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3-1.子供たち 前

 アルトの同道の申し出を、当然ながらセシルは拒絶した。

 王都を離れジョシュアに向かうと従姉妹に伝えたのは彼自身である。これまでの単独任務の折にもそうと告げれば、「気を付けてくださいね」と見送ってくれたものだ。

 厚意に甘えているなとは思いつつ、そんな彼女に留守の屋敷の風通しをしてもらうのが常だった。

 それが今回に限ってこんな反応を招くとは、全く予想の(ほか)である。


「しかしアル、君にだって騎士団の職務があるだろう?」

「団長の許可はちゃんと得ています」

 

 説得を重ねたが、しかし少女は(かたく)なで周到だった。何を言ってもきちんと根回しが済んでいる。

 特に団長の、オーギュスト・ギュンターの名を出されるとセシルは弱い。

 彼は親を亡くしたセシルの後見人となった人物である。

 団長が騎士団から出た死者の遺児を後見するのは通例であり、実情からだけで述べれ、オーギュストは殆ど名ばかりの存在だった。しかしそれは彼が冷淡である事を意味しない。単純に責務が多すぎて手が回りきらなかっただけの事である。

 基本的に子供好きなのだろうと、そうセシルは思っている。でなければ後見した多数の子供たち、そのひとりひとりの顔と名前を一致させたりはできないはずだし、それぞれの行く末を何くれと気にかけもしないだろう。

 加えて、彼は世知と知略に長け、機を見るに敏な人物である。

 そんな彼が娘の行動に協力しているとあれば、少なくともそこに何がしかの意味があるのだと考えざるをえない。

 ただしオーギュストの欠点のひとつとして、一人娘への甘さが挙げられる。単純に(ほだ)された可能性も、また否定できないところではあった。


「ロートシルト卿の剣祭、私も是非見物したいんです。見稽古という言葉もあります。観戦はきっと私の為になると思いますから。それにジョシュアには前から行ってみたかったんです。兄さんについていけば道中も安心です。渡りに船です。きっと人が集まって屋台もたくさんでて、賑やかなんでしょうね。とても楽しみです」


 切り口を変えて、どうしてそこまで同行したがるのかと問えば、返答はこれだった。まるで事前に用意しておいた答えを(そら)んじているかのような調子でそれだけ言うと、アルトはきゅっと口を結んで、後は(なだ)めても(すか)しても(がえ)んぜない。


 結局セシルが折れたのは、彼女が告げたこの理由に()る。

 アルト・グラムサイドという少女の気質についてはよく知っている。

 忌み名とされて以来、家名の再興を目指して励んできた娘だ。しかも貴族の令嬢としてではなく、騎士として。

 如何に身を慎み、如何に努力してきたかもよく分かっていた。時として過度な背伸びに見える事もあるが、その姿勢は総じて周囲に好感を抱かせるものっただ。

 蝶よ花よと育てられた箱入りの姫君ならばいざ知らず、そんな従姉妹少女が、ただ物見遊山をしたいが為にこうまで我がままめいて食い下がるというのは、明らかに奇妙な振る舞いである。

 ならばアルトの中には口にできない、しかし正当な理由があるのだろう。セシルはそう推察し、彼女を信じる事にした。 


「分かった。俺の負けだ」


 ぱっと顔を輝かせる従姉妹に、ただし、と釘を刺すのも忘れない。


「君が物見遊山をしたいだけというのは信じない。隠すなら今は問わないし、アルの事だから相応の理由があるのだろうと思っている。ジョシュアから戻ったら、きちんと説明はしてもらうよ?」

「あ……はい。ちゃんと話します。ごめんなさい」


 途端にしゅんとなる彼女はまるで子供のようだ。頭を下げたアルトには見とがめられない油断もあって、セシルは思わず微笑み、そしてその表情をすぐに曇らせる。

 彼女と連れ立つとなれば、自分独りの旅とは様相は一変する。旅程の練り直しが必要だ。

 妹のような存在とはいえ、彼女は立派な女性である。色々と気遣いが必要になってくるはずだ。例えば夜っぴて馬を走らせるわけにはいかないだろうし、雑魚寝や野宿も上手くない。

 どこか重荷を下ろした風情の従姉妹と出立日についてのやり取りを交わしながら、セシルは内心弱り果てている。

 同僚、後輩のあしらいならまだしも、年下の女の子の面倒の見方などいっかな見当がつかない。大昔のように、泣き出しそうなら傍に居てやる、背中を貸してやる、では済まないだろう。

 本命の剣祭よりも、こちらの方が余程に難事であるように思えた。

 ともあれ当初の予定より、ジョシュアへの到着が遅れるのは確実だ。既に到着しているだろう友人には、頼んで伝霊を放ち、一報しておかねばなるまい。



──



 王都を出、大河ヘズと併走する街道に沿って東へ。

 この道の果てにある教皇府とアインスノットのほぼ中間に位置するのが、白銀都市ジョシュアである。

 古くは街道筋ですらないうらびれた鉱山都市が白銀の名を冠されるようになったのは、領主としてグレゴリー・ロートシルトが赴任してからの事である。

 彼は特産である銀鉱石の精錬法の改良に力を注ぎ、わずかな年月で旧来の数倍にまで採掘量を大増産してのけた。これが半分殿たる彼の財産の基盤となったとは言を待つまい。

 そして富により街は肥大し、街道こそが形を変えて、ここを中継点として通っていくまでになった。

 今やジョシュアは王都に比肩しうる、或いは凌ぎうる交易の都である。ヘズを利用した水運と、各地から教皇府へ向かう際の経由点としての陸運。双方が噛み合って商業圏を作り上げ、交易の中枢として、押しも押されもしない繁栄を築いている。

 そんな、知ればなんという事のない白銀の名の由来ではあるが、しかしアインスノットにおいて銀とは王家の色である。

 それを自らの支配都市の異名とし、何ら悪びれるところなく振舞うその有り様に、見る者は半分殿の不敬と不遜(ふそん)とを見る。


 険悪な雰囲気を孕む王都と白銀都市ではあったが、二者を結ぶ街道筋の治安は非常に良い。

 この道は言わば、商業の主要血管であるのだ。両者の利害はこれにおいては一致していて、賊徒の類は徹底して駆逐されている。

 御陰もあって行き交う者の数はますます多く、途上の宿場町もまた隆盛を極めた。

 急ぎの旅人の為に馬も数多くが備えられており、路面もよく(なら)され、整えられている。為に旅慣れた者が馬を乗り継いで飛ばせば、二都市は一両日の距離と言われていた。


 セシルとアルトの二人は、その街道を数日かけて、ゆるりと進んだ。

 のんびりとした旅路の理由はアルトにある。

 彼女には旅の経験がない。実のところ王都を離れるのも、これが生まれて初めてだ。

 忌み名といえどもグラムサイドの娘だ。土木作業や野盗追討などの任に駆り出されてはいない。これは団長の依怙(えこ)の沙汰では決してなく、アインスノットの体質である。

 武名を尊ぶ国の気風から、騎士団に所属する貴族は多い。しかしアルバート・グラムサイドの処断以降、彼らは気軽な出動を封殺されてしまった。

 彼の行動は、地味ではあるが(そし)りを受けるようなものではなかった。でありながら、いわば王の恣意で忌み名の処遇と相成った。

 万一自分が雑事で傷を負ったり、命を落としたりすればどうなるか。大きな家に所属する者ほど、それを考えずにはいられなくなった。

 上としても、こうした空気の中では騎士貴族を用いにくい。自身の命が原因で家が没落したとなれば、その係累全ての恨みを一身に集める事となる。

 結果、「貴族の命はより大きな困難にこそ用いられるべきである」などという標榜が(まか)り通るまでになり、ますます下級貴族の生贄貴族としての面が強まった。

 上級貴族の子弟たちは主に王都の治安維持や兵站管理、魔術の才があれば施療へと、安全な後方任務に回されるようになり、アルトの扱いもこれに準じたのである。


 従って彼女は、馬の扱いが不得手だった。

 無論乗りこなせないわけではない。騎士として訓練は受けているし、馬乗戦闘の心得もある。しかしながらどちらも経たのは短時間の演習であり、旅路で必要とされる長時間の騎乗知識ではない。

 その不慣れを無理にこらえようと余計な力を込めるから、使い慣れない筋肉までもを酷使してより早く疲弊してしまう。結果としてますます姿勢が歪み、反撞(はんどう)に上手く対処できなくなるという悪循環が発生する。

 ただ長く乗る事がこんなにも大変だなんて、アルトには思いもよらなかった。

 一日目はどうにか頑張り通したものの、その日の夜には、もう体中が悲鳴を上げていた。全身が痛くてうっすらと浅くしか眠れない。寝台から体を起こすのにも苦労が必要な有り様だった。

 なのにセシルは涼しい顔で、こちらの支度を待っている。

 表情は装ったつもりだったが、やはりぎこちなかったのだろう。具合が悪いのじゃないかと従兄弟は案じてくれたのだが、そこで生来の意地っ張りが出た。


「なんて事ありません。大丈夫です」


 言い切って馬に跨り、そうして次に気づいたら、街道脇の木陰に寝かされてるところだった。

 ぼおっとした頭のまま、まばたきをする。

 上から覗き込むセシルと目が合った。ふっと彼の表情が緩んだ。

 頭の後ろにやわらかい感触がある。替えの衣類を枕にしてあるのだ。風に揺らぐ葉の隙間を抜け、木漏れ日がアルトの目を射る。午後の位置に差し掛かってはいるが、陽はまだ高い。眩しくて横を向くと、繋がれた二頭の馬が、のんびり草を()んでいるのが見えた。

 そこで突然意識がはっきりとした。


「まだ横になっていた方がいい」


 慌てて跳ね起きようとした肩を、従兄弟に制された。


「すまない。無理をさせてしまったな」

「……ごめんなさい。また何か、迷惑をかけたんですよね?」


 大凡(おおよそ)の状況は推測できて、アルトはただひたすらに恐縮する。

 

「いいや、謝るのは俺の方だ。もっとしっかり君の事を考えるべきだったし、もっと早く気づくべきだった」


 言いながら指先でアルトの前髪をすくって、額に濡らした布を当てる。ひんやりとした感触が心地よかった。

 彼の話によれば、自分は宿を出て半日は頑張ったらしい。

 記憶にはまるで残っていないが、一応会話の受け答えもしていたそうだ。それが不意に途絶えて、どうしたのかとセシルが振り返ったら、惰性で歩を進める馬の上で、半泣きになった自分がいたのだという。

 慌てて馬から引き下ろし、横たえるとすぐに寝息を立ててしまった。

 外傷もないし呼吸は穏やかで、おそらくは緊張と疲労によるものだろうとセシルは判断。案じつつも傍に付き添って、そして今に至るとの事だった。


「やっぱり、私の自己管理が」

「違う。初めて体験する環境で、万全の体調管理などできるはずがないんだ。それを気遣うのは先達(せんだつ)の、つまりは俺の役目だよ。だから、すまなかった」


 もう一度深く頭を下げられて、アルトは横たわったまま首を振る。さらさらと長い髪が衣擦れを立てた。


「私が意地を張ったのが一番の原因ですから。それより、今度こそもう大丈夫です。とんだ道草になってしまいましたし、そろそろ……」

「陽が落ちて気温が下がってからの方が、道行(みちゆ)きも楽になる。だからもう少し眠っておくといい。昨日は、あまり眠れなかったのだろう?」

「でも」

「休むのも仕事のうちさ。周りは俺が見ているから、心配しなくていい」


 確かにまた無理を重ねて、同じような迷惑をかけたら立ち直れない。今度ばかりはアルトが折れて頷いた。


 ──兄さんが見ているからこそ、眠れないかもなのですけど。


 心の内でそんな事を思ったが、目を閉じればすぐに睡魔は忍び寄った。

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