運命の足音
ここは魃国。
別名青の国とも呼ばれ、雨の多い地域であり、水に濡れた木々が日差しで輝く様はとても美しい。
「こんにちは!」
明るい声が室内に響く。赤青黄色と色とりどりの人の中、この少女の黒の髪と瞳は目立った。
ここはピンインと呼ばれる仕事を斡旋する場所。町の近くで出る害獣退治から、人探しに、配達にと要するになんでも屋であり、とりあえずその日の仕事が欲しい人や、旅人が次の旅の資金を貯める為に利用する。
そしてその仕事内容は地域に密着したものが多く、情報収集にもなる為、旅をする人間はとりあえず新しい場所に行くとココを利用する風習がある。
人の出入りも多いため酒場の様にもなっており、とても賑やかだ。
ピンインの女主人が明るい声の主に微笑みかける。
「こんにちは。初めて見る顔だね。旅人かい?」
「はい、伯尾から来ました。暦術は苦手ですが、剣は使えます」
人懐こい笑顔で少女は返事をする。
旅人は世間では一つの職業と捉えられており、旅人の行き来にはお金や物が動き、出入りが盛んな地域は潤うため、大抵の場所では歓迎されている。こうやって新しい場所では自身の出来る事をまず話し、それに合った仕事を貰うというスタイルがいつの頃からか出来上がっていた。
「へえ、そんな細いのによくやるねえ……暦術の訓練の方が楽だろうに、物好きだねえ」
「よく言われます」
少し困ったように少女は眉を寄せ肩をすくめる。
女主人はちらりと少女の腰に指された剣を見やる。
「いいね、そういう自分の我を通す子は好きだよ。ちょうどいい仕事が入ったから、ほら、ここに名前を書いてちょうだい」
筆を受け取ると、少女は紙の前でうーーんと、唸った。
「なんだい? まさか字が書けないのかい?」
「あ、いえ。じつは……」
真っ黒な大きな瞳を瞬かせると、少し困ったように少女は言葉を続けた。
「自分の名前を知らなくて、いつも旅先で知り合った人に名前を考えてもらうのですが、今回はどうしようかなって」
「へえ! ほんとに変わった子だねえ。その真っ黒な目も髪も珍しいとは思ったけど、名前が無いなんて」
そう言うと女主人は自分の紫の長い髪をかきあげた。
「じゃあ、ここでの名前をあたしが付けていいかい?」
「はい」
少女は2度頷いた。肩までの黒髪が揺れる。
「マニラってどうだい。あたしの好きな石の名前だけど、石じゃああんまりかしら」
「いえ、ありがとうございます」
にっこり微笑むと、少女は紙にマニラと書いた。
「ようし。じゃあ、契約はこれでいいね。おすすめの仕事は山海遺跡の調査だよ。雨月原に見つかった新しい遺跡なんだけどね。節器をどんなボロでもいいから、1個発掘する毎に1万ラザだよ。どうだい破格だろ」
節器とは暦術と呼ばれる力を使う事ができる道具で、現在新たに作ることは困難であり、とても貴重な物である。しかし、昨今の遺跡から発見される節器は使用出来る状態の物が少なく、そんな物にでも1万ラザという一般的な職業の1か月分のお金が支払われるという。
「すごいですね! ぜひそれに登録をお願いします。でも……そんなに条件が良くて大丈夫でしょうか」
「不安がるのもごもっとも。出るんだよ、あれがね」
女主人はマニラに顔を寄せ、不敵に微笑む。マニラは眉を寄せ、身を引く。
「なーんて嘘だよ。なんにも出ないよ。今回の以来主は華南候なんだよ。まあ、金持ちの道楽さね」
女主人は大げさに両手を広げる。
華南候とはこの辺りを治める領主だ。
「じゃあ、行ってみようかな」
「こんなチャンス滅多にないよ。ほらこれが認可証。場所はわかるかい?」
マニラは元気に頷き、「いってきます」と挨拶をすると、ピンインを後にした。
大きな旅行鞄を背負い、石畳で出来た歩道を進む。
土と石で出来たねずみ色の町並みは、朝一番に降った雨で濡れている。
人々は花の様に色とりどりの髪と瞳を持ち、草花で染めた布を纏う。
マニラは一般的な羽織衣と呼ばれる着物を着ている。上下に分かれ、簡単な作りだが丈夫で安価な為、好んで着用している旅人が多い。
暖かい橙色の羽織衣は小さなマニラを、さらに華奢に見せ、その姿は旅人とは到底思えなかったが、強い意志を輝かせる瞳は誰も彼女を馬鹿にさせなかった。
山海遺跡は今まで見つからなかったのが不思議なくらい、町から近かった。
発掘と言ってもマニラが出来るのは、崩れた瓦礫の下から物を拾うくらいで、専門的な事は出来なかった。
当然の事ながらピンインで仕事を貰うのはマニラだけではない。ざっと確認できる範囲で5人程の人が遺跡を探索している。とりあえずマニラも一通り見て周る事にした。
必要なら採掘の専門家を連れて行くなり、現地で交渉して協力し合うなど様々なスタイルの旅人がおり、マニラはとりあえず行ってから考えるタイプだ。
巨大な円形の外壁が3重になっており、石造りの壁の高さがマニラの3人分はあった。
正直マニラにはこの遺跡の名前の由来は検討も付かない。
太陽が天頂からその日差しを投げかけ、マニラは遺跡の探索に飽きかけていた。
大きく伸びをし、欠伸をしながら、楽にお金儲けなんて出来るわけないなと、ぼんやりと考えた。
ふと視界の端に青く輝く光が見える。ぱっとその方向に振り返ったがなにも無かった。
「うわああああっ」
遺跡中に響き渡るような叫び声が聞えた。
マニラは静かに荷物を置き、腰の剣を抜くと叫び声が聞えた方へそろりと向かう。
身を屈め、角を曲がるとそこには牛のような体に人の様な顔がついている得体のしれない怪物がいた。怪物の額から突き出ている曲がった角は、マニラの胴より太い。爪は鋭く血で濡れており、先ほど遺跡の入り口で見かけた探索者の一人が床に倒れている。
「なにも出ないって言ったじゃないか」
マニラは毒づくと、そろりと後ろに下がる。暦術が苦手だから剣を使ってはいるが、あくまで護身程度であり、怪物なんてものは戦うどころか見たこともなかった。
怪物と目が合わない様にそろりと動く。あと一息で走って逃げれそうな気がしたが、それは出来なかった。
「う……うああ……助けてくれ……」
背中を切り裂かれた男性のうめき声がマニラの足を止めた。自分でも無理だとわかっている。正直に言えば怖い。恐怖で震えそうになる体を抑え、唇をかみ締め、怪物に向き直る。
マニラの心の準備など関係ないとばかりに、怪物は爪を振りかざす。大きく息を飲んで倒れこむ事しか出来なかった。さっきまでマニラの頭があった位置の壁が大きくえぐられる。歯ががちがちと鳴り、腰が抜けてしまった。
もうこれで終わりだ。そう思って強く目を瞑った。
いつまで経っても痛みは訪れなかった。
痛みを感じる事すら出来ずに即死してしまったんだと思い、ゆっくりと目を開けた。そこにはマニラを引き裂かんとばかりに巨大な爪を振り上げた怪物が、その姿勢のまま静止している。
理解出来ない光景の前に、マニラはぽかんと口を開ける事しか出来なかった。
「ねえ、大丈夫? 私のこと見える?」
突然の声に驚いて振り向くと、そこには青く輝く蝶が飛んでいた。
蝶はひらひらと顔の前を飛び、マニラは目でそれを追いかける事しか出来なかった。
「んもう。いつまで腰を抜かしてるのよ。私のこと見えてるのよね?」
マニラは剣を抱きしめ、3回頷く。
「じゃあ、さっさとこいつをやっつけるわよ。さあさあ立って。」
壁を背になんとかマニラは立ち上がる。その姿に蝶はいらいらと上下に飛ぶ。
「もー! しゃんとしなさいよ。あんたは勇者なんだから。ほら! 剣を構えて。」
「ゆ……えっ……?」
なんとかマニラは口を開いたが、まともに声は出なかった。
「ほら! もう時間ないんだから! 剣を構えて! 行くわよ!」
「え、ああっ」
慌ててマニラは剣を構える。途端空気が揺れるのを感じた。
怪物の咆哮が耳をつんざく。蝶がひらりと舞うと剣から青い閃光が迸る。
「わあああああっーーーーっ」
光と衝撃の渦の中、マニラはただ叫ぶ事しか出来なかった。
静かになった遺跡にマニラの荒い呼吸だけが響いた。
ふーっと、大きく息を吐き、早鐘の様に鳴り響く鼓動をなんとか治める。
「やっと落ち着いた?」
「わあっ!」
突然目の前に迫った蝶の姿に、マニラは口から心臓が出ると思うくらい驚いた。
「ひとの顔みて驚くなんて失礼ねっ」
蝶は不満を表すようにじぐざぐに飛ぶ。
「あ、あなたが助けてくれたの?」
「助けたと言うか、手伝っただけ。今の力は貴方の力だったのよ」
蝶はそう答えると、倒れている男性に近づいた。男性は背中を切り裂かれてはいたが、傷は浅く気絶はしているものの命に別状はなさそうだった。
「これ……私がやったの?」
「そ、貴方の力。貴方は勇者なんだから」
怪物は焼け焦げ絶命しており、閃光は壁をも焦がしていた。
「ぜ、ぜんぜん意味がわかんない」
マニラはぎゅうっと剣を抱きしめる。それは自分で初めて貯めたお金で買ったありふれた青銅の剣だ。
「すぐに理解するわ。貴方は竜神を封印する使命を背負った運命の勇者なんだから」
「しめい……うんめい……」
マニラは瞳をうろうろとさせ、呟きは空しく響く。