間章 雨の中で
今回は間章です。
短めです。
トリアスタ王国東部 国境沿いの村 ミラト村
どうしてこんな事になったんだろう。
私は今、冷たい雨にうたれながら焼け跡となった家の中に立ち尽くしている。雨を防ぐ屋根なんてない。
ここは元々、私の家だった。
家にはお母さんがまだいたはずなのに、今はどこにもいない。
お母さんは重い病気にかかっていて、1人だと立つことすらままならない。
だから私は稼いだお金で食料を買って、借りた馬で定期的に帰ってきていた。
だけど、ちょっと前にあったいざこざのせいで、しばらく帰ってこられなかった。
そしてようやく帰ってこられたと思ったら、この有様だった。
◇
私はお金が欲しかった。
お母さんを救うには、どうしても大金が必要だった。
お母さんにかかっていた病気は、重い病気だけど治せない病気じゃない。
でも、これまでやって来たスリだけじゃ治療の為の薬代はおろか、精をつける為の食費にも足りない。
もっと効率良くお金を稼ぐ方法を探してライアス王国まで来たら、ある組織を見つけた。
彼らが行っていた活動はスリよりも悪いことだったけど、一度の稼ぎがもの凄く高かったから私はその組織に入った。
組織のみんなはとても優しく、分からないことや苦手なことがあったら親切に教えてくれたし、困ったことがあったら相談にものってくれた。だけど、お母さんのことはみんなに心配させると思って話せずにいた。
給料もスリで稼いでいた時よりずっと良く、お母さんにも美味しいものを食べさせることができた。
だけど、病気を治す薬を買うには、まだ足りなかった。
ある日のこと、お母さんの様態が急激に悪化した。
医者に診てもらったら、
「薬が手に入らなければ、もう長くはない。あと半年持つかどうかだ」
とのことだった。
当然、私は焦った。
薬が早く手に入らないとお母さんは助からない。
だけど、そんなお金なんてない。
私は一瞬で大金を稼ぐ方法を探し始めた。
賭博や強盗、身売りまで考えたけど、元々くじ運が悪かったり戦闘慣れしていなかったり女としての魅力に欠けていたりで、どれも現実的じゃなかった。
途方に暮れていると、街の掲示板にある一枚の貼り紙を見つけた。
それは、私の所属していた組織の手配書だった。
私はそこに書かれた懸賞金の額に目を奪われた。
『組織の在り処を通報した場合は100リオス。その後は捕らえた各メンバーの懸賞金に応じて増額する』
それはライアス王国政府が直々に発注した手配書だ。
そこには数十年間は余裕で食べていけるだけの金額があった。
やたらに税金が高いこのライアス王国はともかく、少なくとも私の故郷のトリアスタ王国では、贅沢さえしなければ3リオスもあれば1年生活できる。
お母さんの薬代にほとんどを割かれちゃうけど、それでも十分に余る。
更に、捕縛したメンバーの懸賞金は通報者と彼等を捕縛した者に山分けされる。
つまり、通報するだけで金貨100枚、捕縛作戦を行う兵士達の頑張り次第で更なる金額が期待できる。
私はこの手配書の魅力に惹かれていった。
でも、全く抵抗がなかったわけじゃない。
今まで優しくしてくれたみんなを裏切るなんてできるはずがない。最初はそう思っていた。
でも、どうするべきか悩む度にお母さんが苦しんでいる姿が頭をよぎった。
次第に私は組織に対する考え方が変わっていった。
そもそも私がこの組織に入ったのはお金のためであって、それ以外には何も求めてない。
彼らがやっていることは悪いことだし、組織が壊滅してもその組織のメンバー以外で悲しむ人はいないはず。
だったら、最後の最後まで私のお金儲けの為に頑張ってもらおう。
そんなことまで考えていた。
結局、私は悪魔の誘惑に負けてしまった。
組織のアジトを通報した後、すこしばかり豪華な宿屋でずっと身を隠した。
そして捕縛作戦が決行されて数日経ったら懸賞金を受け取りに行く予定だ。
豪華な宿屋を選んだのは、組織のみんなが人目を気にして絶対に入ってこないはずであることや、商人や名の知れた冒険者が泊まってくることが多いから宿から出なくても外の情報が仕入れられるからだ。
当然ながら宿代は高かったけど、この日のために貯金しといて良かった。
お母さんの薬を買うためにとっておいたお金だけど、どの道すぐにそれ以上のお金が手に入るから問題なかったはずだった。
数日後、予想通りアジトの強襲作戦が行われ首領さんの捕縛に成功した。
それ以外のメンバーは取り逃がしたそうだけど、その辺はもうどうでもいい。
私は意気揚々と役場に向かった。
この時の私は浮かれていたんだと思う。
お金を受け取った後はお母さんの病気が治るのを待って、西のバルファド帝国にでも移住してゆっくり暮らそうとか、そんなことを考えていた。
アルデオ大陸有数の大国であり、ペシオ教の影響が強いあの国なら安心して暮らせる。
移住後の生活を思い浮かべながら役場の扉を開けた。
後は役場の受付まで行って、あらかじめ渡された手形と交換するだけだった。
受付に強襲作戦の指揮を執った隊長さんが局員と何かを話していた。私に気づいてないみたいで、声をかけようと近づいたら会話の内容が耳に入ってきた。
「では、彼女の通報は無効になりましたので、通報分の100リオス及び捕縛者の懸賞金は全額貴方の物となります」
私は自分の耳を疑った。
会話の内容は『通報』や『懸賞金』という言葉から、私がもらう予定の懸賞金の話であることは間違いない。
でも、無効ってどういう事?全額隊長さんのものになるって何?
思わず声を上げそうになったけど、寸前で堪えた。
そして、こうなった理由が彼等の会話の続きで判明した。
「かたじけない。それから、あの女の指名手配も急いでくれ。奴からはまだ何か情報を引き出せる可能性があるからな」
「わかりました。一ヶ月以内に全国に伝わるように致します。しかし……今でも信じられません。彼女も組織のメンバーだったなんて……」
「私も驚いたよ。どうやって奴等のアジトの場所を突き止めたのか気になったもので、彼女のことを調査させたのが正解だった」
それを聞いた途端、背筋が凍りついた。
私の素性がバレていた。
しかも、近い内に自分の手配書まで発行される。
お金が受け取れなくなっただけじゃなく、自分も捕まる立場に立たされて、戦慄が走った。
直ぐにこの場から立ち去ろうと出口に向かった瞬間、
「おい!お前、待て!」
窓口の局員と話をしていた隊長さんがようやく私の存在に気付いた。
私は死に物狂いで逃げた。
外には隊長さんの付き添いの部下がいて、本当に捕まりそうになったけど、私は今もこうして逃げ延びている。
あの時はよく逃げられたと自分で思う。
その後は再びスリを繰り返して兵隊の目を盗みながら故郷のミラト村に向かった。
組織にいた頃は馬を貸してくれたから直ぐに着いたけど、徒歩でしかも組織の元仲間達や兵士から逃げながらの生活だったから到着まで2ヶ月近くかかった。
その間、私は今更になって組織のみんなを裏切った後悔に押しつぶされていた。
”どうしてみんなを売ったの?”
”もっと良い方法があったんじゃないの?”
”みんなに相談していれば別の解決法が見つかったんじゃないの?”
”もしかしたらお金を貸してくれたり、別の治療法を探してくれたかもしれないよ。”
”これは貴女が本当に望んだこと?”
毎晩、頭の中でそんな言葉が何度も繰り返された。
まるで自分じゃない誰かが頭の中に直接語りかけてくるような感覚だった。
しばらくその”声”に悩まされたけど、そんなことを気にしている場合じゃない。
今はとにかくお母さんの安否を確かめないといけない。
家には食料の備蓄が残っていたからまだ無事なはず。
はやくお母さんに会いたい。
その時の私は、それだけが原動力になっていた。
そして、疲労が限界寸前まで来たところでようやく家に着いた。
完全に変わり果てた姿となった我が家に。
◇
「お母さん……?どこ……?」
私はもうどうすればいいのか分からなくなった。
家がなくなった今、他に行くあてがない。
”これから何をするの?”
もちろんお母さんを探さないといけない。
”でも、何処へ行けばいい?”
お母さんが行きそうな場所、そんなことわかるはずがない。だけど、とにかく何処でもいいから探しに行かないと。
”何か大事なことを忘れていない?”
大事な事……?そうだ、薬代を稼がないと。
薬が無いとお母さんに会えても意味がない。
でも、どうすれば……体を売るしかない。
最後に断られた時よりは肉付きも良くなってるし、きっと買ってくれるところがあるはず。
組織のみんなやペシオ教に殺されるよりもずっといい。
”本当にそう思うの?”
もう、黙ってよ!あなたには関係ないでしょ!
大体あなたは誰なの!?
さっきからどうしていちいち話しかけてくるの!?
”私は貴女よ。全て貴女の事を思って言っているのよ。”
うるさい!余計なお世話よ!
”もうわかっているでしょう。お母さんはもう……”
「黙って!黙れ!黙れ!黙れ!」
私は耳を塞いで大声で叫んだ。
”声”が何を言おうとしたのか……考えたくもない。
簡単に想像できてしまう続きの言葉を必死に否定した。
そんなことあるはずがない!
お母さんは無事!
何処かで誰かが預かってくれているはず!
根拠も証拠もないけど、絶対にそうに決まっている!
「君……大丈夫か?」
突然後ろから声が聞こえた。
振り返ると、若い男の人が心配そうな顔で私を見ていた。
歳は十代後半くらいで、茶色の髪と腰にそれぞれ種類が違う剣を差している。
「……ごめんなさい。お見苦しいところをお見せしました……」
どういう訳か私は返答してしまった。
見ず知らずの人にはいつもだんまりを決め込んでいる。
反射的に言葉が出ちゃったのかな。
「気にしないでくれ。それより、君はここの家の人か?」
「……はい。母がまだいたはずだったのですが、今はどこにいるのか……」
あれ?どうして私は見ず知らずの男の人にこんなことを話してるんだろう?
口が勝手に動く。
「そうか……。それより、こんなところにいたら風邪ひくぞ。近くの宿まで送ろうか?」
「はい……お願いします」
ちょ、ちょっと!?どうして!?
これは私の意志じゃない!
口と体が言うことを聞かない。
やめて!お願い!言うことを聞いて!
動揺を隠せない私の意志を無視して体は男の人の方に向かってしまう。
そして、彼が乗ってきた馬に跨ると彼も私が落ちないように配慮しながら乗った。
彼は2頭も馬を持っていて、1頭にはたくさんの荷物を積んでいる。
「馬を持っているなんて、お金持ちな旅人さんですね」
また”私”が勝手に喋りだした。
「これはただの借り物だよ。今は運び屋の仕事でノイズ王国に向かっていた途中だ。あっ、ちなみに俺冒険者やってるんだ」
冒険者。
このアルデオ大陸の至る所で森や洞窟での調査や魔物の討伐、時には傭兵として戦いに出る放浪人達のことだ。
でも、冒険者は基本的に仕事が見つからなかった質の悪い人がなるような職業で、盗賊と比べるとまだましな存在だけど根本的な性質は大して変わらない。
どうしよう。
もし、この人が私を襲うようなことがあったら……。
女奴隷は少しでも傷が付いたり、処女を奪われるようなことがあったら、それだけで価値がぐっと下がる。
お母さんの薬代を稼ぐための大事な体が穢されたら、もう薬代を稼げない。
私の頭の中は恐怖でいっぱいになった。
やめて……怖い……助けて……。
こうして頭の中で考えることだけが、今の私にできる唯一の抵抗だった。
”心配しないで。”
”声”がまた話しかけてきた。
”大丈夫。私に任せて。貴女はしばらく休んでて。”
次の瞬間、私は強烈な眠気に襲われた。
これまでの疲労が一気に押し上げてきたのだろう。
だけど体は……”私”に乗っ取られた体は今も普通に動いている。
冒険者さんと会話を楽しんでいる。
「そう言えば、自己紹介がまだだったな。オレはカーティス・ブロイザンド。生まれはバルファド帝国で、一応貴族の家系だ。君の名前は?」
「私はミランです。この村の出身で、今までは出稼ぎに出ていました」
違う。
ミランはお母さんの名前だ。
お母さんの名前を勝手に使わないで。
次第に闇の中に落ちていく意識の中で、無駄だと解りつつも自分の名前を思い浮かべる。
私の名前……お母さんが私にくれた名前は…………。
彼女が誰かわかりますか?