道標の藍
遺跡探索の成果はゼロだった。
負傷した男性と自分の荷物を抱え、町に戻る頃には陽は沈んでおり、屋根のある場所に着くのと同時に驟雨となった。
突然の雨だったが、町民はさも慌てる様子をみせず、各々戸締りをしたり、洗濯物を仕舞いこむ。なるほど、青の国と呼ばれるだけはあるなとマニラは雨に染まる町を見た。
男性を病院に連れて行ったり、仕事の報告をピンインにしたり……宿屋に戻る頃には晩御飯時はすっかり過ぎており、食堂は静かだった。
「はああ。酷い一日だったなあ。」
誰に言うわけでもなく、ため息と共に愚痴がこぼれ、そのままマニラは机に突っ伏した。
窓にはカーテンがかかっていたが、向こう側から感じる静かな音は、雨が止んでいる事を教えてくれている。
「ちょっと、私のこと忘れてない?」
「わあっ」
青い光がマニラの頭を叩く。慌てて顔を上げると、美しく青で縁取られた蝶が目の前にいた。
「あの後いなくなったのはそっちじゃないか。私は怪我人を病院に連れて行ったり大変だったんだから」
「でもそのまま忘れてたでしょ」
「そんなこと言われたって」
面倒だと言わんばかりにマニラはお冷を飲む。
蝶はきびきびと話し出した。
「まあいいわ。私はナルコマ。一緒に竜神を封印するのよ」
「そんな勝手な。悪いけど他をあたって」
メニューをめくると風花魚の焼き飯が目に入った。今晩はこれを食べようとマニラは決める。
「んもーーっ! あんたは勇者なの! 自覚なさい!」
大声にびっくりしたマニラは、慌ててナルコマを両手で押さえた。何事かと振り向いてきた数少ない客に、マニラは肩をすくめてみせた。
「もう、かんべんしてよ」情けない声が出た。
「じゃあ、私と旅に出なさい。ところで名前は?」
「じゃあって意味わかんないよ……」
はああっと、大きくため息が出る。そんなマニラの様子を気にする事なく、ナルコマはひらひらと優雅に目の前を舞う。
「ねえ、名前は?」
「今はマニラだよ」
「今ってなによ? 次とかあるわけ?」
投げやりなマニラの鼻先にナルコマは止まる。目を寄せながらそんなナルコマをマニラは見た。
「私は名前が無くって。だから行く先々で名前を考えてるんだけど」
「なにそれ! 面倒! もうずっとマニラでいいじゃない」
青い軌跡を残しながらナルコマは上下に飛ぶ。
「もうなんでもいいからさ……ご飯食べさせてよ……」
マニラはぐったりとうな垂れた。
風花魚の焼き飯は疲れた体に染み渡った。ナルコマは特別に花を一輪用意してもらい蜜を吸った。
一息ついたら途端に冷静になり、マニラの頭は疑問で一杯になった。迷わず質問を投げかける。
「ところで、竜神を封印するって言うけど、なにをどうするの?」
「活杙の地で竜神が復活しようとしているから、それを封印するの。」
「だから、どうやってさ」
今日で何度目だろうか、マニラはそう思いながらため息をついた。
活杙の地とは泥の海の先にあると言われている土地だが、そう語られているだけであり、本当にあるかすら誰にもわからない。
そして、旅人なら誰しも耳にする伝説の土地だが、口にすれば笑い者にされる類の伝説にすぎなかった。
しかし、遺跡での怪物と青い閃光を思い出すと、ナルコマが適当に言っているとは思えなかった。
マニラの心中など気にする事なくナルコマは言葉を続ける。
「その為には六天将の封印を解かなければいけないのよ。だからまずはそれからね」
マニラはだんだんと現実味の無くなってきた話に、ただ頷く事しかできなかった。口はぽかんと開き、今自分は酷い顔をしているんだろうなとマニラはぼんやり考えた。
「なにその顔! ちゃんとわかってるわけ?」
「う、うん。まあ、とにかく今日はもう休んでいい?」
前方に火の蛇。後方に金の馬。右に土の猪。左に水の申。天に貴人、地に木の卯。
世界を構成する力の源を司る六天将。
ここ魃国には水の申が住まうと言われている。
しかしそれは御伽噺。
これは夢か現か。マニラの旅はたしかに今はじまった。