連中がいつもこんなに美味しい物を食べているのかという嫉妬すら湧いた。
「気に入ったようだな」
「はい!すごく美味しいです!フィールさんはいいんですか?」
「私はこっちがある」
そう言ってフィールが取り出したのは、円筒形の金属の容器で、どうやって開けるのか蓋の部分が見当たらない。
フィールは自前のナイフを器用に使って、容器の上部分をきれいに取り除く。
中からは黄色い野菜のようなものが透明な液体に浸かっていた。
フィールはその内の一枚をつまむと、ボリボリと音を立てながら食べる。
「それはなんですか?」
「タクアンという漬物の一種だ。どうもこの味が気に入ってしまってな。よく摘んでいる」
そう言いながらさらにもう一枚を口の中に放り込む。
「食べ終わったら、支部へ報告を頼むぞ」
「わかってます」
2人はその後しばらくの間、賑やかな夕食を楽しんだ。
戦闘糧食Ⅰ型は2016年に生産終了となりましたが、沢庵にハマるエルフを書いてみたかったので、今回特別に出しました。