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花言葉  作者: 藤咲紫亜
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魂の護り人(菖蒲・春蘭)

(退屈だな。)


 庭を眺めるばかりの毎日。


 何度自分の身体を呪ったか知れない。

 ほんの少し走ったりするだけで痛む心臓も腹立たしい。


 どうして僕は生きているんだろう。

 どうして僕は生きてきたんだろう。


『生まれてきたから仕方なく。』

 それが一番合ってるのかもしれない。



「迎えに来てくれたの?お前。」



 肩口で切りそろえた黒髪。大きな黒い瞳が印象的な少女が、いつの間にか部屋の中に居た。

 浴衣姿が似合う可愛らしい少女。自分より5歳ほど下だろうか。

 彼女は首を傾げるような仕草をする。

 あどけなさが残るその姿。


 しかし、少女は何も言わずにスッと消えていった。



「せっかく……迎えが来たと思ったのになァ……。」



 その少女が生きていないということはすぐに分かった。

 この屋敷は、風舞の全ての分家をまとめる本家の敷地内にある屋敷。

 それゆえ屋敷の周りには、一族の者が張った結界が幾重もある。


 だが大抵の結界は、生きている人間には有効だが死した人間には無効だったりする。

 風舞家は特殊な力を受け継ぐ一族だが、決して霊能力者の一族では無いからだ。


 だが稀に、霊能力に近い能力を持って生まれてくる子供もいる。

 それが自分であるからこそ、彼女が既に死んでいる人間だと分かったのかもしれない。

 実際、死んだ人間に会うのは彼女が初めてではないのだ。



 その翌日、少女は再び現れた。

 そのまた翌日も。

 そのまた翌日も。



 しかし、少女は話しかけるとすぐに消えていった。


 ある日気まぐれで聞いてみた。



「なぁ、僕は菖蒲<アヤメ>。お前の名前は?」


「………んらん……。」



 反応が返ってきたことに少し驚いた。

 また消えてしまうとばかり思っていたから。



「風舞……春蘭<シュンラン>。」

「春蘭……?」



 風舞に連なる人間であるのは意外だったが、それより少女の名前に引っかかりを覚えた。




(どこかで……会った……?)





―――菖蒲様……



 自分の身の回りの世話をしている老いた女性の声が蘇る。



―――気付かれましたか、菖蒲様……たった今……。



(熱い……。)


 そのとき感じていた熱まで思い出す。


(このまま死ねたら良い。)


 あの時、自分はそう思っていた。



―――どう……お伝えしたら良いのでしょう……



 朦朧とした意識の下で聞いた言葉。



―――菖蒲様の許婚でいらっしゃる春蘭様が……ご遺体で発見されました……。



(ああ、そう……。)


 顔を知らない許婚の死。


 その知らせには何の悲しさも寂しさも湧き上がらなかった。


 それどころか羨ましいとさえ思った。



 自分の心とは裏腹に、「死」に抵抗する自分の身体が憎い。



(許婚なら、どうして僕も一緒に連れていってくれないんだ?)




「!!」



 三年ほど前のことだ。

 自分の許婚だった風舞春蘭。


 この少女こそ。



「……私は生きたかった。」


「……?」


「死にたくなんてなかった、生きていたかった。菖蒲はどうして死にたいの?」


「どうしてって……だって、こんな身体要らないだろ。弱いばかりで全然使い物にならない。」


「使えないものは要らないの?菖蒲にとって、この世の事象は使えるか使えないかで決まるの?」


「は?」


「自分勝手な人。」



 少しムッとして、菖蒲が言い返す。



「なら殺せばいい。僕が嫌いなんだろ。」


「貴方の望みなんか叶えてあげない。」



(あっそ……。)


 じゃあ何故ここに現れたのだ。


 と思った、その時。少年の頭に大きな疑問が浮かんだ。



「春蘭。」



 自分でも驚くほど、その名前は柔らかく響いた。



「お前の未練って何?」



 虚をつかれたような少女の表情。



「春蘭?」


「……分からないの……。」



 苦しげに顔を歪ませて、春蘭は呟いた。



(時々居るんだ。こーいうの。)


 死んで尚この世に留まる理由を、忘れてしまうカタが。


(……待てよ。)


 大抵そういうカタガタは、あまりに長い間この世に留まりすぎた為に、自分がこの世に留まる理由を忘れてしまっていた。


(こいつは亡くなってどのくらい経つ?)


 とりあえず5年も経っていない事は確かだ。



 おかしい。



 彼女に何かおかしなことが起きていることは分かる。



「おい。お前自分が死んだ時の事覚えてるか?」



 春蘭は、不思議そうな顔をしたが、ゆっくりと記憶を辿るように語りだした。




「お祭りの夜だった。お父さんとお母さんと弟二人と一緒に屋台を回ったりしてたんだけど、私一人だけはぐれちゃって……暗い山の中に入ったの。そしたら……お父さんが奥の方で“おいでおいで”をしてたの。良かった、って思って……お父さんの方に急いで走って行った。でも、走っても走ってもお父さんに近づけなくて……気付いたら、大きな古い樹の根元に来てたの。お祭りの音も聞こえなくて、光も見えなくて、お父さんも見えなくて、凄く、凄く……怖かった……っ。」



 春蘭が震えていることに気付いて、菖蒲は春蘭の頭の辺りに手を当てた。

 妹の長月花<チョウゲツカ>が幼い時に、菖蒲はよくそうしてやっていたからだ。




「声が聞こえるの……“ここに居ろ”って……足……つかまれて……!」




「春蘭……!?」


 春蘭の様子がおかしいことに気付き、菖蒲は焦った。




「あや……め…くる、しぃ……!!」



 何かから必死に逃れようとするように激しく手足を動かしながら、少女はかき消えた。



 菖蒲の能力が、言葉にならなかった少女の“想い”を受け取る。



 菖蒲は、何か糸が切れたかのように走り出した。



「菖蒲様!?外へお出になられては!」



 使用人の声も聞かず、門の方へと走る。

 


 山の場所なら知っている。

 何度か車で出かけた場所。

 風舞の本家から、そう遠くないはずだ。




 自分が“速”の能力を持っていないことが歯がゆかった。


 同じ一族の紫陽<シヨウ>や薔薇<ソウビ>のような“速”の能力者であれば、誰よりも速く目的の場所へ辿りつけるのに。



 心臓が悲鳴をあげ出すのが分かった。

 それでも痛みに耐えながら、菖蒲は少女が亡くなったという山を目指す。



 あの場所まで持てば、それで事足りる。

 どうせ要らない命。

 壊れるなら壊れてしまえばいい。

 身体も魂も。



 その山に着いた時、菖蒲の身体はボロボロになっていた。

 慣れない運動に、心臓は今までにない程の痛みを訴えてくる。

 何かにつかまっていなければ、フラフラと足取りも危うい。



(どこだ……春蘭。)


 唯一残された力は、風舞の血が彼に与えた力。

 他者の“魂”の力を感じ、“魂”を操る力だった。


 菖蒲は山の中に漂う春蘭の魂の気配を探した。

 彼女はこの山に捕らわれている。

 

 意識をできるだけ広い範囲に向けて、彼女の気配を見つけ出す。

 それは、何千もの糸の中からある一本の糸を見つけ出す作業に似ている。


 これほど荒い能力の使い方などしたことも無いが、手段を選んでいる心の余裕も菖蒲には無かった。

 



(掴んだ!)



 菖蒲はその気配を見失わぬように細心の注意を払いながら、山の奥の方へ進んでいった。




「春蘭!!」



 山をかなり奥まで進んだ所で、菖蒲は一本の巨大な老樹が立つ場所に出た。


 老樹の根元には、人ならざる者の姿。


 ひどく傷んだ鎧に兜。乱れた長い黒髪の男が脇に抱えているのは、ぐったりした様子の浴衣姿の少女。

 春蘭は、この男によって死してなお山に捕らわれていた。


 何故この世に留まっているのか尋ねた時、春蘭は「分からない」と言った。

 恐らく、春蘭の記憶を操っているのもこの男の魂だろう。



「落ち武者か……春蘭を放せ。」




……コノムスメワワレワレノナカマ……



 その声は、菖蒲の頭に直接響くような声だった。




「仲間じゃない。」



 菖蒲は全身の痛みに顔をしかめながら言う。




……ワレワレノナカマダ、ヨソモノワソウソウニタチサレ!




 男の目が赤く光ると、菖蒲は何かの波動を受けて勢いよく後ろへ吹っ飛んだ。


 樹の幹にぶつかった後、地面へ崩れ落ちる。




 限界だと身体は言う。




 普段は聞こえない自分の魂の叫びまで聞こえてきそうだった。


 菖蒲には何もかもが腹立たしく思えた。

 自分のひ弱さも、自分勝手な武者の霊も、春蘭でさえも。

 心臓が暴れる音が嫌に大きく聞こえる。




(うるさい……。)




 菖蒲は幹に手を当てて立ち上がった。




……ワレワレノナカマワ、ダレニモワタサナイ……




(……うるさい。)







「春蘭はお前達の仲間じゃない、僕の許婚だ!!」







 菖蒲は右腕を横に伸ばした。手のひらを上に。

 

 山は、多くの魂が宿る場所。

 菖蒲の能力が最大限に現出する場所の一つだった。


 菖蒲の手のひらの上に集まる、強く大きな光の数々。

 この山の霊威が、菖蒲に力を与えていた。



「地獄で詫びろ。」



 次の瞬間、菖蒲の手のひらの上の光が幾千の矢の形をとり、武者へと一直線に駆けた。



 光の矢は、寸分の狂いもなく武者だけを射抜いた。


 断末魔のような叫び声を上げ、武者の姿が煙のように消える。

 

 力を使いきった菖蒲の身体がふらりと後ろへよろめく。



「……菖蒲!」



 意識を取り戻した春蘭が菖蒲の方へ飛んでくる。

 菖蒲は、樹の幹に身体をもたれさせると手で顔を覆って俯いた。

 その肩が震えている。



「菖蒲……?」


「間に合わなかった……もっと早くここに来てれば……。」



 一度肉体から引き離された魂は、その多くが二度と戻れない。


 引き離されてから時間がそう経っていなければ、肉体に戻ることができる魂もあるのだが、春蘭は身体から魂が引き離されて時が経ちすぎている。


 戻る肉体さえ、既に無い。




(あの時。)





―――春蘭様が……ご遺体で発見されました……。




 何故自分は、何も気にかけなかったのだろう。

 熱になど構わず、ここにこうして駆けてきたなら、彼女は死なずに済んだかもしれないのに。

 可能性は残っていたのに。

 生を望んだ彼女が死んで、死を望んだ自分が生きている。



「菖蒲。」



 顔を上げると、目の前の少女は柔らかい笑顔を浮かべていた。



「私は、菖蒲が私のために泣いてくれて嬉しいよ。今までずっと、色んな人を恨んだり、後悔したり、生きている人が羨ましくて、同じ目に遭えばいいって思ったりしてた。風舞菖蒲……私の許婚に会うまで。」



 少女の頬を、光の雫が伝う。



「名前しか聞いたことなかったから、まさか貴方だなんて思わなかった。でも、よかったって思うの。私を助けに来てくれた貴方でよかった。」




 菖蒲は少女の髪に触れるように手を伸ばす。




「……こんなに小さかったんだな、お前。」



 三年前の姿で時を止めた少女。


“使えないものは要らないの?菖蒲にとって、この世の事象は使えるか使えないかで決まるの?”


 ひょっとすると少女は、本当はこう訊きたかったのではないのか。


“死んだ私はもう要らないものなの?”


 そう聞こえた気がしたのだ。


“違う”と今ならはっきり言える。

 菖蒲は今まで浮かべたことのない安らいだ微笑みを春蘭にみせた。



「……待たせてごめんな。連れていけよ、僕も……お前と一緒に行きたい。」



 他の誰とでもなく。




『僕の許婚だ!!』




 あれは偽りの言葉ではないから。


 あの日、きっと自分は死ぬはずだった。


 少女と共に。

 何かの間違いで、自分だけ生き残ったのだ。


 

 しかし少女は、寂しげに笑って首を横に振った。

 



「菖蒲は死なないよ。」



 春蘭は老樹を振り返る。


 どういう意味なのか菖蒲が分かりかねていると、春蘭は菖蒲をもう一度見て、



「だってね、分かるよ。この山の魂が、菖蒲の事を大切に思ってること。樹も、大地も動物達も、皆菖蒲を生かそうとして頑張ってる。菖蒲は元々、そんなに長生きできない身体なのかもしれない。もしかしたら、ずっと昔に死んじゃってたかもしれない。でも、今菖蒲が生きてるのは、菖蒲がこういう自然の強い魂に好かれるからだと思うの。菖蒲って、色んな魂の“一番聞いてほしい声”が聞こえる人間なんじゃないかな?」

と言った。



(一番聞いてほしい声……?)

 



「だって、私の“助けて”って声が聞こえたから、菖蒲はここまで急いで来てくれたんでしょ?」



 風舞の“魂”の能力者は、様々なものの『声』を聞く。



 真なるこころ

 真なる声を。



 故にまたの名を『魂の守護者』と言う。



「ほら、この山の色んな生き物が菖蒲を癒そうとしてる。」


 目を凝らしてみると、沢山の小さな光が自分の身体の中へ入っていくのが見えた。


 春蘭は、そっと囁く。




「“生きて”って、言ってるでしょ?」




 次第に楽になっていく身体。



「私も、菖蒲には生きててほしい。菖蒲が菖蒲でいてくれたら、私がどんなものに生まれ変わっても気付いてくれるから。」



 春蘭は菖蒲の頬に触れるように手を伸ばした。

 死者が生者に触れることはできない。

 死者に触れられた者は、そこに切ない冷たさを感じるだけだ。


 その冷たい空気の上に、菖蒲は瞳を閉じてそっと自分の手を重ねた。

 




「…………うん。」




 見つけるよ。

 


 まぶたを開くと、既にそこに少女の姿は無かった。


 空を見上げた菖蒲の瞳に、一匹の美しい蝶が映る。

 紫色の羽をひらひらと舞わせて、その蝶は幻か何かのように輝きながら天に溶けていった。


 近づいてくるのは恋焦がれた“死”ではなく、忌まわしい“生”。

 だというのに、菖蒲は何故か晴れ晴れとした気分だった。





“めぐりめぐるは輪廻の輪

 願わくば ふたたび

 ふたたび彼の元へ……”


 



 本屋の文庫コーナーに、一人のセーラー服の少女が立っていた。

 その視線は、手に持った一冊の本に集中している。

 別の少女が、その様子を呆れたように見て尋ねた。


「紫苑。また“アヤメ”の本買うの?」


「だって、この人が書く本って凄く優しい雰囲気ばかりだから好きなの。しかも何だか読んでて落ち着くんだよねぇ。」


「落ち着くって所は理解しかねるけど、優しい雰囲気は私も好きかな。」


 紫苑と呼ばれた少女は本を抱きしめる。


「何だろ、こう、心に響くっていうかぁっ、『本当の声』を聴いてくれるっていうかぁっ。」


「はいはい分かった分かった、紫苑はアヤメ先生が大好きなんだよね?」


「大好きだとも! 悪いかね!? あ、そうだ。ねぇねぇ、今度アヤメ先生のサイン会があるんだってっ、一緒に行かない?」


「えー?」




 彼と彼女の再会は、もうすぐ。

 新しく懐かしい物語のページが、めくられようとしていた。





□花言葉□

菖蒲……優しい心、信じる者の幸福、など。

春蘭……気品、清純、ひかえめな美など。

紫苑……君を忘れない、思い出、など。

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