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第9章 レイリーの任務

もう少し長めにするつもりでしたが、その分の内容は次話に持ち越します。

ノイズ王国 王城


 リリと別れてから既に数時間が経過し、時刻は昼をとっくに過ぎていた。

 ルアス同盟のメンバーのレイリーは窓から外の様子を窺っていた。彼女は今、この王城にある城門と中庭が見渡せる場所の確認を行っているのだ。

 リリからの連絡によると、ハーミルを攫ったノイズ王国の密偵は彼女が書いた重要報告書を持って一足先に王城に向かっているらしい。

 この城は出入り口の門が東側と西側の二つしかなく、更に城を囲む城壁の周りには広い堀が設けられている。西門は現在、そこに架かっている橋が補修工事で通行不能なため、密偵が王城内に入ってくるとしたら東門を通るしかない。

 それ以外にも非常脱出用の抜け道があるが、王族や国の重臣以外にはその場所がどこか知られていないため、そこを使うという可能性はない。


 ある程度確認を終えたところで、レイリーは次の場所へ向かう。

 今度は王城6階北側のテラスと窓だ。

 王城の南側であるここからかなり距離があるが、慌てて行くこともない。メイドの仕事は終わったばかりだし、密偵が来るには早すぎる。

 例のナンヨウドウからこの王都までは早馬でも2日はかかり、しかも今は大雨が降っているため、更にもう1、2日増えるだろう。

 そんなことを考えてながら歩いていると、レイリーの真横のドアから1人の男が出てきた。黒いローブを着て、片手に杖を持ち、趣味の悪いメイクをした初老の男だ。

 レイリーがドアの正面にいる時に開いたので、危うくぶつかりそうになる。


「失礼いたしました、ドラコ様」


 レイリーはローブ姿の男、宮廷魔導士長のドゥーフ・ドラコに非礼を詫びた。

 だが、ドラコは片手でレイリーを突き飛ばした。

 咄嗟に受身を取り、被害を最小限に抑えることができたが、その威力は普通の女性なら確実に打撲を受けるレベルだった。


「気をつけたまえ。服が汚れたらどうする」


 ドラコは服についた汚れを振り払うような素振りをすると、そのまま廊下の奥へ歩いて行った。彼は普段からこういった乱暴な行動が目立ち、自分以外のメイドも似たような目に遭っているそうだ。

 レイリーは彼の後ろ姿をじっと睨み続けた。

 ドラコの態度に腹が立ったからではなく、レイリーの本来の任務のターゲットが彼だからだ。


 レイリーがこの城に潜入した目的は、『ノイズ王国の動向調査』と『宮廷魔導士隊の研究記録の入手』の二つだ。

 ノイズ王国には魔導士たちの独立機関『神聖魔法連合』の支部があり、魔法研究所も兼ねた詰所が王城内に設けられている。

 小国にある支部とはいえ、新魔法や魔法具の研究が頻繁に行われているため、新しい魔法技術を欲しがった魔女族から研究記録を奪って来るよう依頼されたのだ。

 だが、半年以上前から王城に潜入を続けているにもかかわらず、未だ支部への潜入はできずにいた。

 支部にはドラコが強力な結界を張っており、関係者以外は使用人や貴族、王族すら入ることができない。

 中に入るには結界を破るしかないが、その方法は『結界を物理攻撃で破壊する』か『結界を張ったドラコを殺害する』かのどちらかしかない。

 まず、物理攻撃で破壊するのは不可能だ。結界は城壁並みの強度を持ているため、投石器(カタパルト)を連続で命中させでもしない限り、破られることはない。

 次に、ドラコを殺害するという方法は現実的な手段ではあるが、膨大な魔力を使った結界が破られると王城内の他の魔導士達が確実に反応するため、破れても支部内への潜入は無理だ。

 レイリーにできたことは、精々魔導士達の会話を盗み聞きして内部の様子を探る程度だった。


 レイリーが立ち上がろうとした時だった。


「大丈夫ですか?」


 1人のメイドが心配そうに駆け寄ってきた。

 彼女は肩口で切り揃えられた黒髪に深い紫色の瞳をしたメイドで、レイリーがよく知る人物だった。


「ナンシーでしたか。お怪我はありませんか?」


 そう言うとメイドは小さくお辞儀する。

 ナンシーとは、レイリーが今使っている偽名だ。


「大丈夫……”任務しごと”は捗ってる、ララ?」


 レイリーも先程の無表情とは打って変わった笑顔で挨拶を返した。

 本当に嬉しいわけではなく、長年スパイとしての訓練や実践を積み重ねて演技が上手くなっているだけだ。

 相手が顔見知りであることや周りに誰もいないことも確認済みのため、間を空けて話す癖も崩さずに話している。


「おかげさまで。貴女方の”手引き(きょうりょく)”のおかげで以前よりずっと楽に”任務しごと”が進んでおります」


 ララと呼ばれたメイドも会話が第三者に聞かれても怪しまれないように隠語を使った会話をする。

 ここまで聞いたらわかると思うが、彼女もスパイの一人だ。

 彼女の本名はサラ。

 ノイズ王国の北にある亜人族国家エリストア帝国に属する特別侍従隊の隊長である。

 エリストア帝国皇帝シルヴィアの直属部隊である特別侍従隊は、通常のメイド仕事はもちろんのこと、偵察任務や暗殺、近接戦闘までもこなす精鋭だ。

 その隊長である彼女は『死神メイド サラ』という渾名がつけられるほどの実力者で、『単独で一個軍団を壊滅させた』、『任務成功率は100%』、『狙われたら生きるのは諦めるしかない』などと言われている。


「ナンシーはこれからどちらに行かれるのですか?」

「城の北側に……こっちも”任務(しごと)”だから。ところで、あの部屋は確か資料室だったはずだけど……そっちの”任務しごと”は終わったの?」

「ええ。すこしばかり歴史の資料を”拝見せいとん”しました」


 メイドは掃除という名目で城内の大半の場所に入ることができるため潜入方法としては最適な役職である。

 しかし近年、メイドを含めた王城内の様々な役職の雇用審査が厳しくなり、潜入調査も難しくなった。

 サラは今回、半年以上前からレイリーを王城に潜入させているルアス同盟に支援を依頼し、彼女の手引きによって王城に入り込むことができたのだ。

 なぜ一国を恐怖に陥れることができる程の実力を持った彼女が直々にペシオ教圏全体から見れば小国であるこの国に潜入しているのかというと、諸国連合にとってノイズ王国はそれだけ重要視しなければならない国だからだ。

 このノイズ王国はリライアス山脈という広大な山脈を隔てて亜人族国家のエリストア帝国と国境を接する国の一つで、その中で唯一、軍団規模の大部隊を通行させることが可能な道がある。

 そのためエリストア帝国はこの国に優先的にスパイを送り、動向を調査することが多い。

 当然、ノイズ王国はこの事態に黙っている筈がなく、同様にスパイの育成やエリストア帝国への派遣に力を入れている。

 そのせいで両国の間で激しいスパイ戦争が勃発し、ノイズ王国が入国審査や雇用審査が病的なまでに厳しくなる原因にもなった。


 会話をしているうちに2人は6階の北側のテラスの前に着いた。

 出入り口の扉を開けると、そこは城下町や城の中庭が一望できた。

 しかし、相変わらず雨は激しいままで奥に進むことができず、ギリギリ雨が降りかからない屋根の下で辺りを見渡す。

 ついでに、先程からずっとついて来ているサラに尋ねる。


「ところで……なんでついてきた?」


 同じ仕事場にいるスパイが互いの任務に深入りしないのは暗黙のルールである。それがたとえ同じ敵を持つ同志であったとしても、組織・団体が違う以上、任務の妨害や関係の悪化に繋がるからだ。

 はっきり言って、レイリーにとって今のサラは目障りだった。

 しかし、サラは特に気にする様子もなく、涼しい顔で答える。


「深い理由はありません。ただ、これまで色々と手を貸していただきましたので、何か協力できることはないかと思いまして」


 レイリーが再び何かを言おうとした時だった。


バサッ。バサッ。バサッ。


 雨の空から羽ばたくような大きな音が聞こえた。

 空を見上げると、王都航空警備隊のワイバーンが高度を下げていく姿が見えた。王都航空警備隊は毎日国内の監視のため定期的に数騎が飛ぶが、今日はやけに帰還するのが早い。

 王城の北にはワイバーン用の滑走路があり、ワイバーンはそこに着陸する。

 その背中から2人の人間が降りた。


「(あれは……まさか!)」


 あることを悟ったレイリーは急ぎ足で城の一階に向かう。

 サラも少し驚いた様子でレイリーの後に続く。


「どうなさいましたか、ナンシー?」

「私……タオルを用意するから、ララはお湯を沸かしてきて」

「わかりました」


 サラは指示通りに浴場に向かう。この城には王族用の浴場と他の貴族用の浴場、更には使用人用の浴場まで完備してある。

 レイリーも途中で2人分のタオルを調達してから1階へ降りる。

 1階の大広間と繋がる二階の階段までたどり着くと、門のそばで先程ワイバーンから降りてきた2人の男がびしょ濡れの状態で立っている姿が見えた。

 2人の会話がこちらにも聞こえてくる。


「本当に助かったぞ、ブレーズ。予定よりも早く帰還することができた」

「気にすんなって。けど、後で一杯奢れよ」


 レイリーは二人のそばまで近寄るとタオルを差し出す。


「お疲れ様です。本日は随分と早いお帰りでしたね」

「おっ、悪いな。東の方を飛んでる途中でこいつを拾ったんだ。重要な情報を手に入れたって言うから、ファロに乗せて急いで帰ってきたんだ」


 航空警備隊の男はタオルを受け取りながらベラベラと喋った。

 レイリーはもう1人の男を見つめる。男の手には羊皮紙が握られている。


「(やっぱり……こいつが例の密偵)」


 そう確信したレイリーは最後に伝えることだけを告げる。


「今お湯を沸かしておりますので、しばらくしたら浴場にお越しください」

「俺はまだ風呂はいい。ブレーズはどうするんだ?」

「俺は入る。びしょ濡れの状態で飛んできたから寒くてたまんねえ。それまでは詰所で待っているから、沸いたら呼んでくれ」

「かしこまりました」


 レイリーはその場を後にすると、密偵の男より一足先に四階まで上がる。

 そして、ある部屋の前で足を止めた。

 そこは他より広めに造られた部屋で、扉には『情報管理室』と書かれている。

 ここは、ノイズ王国内外で仕入れたあらゆる情報を記録・管理するための部署で、偵察任務に出たスパイからの報告もこの部署を通して国王や重臣に伝えられる。

 レイリーは扉をノックして用件を言う。


「失礼いたします。部屋の掃除と整理に来ました」

「入れ」


 室内からの許可をもらい扉を開けると、そこは大量の書類に埋もれた机に座る大勢の文官や忙しそうに書類運びや床の掃除をするメイドで溢れていた。

 その部屋の隅には小さな扉があり、レイリーはその扉の周辺で掃除を始める。

 しばらくすると密偵の男がやって来て、その扉の部屋に入った。

 レイリーは掃除するフリをしながら聞き耳を立てて中の様子を伺う。





 ノイズ王国特別調査団本部が設置されている『特別情報管理室』では、調査団長のデルフォス・ロブレイドが部下からの報告を聞いていた。

 ここでは、国家機密に関わるほどの重大な情報のみを管理している。

 ロブレイドは報告の内容に普段は見せない驚きを顔に出した。


「まさか奴らの正体がダークエルフだったとは……それで、その捕えたというハーフエルフはどうなっている?」

「馬車に乗せて王都に護送している最中です。しかし、奴の仲間が奪還に出てくる可能性があるため、迂回ルートを使っています。しかもこの雨ですから、おそらくあと8日はかかるでしょう」

「そんなにかかるか……」


 ロブレイドはすこし厳しい顔になった。

 襲撃者の正体がダークエルフ族だとわかったことはいいが、その情報源が反ペシオ教組織の半亜人族が書いた報告書だけだ。これでは信憑性が弱い。

 早いうちにそのハーフエルフから更に情報を引き出したいところだが、8日はいくらなんでも時間がかかりすぎる。

 とは言え、部下の言う通りでルアス同盟の連中がハーフエルフの救出に動く可能性は高いため、迂回を中止させることもできない。ルアス同盟は反ペシオ教組織の中でも特に勢力が大きく侮ることはできない連中だ。


 ロブレイドはしばらく思い悩んだ末、報告をした部下に指示を出した。


「ダークエルフ族は未開の地に突如現れたその連中と共に『お前たちが目撃した』ということにしろ」

「はっ?なぜそうする必要が?」

「お前達はこの内容の真偽を確かめたわけではないのだろう。こんな中途半端な情報だけでは陛下は軍を動かさないかもしれん。未開の地の進出は国益にかかわる問題だ。信憑性が高いように報告すれば陛下も本格的に動いてくれるはずだ」


 国王のクリフォードは前回の攻略失敗から、未開の地への進出には消極的になっている。

 未開の地の攻略ができる可能性が生まれた今、早急に出たいところだが、その為には国の重臣たちの支持が必要だ。

 敵対勢力の報告書では弱いため、あくまで部下が目撃したという事にすれば重臣たちも信用して動いてくれるはず。


「理屈はわかりましたが、それだとハーフエルフのことはどう説明すればいいですか?」

「ハーフエルフは報告書とは別件で捕えたということにすればいい。ワンバ様には私から直接報告しよう。あと、お前は明日の朝からハーフエルフの護送をしている者に『絶対に傷一つ付けずに運べ』と伝えに行け。ハーフエルフは本当に高く売れる。だが、傷物にすれば値がぐっと下がるからな」

「了解」


 部下は一礼して部屋を出た。

 ロブレイドも報告書を自分の机の引き出しにしまうと、宰相のエドモン・ワンバに報告すべく、部屋を後にした。





 室内の会話を粗方聞き終えたレイリーは、適当に理由を言ってから情報管理室を出た。

 レイリーはそのまま5階に上がり、多数の絵画が飾られている廊下に向かう。

 すると、そこには既にサラが待ち構えていた。


「どうして……ここに来るってわかった?」

「『通路』を使うのであればここから入るのが一番ですから。それに、まだ手引きの恩を返せていませんし」


 周囲に人の気配がないため、隠語も使わずに会話するサラ。

 この廊下は普段からあまり人が来ない位置にあり、更に夜になると壁の肖像画が動き出すという噂話もあるため、滅多に人が通行することがない。

 これからレイリーが入ろうとしている場所への入口に最も最適な場所である。

 それらを踏まえた上でサラはここで待機していたのだ。


「一応、昔……殺し合った仲なのに?」

「昔は昔、今は今です。服はお預かりします」

「……わかった。それじゃ、お言葉に甘えて……」


 レイリーは着ていたメイド服を脱ぎ始めた。

 これから、普段狭い場所での潜入や暗殺時の服装に着替えるためだ。

 肌に張り付くようなぴっちりとした服であるため、着用時は全裸になる必要がある。

 なぜ着替える必要があるのかといえば、これから入る場所は狭いため、無駄に布の面積が大きいメイド服では侵入の邪魔になる。

 しかも中は埃だらけで、一度中に入れば服が大量の埃を纏うことは確実だ。そんな状態で外に出れば、周囲から怪しまれる。

 だが、これから着替える服装ならば衣類が進入の邪魔になることはないし、多少埃をかぶって外に出ても着替えれば問題ないし、たとえ急な理由で着替える暇がなくても、その上からメイド服を着ることができ、汚れも服の下に隠れて目立つこともない。


 サラはレイリーが脱ぎ捨てた服をたたみ、その中から小さく折りたたまれた別の服と彼女の小道具が入ったポーチを取り出しながら下着姿の彼女を見る。

 スレンダーな体に透き通るような白い肌をしているが、あちこちについた傷跡がそれらを台無しにしている。

 彼女はまだ10代中頃のはずだ。


「(一体、どんな幼少時代を送ってきたのでしょう……)」


 サラはすこし心配そうな顔をした。

 すると、今度は下着を脱ごうとしたレイリーは自分の胸を手で隠しながらサラを睨みつけた。


「……殺すよ」


 自分の小さくはないが大きいとも言えない胸のふくらみを哀れんでいると勘違いしているようだ。


「失礼いたしました」


 可愛らしい一面を見れたサラはすこし微笑む。

 だが、「見るな」ではなく「殺すぞ」ときたところを考えると、昔の過激さは健在のようだ。


 サラはレイリーに生地の薄いその服を渡すと、レイリーは慣れた手つきでそれを着始める。

 潜入服は上下が一体となっている構造で、まず襟首の部分から足を通す。

 服と肌の間にできる隙間はほとんどなく、着終わった箇所からその形がくっきりと浮かび上がる。かかとから始まり、ふくらはぎ、太もも、足の付け根、尻、腰、胴回り、胸、脇、肩、腕、掌、指先、そして首元まで着終わると、手を背中に回し、そこにある紐を引いて固定させる。

 着替えは終了した。


 漆黒の潜入服に身を包んだレイリーはサラからポーチを受け取って、腰に装着する。

 その様子を見ながら、サラはレイリーの服について話し始める。


「その服、もうだいぶ使い古しているようですが、新調は出来ないのですか?」

「……素材は揃ってる。でも……作れる人間がもういない」

「そうですか……。しかし、アラクネの糸を絹にして服を作るなど、常人では作ることは愚か、思いつくこともなかったでしょう。これを生み出した人は本当に天才だったようですね」


 レイリーが着ている潜入服は一見防御面では頼りなさそうに見えるが、実は剣の刃や弓矢を通さない程の強度を持っている。

 これの最大の要因は、素材にアラクネの糸が使われていることだ。

 蜘蛛の糸が鋼鉄よりも強度があり、伸縮性や耐熱性にも優れているという知識は、アルデオ大陸のほんのひと握りの人間が理解している。

 レイリーもその一人で、ルアス同盟に入る以前にアラクネの糸を大量に採取して、同じくその話を信じていた人物に服の製作を依頼した。

 試行錯誤を繰り返し、時間や金、素材をふんだんに使い、そして今の潜入服が完成したが、製作者はこれがきっかけで体を壊してしまい、今はもうこの世を去っている。

 その後、レイリーは別の者に同じ服を作ってもらおうと試みたが、蜘蛛の糸の強度を信じないものばかりでまともに掛け合ってもらえなかったり、たとえ信じても時間と金の無駄だと引き受けてくれなかったりで、蜘蛛の糸を使った服は、事実上この一着だけだ。

 しかし、レイリーはこの服を現在までの三年間ずっと使い続けている。


「ところで、どれくらいまで中にいるつもりですか」

「1時間ほど……図書室から出るから、そこで待ってて。あと、お湯が沸いたら……航空警備隊の詰所まで行って伝えて」

「かしこまりました」


 レイリーは周囲に誰もいないことを再度確認すると、1枚の大きな絵を飾っている額縁を上にあげる。

 額縁の裏には細い通路の入り口があった。

 レイリーがその中に入ると、サラも辺りを警戒しながらその場を離れた。


 レイリーが入ったこの通路は、王族や国の重臣にしか知られていない脱出用の通路だ。

 半年以上前からこの城に潜入しているレイリーは城の構造や全ての部屋の隅々まで調べ上げ、この通路を見つけた。

 廊下の絵画の裏の一つだけでなく、玉座の裏や食堂の石畳の下、図書館の本棚の裏の隠し扉など、複数の場所に存在する。

 それら全ての通路が王都の外に通じる洞窟と繋がっており、そこを経由して別の部屋に出ることもできるのだ。


 レイリーは目的の場所に着くと、僅かに空いている穴を覗いて中の様子を伺う。

 ここは国王執務室といい、国王が通常の執務仕事を行う時や国の重臣たちが重要な会議などを行う際に使用される部屋だ。


 10分程経った時だった。

 扉から何人もの人物が入ってきた。

 ノイズ王国国王クリフォード8世に宰相のエドモン・ワンバ、軍務大臣のアルバン・コント、外務大臣のピエリック・ブームソン、近衛騎士団長のクレマン・デルプランク、そして宮廷魔導士長のドゥーフ・ドラコの計6人だ。

 まず、クリフォードの言葉で会議が始まる。


「宰相、報告を行ってくれ」

「では、報告を行います。本日未明、未開の地へ放っていた密偵より緊急の報告が上がりました。それによると緑色の服を着た人族の集団が現れ、未開の地の開拓を進めているとのことです」


 思った通り、会議の内容はハーミルが偵察に出ていたナンヨウドウについてだ。


「それは他国の軍隊なのか?」

「いえ、騎士や兵士といった存在は確認出来なかったと……。それと、その集団にも旗が掲げられていましたが、模様は白地に赤丸と見たことのないものだったそうです」

「ふむ、白地に赤い丸か……聞いたこともないですな」


 どうやら密偵達は二ホンについてはまだ詳しくは調べられていないようだ。

 国名すらわかっていないことを考えると、密偵隊はナンヨウドウに入ってからそれほど経っていないらしい。

 二ホンに関する情報があまりなかったことにひとまず安堵するレイリーだったが、その次にでた報告内容で現実に引き戻された。


「そして……緑の集団はダークエルフ族と協力関係を結んでいるそうです」


 過去にも経験があるとは言え、重要情報が敵に流されるのは非常に辛い。

 それが親友のハーミルの失態によるものだと思うと尚更だ。

 自分はこれから、それらの尻拭いをしなければならない。

 それだけならまだしも、本来の任務と並行して行うため、難易度が格段に上がってしまう。

 任務が困難になったことに意気消沈するレイリーだったが、ハーミルのためと思い直して会議に再び耳を傾ける。


「待て、つまり前回の未開の地攻略失敗はダークエルフ族の妨害が原因か?」

「そう見て間違いないかと……」

「くそっ、忌々しい亜人族が!今すぐに軍を差し向けるべきだ!全軍で当たれば奴らなど一捻りだ!」

「しかし、我らは奴らのことを何も知らない。いきなり軍を差し向けて問題はないか?」

「確かに……では、まず使者を出しましょう。相手の正体を確かめるのと同時に、こちら側の要求を伝えるのです」

「それを向こう側が拒否した場合には?」

「その時はダークエルフ族と手を組んでいるとの理由で軍を差し向けるのが宜しいかと。大義名分はこちらにあります」


 予想通り、ノイズ王国はナンヨウドウを手に入れるつもりだ。

 クリフォードはワンバの意見に同意すると、コントとブームソンに準備に取り掛かれるか聞き、2人はそれに肯定する。


「では、そのように進めてくれ。以上だ」

「陛下。もう一点、お伝えしなければならないことがあります」


 会議がお開きになりそうな時だった。

 席を立とうとした全員がワンバの一声で動きを止める。

 クリフォードはワンバに発言を促す。


「何だ?申してみよ」

「はい。この報告を持ち帰った密偵達が、それとは別にハーフエルフの娘を捕えたそうです」


 それを聞いた出席者たちはダークエルフの時と同じくらいの驚きを見せた。

 レイリーは下唇を噛みながら続きを聞く。


「それは本当か!?」


 クリフォードが嬉しそうに尋ね、ワンバは肯定する。


「はい。更にそのハーフエルフはルアス同盟のメンバーの可能性が高いそうです」

「おおっ!あの蛮族集団のか!根こそぎ情報を吐かせることができれば、ライアス王国から謝礼金も取ることが出来るかもしれんな!」


 ブームソンも喜びを顔に出しながら言う。


 なぜ彼らがここまで歓喜しているのかと言うと、ルアス同盟のメンバーを捕えたという理由もあるが、それ以上にハーフエルフがそれだけ貴重な存在だからである。

 ペシオ教圏では、亜人族をはじめ、蛮族(亜人族と手を組んだ人族)や他宗教の信者、犯罪者、身売りをした女性など、様々な奴隷が取引されている。

 その中でも、人族と亜人族のハーフはどの種族でも高額で取引される。

 その理由は、他種族同士の子は滅多に生れず希少価値があることと、産まれた子供は皆、親の種族の特性や能力の優れた部分を引き継ぐからだ。

 獣人族であれば脅威的な身体能力を、ドワーフ族であれば鍛冶などの技術力を遺伝で残せる。

 更にハーフから産まれた子供クォーターにも能力が遺伝として残り、しかもハーフが産まれる時と違い、出生率に影響が出ない。

 ペシオ教では人族と亜人族のハーフを人族として認めるかどうかは今でも議論になっているが、人族寄りのクォーターは人族として認められているため、自分の子を優秀な戦士や技術者、魔導士にしたがる貴族たちが喉から手が出るほど欲しがっている。

 そして、今回出たハーフエルフの女性であるハーミルはエルフ族並の美貌と人族並の肉付きの良さを併せ持ち、更にエルフ族特有の膨大な魔力を保有しているため、愛玩奴隷や魔法研究材料、或いは強力な魔導士を産むための産婦としても有用であるため、小国の国家予算規模の大金がつけられるのは確実だ。

 万年金欠のノイズ王国にとっては思わぬ棚から牡丹餅というわけだ。

 皆が歓喜している中、ドラコがクリフォードに尋ねる。


「陛下。そのハーフエルフ、我々の方で『使いたい』のですが、許可を頂けませんか?」


 その言葉でレイリーの背筋が凍り付いた。

 普段からあれだけ冷酷な態度をとるドラコの元にハーミルが渡ったらどうなるかわかったものではない。

 そう思っていると、重臣の中から反対意見が出た。


「何を言う!せっかく手に入れたハーフエルフを無駄遣いにできるか!」


 ドラコの意見に反対したのはブームソンだ。

 外務大臣としては、ハーフエルフはなるべく高額で売り飛ばしたいようだ。

 女性の奴隷は傷や汚れ、純潔かどうかで価値が大きく変わり、それがハーフエルフとなれば段違いに値段が上下する。

 下手に汚すことは避けたいのだろう。

 ドラコとブームソンの睨み合いが始まりそうになったが、クリフォードが平定にあたる。


「それに関してはハーフエルフが来た後で決めることにしよう。今優先するべきは未開の地の攻略だ」


 クリフォードに諭されて両者は大人しく引いた。


「それで、ハーフエルフの到着予定日はいつだ?」

「あと8日でございます」

「うーむ、待ち遠しいな。もう少し早められないのか?」

「ルアス同盟の連中が奪還に来る可能性があるため、迂回ルートを使っております。ハーフエルフを独占される恐れもあるため、地方の貴族に護衛を頼むこともできません」


 ノイズ王国の国内情勢は良好とは言えない状態だ。

 貴族達の腐敗は深刻で、賄賂や税金の横流しが頻繁に行われている。

 そのせいで財政は悪化の一途を辿り、国は重税を余儀なくされている。

 当然、クリフォードもこの事態をどうにかしようと動かなかったわけではないが、特産品が何もないこの国ではこうでもしないと多額の私有財産を得ることができないため、保身に長けた貴族たちの必死な抵抗に圧倒され、どうすることもできずにいた。

 そんな信用のならない連中に金の成る木(ハーフエルフ)を見せれば、私物にしようと企む者が確実に現れるだろう。

 もし王都に入れられる前に見つかれば、その護送している密偵を始末した後、「殺害したのはハーフエルフで、そいつも自ら命を絶ちました」と言われて手が出せなくなるのがオチだ。


「それなら仕方あるまい。だが、それまでは絶対に傷つけずに運ぶように厳命しろ」

「かしこまりました」


 ノイズ王国もハーフエルフの価値が下がることは避けたいようだ。

 レイリーはハーミルの身の安全が確約されたことに内心ホッとした。

 少なくとも護送中に情報を吐かされる危険はなくなった。

 だが、それは護送中の間だけだ。

 ノイリスに入れられる前に救出できなければ、王城内の本格的な拷問で情報を引き出される前に、自分がハーミルを殺さなければならない。

 リリから伝えられたレイラの命令は『情報を漏らしそうになったら殺せ』だ。

 レイリーは公私は絶対に混同しないため、もしハーミルが何らかの情報を敵に流したら、命令通りに抹殺するだろう。

 たとえそれが、自分を『救ってくれた』大事な親友だったとしても。


「さて、そろそろ夕食の時間だ。私は先に上がらせてもらう。まだ話し合うことがあるならこの部屋を使っても構わん。決まった内容は後日改めて報告するように。では、ひとまず解散とする」


 そう言うとクリフォードはワンバを連れて執務室を後にした。

 残された重臣達は今後の方針について話し合っている。


「コント殿、軍の招集はどれくらいかかりそうだ?」

「明日の朝から招集をかけるとして、10日……いや、9日でなんとかしよう」

「数はどれくらいでしょうか?」

「1万以上は集められるだろう。ドラコ、お前の宮廷魔導師も何人か寄こせるか?」

「はい。10人程度なら可能です」

「わかった。ブームソン殿、ライアス王国に使いを送ってくれるか?今回の件はダークエルフが関わっているから、援軍を頼めるはずだ」

「無論、そうするつもりだ。それともうひとつ頼みたいのだが、海軍は動かさずにカテドナ王国への威嚇行為を続けて欲しい。あの国に未開の地とダークエルフ討伐の手柄を横取りされることだけは避けたいのだ」

「善処しよう」


 重臣達は大方の方針を決めると、続々と執務室を出た。

 密談を聞き終えたレイリーも来た道を戻り、図書室に通じる通路を渡って出口付近で小さく口笛を吹く。

 すると、外から小さくノック音が聴こえ、直ぐに出口が開かれた。

 出口にはサラがメイド服を持って待機しており、レイリーが出てくると服を渡す。


「お疲れ様でした。欲しい情報は手に入りましたか?」

「まあ……一応」


 レイリーはサラを一瞥すると、すぐにメイド服に着替え始める。

 そして、通路の潜入の恩返しも兼ねて最低限の伝えるべき内容を話す。


「明日の朝……軍の招集が始まる」


 サラはあまりにも急な内容に驚きを見せた。


「安心して……目標はエリストア帝国じゃない」

「えっ?では、どちらへ?」

「……東」


 着替え終わったレイリーはそれだけ言うとサラを残して図書室を出た。

 彼女がサラに教えられることはここまでだ。


「(あとは……深夜が来るのを待とう)」


 リリが連絡を入れる深夜まで、レイリーはメイドとしての仕事に戻った。







カテドナ王国 ルアス同盟東部支部 クラーティム館

ハーミル捕縛から9日目


 ノイズ王国が軍の招集を始めてから7日目、東部支部ではハーミルの捜索に各国の情報収集、ニホンの動向調査でてんやわんやだ。


「フィールはまだ見つからないの?」

「全然駄目っス。ミミ姉さんも必死に探してるみたいっスけど、尻尾もつかめてないらしいっス」


 8日前、ニホン軍がミミ達が拠点にしていたやすらぎの入り江にやって来た。

 ミミは急遽、身支度をしてから透明薬を使い難を逃れたが、駐屯地の調査に行ったフィールとはぐれてしまった。

 その時のミミは魔力切れのせいで魔法が使えず、大量に持って来た透明薬のほとんどを使ってしまった。

 3日前にようやくフィールの捜索を始めたが、手掛かり一つ見つかっていない状態だ。

 また、拠点を失ったことにより、追加の物資を送ることもできなくなった。

 そのため、薬の追加はおろか、食料も届けられない。

 既にミミから食料面でピンチになっているという連絡もきている。


「……フィール達のことも心配だけど、今は自分達の仕事に専念しましょう。キキ、フレイアス様はあとどれくらいでノイズ王国に着く?」

「雨の足止めを喰らったので、あと3日かかります」

「……だいぶかかるわね。そろそろライアス王国にも伝令が届く頃だし、それ以外の周辺国に何か動きは?」

「偶々トリアスタ王国に来ていた聖教騎士団の一隊がノイズ王国に向かっているそうです」

「到着日時は?」

「早ければ今日中です」

「…………」

「起きなさい!誰が休んで良いって言ったの!」

「お願いします……寝かせてください……」

「さっき30分も休んだでしょ!口より手を動かしなさい!」


 長時間の不眠不休の仕事が続き、メンバー達の疲労はピークに達していた。

 そんな中、連絡班のメンバーが血相を変えてレイラの側まで駆けつけてきた。


「レイラさん!ノイズ王国西部を飛んでいた鳥人族のメンバーから連絡があり、ハーミルが……!」

「見つかったの!?」


 レイラが問い質すが、そのメンバーは言い辛そうな顔で発言を戸惑っている。

 その様子を見て嫌な予感を感じるが、レイラは再度尋ねる。


「教えて、ハーミルは見つかったの?」

「……ハーミルを乗せた馬車が、招集に応じた軍団と合流しました」


 それを聞いて、その場にいた全員が青ざめた表情になった。

 しばらく沈黙が続き、レイラがやっとの思いで口を開く。


「……王都から、どれくらいの場所?」

「1日もあれば着く距離です」


 最早、救出は不可能といっても良かった。

 護送している密偵だけだったら、待機しているメンバーだけでどうにか出来たはずだ。

 だが、軍団規模の護衛が一緒では手が出せない。

 ワイバーンを使おうにも王都航空警備隊があるノイリスから近すぎる。

 完全に手詰まりだった。


「レイラさん、ハーミルは……どうなるんですか?」


 部下の言葉にレイラは”処分”という言葉が思い浮かんだ。

 絶対に避けたかった最悪の手段。


「(……いや。まだチャンスはあるはず!)」


 口に出す寸前のところで思いとどまった。

 そして矢継ぎ早に指示を出す。


「その軍団の監視を続けてちょうだい。もしかしたらハーミルを独占するために居城に運ぶ可能性も考えられるわ」

「わかりました」

「リリは軍団がいる地点に向かって、動きがあり次第、連絡して」

「了解っス」

「連絡班は軍団がどこの領主の軍かを特定して、わかり次第レーア班とエミル班にその領地周辺に待機するように指示してちょうだい」

「「「了解」」」


 腐敗しているノイズ王国の貴族とハーフエルフの価値を考えると、ハーミルを密偵達から横取りするかもしれない。

 レイラはその可能性に賭けてみたのだ。

 王都ではなく地方領主の城ならば救出の見込みはまだある。


「(お願い……無事でいて、ハーミル)」


 王都に入れられたら本当に抹殺しなければならなくなる。

 自分の目論見が当たることを願うレイラだった。

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