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1-2.生き餌 後

 事前に連絡しておいた甲斐あって、オーギュスト団長との対面は滞りなく叶った。

 執務室ではなく彼の私室に通された彼女は、にっこり余所行きの笑顔で微笑んで、団長殿にご挨拶を申し上げる。すると彼は自慢の口髭を撫で、困り果てた顔をした。


「アルト」

「なんでしょうか、団長殿」

「アルト」


 二度目の呼びかけに、アルトはきょとんと首を傾げてみせる。何の事だか分かりません、と言いたげな挙措だ。

 オーギュストがひとつ咳払いをすると、控えていた使用人たちが一礼して部屋を出た。心得たものである。


「用向きは大凡(おおよそ)は見当がついている。ウェイン卿の件だな?」

「そんな。団長殿の辞令に異議など、私のような者には申しようもありません」

「アルト」


 三度目にもつんとそっぽを向くと、オーギュストはがくりと肩を落とした。


「分かった。私が悪かった。きちんと腹を割って話そう」


 彼が折れてくれた事に、アルトは内心ほっとする。

 甘えている自覚はある。一介の団員の団長への面会要請など、本来ならばこうも応じてもらえるものではない。

 勧められた椅子に腰を下ろしながら、今度は作りものでない笑顔を彼女は見せる。


「ありがとうございます、父上」


 やっと出たその言葉に、オーギュストは満足した風情で口髭を撫でた。その髪、髭の色は、アルトとそっくりのやわらかな栗色をしている。

 オーギュスト・ギュンターは、かつての姓をグラムサイドという。グラムサイド家の入婿(いりむこ)であった彼は、その凋落(ちょうらく)の後、アルトの母と離縁をした。自身の実家との関係上、そうせざるをえなかった。

 家族の窮状を見捨てたというそんあ後暗さからか、元からの親馬鹿であるのか、或いはその両方か。彼は娘にとても甘い。


「ウェイン卿──いや、セシル君の事だが」


 アルトの対面に自身も座り、オーギュストは卓の上に両肘をついた。なんとも言いにくげに顔を(しか)める。


「さっきも言ったように、お前が何を考えて私のところへ来たか、それは大凡分かっている。しかしこの事はな、私から出たものではないのだ。口外法度とした上でお前には言う。これはイアン殿下の意にあらせられる」

「……王弟殿下の?」


 思わぬ切り出しに、アルトの思考は数瞬停止した。

 常日頃のように、父が体よく従兄弟を頼ったのであれば、どうにか任務の撤回してもらえるだろう。後釜には誰も据えずに、半分殿の剣祭など無視を決め込んでしまえばいい。

 そう考えていたアルトだったが、命が父のその上、王弟殿下からの出ていたとあれば、これはもう覆しようもない。


「知っての通り、殿下はロートシルト卿を忌み嫌っておられる。セシル君は卿の鼻を明かす人材として、良くも悪くも御目に(かな)ってしまったのだよ」


 王弟、イアン・アインスノットは銀獅子として知られる武人である。

 体躯は魁偉(かいい)にして文言は雷声の偉容を備え、アインスノット王家の血筋を強く発露した銀の髪はたてがみの如し。

 親征失敗以降、すっかり無気力化してしまった現王に代わって国を取り仕切る、アインスノットの実質的な王であった。カルバーンを廃して彼を王座にと考える者は数多く、イアン自身もそう望んでいるという。

 しかしこれを妨げるのが半分殿だ。未だ幕の裏で国政に私意を挟む彼にとって、王とは無能な者が良い。そしてどれほど望まれた譲位であろうと、権力の移行には必ず悶着が伴う。

 王弟派はこうした政治闘争のうちに、半分殿が再び中央へ這い出してくる事態を危惧していた。従ってあまり強引な手は使えない。

 王弟殿下は王座にあと一歩のその位置のまま、長く足踏みを強制されている。イアン・アインスノットにとって、グレゴリー・ロートシルトは、正しく目の上のたんこぶに他ならなかった。


「セシル君を行かせないのであれば、代わりを探さねばならない。だが残念ながらうちの団に、彼以上の手練(てだれ)などいないのだ。確かに彼とは縁があり、気安さがある。それで頼らせてもらってもいる。だが今回ばかりは父さんも、好き好んで彼に押し付けたわけではないのだよ」

「……その、ごめんなさい」


 父の言葉に、アルトは大人しく頭を下げた。

 自分の中の思い込みだけで走り出してしまった事は素直に認めねばならない。父を疑った事もまた恥じるべきだ。


「いいんだ。事に我法が絡むとなれば、セシル君を案じるのも当然だろう」

「我法?」


 アルトが耳慣れない言葉に小首を傾げ、オーギュストはそこで失言を悟ったようだった。


「いや、知らなければいい」

「よくありません」


 取り繕うように言うが、気づかない娘ではなかった。ぐいと詰め寄る。

 オーギュストはしばし他所に目を泳がせ、それから諦めて向き直った。


「我法が表舞台に出たのは、巨人との戦乱期においてだ。それは才による魔術とも研鑽による武術とも一線を画した独個の法で、使い手の魂の形に応じて唯一無二の現象を発動させる、言うなれば個人専属の魔術。その性質にもよるが我法使いは、一人が数十人を上回る(いくさ)働きをする」

「初めて聞きました。でもそれがどうして、表に出ないのですか? それからどうしてそれが、兄さんの身を案じる事に繋がるんです?」


 疑問を呈すると、オーギュストはおもむろに口髭の端を捻った。


「世に知られない理由はふたつある。ひとつとして我法使いは、まずその数が少ないのだよ。我法に至るには修練と才能の他に強いきっかけが要るといわれているが、その道筋の詳細な理屈は未だ解明されていない。だから諸国に大きく呼びかけない限り、数名以上が集まる事はまずない。ふたつ目は彼らの協調性のなさだ。我法使いは自ら頼むところがすこぶる厚く、その殆どが性質として集団行動に向かない。つまり統制された国の戦力として組み込む事が難しいというわけだ。よって彼らは独立単身の任務が主なり、働きは衆知されない。また発露する我法の現象はただひとつだけであるから、彼ら自身も自らについての情報を隠匿する事を好む。以上から我法の知名度はひどく低くなっているのだ。だがまあ稀に、我法使いの名が知れ渡る場合はある。どういう場合か分かるかな?」

「……犯罪絡み、でしょうか」


 少し考えてからのアルトの答えに、団長は満面の笑みでその通りだと頷いた。


「犯罪組織の示威としての他に、無思慮な我法使いが暴れ回ってその名を轟かす事がある。しかしこれも、使い手の名と仕業が知られれるばかりで、我法が表立つ事にはならないのだがね。悪い魔術士の噂が立つ時、人が口伝(くちづ)てに語るのはその魔術士がどんな術を使うかではない。どんな悪さをしたか、だ。そういう事だ。とまれ私も一度、我法使いとは対峙した事がある。あれは実に厄介なものだった」

「どういった我法だったのですか?」

「うむ。聴法・心音(こころね)と名付けられたその我法使いは、周囲の評価を気にしすぎる嫌いはあったが、どこにでもいる普通の青年だった。だがある日唐突に我法に至り、人の心の声を盗み聴けるようになると性格が豹変してしまった。聴いた秘密につけこんで恐喝脅迫を繰り返すようになった。訴えを受けて我々が捕縛に乗り出したのだが、彼はこちらの声を聴き取って、巧みに姿を(くら)ましてしまう。結局我法の効果領域外から、必中と風乗りの魔術を施した矢で射殺さねばならなかった」


 当時の苦渋を思い出したのか、オーギュストはそこでしばし言葉を切った。

 その間にアルトは、その青年の孤独を思った。

 彼が働いたのは悪事であったのだろうけれど、知りたくもない人の心の内までが全部聴こえてしまったなら、自分なら何もかもが嫌になってしまうかもしれない。

 騎士団に訴えられるほど憎まれるようになってからは、更に自分を責める声ばかりが響いてきたはずだ。さながら生き地獄ではあるまいか。

 

「とまれ、戦場向きではない我法使いでもそうなのだ。だからお前がセシル君を案じて必死になるのも当然だと思ったのだよ。何せ彼の他の本戦出場者は、7人が7人とも我法使いなのだから」

「──初耳です!」


 束の間抱いた感慨も感傷もどこへやら。

 アルトは思わず両手で卓を叩いて立ち上がる。従兄弟は昨日、少しもそんな話はしなかった。


「兄さんは、そんな事私には全然!」

「だが私はセシル君に伝えたよ。我法とは何かを知っていて、その上で彼は引き受けてくれたのだ」

「……」


 ああ、そうだろうなと思った。

 父の事情を汲んで、いつも通りの静かな笑顔でただ一言、「拝命いたします」と応じたのだろう。そういう人なのだ。同じようにして、自分へは何も告げなかったのだ。

 俯いて黙り込んでしまった娘の肩に、オーギュストはそっと手を添えた。

 縋るように仰ぎ見たその顔に、ひとつ頷いて見せる。 


「もしお前がセシル君の生還率を上げたいのなら、方法はなくもない」

「どうすればいいんですかっ!?」


 食いつかんばかりの勢いで、ぐっと身を乗り出すアルト。

 オーギュストはため息の後、何とも言えない表情をした。年頃の娘を持つ親は複雑だ。


「お前もジョシュアへ行くのだよ、アルト。お前は抑止力になる」

「私が?」

「そうだ。凋落したといはいえ、グラムサイドは王家に連なる家だ。その娘の身内を殺して、自ら好んで恨みを買う輩はいないだろう。万一彼が試合に敗れても生き残る確率は高くなる。またロートシルト卿に二心があったにしても、やはりお前は手を出すには覚悟のいる存在だ。お前は傍に居るだけで、十分セシル君の助けになれる」


 娘の表情を観察し、これは間違いなく食いつくとオーギュストは判断。返答を待たずに先を続ける。


「ただし、セシル君には同時にちょっとした探索の依頼もしてある。諜報役には心当たりがあると彼は言っていたけれど、これについてもお前は彼を補佐しなければならない。それから騎士団としてはお前たちに護衛はつけられない。それは騎士団がロートシルト卿へ、疑惑を抱いていると取られ兼ねない行為だからだ。かの御仁に余計な口実を与える事は決してできない。それにあくまでセシル君は、個人の希望で出場するというのが建前だ。よってもしお前が行くというのであれば、それは二人旅になる。男女の同道ではあるが、その辺りの節度は勿論(わきま)えているね?」


 ぱっと顔を赤らめ、それからこくこくと頷くアルトに、父は二度目のため息をつく。やはり男親は複雑だ。


「よろしい。では少しばかり甘いが、以上を辞令に代える。グラムサイド・アルト、即刻ウェイン卿を(おとな)って、そのように伝えたまえ。いいね?」



──



 来訪時とは打って変わった足取りで屋敷を出るアルトを見送り、オーギュストは眉に深く(しわ)を刻んだ。

 実のところ今の愛娘の行動と話の流れとは、失言の素振りまでもを含めて、ほぼオーギュストの手のひらの上である。

 アルトはセシル・ウェインに入れこんでいる。彼が単身危地に赴くとすれば、きっと行動を起こす。そう把握した上での誘導だった。精一杯の背伸びをしているが、娘はまだ少女と呼ぶべき年頃だ。底意地の悪い大人の思惑になど、気づかないし気づけない。


「結果は問わない。グラムサイド・アルトを推薦枠として剣祭へ送れ」


 彼が本来、イアンより受けた下知はそれである。

 刃の光を湛えたその瞳が何を意図するかまでは計り知れない。だが王弟殿下と半分殿の抗争は既に長く続いている。この命もそれにまつわる策謀の一手であろうとは想像はついた。

 何も知らぬ自分の娘がそんな渦中に赴けば、まず十中八九の死が見えている。武術にも魔術にもそれなりの才覚を示すとはいえ、アルトは一流には程遠い。獅子の群れの中に子猫を放り込むようなものだ。

 王弟の立場からすれば、忌み名の娘の一人や二人、死のうが生きようが何の痛痒(つうよう)もないのだろう。

 しかし自分にとってアルトは、今も変わらず目の中に入れても痛くない存在だ。だからオーギュストは恐れながらと異議を発した。王弟を説き伏せて、最善と信じる手を施した。

 それが娘の代わりにセシルを剣祭に送り、その彼にアルトを託して同道させるというこのやり口である。


 セシル・ウェインは優秀な騎士だ。

 私人オーギュスト・ギュンターとしてのみならず、騎士団団長としてもそう評価できる。娘の好意が未だ実を結ばぬところからするに、些かならず人情の機微には(うと)いようだが、武と知を兼備して危うさがない。

 アルトは自分がセシルをいいように利用し、頼っていると考えているようだが、それは違う。

 本家分家の血筋、関係だけで、おいそれと大事を任せられるはずもない。懐刀は鋭さを欠いては務まらない。重用するからにはそれなりの理由があるのだ。

 グラムサイドの家が凋落する前であれば、不釣合いと娘から遠ざけたかもしれない。だがオーギュストは今ならば、アルトの望み通りに運んでやってもよいと思っている。これは無論、セシル本人の意向を確認してからの事にはなるが。


 だから。

 だから二人ともが無事に戻るようにと願った。

 勝手な祈りだとは分かっている。身勝手だとも知っている。だが彼とて、好き好んでこうしたわけではないのだ。

 離縁の折と同じだ。世界は仕方のない事で満ちている。歳を重ねれば重ねただけ、長く生きれば生きただけ、人は様々にしがらみに絡まれて、世間は狭く窮屈になる。手足さえ配慮なしには動かせないようになる。娘を救う、ただそれだけの事に途方もない根回しが必要になってしまう。

 そして四苦八苦の挙句に何ができたかといえば、息子のような青年と娘を共に虎口に送り込む、ただそれだけだ。

 

 オーギュスト・ギュンターは、ただ憮然と口髭を撫でる。

 眉間の皺は、とうとう消える事がなかった。

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