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4-2.走法・絶影 中

 ジョシュアに近づくにつれ、街道には旅人の姿が増してくる。

 諸外国にも布告された剣祭を見物しようと、懐に余裕がある者たちが白銀都市へと詰めかけているのだ。

 単純に物見遊山が目的の者が(ほとん)どであるが、中には半分殿と(よしみ)を結ぼうという下心を持つ者や、この機にアインスノットの内情を探ろうと意図する者もまた紛れている。

 だがジョシュアは、そのいずれにも門を閉ざさない。数多の心算ごと無数の人間を受け入れるその様は、さながら人の群れを呑み乾さんとする地獄の怪物のようでもあった。


 剣祭の名が冠される通り、当地のお祭り騒ぎの目玉は、各地の精鋭に精強を競わせる試合にある。しかし目玉があるならば、それ以外がの存在もまた当然。現在のジョシュアは街自体が巨大な(いち)の様相を呈している。

 指定区画内であれば商売に許可は要らず、課される税も薄いとあって、利に聡い商人たちが各地から、土地の名産特産を引っさげて商いにやってきているのだ。

 更に随所で楽団による演奏や劇団による演劇も催され、広場では半分殿からの振る舞いとして時折酒や菓子が供される。

 剣祭の開幕となるその前から、宴の熱狂は果を知らずに高まりうねり、(はしゃ)いだ空気は伝染して人を酔わせる。刻限を問わず人は浮かれて歌い騒ぎ、街は夜を知らぬが如き有り様であった。 


 ヴァンはそのジョシュアまで、わずか半日の距離である。無論この影響は波及している。

 普段は村に通う商人たちが簡易交易所として利用するばかりの宿も、昨今ではほぼ満室。富裕の者たちはこうした宿には泊まらないから、これはそれだけ雑多な身分の人間が、剣祭見物に詰めかけている証左とも言えるだろう。

 場合によってはアルトだけを個室に入れ、自分は雑魚寝に回るつもりだったセシルだが、幸いにしてそれは免れる事ができた。


「オレの迅速な手配に感謝しねーとだぜ?」


 などと(うそぶ)(やから)もいたが、こればかりは単に時の運だろう。

 そんな安宿の一室、やはり安物の輝符の薄暗い光の下で、セシルたち三人は円卓を囲んでいた。


 何ゆえに狭いひと部屋で額を付き合わせているのかと言えば、それはクロウの主張によるものである。「仲良くなるには同じ飯を食うのが一番」、なのだそうだ。

 卓上、ひと皿だけの夕餉(ゆうげ)の器を満たすのは、元が窺い知れぬほど微塵に刻まれた野菜と肉を煮込んだシチューである。先んじて到着したクロウが食材を整え、セシルとアルトを待つ間に調理しておいたものだった。

 この手の宿は部屋のみの提供が普通である。もし飲み食いしようと思うなら、周囲の店か家かから買い受けるか、このように材料を持ち込み、(かまど)を借りて手ずから煮炊きをする他にない。

 そうした面倒を一手に引き受け、その上ふたりが旅装を解いて身支度を整える間に温め直して来てくれている。そうした手回しには頭が下がる。


 けれど。

 行儀が悪いとは思いつつ、アルトはそれを口へは運べずに、(さじ)の先でつつき回してしまう。

 忌み名として凋落したとはいえ、彼女の人生はアインスノットの貴族としての暮らしが基準基盤となっている。振舞われたのはいいが、正体の知れない具材ときついの香辛料の匂いとに腰が引けていた。

 ちらりと横目で窺うと、隣の従兄弟はどろりとしたそれを恐れげもなく食している。伊達に旅慣れていない。有益な助言は得られそうにない。

 困って視線を更に戻すと、その途中でクロウと目が合ってしまった。

 黒い瞳が、期待を含んでアルトを見ていた。

 あの顔は知っている、と思った。あれは自分が丹精してこしらえたものへの、感想を欲しがっている顔だ。おそらく、いつも自分が従兄弟にしてきた顔だ。

 致し方なしと覚悟を決めた。目を(つむ)り息を止めて、えいっと匙を口へ放り込む。


 最初の感覚は熱。シチューは、少し熱いくらいだった。

 香辛料の刺激は、匂いから予想したよりも、ずっとものやわらかなだ。上手い事料理全体に溶け込んでいて、そればかりが尖った味覚としては現れない。

 溶け込むというならば、具材もまた同じだった。

 肉も野菜も渾然一体(こんぜんいったい)となるまで煮込まれていて、飲む、啜るというよりも、食べると表現する方が正しい、濃厚な食感だった。きちんと栄養を摂取した満足感がある。

 馬任せとはいえ、一日の移動による疲労と空腹は存在する。その体の芯まで、食事の温度がしっかりと染みていくようだった。


「あ、おいしい」


 思わず漏らしたアルトに、所作を見守っていたクロウが「だろう?」と胸を張る。


「得意顔だが、お前が作れるのはこれだけだろう。他はミオに任せきりじゃないか」

「おいバラすな。せっかくお嬢ちゃんから高評価を頂戴したところだってのに」


 間髪入れぬ物言いに、アルトはくすりと笑んだ。

 二人のやり取りを見ていると、悪友というか、親友というか、とにかく気心が知れた仲なのだと分かる。

 自分が従兄弟を信頼しているように、クロウもまた従兄弟を信頼してくれているのだ。そしてその友誼の延長線上なのだろうけれど、自分にも厚意を向けてくれている。

 決して食べ物で懐柔されたわけではないが、アルトのクロウへの評価は好意的なものになっている。何よりあちらから友好的に接してくれてきているのだ。こちらから波風を立てる必要はどこにもない。

 

「これは、テトラクライムの料理なんですか?」


 こちらからも友好の意を示そうと、アルトはクロウに質問を投げる。

 テトラクライムとは、今はもうない、滅びた国と土地の名だ。巨人の棲息圏にほど近かったその小国は、争乱の嚆矢(こうし)の如く、一夜にして巨人に滅ぼされた。

 けれどその名は、今も流浪の旅を続ける民のものとして、土地を持たぬながらも広く世に知られ、畏敬(いけい)されている。

 何故ならテトラクライムの民は星見の民。星のまたたきを読んで未来を知り、語るからだ。彼ら一族の特徴である黒髪黒瞳は、夜と星との寵愛の(あらわ)れなのだという。


「あー、いや違う。よく間違われるんだが、オレはアザーズロックの生まれだ。テトラクライムの生き残りとか、そーいう(たぐい)じゃない。この色合いは偶然だ。ま、口喧嘩する時にゃ役立つけどな。なんせ相手が勝手に予言と思い込んでくれる」


 その特徴に合致する彼の髪と目の色からの言いであったのだが、けれどクロウは手を振って否定した。

 それからアザーズロックという単語ではっとしたアルトを見やり、もう一度手を振った。


「アザーズロックの人間だからって、お嬢ちゃんが気にする事はねーぞ。確かに生き残り連中のうちには、『全部アインスノットの仕業だ!』なんて恨みがましく思考停止してるのもいる。だけどオレが未だにしつこくアインスノットを憎んでるなんてのはない。安心して仲良くしてやってくれ。いっそその綺麗な声で、オレも『兄さん』って呼んでくれたって構わないんだぜ?」

「えと、あの」


 (ひょう)げた口調から、国絡みの恨み(つら)みから話を逸らしてくれたのだとは分かる。

 けれども生真面目な顔で、「さあさあ」なんて身を乗り出されると、どう対処したものか困り果ててしまう。

 と、そこへ助け舟が入った。


「クロウ」


 嗜めるように呼ばわれて、へいへいと彼は軽く肩を竦める。

 ここまでセシルはほぼ口を開いていないが、それは会話に無関心を決め込んでいるのではない。彼は殆どの場面において聞き役であり、そして聞き上手なのだ。

 話の運びやすいような合いの手を挟んでくれるし、意見を求めれば鋭く切り返してくれる。こうして過ぎた悪ふざけを(いさ)めてもくれる。

 それが上品だの、穏やかだの、優しいだのといった印象を周囲に与えて、アルトからすれば余計な人気を(はく)す一因となっているのだ。

 それにしても、今友人を呼ばわったセシルの声には、ちょっぴりながらも珍しく、険があったような気がする。やきもちだったら嬉しいな、などと、アルトはこっそり考える。


「いやしかしなんだな、お嬢ちゃんは何かいじめたくなる子だな」

「え……」


 思わぬ評価にアルトは再度絶句。

 一応褒めてくれたようではあるのだけれど、これに「ありがとうございます」と返すのは何か違う気がする。


「いじめるなよ」

「へーい。そういや髪といえばだが、お嬢ちゃんも騎士なんだよな?」

「あ、はい」


 自分の前髪を引っ張りながら気のない返事を返し、それからクロウは唐突に話題を転じる。

 だんだん分かってきた、とアルトは思う。彼は賑やかしが好きというよりも、周りを気を配る(たち)なのだ。この饒舌(じょうぜつ)も、おそらく付き合いの短い自分が居心地悪くならないようにと振舞ってくれている。

 基本的には黙ったまま、仕草や行動で気遣いしてくれるセシルとは、ある意味正反対の人種だ。 


「それって切らなくてもいいもんなのか? あー、別段いちゃもんをつけようってわけじゃないんだ。長いの、似合ってると思うしな。ただ騎士団ってのはそーゆーのうるさそうだから、ちょっと気になった」

「……いえ、これは……」


 問われてアルトは言葉を濁す。

 実際のところ、隊規に服飾規定はない。けれど武を志す者ならば、勇を示そうとする者ならば、自ら律して当然の部分ではあった。

 無論形だけ騎士団に所属し、生涯ドレス以外を着用しないような上級貴族の子女たちも多いのだが、アルトは武名で家名再興を図る身である。

 目的へ邁進(まいしん)しようというのなら、見た目もまたらしくするべきではあるのだが──。

 

「意外かもしれないが、うちはそこまで厳しくはないんだ」

「確かに意外だ。もっと堅苦しくて融通が効かないモンだとばっかり」

「それにアルには治癒と付魔の術才がある」


 聞いてクロウは口笛を吹く。


「凄いな。人気者じゃねーのか?」


 治癒とは言葉の通り、人体が備わった回復力を促進させる術式だ。戦闘時においてその有用性は言うまでもないし、一般にもその価値はよく浸透している。

 対して付魔は、市井(しせい)ではいささかならず評価が低い。

 例えば輝符(きふ)というものがある。熱も煙も匂いも出さない便利な屋内照明として、火起こしの炎石や水呼びの水瓶(すいびょう)と並んでよく用いられる魔術具だ。

 これは元素操作で作られた光を、魔術記号による式文を記した符へ定着させたものである。ただしどんな腕のいい術士が定着させようと、術式に込められた力は時間と共に弱まり、その輝きは薄れていく。

 この使い減りした術式を充填し、再活性させるのが付魔術士である。焚き火が消えぬように(たきぎ)を投げ入れる仕事、と述べれば最も近いだろうか。

 実に身近で暮らしに密接な術であるのだが、前述した治癒の「命を救う術」という印象に比べると、残念ながら卑近が過ぎる。また付魔は定着とひと組として考える者が多い。

 この辺りが付魔術が低く見られる理由なのだが、実のところこれは付魔術の本質ではない。


 如何なる魔術式も、組み上げ起動させる際に触媒を消費している。

 触媒霊素(カタリス)と名付けられた不可視のこれは自然界に遍在(へんざい)するものであるのだが、雨がいつも降るわけではないように、風が常に強いばかりではないように、土地、場所、時間によって空間堆積量が異なり、この多寡(たか)は、発動した術の質に直結する。

 そして付魔術士は、この不可視霊素(カタリス)を或いは意識して、或いは無意識に集積する。つまり付魔術士はただいるだけで、周囲ので組成された術式の効能を増幅するのである。魔術に詳しい者が、付魔術士を触媒士と異名する所以(ゆえん)だ。

 この効能は自身が用いる術にも及ぼされる為、付魔を含む多種素養を持つ者は重宝され重用される。

 もしアルトの資質がもっと高い水準のものであったなら、そしてもし彼女が忌み名の家の娘でなかったなら、教皇府で術士としての専門訓練を受けていた事だろう。

 だが、そうならなかった。

 そしてだからこそ、アルトは本来なら望むべくもない身近な癒し手という、希少な存在になっている。


「そういう人間には、何か特徴があった方がいいだろう?」

「あー、確かに」


 突発的に必要が生じる治癒術の使い手が、いざの折に「所在が分かりません」ではお話にならない。

 であればこそ騎士団所属の治癒術士たちには、平素においても隊伍においても、その待機位置が入念に定められ、課されている。

 しかし前述したように、アルトは専門の術士ではなく騎士である。後方で備えるのではなく、前方に立つ人間だ。であれば尚更、集団に埋没しない見かけの個性があった方がいい。

 そういう(むね)の言いであったのだが、


「私、お飾りのお人形じゃありません」


 口を挟んで、アルトはぷいと横を向いた。どうも誤解をしたらしい。

 覚悟のない未熟者だから、分かりやすく目印をつけておけという話であると、そのように受け取ったのだ。

 セシルが(なだ)めるより早く、向かいのクロウがぷっと吹き出した。


「やっぱお嬢ちゃんは、いじめたくなる子だな」

「いじめるなよ」


 そう言いながらセシルも苦笑し、なんですか兄さんまでと、アルトはもう一度むくれて見せる。

 それから彼女は、自分の髪にそっと触れた。くるくると指に毛先を絡めながら、従兄弟をちらり盗み見る。

 先程の反応から察するに、きっと覚えていないのだろうな、と思った。

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