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2.塒を巻く闇

 その一室は、薄闇と甘い匂いに包まれていた。

 燭台に巻かれた輝符は絶えず光を発しているのに、どうしてか(もや)がかかったように暗い。まるでどこかに吸い込まれているかのようだ。

 その(かそけ)き光でも分かるほどに、室内は豪奢だった。

 家具、調度のあらゆる物が、一級の品、一流の仕立てであると素人目にもすぐ知れる。だがそれらは決して、成金めいた贅沢の印象を与えなかった。どこかに一本、ぴしりとした統一性が通っていて、一種の品の良さを醸し出しているのだ。

 それにしても広い部屋だった。

 ここでなら大立ち回りを繰り広げたところで、壁への衝突を心配する必要はないだろう。それほどの空間である。

 その中央、床には足首まで沈み込むような絨毯(じゅうたん)の上に、天蓋のついた大きな寝台が据えらていた。

 しゅう、とそこから、蛇の呼吸めいた音がした。

 音に伴い、甘い香りが強くなる。それは天蓋からたらされた幕の奥、寝台に横たわる人物から漂う香りであった。

 

「整ったようだね」


 再び、蛇の呼気。そして年齢を感じさせない不思議な声で、寝台の男は囁いた。


「へい。細工は万端で」


 応じて頭を垂れる影がひとつ。

 日に焼けて浅黒い肌をした、四十絡みの男だった。開いているのか閉じているのか分からない、細い目をしている。


「このお二方(ふたかた)が、こちらの協力者になってくださるってな寸法で」


 肩越しに男は後方を示した。その先にはふたつの影。しかしどちらも、男とは異なり(かしこ)まらずに直立していた。


「協力はいいけど、もし話を(たが)えたら斬って捨てるよ?」


 主従と思しき二人の会話にそこに割って入ったのは、影の片方である。

 少年の声だった。まるで女のように高く、鈴のように澄んだ響き。続いて薄闇に浮かんだのは、やはり女と見紛うばかりの、秋水の如き美貌だった。


「この坊や、何を殺気立っているの? 子供とか鬱陶しいのだけど」


 応じて起きたもうひとつの声は、若い女のものである。

 一歩進み出た所作に伴い、絹糸のような金の髪が、輝符の光を受けてさらさらと流れる。肉付きのいい、(つや)めいた体をしていた。

 ちらりと女が少年を見る。少年が女を見返す。ちかりと不可視の火花が散った。

 ふっと佩刀に伸びかけた少年の手を、最初の男の手が抑えた。


「まあ、まあ。双方いきり立って角突き合わせたんじゃあ、まとまる話もまとまりませんや。本日は顔見世だってのに、これきりで縁切りとあっちゃあ諸行無常も極まれりだ」


 分けるように言うが、双方は収まらない。

 女は赤い唇を歪め、嘲笑を(かたど)った。


「止めてもらえてよかったわね。本当なら貴方が抜く前に、くびり殺してやれたから」

「へえ。僕は続けても構わないだよ? 大言壮語の代償は、その首になるけどね」


 再び少年の手が動き、


「──いい加減になせぇよ」


 放たれた言葉は決して強くなかったが、その内に何かこわいものが潜んでいた。

 女と少年が、思わず飛び退(すさ)って距離を取り、身構えるほどに。


「何もお二方に仲良くよろしく笑い合えとは言いやしませんがね。話を受けた以上は御前には協力していただきますぜ。(いさか)いなら事の終わったその後で、ご随意にご存分に。それなら手前も止めやしやせん。よろしいですかい?」

「わかった。やめておくよ。不興を買って、出場取り消しなんて、それこそ冗談にもならない」


 数秒の沈黙の後、少年は肩を(すく)め、それに女が続いた。


「同じくよ。まあ先に突っかかったのはわたしだもの。一応謝っておくわ」

「結構」


 口の端で笑って頷き、男は寝台に向き直る。

 それを待っていたように、天蓋からの垂れ布が、内からわずかに押し開けられた。途端、漂う匂いが強くなる。甘く爛れた、それは腐臭であった。


「元気のいい事だ。我法使いはそうでなくてはいけない。頼もしく思うよ」


 低く床を這う笑い声。そして、しゅう、と蛇の吐息。

 言葉と共に隙間から覗いたのは右手だった。

 しかし、ただの手ではなかった。

 五指は骨を晒し、名残のように腐れた肉がこびりついているばかり。

 指元から下には辛うじて肌身がついてはいるが、黄色く変色したその下を、何かが這い回っているのが見て取れる。その蠕動(ぜんどう)に耐えかねたように、爪の先ほどの肉片が、糸を引きながら絨毯に落ちた。

 同時に蠢いていたものも光の下へと落ちて、正体が知れる。

 (うじ)だ。

 生きながら腐る人肉へ、蛆が(たか)(ついば)んでいるのだった。


「では、君たちへ頼み事をするとしようか──」


 自らの体の(さま)など、息を呑む者の無様など知らぬげに、寝台の上のモノは穏やかに囁く。

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